黒井と彼女の契約6
それはまだ、このゲームがβテスト時代の話だ。
周囲には七人のプレイヤーキラーの遺体。
互いに傷だらけになった体を引きずって、歌世とゴルトスは微笑んで向かい合った。
「耐久型、やるじゃない」
「素早さ型も、結構やるもんだな」
そう言って、二人はお互いの右手を高々と掲げてぶつけ合う。
「けど、お前とは馬が合わないと思う」
ゴルトスが無感情に言った台詞を聞いて、歌世は思わず唇の両端を持ち上げた。
「奇遇ね。私もその点だけに関しては同じ意見だわ」
駆け寄ってきた六花が、二人の話を聞いて呆れたように苦笑した。
「まったく、仲が良いんだか悪いんだかわからないわね」
それから、十年に近い歳月を、二人は共に過ごしてきた。
離れている期間もあったが、最終的に同じギルドに収まった。そして、溜まり場で酒を共にする間柄になり、そのうち仕事の愚痴を語り合う相手ともなった。
お前とは合わない。そう語っていた二人の学生は、社会人となり、共に社会の荒波に対抗する同士となった。
そして今、二人は闘技場のリングの上で相まみえた
「あんたも、私が倒されれば引退しないと思ってる口なのかな」
歌世は、右足の爪先で地面をつつききながら言う。尻尾は左右に大きく揺れていた。
ゴルトスは、無感情にそれを眺めている。
「だって、空しいだろう。長い俺達の冒険の最後が、黒井の茶々で終わるというのもな」
彼は色々と見抜いているらしい。長い付き合いだ、隠し事はできないなと歌世は苦笑する。
「黒井の茶々が直接の原因ではないさ。あんたも、私も、この世界に未練をまったく残していなかった。そうでしょう?」
歌世は、色々な思い出が心の中に蘇ってくるのを必死に噛み殺した。柄になく、センチメンタルな気分になりかけている自分を感じていた。
「大体の欲しいレアは手に入れたし、大体理想のステータスも手に入れた。大体の場所には行ったし、大体の敵とも戦った」
「けれども、仲間がいる」
ゴルトスの言葉に、歌世は一瞬反論を忘れた。
「目立ったからなんだ。俺がお前を溜まり場に引きずり戻す」
ゴルトスは、そう宣言していた。それは、歌世には少しばかりくすぐったく感じられた。
「……未練、だね」
歌世は苦笑して、地面をつつくのをやめる。そして、不可視のアイテムボックスから、両手に短剣を移動させた。逆手に持ったそれを構え、歌世は腰を沈める。
ゴルトスも、鎚を装備する。長い柄を持つ白銀の鎚だ。その表面には、不可思議な文字が刻まれている。
神器、ミョルニルだった。
「はー、初っ端からそれを出す?」
「神器が正式に解禁されたからな。お前相手に準備して、足りないということはあるまいよ。対人のセンスに関してはお前に一日の長がある」
ゴルトスは無表情だ。その真面目極まりない彼の性格は、相変わらず自分の趣味には合わないな、と歌世は思う。
けれども、二人は紛れもなく友人でもあったのだ。
「まったく、人が神器ユーザーってことを隠してあげてたのに」
「どうせ負ければ俺も引退だ。惜しくはないし、そもそもこれが神器だと誰がわかる?」
「まあ、変わった鎚と思うだけって可能性もあるか……。ファンファーレ、鳴らないね」
「ああ、鳴らんな」
「また、あの管理者ヅラしたあいつの仕業かね」
「かもしれんな」
二人は、対峙する。戦闘の開始を、待ち構えて。
「……思い出話でもするか」
「それこそ、彼女の思う壺じゃない」
単純なゴルトスに、歌世はついつい苦笑するのだった。
++++
ヤツハの目の前には、インターネットブラウザが表示されたパネルが浮かんでいる。
掲示板の反応は様々だ。
準決勝は神速対雷皇だ、とまことしやかに囁かれている。互いに、イグドラシルの世界では伝説となりつつある異名だった。
片や、様々な人の助っ人となって戦う、神出鬼没のヒーロー。その移動速度は、尋常ではないとされている。短剣を使うスタイルといい、まさに今の歌世そのものだ。
片や、対人戦の英雄。その腕力は重い武器も軽々と扱い、尋常ではない攻撃速度で敵を倒すという。
リヴィアしか準決勝に残っていないスピリタスを揶揄する声もあるようだった。
布の服に猫耳という、いかにも趣味装備な歌世には、対人舐め子などというあだ名がついたりしている。そして、あざといその格好を指してネカマか否かが真剣に議論されていた。
「掲示板のほうはどんな感じ?」
「色々横道に逸れてる感じですね」
シズクの問いに、ヤツハは苦笑して答えながらブラウザを閉じた。
場内のあちこちにも、インターネットブラウザを開いている人間が散見される。そして、噂を聞きつけてか、立ち見客も大幅に増えていた。
今日は、イグドラシルの世界で語り草となる日となる。そんな、予感があった。
「シンタくん、見守ろう。私達の先輩の、最後の戦い」
「うん。耐久か素早さかで揉めてたあの二人の口論も、ついに決着するんだね」
そう、あの二人はよく揉めていた。騎士は耐久を伸ばすべきか、素早さを伸ばすべきかで。
その口論にも、決着の日がやってきたらしかった。
++++
ファンファーレが鳴る。ゴルトスは、壁に向かって後退し始めた。歌世は一定の距離を保ってそれについて行く。
「手を出しかねているのね」
リヴィアは、観客席からそれを見守って言う。
「ゴルトスのミョルニルの固有スキルは高速の一撃。それは、ゴルトスの腕力と相まって致命的な一撃となる。歌世といえども、その攻撃速度に対応できるか、どうか」
環も、興味深げに二人の動向を見守っている。
「けれども、スキルを使った後には硬直時間が生まれる。ゴルトスがミョルニルの固有スキルを放った瞬間が、決着の時でもある」
キャラクターの動きが完全に停止する硬直時間。それがどれだけ短い時間であろうと、歌世の前では致命的な隙となる。
そして、ついにゴルトスは後退しきった。壁を背にしたのだ。
「ああ。元々、壁に近い位置に立っているとは思っていたわ。これを狙っていたのね」
環は感心したように言う。
「わかってたことよ。歌世殺し。壁を背にすれば、周囲を走ってかく乱、不意打ちを狙う歌世の動きを制限できる」
特に、闘技場のリングを囲む壁は緩やかなカーブを描いている。それを背にすれば、側面に回りこまれても対応しやすくなる。
「素早さに特化した歌世は、足を止めて戦って勝利できる腕力も耐久力もない」
「貴女はその手を使わないのね?」
からかうような環の言葉を、くだらないとリヴィアは思う。
「相手の全力をこちらの全力で迎え撃ってこその勝利よ」
「負けず嫌いねえ、相変わらず」
歌世とゴルトスは硬直状態に陥っていた。
歌世は相手の頭部に短剣を投じて様子を窺うが、ゴルトスは鎚の柄でそれを弾いてけして壁の前から動く気はなさそうだ。
そして、次の瞬間には歌世の空いた手にはまた短剣が逆手に握られている。
「この試合、決着は一瞬ね」
リヴィアは淡々と、そう評した。
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まるで、城を相手にしているようだと歌世は思う。こちらの軽打は積み重なっても相手の命を刈り取ることはなく、逆に相手の一撃は問答無用にこちらのヒットポイントを削りきるだろう。
耐久力の低い歌世と、攻撃力と耐久力に特化したゴルトスの相性は、最悪と言えた。
ゴルトスのステータス振りは正統派であり、急所狙いに特化した歌世はある意味でプレイヤーの技量に頼った邪道なのだ。
(あー、やっぱこいつとは相性が悪いわ)
そう思って、歌世は苦笑する。
開いているゴルトスの首筋、そこに刃を通すしか勝ち目はない。しかしそれは、ミョルニルの前に身を晒すということでもある。ミョルニルの固有スキルである雷神は、振り降ろし、横薙ぎのどちらにも対応した高速の一撃だ。それは、一瞬で敵の体を破壊する。
雷神の発動前にゴルトスに一撃を叩き込めるか。勝負の肝は、そこにあった。
最後に歌世が縋れるのは、結局は素早さと自身の技量なのだ。
「神器は使わないんだな、歌世」
ゴルトスが、淡々と言う。
「生憎、短剣が使い慣れている」
「固有スキル次第では状況を引っくり返せるだろう?」
「状況を引っくり返す? ゴルトス、私の上位に立った気だったんだ?」
「……なに、みっともないと思ってな。か弱いお前相手に、地の利を得て、神器を使い、一撃必殺の構えを取っている」
「鈍重な貴方が女相手に勝つ手段を必死こいて考えた結果でしょう? 私は責めないわ」
お互いのステータスが絡む話題になると険悪になる。歌世とゴルトスの悪い癖だ。
「困ったな」
ゴルトスは、表情を変えずに言う。面倒臭いと思いつつも、歌世はそれに返事をした。
「何よ」
「口論をさり気なく流してくれるシュバルツがいない」
その言葉に、歌世は思わず表情を崩した。
そうだ、シュバルツならばいつもこんな時に、さり気なく話題を変えてくれたのだ。
「俺は、得難い仲間を得た」
「ええ、その点に関しては同意するわ」
++++
一瞬の油断が命取りになる。ゴルトスはそう思い、神経を集中させていた。
まるで、真剣勝負の真っ只中にいるようだとゴルトスは思う。
力と耐久に特化した移動速度の遅いゴルトスでは、異常に素早い歌世の急所狙いの一撃で状況を引っくり返される可能性があった。そして彼女は、それを的確に狙う技量と空間認識能力を持っているのだ。
(やっぱりこいつとは相性が悪いな……)
そう思い、ゴルトスは苦笑する。
今日昨日の話ではなかった。ステータスに関する思想も、性格も、歌世とゴルトスは出会った時からまったく違っていた。もしもゲームがなく、同じ学校の同級生にでも生まれていたならば、一度も会話を交わすことはなかっただろう。
「いつまでもこうはしていられない。行くね、ゴルトス」
そう言って、歌世は腰を落として構えを取った。その逆手に握られた両の短剣の刃先が、日光を受けて輝いている。
「ああ、来い。俺が、止めてやる」
ゴルトスは、ミョルニルを構えた。
そして、瞬きをした次の瞬間、目の前に歌世の姿があった。
間に合った。そう思い、ゴルトスは雷神を使う。ミョルニルに光が集まり、鎚が相手の脳天へ向かって振り下ろされる。
しかし、歌世はその直前には後方へ大きく跳んでいた。ゴルトスの鎚は空振り、空しく地面を叩く。
硬直時間が生まれた、と歌世は考えただろう。事実そのようで、彼女はゴルトスの側面に移動すると、再度襲い掛かってきた。
ゴルトスは硬直することなく、彼女に対して前もって体を向けていた。
歌世は状況を察したらしく、表情を強張らせている。
ゴルトスの一撃目は、空撃ちだった。
ミョルニルを別の鎚に持ち変えることで、スキルの発動そのものをキャンセルしていたのだ。ゴルトスはミョルニルが光った直後に、普通の鎚を持って、ただ腕力に任せて振り下ろしただけだ。
空間認識に優れてはいても、歌世のプレイヤーである佳代子は万能ではない。迅速に動き回るキャラクターの視界には、見落としが生まれることもある。
ゴルトスが賭けていたのは、二撃目だった。
再度その手に握られたミョルニルが光り輝き、雷神が発動する。その直前に、歌世も武器を持ち変えていた。その手に持たれていたのは、一本の槍だ。それは、スキル発動時固有の光を放っていた。
鉄と鉄がぶつかり合う鈍い音がした。
次の瞬間、歌世は吹き飛んでいた。雷神をまともに身に受ければ、その体が残るわけがない。完全に消滅した後、復元された状態でセーブポイントに強制的に戻されるはずだ。
しかし、歌世は右手があらぬ方向に曲がっているだけだった。体の他の部位に、まったくダメージは見られない。槍は折れており、地面に転がっている。
一瞬、状況を図りかねたゴルトスだったが、全てを察して苦笑した。呆れるしかない、という思いだった。
「チャージを使ったのか」
「ご明察」
歌世は苦い顔で、立ち上がる。その左手にある短剣を逆手に構えて。右手はもう使い物にならないらしく、ただ地面を向いて揺れている。
チャージとは、騎士の突進用スキルだ。彼我の耐久力によって効果が変わる。相手の耐久力が自分より高ければ自分が吹き飛び、逆ならば相手が吹き飛ぶ。
歌世はそれを、振り下ろされるミョルニルに向かって放ったのだ。そうすることによって、右手一本にダメージを集中させ、同時に後方への退避を可能としたのだ。
「相変わらず、信じられない反射神経だな」
「あんたこそ、雷神の発動をキャンセルするなんて聞いてない」
「俺はボタンを連打しただけだ。お前みたいに一瞬でターゲットを狙う余裕は無かった。まあ、しかし、これで終わりだ。お前は右手に重傷を負った。それはこの戦闘中で回復することはない。そして、俺は万全の常態にある」
「そうかな。まだわからない。私の売りはスピードだ。それがなくならない限り、私は諦めてなんかやるもんか」
「……なんで、神器を使わなかった?」
ゴルトスの疑問は、そこに集中した。
「槍を使うなら、硬度に優れたグングニールがあっただろう。お前のグングニールは、破壊不可の特殊効果を持つ。それを使っていれば、ダメージそのものが軽減されていた可能性がある」
「……私の勝手だ」
歌世は、そう言い捨てた。
それを見て、ゴルトスはある結論に辿り着くしかなかった。それ以外に、考えられる可能性はなかった。
彼女は、神器を使いたくないのだ。
「なるほど。お前はアリサが嫌いで、だからこそ辞めていくんだな」
歌世は、虚を突かれたような表情になった。
その左手から、短剣が投じられる。
自分の首に向かって迫り来るそれを、ゴルトスはただ受け止めていた。
++++
予想外の結末に、歌世は戸惑っていた。戦闘終了に伴い、体の傷が回復し、右腕が元に戻る。
歌世は、戸惑いつつも、壁を背にして座り込むゴルトスに歩み寄っていた。
「なんで、避けなかったの?」
「……アリサみたいな地位にある奴が気に入らないからやめるって言うんなら、俺に止める術はないと思ったんだ。この世界の仕組みそのものが嫌いになったようなものだからな。運営が嫌いだからやめる。まあ、ありがちな話だ」
ゴルトスは、空を仰ぎながら言う。
「今思えば、アリサの存在を知ってから、お前は神器をまったく触らなくなった。それに気がついておくべきだったんだ」
生真面目極まりない意見だった。その結論として勝利を譲ったことまでも、彼らしいと歌世は思う。
「私の意思を尊重してくれるわけか。ありがとさん。けど、戦ってたら私が勝ってた」
歌世は茶化すが、ゴルトスは生真面目に返事をするだけだ。
「どうだろうな。有耶無耶にしておいて良かった気もする」
「口論の種が残っただけじゃない? 耐久か、素早さか。どっちかが勝ってたなら、もう言いだすこともできなかったよ」
「馬鹿だな、佳代ちゃんは」
ゴルトスは、苦笑する。何かを悟ったような彼の言い分が、歌世は気に入らない。
「もう、このゲームについて口論することなんて、ないだろ。リアルでボウリングに行ったり飲んだりはするかもしれない。けれども、このゲームで会うのは、終わりなんだ」
彼の意見を、尤もだと歌世は思った。
「あー……確かに、その通りだわ。我ながらボケてる。引退するって実感、まだないんだなあ」
「そういうもんだ。八年もやってりゃあな。どんな八年だった?」
「……高校生だった私が、社会人になった」
「うん」
ゴルトスは、生真面目に聞いてくれる。今はそれが、心地良い。
「色々な遊び方をして、結構目まぐるしくて、単位落としかけもして、教授に頭下げて、レポートを書かせて頂いて……。社会人になったら、愚痴聞いてくれる友達が待っててくれてさ」
振り返ってみると、思い出の多さに、歌世は呆然とする。八年という時間は、過去として切り捨てるにはあまりにも長すぎた。戦う前に抱いていた切ない気持ちが、再度胸に込み上がってきた。
「くそ。ちょっと寂しくなってきた」
「すぐに慣れるさ。新しいゲーム、送ったろうか」
「どんなゲーム?」
「佳代ちゃんみたいに空間認識能力と反射神経に長けた人間が重宝されるゲーム。宇宙での戦いが主だな」
「へー、興味深いけど、やるかはわかんないな」
「……なんか、夢みたいな八年間だったな。色々な冒険をして、色々な人と交流した」
「うん。夢みたいだったよ。それも覚めて、現実へ帰る時がきたんだ」
「そうだな。俺も佳代ちゃんももうアラサーだ。良い頃合かもしれん」
そろそろ、潮時だった。新たな選手がリングに上がり、歌世達は退場を促されている。
「じゃあ、今までありがとう、ゴルトス。次は、佳代子として会うよ」
「今までありがとう、歌世。βテストから八年、お前のおかげで楽しませてもらった」
「ああ。さようなら、だ」




