彼女と忠犬と金平糖の精の踊り2
結局、それから数日が経つが、グリムはシアンと話していない。溜まり場にもしばらく寄り付かなかったので、話す機会そのものがなかったのだ。
そのまま、ギルドを抜ける日がやってきた。
ギルドの脱退ボタンを押す時、なんだか自分は永遠にこの場所に戻れないような、そんな気がした。
メンバーの一人と気まずくなっている今の状況で、どんな顔をして帰れば良いというのだろう。
普通の表情で帰れば良いのだ、とグリムは思いなおした。勝手に拗ねているのは、相手なのだから。
(いや、失言したのも確かだけど、普段のあの人なら軽く流してくれたのに……)
どうしてあの時、シアンがあんなに拗ねたのか、グリムには未だに良くわからないのだ。
考えているうちに、指が止まっていた。
グリムは思考を放棄して、ギルドの脱退ボタンを押したのだった。
そして、グリムを待ち受けていたのは、真新しい世界だった。
港町の端に、百人近いメンバーが集まっている。その中で、グラスが人を掻き分けてきてグリムに微笑みかけた。
「今日はありがとうね、協力してくれて」
「いや、それは良いんだけど、これって皆一つのギルドのメンバーなんですか?」
グリムは、戸惑いながら訊く。
その時、ギルドの加入ボタンが目の前に浮かび上がったので、グリムは咄嗟にそれを押していた。
「ううん、今回は三つのギルドが共同して一つのギルドを攻めることにしたの。うちのギルド……グリーンロッドが一先ずはメンバーを抱えることになったわ」
それでも、一つのギルドに三十人という計算になる。たいした人数だ。
「前衛さんは、前衛のパーティーに入って、リーダーに話を聞いてね。今日は頑張って祝杯を挙げよう」
「この人数なら、頑張らなくても余裕なのでは?」
「いやー、相手にも手強い人がいてね。プルートゥーってギルドなんだけれど、その中でも幹部の女騎士がやたら強いんだよ。掲示板なんかじゃ、剣の鬼と書いて剣鬼って恐れられてる」
「へえ、それはまたごつい人なんでしょうね……」
なんとなく、赤い肌をさらに血に染めた角の生えた鬼をイメージしてしまったグリムだった。
グリムは、指示された通りに前衛パーティーに入った。
前衛だけで、三十人以上いるようだった。
ボロボロのマントの下に赤い鎧を着た男が、グリムに握手を求める。彼がこのパーティーのリーダーのようだった。多分、ギルドの幹部格なのだろうなとグリムは思う。
グリムは彼と握手をした。
「我々がやるべきことは生き残ることだ。我々ががたつけば後衛がままならん。回復アイテムは持ってきたかな?」
「一応、狩りで使う分ぐらいは」
「足りない、全然足りないなグリムくん。とりあえず君にも回復アイテムを支給しよう。足が出た分は経費として請求してくれて良い」
「はあ、わかりました」
そう言ってグリムのアイテムボックスに投入されたのは、三百を超える回復アイテムだった。ポーションの中でも、上から三番目にランクが高いものだ。その中でも一番目と二番目は滅多に手が入らないので、市場で流通しているものの中では一番良い回復アイテムを貰ったことになる。
「これは、流石に多いのでは?」
「戦ってみればわかるさ。ともかく、陣を崩さないように善処してくれ。城の門さえ突破できれば、後はこっちの勝ちのようなものだ」
「……わかりました」
良くわからないうちに、戦いの時間が近づいてきているようだった。
緊張を覚えているグリムがいた。
グリムはとりあえず、色々話を聞こうとグラスの元に戻った。
「あの、結局どういう状況になれば我々の勝ちなんですか?」
「簡単よー。相手側のギルドマスターを倒せば良いの。その為に、城の壁を飛び越える暗殺部隊なんかもいるのよ。面白いでしょ」
「城の壁を、飛び越える?」
にわかに信じがたい話だった。
「鉄板パーティーにはあんまり居場所がないけど、素早さを極めたキャラでも活躍できる。対人戦の面白さの一つだと私は思うの」
そういうものか、とグリムは思う。
そして、グラスを見ていると心が和むのを感じた。彼女が、本当に対人戦が大好きなのだと理解できたからだ。
まだ、人と戦うと思うと緊張する。しかし、何かを成し遂げようとする集団の中にいるのは、心地良かった。
「ね、わくわくしてきた?」
「……ちょっとだけ、して来たかも」
パーティーの連携が上手く行くか試している段階の緊張感とはまた違う、祭りの前の賑やかさのようなものを、グリムは感じていた。
「移動するぞー。前衛パーティー、前へ」
ギルド全体に通じる言葉で、誰かが言う。
グリムは慌てて、前衛パーティーの行軍に混ざっていた。鎧に身を包んだその集団は、まるで本当に中世の騎士団のように見えた。その中にいるというのがまた、グリムの心をくすぐった。
そして十五分後、グリムは騎士団の最前列のメンバーとして、その城の前に辿り着いていた。
相手も前衛部隊を前面に展開させている。その背後にある城の壁の上には、十数名の射手達がいるのが見えた。
集団と集団が、草原で対峙した。
どちらも、前衛は二列のようだった。前後に二人並んだその奥に、鎧をつけていないメンバー達がいるのが見える。
「時間が来たら前衛部隊は突撃、暗殺部隊は進入口を見つけ出せ。犠牲が出ても良いから血路を見出せ。後衛部隊はとにかく最初は中央の敵前衛を狙って。射手部隊、各パーティーのヒーラーは各々自己判断で動くように」
ギルドマスターらしき人物の声が、ギルド内部に行き届く。
「五秒前……四秒前……」
自分はどれだけ動けるだろうか。そんな緊張感がグリムの胸に沸く。
「三秒前……二秒前……」
目の前に映る、十歩ほど先の位置にいる前衛達の顔を、グリムはじっと見据える。
その背後、二列目の人間は、小柄なのか姿が見えない。
「一秒前……スタート!」
鬨の声が上がる。お互いの前衛が前進してぶつかりあった。鉄と鉄がぶつかり合う音が、盛大に周囲に響いた。
グリムは目の前の敵の攻撃を盾で受け止め、剣で斬り返す。しかしそれも、相手の盾に受け止められた。
炎の嵐が巻き起こり、前衛陣を襲っていく。
多重に巻き起こるそれを受け、あっという間にグリムのヒットポイントは減っていく。グラスに言われて対魔法装備をしていたというのに、冗談のような勢いだった。
「回復アイテム叩けえぇぇ、遠慮はするなあぁぁ!」
「射手パーティー、敵の後衛に好き勝手やらせるな!」
味方の中から怒鳴り声が響き渡る。
指示されるがままに、グリムは回復アイテム使用ボタンを連打していく。
周囲では斬り合いが行なわれ、魔法が飛び交い、矢の雨が降り、混戦の様相を呈している。
(勿体無い。絶対勿体無い)
グリムは心の中で呟いていた。狩りで五分で使うだけの回復アイテムがあっという間に飛んで行った。素早さ上昇の支援や、徐々にヒットポイントが回復する効果の法術がどこからともなく飛んでくる。
しかし、それは相手も同じようだ。
キリがない。ならば、狙うのは一つしかない。急所攻撃だ。このゲームの装備は、どこかしら急所が露出するデザインになっている。相手の首筋が見えている。それを攻撃するしかなかった。
そもそもグリムはタンカータイプの前衛だ。相手の剣を弾き飛ばすような腕力はない。伸ばしているステータスは耐久力と、移動速度を確保するための素早さだ。
隙を突くことにしか活路はなかった。
相手の攻撃をグリムは回避し、急所を狙った、しかし、盾に受け止められる。
そう思ったところに、背後から肩越しに槍が伸びてきて相手の喉を貫いていた。
「やったな!」
グリムは背後の騎士に向って声をかける。
「ああ、やった。けど、俺達はババを引いちまったみたいだぜ」
槍が引き抜かれ、敵前衛が崩れ落ちる。その背後、二列目にいた人物の顔を、グリムは始めて目視した。
彼女はそれまで、隠れていたように見えた。
彼女はこの戦場で、盾を持っていなければ、鎧も着てはいなかった。白いワンピースに麦わら帽子の姿が、非情に場違いだった。
彼女が持っているのは、一振りの両手剣。
シアンが、険しい表情でそこに立っていた。
「えっ?」
グリムの思考が停止する。
シアンは前進して、剣を振り被った。一瞬での接近に、グリムは慌てて剣での防御を試みる。
その動作をした時には、彼女は構えを変えていた。振り下ろされると予想した剣が、横薙ぎに払われていた。防御の隙間を、彼女は見事にすり抜けていった。
グリムのアバターの首筋が斬られた。そう思った次の瞬間には、その体は仰向けに地面に倒れていた。
「剣鬼が出たぞ、剣鬼を狙え!」
グリムの背後にいたその男のその言葉と共に、シアンに向って矢や魔法が飛んで行く。矢は彼女の体に刺さっては抜けて地面に落ちていき、魔法は光り輝く魔法の壁に遮られた。彼女の体は、回復法術の光に包まれており、その頭の麦わら帽子はどういう作りなのか矢を弾いた。
首を狙った一本の矢を、彼女は掴んで放り捨てる。
そして、両手剣を握ると、シアンは戦場を駆けて行った。
グリムはセーブポイントである港町に戻り、戦場に向かって駆けて行く。
思考がぼんやりとしていた。
激しいぶつかりあいの中での興奮状態。そして、突如現われたシアンの勇ましい姿。
(師匠のギルドに攻撃しかけてたのか、俺……)
気まずさが心の中に沸いてきた。
それを見透かしたように、ギルド全体への指示が耳に飛んできた。
「前衛部隊、復帰急げ! 相手もプレイヤーだ、そのうち潰れる。なんとか持たせるんだ」
グリムは、ただ駆けることしか出来ない。その間、戦況は色々と変わっているようだった。
「剣鬼、突出して来たのでなんとか二人がかりで抑えています。今のうちに魔法攻撃を集中させて退場させましょう!」
「暗殺二番隊、進入成功しました! ギルドマスターの探索に移ります」
「罠かもしれないぞ、気をつけろ」
そのうち、味方軍隊の尻尾が見えてきた時のことだった。
絶望を含んだ声が、ギルド全体に向けて流れた。
「相手、ゴルトスがいる!」
それまで散発的だった、遠距離間のギルド会話が活発になる。
「ゴルトス!?」
「あいつ、引退しただろ!」
「やられた。ここまでゴルトスを温存したのは相手の罠だ。くそ、回復アイテム無駄に使わされた!」
「剣鬼未だ健在。ヒールも防御魔法も彼女に集中しています!」
「暗殺部隊、首尾はどうだ?」
「敵に追われてそれどころじゃありません!」
「マスター、判断を」
その声には、諦めが混じっていた。
しばしの沈黙が流れた。
「今回は回復アイテムを温存する。撤退!」
グリムは、足を止める。
ただ、慌しいという印象を残して、グリムの初の対人戦は終わっていた。
++++
「時間だねー」
グラスが残念そうに言う。十一時になった。対人戦の時間は終わりを告げていた。
百人前後が、町の入り口に集まっている。
「今回はこれで解散とします」
ギルドマスターらしき人が、大声で叫ぶ。
「今まで敵わなかった我々が、手を組むことによって善戦するに至りました。これは大きな進歩だと思います。このまま進歩を続けて、いつか奴らを倒してやりましょう」
沢山の返事が、町の入り口にこだました。
そして、周囲の人々が町のあちこちに向かって歩き始めた。
「あ、ギルドの幹部とパーティーリーダーは残ってねー。反省会やりますからー」
ギルドマスターは慌ててそう付け加えた。
「今回はありがとうね、グリムくん」
「あ、うん……」
「……ぼーっとしてるけどどうしたの? 人が沢山で、吃驚した?」
「ああ、うん。普段の戦いとスケールの違いは感じた。ただ……知り合いが敵にいて、ちょっと気まずいって言うか」
「それなら、大丈夫よ」
グラスは微笑んで、ある方向を指差した。
「ほら、あれ見て」
言われた方角を、グリムは見た。
町の入り口で、城の方角からやってきた敵ギルドのメンバーらしき人々と、散っていく味方ギルドの人々がすれ違った。
その両者の表情に、笑顔が浮かぶ。
「お疲れ様でしたー」
「あ、いや、お疲れ様です。今回は苦戦させられましたよー」
「いやーそちらこそ、あんな切り札を残しているとは人が悪い。野良パーティーじゃまたよろしくお願いしますねー」
「こちらこそー」
さっきまで倒しあっていた人々が、和気藹々と会話して一緒に町の中へ入って行く。
「ほらね?」
グラスは微笑んで、グリムを見上げた。
「遺恨は残さない。それも対人戦のルールなのよ。知り合いと戦っても良いじゃない。普段一緒に遊べば。で、ものは相談なんだけれど」
グラスは、グリムの手を取った。
「グリムくん、野良パーティーにも参加しやすくなるし」
最近、シアン、シズク、ヤツハの三人と狩る機会が減っていた。
「毎週、戦いができるし」
今回の戦いが、勝手がわからず不完全燃焼に終わったのは確かだった。
「色々な友達ができるし」
この集団の賑やかさを、グリムは身をもって感じていた。
「うちのギルド、入らない?」
グラスは微笑んで、そう言った。
心の中で、揺らぐ自分をグリムは感じていた




