彼女と忠犬と金平糖の精の踊り3
「ただいま戻りましたー」
首都の酒場傍の、路地裏。アメノシズクの溜まり場に、グリムは帰ってきていた。
「おう、お帰り」
シズクが微笑んで言う。ギルド加入ボタンが目の前に現われたので、グリムはそれを押す。なんだか、家に帰ってきたような安心感を覚えつつ、グリムはその場に座った。
「どうだった、初めての対人戦は」
「いやー、なんか気がついたら終わってた、みたいな」
「あはは、最初はそういうもんだよ」
「対人ギルドへの印象も変わりました。フランクな人が多くて」
「対人戦そのものもそうだよ。慣れたらまた変わってくる」
グリムは、その言葉に少し戸惑った。
「シズクさんは、俺が対人ギルドに通うと思ってるんで?」
「ん、通わないの?」
迷ってる、と言い出せないグリムがいた。それは、ギルドの移籍を考えていると言うようなものだからだ。
「良いんだよ。君はわかーいゲーマーだ。色々な要素を楽しんで良いんだ。うちはライト層向けギルドだから、サブキャラでも置いてたまに顔出してくれれば十分だよ」
「シズクさん……」
彼女の心遣いに、グリムは胸が熱くなるのを感じていた。この人とは、長くゲーム友達でいられるのだろうと、改めてそう思えた。
その時、ギルドの中央に光が走り、人の形を成した。さっき戦場で暴れまわっていたシアンが、男物の黒衣に身を包んで立っていた。
シアンはあぐらをかいて座り込むと、膝に肘をつけて頬杖をつく。
「あー、疲れた。ギルド会議すっぽかしてきたわ」
「シアンもお疲れ。グリムくんも丁度帰ってきたとこだよ」
シアンは興味なさげにグリムを一瞥すると、申し訳程度の挨拶をした。
「あー……まあ、お疲れ」
「あ、はい、お疲れ様です」
「で、今回はどうだった?」
シズクの問いに、シアンは唇の端を持ちあげて答える。
「いやー、それが連中、複数ギルドで組んで連携を取ってきてね? ぐわーって城に迫り来る軍勢。しかし前もってそれを察知していた我々は、切り札を用意していたのであった。デデンッ」
「切り札?」
「マスターの古い友人で、力と耐久のパラメーターに無茶苦茶振った高レベルキャラクターがいてさ。それを潜ませてたのさ。例えるなら、重戦車だね。最初は接戦を装い、途中で切り札を投入して押しに押す。相手は回復アイテムを無駄遣いしに来ただけみたいなもんさ。ざまあみろだ」
そう言ってシアンは、悪戯っぽく微笑んだ。
グラスの優しい笑顔が、グリムの脳裏に蘇った。
「……そういう言い方ってないと思います」
気がつくと、グリムはそう言っていた。
「ざまあみろってなんですか。相手だって頑張ってるんでしょ?」
シアンは、面白くなさげな表情になる。
「……そういや、戦場にいたなー。なんか私に一太刀で切り殺された、ビギナーが」
グリムは、苛立ちがさらに募るのを感じた。どうして彼女は、こんなに人を苛立たせるのだろう。
初めて彼女と会った時を思い出す。あの時から、彼女は無神経な人だった。
「遺恨は残さないのが対人のルールじゃないんですか」
「突っかかって来てるのはお前だろ」
「そもそも、タンカータイプのキャラばっかり作ってるんじゃなかったんですか? その割りには素早く見えましたが」
戦場で見た彼女の動きは、移動速度のために素早さを振った、という程度のものではなかった。
「タンカータイプだよ。耐久は高い。レベルがあるから素早さにも振ってるだけさ。鎧を脱いで盾を捨てりゃ重量ペナルティが減ってさらに素早くなる。後は腕と周囲の援護でフォローするだけ」
「剣鬼、とか言われてるんですね。初めて聞きました」
「お前に全部を教える義務もなかろうよ。大体そんなこっぱずかしいあだ名公言するか? 私はプルートゥーの、突撃隊長の、剣鬼ですって。恥ずかしいったらなかろう?」
「水臭いじゃないですか! 知ってたら、師匠の城に攻めたりなんかしなかった」
グリムは、思わず怒鳴っていた。
シアンは一瞬、返事を考えたようだった。
「関係ないよ。お前には関係ない。大体私ら、そんなに親しくないだろ?」
あんまりな一言だ。グリムは、頭が真っ白になった。
四人で深夜まで遊んだ思い出が脳裏に蘇って、思わず目に涙が滲みそうになった。
「はい、そこまで」
シズクが、淡々と言った。珍しく、苦い表情だった。
「事情は大体把握したわ。敵味方別れちゃったってわけ」
「敵味方別れただけじゃなく、直に斬りあった。ゲームの神様が私達に戦えと言ってるんだろうよ」
「あー……シアンはこういう問題起こさないと思ってたんだけどなあ」
シズクは、溜息混じりに言う。
「元凶で悪うございました」
「今のあんた達は接触させたら取り返しのつかないところまでヒートアップしそうだから、二人とも、頭が冷えるまで溜まり場に来るの禁止ね。冷静に考えてみて。絶対ヒートアップするから。反論はある?」
「……ない」
シアンは、少し落ち込んだような表情で、呟くようにそう言った。
「んじゃ、今日はログアウトするわ。じゃあね」
そう言って、シアンは立ち上がると姿を消した。
後には、グリムとシズクだけが残った。
「対人で拗れるって話も中々聞かないけどなあ」
「対人する前から拗れてた気もしますけどね。何拗ねてんだろう、あの人」
「グリムくんも、ちょっと冷静になりなよ。普段なら、シアンのことをあの人だなんて言わないでしょう?」
言われてみると、確かにそうだった。出会った頃ならともかく、最近は彼女をあの人となんて言ったことはなかった。そして、今の自分はこの場所にいてはいけないのだと悟った。
「俺も、しばらく別の場所で行動します。それでは」
そう言って、グリムは溜まり場を去った。
戻るきっかけは起きるだろうか。仲直りできる日は来るのだろうか。
(……あの人が拗ねてるのが悪いんじゃないか)
そう思うしかないグリムだった。
++++
それからしばらく、グリムは酒場や大樹と首都のあちこちをうろうろしていたが、最終的にグラスのギルドの溜まり場に落ち着いていた。
グラスのギルドはともかく人が多く、誘いも多い。冒険をするには適した環境だった。
そして、狩りと会話が同等に重視されるアメノシズクでは、そろそろグリムのレベルが停滞してしまうのも確かだった。
(移籍するかな……)
そんな考えが、脳裏に浮かぶ。
アメノシズクでの日々は、実際遠い過去の出来事のように思い出された。それに、他でもないサブマスターのシズク自身が、グリムに色々な経験をしろと語っている。
結論は出ないまま、ただ日々だけが過ぎていった。
シアンはどんな反応をするだろうか、と考える。その時、脳裏に蘇る言葉があった。
「関係ないよ。お前には関係ない。大体私ら、そんなに親しくないだろ?」
(まあ、所詮その程度の関係だったってことだよな)
四人で一緒に狩った思い出が脳裏に蘇る。弟子として色々教えてもらった日々が脳裏に蘇る。
それも、彼女に言わせればこの一言でお終いだ。
大体私ら、そんなに親しくないだろ?
それが、全てだった。
(ホント、なんつーか滅茶苦茶って言うか、いつもわけわかんねー女。あんなんと結婚したら多分一生苦労するわ。間違いないね)
勝手に、彼女の将来の亭主に同情してしまった。
彼女と戦ってから一週間後の土曜日、グリムは飲み会に参加していた。高校時代の友達と集まる機会があったのだ。
オフラインなので、ハンドルネームは使っていない。聡介という実名を使っている。
「ギター続けてんの?」
飲み屋の個室でテーブルを囲み、友人の一人が言う。
「やってないよ、もう。バイトとゲームぐらいしかやってない」
「へー、あんだけギター馬鹿だったのにな」
「ゲームって何? 音ゲー?」
他の友人も食いついて来た。
「いや、オンラインゲーム」
「へー」
オンラインゲームについて詳しい人間がまずこの場にいないので、その話題はそのまま流された。
そのうち、最近どんな曲を聴いているか、という話になった。
各々、パネルフォンを取り出して、気に入った曲を流していく。
聡介も、パネルフォンを取り出して、その中に入っている曲の一覧を開く。
その中に、それはあった。
ロックの中に一曲だけ入っている、場違いなクラシック曲。金平糖の精の踊り。
聡介はなんとなく、その曲を流し始めた。改めて、聴いてみたくなったのだ。
「何、この曲」
「クラシック?」
「……なんつーか、心が不安定になる曲だな」
友人達は戸惑っているようだ。それはそうだ。今この場に、クラシック音楽はあまりにも場違いすぎた。
けれども、改めて聴くと、彼女がこの曲を可愛いと言っていた理由がわかるような気がした。彼女はこの曲から、メルヘンチックな世界観を感じ取っていたのだろう。
「可愛い曲だよ。ボタン間違えた。知り合いが勧めるから、ついダウンロードしたんだ」
「珍しいなー。お前、曲の趣味は絶対譲らなかったじゃん」
そういえばそうだ。友人の言う通りだ。けれども、シアンに勧められたら、素直にダウンロードしてしまっている聡介がいたのだ。
聡介は、彼女とこの曲を聞いていた時の気持ちを思い出していた。
あの時、自分は、彼女がいるアメノシズクに居心地の良さを覚えていたのだ。
「なんか女の匂いがする」
「うん、怪しいな」
「クラシックが趣味の女と音楽の話で盛り上がれるのか?」
「そういうんじゃないよ」
グリムは苦笑する。
「……ただ、好きではあるかもな。友達として」
あの人は本当にいつも滅茶苦茶だ。やることなすことが大胆で、見ていて呆れてしまう。そして、苛立たせられる時も確かにある。
けれども、長く一緒に遊んだ、大好きな友達だった。
そんなに親しくないという発言も、冷静になって考えてみれば拗ねた相手のものだ。本音ではない可能性もある。
謝ろう、と聡介は思う。そして、ふと気がつくのだ。
(あれ、そもそも悪いの俺だっけ……?)
聡介が謝る形でないと収まらない。それが今、聡介とシアンの間にあるパワーバランスということなのだろう。
そのうち、酒も進み、聡介はほろ酔い気分で夜道を帰り始めた。
オフ会でのことを思い出す。
あの時も、彼女は無茶苦茶だった。無理を言って、次から次へと聡介に飲ませ、最終的には酔い潰させてしまったのだ。
その時、脳裏に蘇る記憶があった。
「……あ」
すっかりと忘れていた記憶があった。
それは、こんな会話だ。
大量の酒を飲んで、意識が朦朧としている中で、聡介は彼女と確かにこんな会話をしたのだ。
「ねえ、対人ギルドに興味がない?」
「ないっすねー」
「師匠が敵に囲まれてるんだぞ。助けようとは思わんのか」
「多分それ、突出する師匠が悪いんですよ」
「……まあ狩りの癖で、飛び出しすぎることはしばしばある。周囲がフォローしてくれる感じだけどね」
「ふふん、ほら、やっぱり」
「ふふんとはなんだよ、ムカつくな」
そう言いつつも、彼女は微笑んでいる。
「いつか私は、あんたが背中を守ってくれるんじゃないかと期待してるんだけどな?」
「……それ、嘘でしょ」
「ばれたか。けど、あんたと一緒に対人楽しんでみたいなーって思ってるのは事実だよ。考えといてよ」
そんな会話を、確かにした。
「あちゃー……」
聡介は頭を抑えた。
それは確かに、苛立つかもしれない。師匠師匠と懐いておいて、色々な技術を吸収しておいて、その癖対人への誘いを蹴っ飛ばしておいて、他の相手に誘われればほいほいとついて行く。
同じことを友人にやられたらどう思うだろう。
確かに、多少相手を見る目が冷たくなるのも仕方がない。
「やらかしてたのは、俺か」
夜空を見上げると、綺麗な星々が輝いていた。
シアンにどう謝れば、信頼を再び得ることができるのだろうか。
(……いや、あんな無茶苦茶な人の信頼を得て嬉しいかって思いもあるけど)
そんな思いも、確かにある。
けれども、どうせゲームをするなら、あの人がいないと何か物足りないかもしれない。そう考えている聡介もいるのだった。
だから結局、移籍に踏み切れずにいるのだろう。
聡介はパネルフォンにイヤホンをつけて、金平糖の精の踊りを流し始めた。綺麗な夜空に、その曲は酷く似合う気がした。
二人の関係は今、拗れている。それを正常な状態に戻すにはどうすれば良いか。
直球の言葉が、必要な気がした。それは、言いたくない言葉でもあった。けれども、多分、言わなければならない言葉でもあるのだろう。
「関係ないよ。お前には関係ない。大体私ら、そんなに親しくないだろ?」
そう彼女は言った。
それを覆すだけの一言が、必要だった。