彼女と忠犬と金平糖の精の踊り4
シアンがアメノシズクから離れて、二週間の時間が流れていた。
くだらないことで拗ねてるとはわかっている。けれども、面白くないものは面白くないのだから仕方がない。それがシアンの考えだった。
どうしてグリムに対してここまで苛立っているのかは自分でも良くわからなかった。
近づきすぎたのかもしれない。そんな思いが、湧いた。
結局それらは、面白くない思い出だ。
そして、そういう面白くない思い出はさっさと頭から追い出すのがシアンの流儀だ。アメノシズクに所属しているキャラクターも、あれ以来すっぱりと起動していなかった。
土曜日の午後十時。草原で、二つの軍勢が対峙している。
「ねえ、今回、ヤバくない?」
ギルドメンバーだけに伝わり、けして外に漏れない会話で、そう囁く声があった。
「相手は一週間休んで元気満々。人数は相変わらず。そして今回ゴルトスさんはいない」
「……経費がかさむなあ」
ギルドマスターが言う。苦笑顔が思い浮かぶような声だった。
「こっちも助っ人とかのアテはないんですか?」
「金銭面の交渉が不調でねー。皆欲張りすぎるんだよ」
「毎回ゴルトスさんに来てもらえないんでしょうかね」
「あの人引退してるからなー。腰重いんだよなー」
「情けないこと言うなよ。俺達だけで十分だ」
若々しい声が、周囲を鼓舞する。
「まあそうだね、いない人に期待してもしょーがない」
ギルドマスターは、穏やかに言って、話をしめた。
「さ、時間だぞ」
周囲には緊張感が漂っていた。
城を守りきれば来週も税収が入り、失えば税収をも失う。勝てば天国、負ければ地獄だ。
「五秒……」
シアンは、思わず声をあげそうになった。
敵の集団、その先頭に、グリムの姿を見つけたからだ。
グリムは険しい表情で、シアンを見つめている。
「四秒……三秒……」
まあ仕方ないか、とシアンは思う。
彼がその道を選ぶなら、容赦なく叩き潰すまでだ。そして、ギルドでこんな恩知らずがいたと愚痴ろう。そう切り替えたシアンがいた。
「二秒……一秒……」
そうなると、アメノシズクにはいられないな。そう冷静に考えているシアンがいた。
まあ、元々放浪癖のあるシアンだ。別に良いだろうと、そう結論付けた。
後には、目の前の敵にただ集中し、指先にまで神経を張り詰めている、シアンという名のキャラクターが残った。
「スタート!」
鬨の声が上がり、二つの軍勢が前進する。
その中で、突出する人間がいた。シアンに言わせれば、突出する馬鹿だ。
グリムだった。
彼は剣を振り上げ、シアンに一直線に向かって来ていた。
「師匠!」
「お礼参りか!」
シアンは思わず微笑んだ。そういうのは嫌いじゃない。決別の証としては面白いじゃないか。シアンはグリムを褒めてやりたくなった。
シアンも突出する。素早い動きで、軍勢よりも迅速に前に出た。
「馬鹿、シアン、また飛び出しすぎだ!」
「的になるぞ、的。ヒールと、あと魔術師はマジックガード準備してやれ!」
ギルドメンバー達が慌てているが、もうシアンの知ったことではない。この愉快な挑戦者さえ倒せれば、後はどうなっても構わなかった。
シアンは地面を踏みしめ、獣のように飛び出そうとした。
グリムが剣を振り下ろそうとしている。それよりも、シアンが相手を両断するほうが速い。
「師匠、大好きです!」
グリムは、戦場に響き渡るような声で、そう叫んでいた。
「……は?」
シアンは思わず、駆け出すのを忘れた。
グリムの剣が振り下ろされる。
「あ、え?」
シアンは両手剣を振り上げて、慌てて相手の剣を受け止める。
そのまま二人は、剣を重ねて押し合った。
力のステータスは互いにあまり振っていない二人だ。しかしこの場合、片手剣と両手剣だ。シアンが徐々に、グリムを押し始めた。
「あんたは滅茶苦茶で、マイペースで、自己中心的な人で、正直ムカつく時もあるけれど」
「あ、はい、ごめん」
話の流れが今ひとつ掴めなかった。
まずは告白された。そして説教を受けている。これは一体なんなんだろう。あまりのことに、思考が停止し、集中力も散漫になっているシアンがいた。
シアンは自身の恋愛関係に関しては、うぶ極まりないのだ。
周囲で軍勢がぶつかり合う。
目の前の障害物を斬らなければ。そう思い、シアンは集中する。斬ろうと思えば、いつでも斬れた。けれども、それができずにいるシアンがいた。
「けど、あんたといるアメノシズクは楽しかった。一緒に戻りましょう、師匠!」
アメノシズクには友人も多かった。居心地も良かった。戻れるなら、戻りたいと思ってるシアンがいた。
「……なあ、戦場で何やってんだシアン」
「そいつが大好きって言った師匠ってお前のことか?」
「なに、告白?」
「告白ってなんだ? こっちまで聞こえなかったけど」
「師匠大好きですって言いながらシアンに突っ込んでった奴がいた」
「ウケる。なにそいつ、面白いじゃん」
「いや、さっきは説教してたぞ? あんたは滅茶苦茶でしょーもないわーみたいな」
「事実じゃん。シアンは滅茶苦茶でしょーもない」
矢が飛び、炎の嵐や光の障壁が飛び交い、剣と剣がぶつかり合う音が重なる中で、ギルドメンバー達の困惑の声が聞こえて行く。
そのうち、シアンは笑った。
シアンはグリムを蹴り飛ばすと、彼の援護に飛び掛ってきた二人の急所を一振りで斬り、グリム自身の急所も突き貫く。
グリムはそのまま、地面に倒れ伏した。
「……溜まり場で待ってろ、馬鹿弟子」、
「馬鹿は余計です」
「いや、お前も目上の人間相手に相当無茶苦茶言ったからな? 狩りに対する文句を言うのとはわけが違うんだからな。 若いって怖いよなー」
ぼやくと、シアンは両手剣を構えて、周囲から襲い来る敵に集中し始めた。
アメノシズクに帰れる。そう思うと、心が沸き立つシアンがいた。
++++
聖職者のキャラは、アメノシズクの溜まり場に放置したままだったな、とシアンは思う。
そのキャラを起動すれば、とたんにあの溜まり場に戻ることになるだろう。
若干の気まずさがあった。若干の気後れがあった。
けれども、戸惑うのは自分らしくないか、とシアンは思う。
対人戦が終わると、シアンはしばらくゲーム筐体であるエッグから出て、しばらく休憩した。
今日は久々にグリムと狩ってやろう。そう思い、栄養ドリンクの準備をする。
そしてシアンは、聖職者のキャラクターを起動した。
二週間ぶりのアメノシズクの溜まり場が、視界に広がる。
「あ、おめでとうー」
「おめでとうございます」
シンタとヤツハが、笑顔でそんなことを言った。
「は?」
どうやら今の言葉は自分に向けられているらしい。
「おめでとう」
シズクも微笑んで拍手をしている。
「おめでとうございますー」
「おめでとうー」
ククリと如月も微笑んでいる。
「いや、ちょっと待って。エヴァンゲリオンごっこは良いから、誰か普通に喋れる奴はいないの?」
「あー……これは、本人だけ知らないってパターン?」
ヤツハが、少し躊躇いがちに言う。
「それっぽいね」
シズクは、人の悪い笑みを浮かべている。
シアンは戸惑うしかない。
「じゃあ、ヤツハ。読み上げてやって」
「良いんですかね?」
「良いの良いの。知っといたほうが良い」
「それじゃあ、掲示板の書き込みを読み上げます」
そう宣言したヤツハの目の前に、パネルが浮かび上がる。
「今日の対人戦の真っ最中。突出する馬鹿が二人。男のほうの馬鹿が女のほうの馬鹿に斬りかかりながら、大好きですシアンと急に告白。二人はしばらく鍔迫り合いをしていたけれど、女は男を斬り捨てると笑って溜まり場で待ってろと言い返しました」
シアンはヤツハの言葉を聞いているうちに頭が真っ白になっていくのを感じた。
「それに対する返信です。俺も見た、それ。けどシアンじゃなくて師匠って言ってたような。ハンドルネーム出してやるなよ。逆毛逆毛逆毛」
ヤツハはさらに読み上げて行く。
「ダブリュー三つはウェウェウェーイって呼ぶらしいよ」
「あ、そうなんですか? じゃあウェウェウェーイで」
「まあ嘘の記事が元で今の時代まで残った風習だから別にどっちでも良いけどな」
ヤツハとシズクは、淡々とした口調だが、笑いを堪えるような表情で言葉を交わしていく。
「続き読みます。俺ギルドメンバーだけど、今いつ結婚式するかって話してるよ。盛大に祝う予定。マスターも金出すって言ってる。それに対しての返信読みます。俺達の税収がカップルのお祝いに使われるとかウェウェウェーイ」
「……なんかウェウェウェーイって真面目な顔で言われると間抜けだな」
「間抜けですね。私も言ってて思います。まあ笑いを表現するネットスラングだから真顔で言うのが悪いのでは?」
「そう言うもんか」
「……ははは、なるほど。わかった。よーくわかった。もう良いよ。テキスト読み上げなくて良い」
シアンは天を仰いだ。
そこに、グリムがやってきた。
彼はシアンを見つけると、微笑んで近寄って来る。
「師匠。お久しぶりです。会えて嬉しいです」
そんな彼が、尻尾を振っている犬に見えてきたシアンだった。
「この……駄犬め……」
シアンは、やっとのことでその言葉をひねり出す。
「は、だけん?」
「駄目な犬と書いて駄犬と書く。わかるか?」
グリムはむっとした表情になる。
「仲直りしましょうよ」
「馬鹿野郎! お前のせいで今日で私は引退だ! 責任取れ!」
「話が今ひとつ掴めないのですが」
「お前の大好き発言がプルートゥー内でも掲示板内でも誇張されて広がってんだよ!」
「は!?」
「わかるか? つまるところこれからしばらく私達は酒場へ行ってもプルートゥーへ行ってもグリーンロッドへ行っても笑いものだ……」
「まさか。俺みたいな一般人の、些細な発言が、そんな波及をもたらす訳が……」
「私は港町っつーローカルな地域じゃ有名人なんだよ……わかるか……? 城持ちギルドっつーのは大変なんだぞー。ちょっとミスをして不祥事を起こすと掲示板で大バッシング。そこにこれだからな?」
全員が、黙り込んでいた。
どこか間の抜けた沈黙が流れていた。
そのうち、シアンは少しだけ冷静さを取り戻した。そして、事態がもうどうしようもないことになっていることを受け入れた。
「責任とって、狩りつれてけ。酒場もプルートゥーも、しばらく行きたくねーから」
「……喜んで、師匠」
グリムが微笑む。それを見ていると、彼が可愛い弟子に見えないこともなくて、シアンも微笑んだ。
そして、すぐに苛立った表情を作り直す。
「正直、掲示板のログ取って遊んでるアメノシズクの連中にも内心ムカついてるけど、人数的にもこっちのがマシだわ」
「遊んでるって心外だよねーヤツハちゃん」
「まったくです、シズクさん」
「ヤツハー、あんた絶対シズクの悪影響受けて性格悪くなってるから」
「シアンの影響も受けてるだろうと私は思うがね」
シズクはそう言いながら立ち上がって、シアンに歩み寄った。
「事情は大体わかった。掲示板に捻じ曲がった情報が書いてあるって把握してなくて、ちょっとからかうような形になっちゃったのは謝る。それについては、ここで私が口止めしておくよ。他のメンバーには知らせない」
そして、シズクはシアンに手を差し出した。
「お帰り、シアン。貴女がいないと寂しいわ」
「……仕方ないから帰ってあげるわよ。妥協の結果だけどね」
拗ねたように言って、シアンはその手を握り締めた。
そして、こうも呟いた。
「プルートゥー内部の情報をリークした奴は絶対に見つけ出して捻り潰してやる」
自分でも吃驚するほどの、低い声が出たシアンだった。
++++
「んで、マジックバリアが非情に重要な意味を持つわけだ。それを集中してレベルの高いプレイヤーにかけることで、暴れさせることが可能というわけだ」
「なるほど」
「マジックバリアは高レベルじゃないと取得できんけどな。ヤツハのメインキャラは覚えているらしい」
「はー、流石廃人集団……。ちなみに、誰が一番廃人なんですか?」
「レベルで言えばヤツハ、私、シズクの順だ。あと廃人って一応褒め言葉としても使われるが、蔑称として使われる場合が多いからな。気をつけろ」
「はい、気をつけます」
グリムはシアンに対人戦についての手習いを受けるようになった。
シアンはそれについてはやぶさかではない。
しかし、胡座をかいていたシアンは、頬杖をついて苦い顔を作る。
「ちなみに、お前をうちのギルドに呼ぶ気はないからな?」
「え。一緒に対人戦を楽しもうって言ってたじゃないですか。俺、もうその気ですけど」
「ばーか。ここであんたがプルートゥーに入ってみろ。からかわれるのがオチだ。最悪、ノリで結婚させられるぞ」
「……別に良いですよ?」
「良いのかよ。いつものあれはやらないのかい? 誰がこんな人とって」
シアンは苦笑するしかない。
「まあ建前を言えばそうなんですけど、本音を言ってしまえばゲーム内での結婚なんてなんでもないですし、からかわれても放置しておけばそのうち静かになるだろうし」
思ったよりも、彼は肝が座っているらしい。
「まー、そういうもんだよな」
「師匠とゲームを楽しみたいと思ったのは事実ですから」
「……ま、そう言われると悪い気はしねーな」
「正直、なんでこんな人と一緒にいるんだろうと自問自答する時もありますけどね?」
この、イラッとする一言を挟むのが、彼の若さということなのだろう。
わかっているものの、少し苛立つシアンがいた。
「私も今同じこと思った。気があうね」
「まあ、そういうわけで、今度は肩を並べて挑戦者を追い返してやりましょう」
「ま、考えておくよ。さて、そろそろヤツハが狩りから帰ってきて、シズクも仕事から帰ってくる。四人で楽しく狩ろうじゃないか」
「はい、前衛は任せておいてください」
「なんだかんだで、頼れる前衛になったよな、お前」
そう、他のギルドから引き抜きをかけられるぐらいに。
(……結婚でもして、首輪つけといたほうが良いのか?)
そうも思うのだが、今さらそんな話題もあるまい、と思うシアンもいるのだった。
「師匠に褒められると嬉しいもんですね」
彼がまた、尻尾を振った犬のように見えてきた。
(まあ、当分は大丈夫だろ)
そう思い、シアンは問題を先送りすることにしたのだった。
(ん? 問題を先送りにしたから今回みたいなことになったのか? まあ、いっか)
シアンは、音楽ファイルを再生する。
金平糖の精の踊りを聴いていると、少しだけ不安が和らいだ。
次回、予定が定まっていません。
「黒井と彼女の契約」になる可能性が高いのですが、予定が定まっていません。