黒井と彼女の契約4
歌世は、控え室に向かって歩いていた。
その目の前に光が走り、人の形を成す。
ここは、ログアウト不可能な場所であり、ひいてはログインすることも不可能な場所のはずだ。その常識を、彼女は軽々と打ち破った。
赤い髪をした、エルフ耳の少女が現われて、歌世に抱きつかんばかりに駆け寄ってきた。
このゲームの管理者の一人であり、人であるかどうかも不確かな存在、アリサだ。
彼女は満面の笑顔だ。
「良くやってくれたわ、歌世! この盛り上がりを私は求めていたのよ」
「ああ、そうかい」
歌世は、投げやりに言って、彼女の横を通り過ぎて行く。その後を、彼女は早足で追いかけてくる。
歌世も小柄なアバターだが、それに輪をかけてこの少女は小さかった。
「これで飽きが来ていたプレイヤーにも鮮烈な印象が残るわ。それは、新しいキャラを作ろうってやる気に繋がると思う」
「相変わらず、あんたはゲームの存続にお熱ね」
「当然よ。ここは私の家みたいなものだもの。最近は私もプレイしているのよ?」
「ほー、管理者権限のチートプレイで楽しんでるのかい?」
アリサがどう楽しんでいるかに興味が沸かなかったので、適当に歌世は言う。
「いいえ。普通にキャラクターを作って普通に狩ってるわよ。最近はモノマネ狩りをやってるの」
意外な言葉に、歌世は足を止めた。
「それで、神器の使いどころがきたわね、歌世! 目立つ今こそ、使いどころよ!」
アリサは両手を上げて、飛び跳ねるようにして言う。
「私達はあんなゲームバランスを崩しかねない装備は使わないわ。そもそも、私は神器の固有スキルが使えるステータスに達していない」
「けれども、運営は神器を下方修正をすることを代償にして存在を認めたわ。ステータス制限も緩くなっている。貴女も、神器を使えるはずよ」
それは、事実だった。歌世が所持している武器はグングニール。その使用条件を、今の歌世は満たしていた。
「悪いけれど、この戦いで決着がついたら私は引退するわ」
歌世は、話題を変えた。
アリサは、戸惑うような表情になる。
「ええ、どうして? 神器を持ったトッププレイヤーの貴女は、さぞ絵になると思うんだけれど。きっと長らくプレイヤー達の憧れとなるわ」
「飽きたもんは飽きたんだから仕方ない。あと、この際言っておくけど、私はあんたが嫌いなんだ、アリサ。管理者ヅラして好き勝手をやる」
「ええ。今回も管理者ヅラして、貴女とスピリタスのメンバーが問題なく当たるように調整したわ」
アリサは、悪戯っぽく微笑んで言う。
「貴女は私に感謝しても良いぐらいだと思うわよ、歌世。神器を授けて、今回もこんな風にフォローしてあげている」
「ありがとう、アリサ。後は視界から消えてくれると一番嬉しいわ」
アリサは膨れた表情になると、その場から消えた。
「さて、貴女は彼に勝って無事に引退できるのかしら? 楽しみね」
残された声が、通路に反響する。
「彼……?」
何か、嫌な予感がする歌世だった。
++++
戦闘が始まった瞬間に、彼は抱えた斧を投じていた。その速度は、生半可な腕力で生み出せるものではない。
斧は一瞬で相手魔術師の胴体を真っ二つにしていた。
斧の持ち主は、大柄な男のアバターだった。白髪の混じった髪をしており、顔には傷がある。鎧兜に身を包むその姿は、歴戦の戦士と言うよりは、将軍と言った感じの中年男性だ。
ゴルトスだった。
「なんであの人が参加してるんだ……」
シュバルツが、戸惑うように言う。
「あれも、あんた達の知り合い? かなりの腕利きのようだけど」
シズクが、呆れたように言う。
「斧の速度が半端なかったですよ」
リンネも半ば呆れているようだ。
「ああ、俺も前衛キャラ作っとくべきだったなー。お祭り騒ぎに乗り損ねた」
「まあ、あんた聖職者ばっかり作ってるものね」
残念がるシュバルツに、ヤツハが苦笑顔で答える。
「多分、歌世さんを引き止めたいんだな、あの人は……」
シュバルツは真面目な表情になって、そう言った。
「あの二人の付き合いは俺達より長い。七年だか、八年だったか。それは、思うところもあるよな」
周囲はざわついている。
「ゴルトスって、雷皇……?」
「一瞬の早業だったな」
「あれ、スピリタス側の助っ人って噂だぜ」
「嘘だろー。俺歌世に賭けちまったよ」
「馬鹿、女帝リヴィアの勝ちに決まってるだろ。」
周囲を見ると、人々は時間の経過と共に増えているようだった。
席は最早埋まり、立ち見の客が、あちこちに散見されるようになっている。
「引退式だと思えば、華やかだよな」
シュバルツの言葉に、ヤツハは複雑な表情で黙り込むだけだった。
「……お前、結局、言いたいこと言えてないな? さては」
見透かすようにシュバルツは言う。
ヤツハは、そっぽを向いて何も言い返さなかった。
++++
「あんたが出てくるか、龍一」
四回戦で、歌世はリングで向かい合った相手に、苦笑していた。
ここまで、歌世は一撃もダメージを受けていない。一瞬の早業で、敵を瞬刷してきた。だが、今回はそうはいかないだろう。
龍一。スピリタスの特攻隊長で名高い男だ。先読みの龍一とも呼ばれている。
彼の手には、一振りの両手剣がある。
その表情は楽しげだ。まるで、祭りにわくわくとしている子供のように。
「昔、俺のが強いかあんたが強いかで言いあったことがあったよな」
「私は、あんたのが強いって言ったよ」
「俺も、あんたのが強いって言った」
二人は、互いに苦笑して見詰め合う。
「……受験のために休止したって聞いたけど?」
「あんたと戦えると思えば、復帰もするさ」
「そうかい、親不孝者。せいぜいセンター試験で悔いろ」
「嫌だね。ここであんたに勝って気持ち良く受験勉強に戻るんだ」
「そうかい」
ファンファーレが鳴る。
歌世は、地面を蹴った。直進することはしない。龍一の左側面に回りこみ、中距離からの一撃必殺を狙う。
しかし、龍一はその時には既に歌世に視線を向けていた。
彼は先読みを持って、矢のように素早く動く歌世の位置を把握していた。
歌世のプレイヤーである佳代子は、空間把握能力に優れている。その空間把握能力によって、目にも留まらぬ速さで動く歌世を扱いつつも、敵の位置を見失わない。
龍一のプレイヤーは、動体視力に優れていた。相手の些細な動きから、次の動きを読み取れるのだ。
これは、中のプレイヤーが特異な能力に長けた者同士の戦いと言えた。
二人は互いにけん制し合いながら、立ち位置を変えて行く。そのうち、両者は壁の付近まで移動していた。
歌世の突進を、龍一は避ける。歌世は闘技場の壁にぶつかるかと思いきや、その壁を蹴り飛ばし、空中で跳躍しつつ回転した。
歓声が上がる。あの速度で壁蹴りを成功させるのか、と言う驚嘆の声だ。普通のプレイヤーなら、歌世と同じ速度で壁に突っ込めばぶつかってダメージを受けるだけだろう。
歌世が、龍一に向かって短剣を投げ下ろそうとする。その時既に、龍一は上空に視線を向けてほくそ笑んでいた。
短剣と両手剣がぶつかり合い、火花を散らした。
++++
「そんな所で高みの見物かい」
唐突に声をかけられて、セロは振り向いた。
観客席の通路で、歌世と龍一の戦いを見守っている最中だった。
声をかけてきたのは、唇の両端を上に向けて微笑む、見知らぬ男のアバターだった。
「誰だ……?」
「"ハズレリスト"の発案者セロくん、と呼べば俺が誰かわかってもらえるかな」
男は、微笑を崩さない。
セロは、表情を歪めた。
「黒井、か? やり口も、情報収集力も、スレイヤーの時と似ている部分がしばしばある」
「そう。人は僕をこう呼ぶ。扇動者黒井、とね。君にとっては運命の分かれ道だ。もっと真剣に龍一くんを応援したらどうだい。だって、そうだろう? こんな序盤で歌世さんが負ければ、"ハズレリスト"の件をリークしてもただの負け惜しみに見えてしまう可能性がある。君の首は繋がるわけだ」
「……誤解があるな」
セロは、苦い顔で言う。
「俺は"ハズレリスト"の発案者じゃない。"アタリリスト"の発案者だったんだ」
野良パーティーに参加するプレイヤーは玉石混合だ。その中で、光り輝くような腕を持つ人間がいる。その人間を書きとめてリストにしよう。それがセロの考えたことだった。
"アタリリスト"はセロのネットワークを介して広がり、共有されるようになった。そして、"アタリリスト"に名が載った人間は率先して誘われるようになったのだ。
「それが結局は、"ハズレリスト"製作のきっかけとなった。最初はよほど下手な人間を野良パーティーから追い出すために作られた"ハズレリスト"。けれどもそれはエスカレートして、一部の人間が気に入らない人間を書き込むリストと化してしまった。そして、ハズレと周知されている人間を身内と思われたくないと、書き込まれた人間を追い出すギルドまで出てきてしまった。君は野良パーティーやギルドからの迷い子を多数産んだ張本人とも言える訳だ」
セロは反論できない。"ハズレリスト"が製作された時、それを止めなかったのは事実だからだ。
セロは見逃した。野良パーティーから弾かれる人間が生まれるだろうリストの作成を、ただ見逃したのだ。
「反論しないのかい?」
「反論すれば、許してもらえるのか? 俺のせいでギルドから追い出された人間まで出たのは事実だ。"ハズレリスト"は力を持ちすぎた。スピリタスの影響力がそうさせた」
「そう。そして次は君が排除される側に回る。"ハズレリスト"なんてものを作って人の腕を寸評する驕った人間達は、半永久的にゲームの中で軽蔑されるだろう。楽しみじゃないか」
「どうだろうな。皆少なからずやっていることだ。"地雷リスト"、"野良パーティーで当たったハズレ"。掲示板を開けばどのゲームでも似たようなことをやっている人間はいる」
「彼らは匿名だからね。責められることもなければ、信憑性も薄い。しかし、君達はメインキャラでそれをやってしまった。反応はまるで違うだろうよ」
セロは黙り込む。反論できなかったからだ。
その時、歌世と龍一の戦いに変化が起こった。歌世は着地点を読まれて攻撃され、短剣でそれを受け止めながらも壁に吹き飛ばされた。そして、龍一が止めを刺そうとした瞬間、彼女は今までにない速度で駆けた。
次の瞬間、龍一はすれ違いざまに左の足首を切り落とされ、倒れていた。
歓声が上がる。この素早く小柄な挑戦者を、今では皆が好意的に見ているようだった。あれほどの速度と技量を持っていれば、それも当然だろうとセロは思う。
ゲーマーは基本、ゲームが上手な人間を好むのだ。
「驕り高ぶった人間は地に落ちる。人を踏みつける人間は踏みにじられる。残り少ないゲームライフを精々楽しむと良い」
嘲笑するように言って、黒井は去って行った。後には、セロが一人残された。
++++
龍一の首に、歌世は短剣を突きつけていた。彼は左の足首から先を失い、倒れながらも両手剣を握っていた。しかし、そのうちそれを捨てて、苦笑して両手を上げた。
「降参だ。最後だけスピードが段違いだったな? 手を抜いていたのか?」
「いや。あんたに最初からトップスピードを見せたら、それを織り込み済みで動かれると思った。不意を突くには、スピードを抑えるしかなかったわけだ。もう意表は突けないし、次に戦ったらあんたが勝つだろうよ」
「気休めだな」
龍一は気が晴れたような笑顔を浮かべる。歌世も、つられて微笑む。
「あんたの勝ちだ、歌世。降参だよ」
「ああ。私の勝ちだ、龍一。今回は、譲ってもらう」
そう言って、歌世は彼と握手をすると、その場を去った。
薄暗い通路を歩き、歌世は控え室へ向かって歩いていく。壁に背を預けて、立っている男がいた。黒井だ。
「流石歌世さんだ。貴女の案を採用して良かった」
「首都を無駄に混乱に陥れるよりは建設的だろう?」
悪戯っぽく微笑んで、歌世は言う。
「まさにそうだ。"ハズレリスト"の首謀者達を印象付けられる上に、スピリタスの顔にも泥を塗れる。歌世さんがこんなに頭が回るとは思わなかった」
「なあ、黒井。その代わり、報酬が欲しい」
歌世の言葉に、黒井は戸惑った様子だった。
「この大会、私が負けなかったら、私の言うことを一つだけ飲んで欲しい」
「……良いでしょう。貴女が負けなかった時は、スピリタスのメンツがボロボロになった時だ。ちょっとぐらいの祝儀は弾みましょう」
「感謝するよ。あんたは良い男だ」
そう言って、歌世は黒井の横を通り過ぎて歩いて行った。笑顔が消えて、自分が無表情になっていくのを感じていた。
シリアスな話を続けたので癒し成分を入れたい欲求に襲われています。