彼女と忠犬と金平糖の精の踊り
今回は、シアンとグリムの話となります。
思えば、自分はシアンとゲームの話ばかりしている。世間話もしてはいるが、お互いの趣味などに関する話はまったくと言って良いほどしたことがない。
グリムがそんなことに気がついたのは冬も半ばの頃だった。それから年が明け、時間が経ち、冬もそろそろ終わりを迎えようとしている。
特に共通の話題が欲しかったわけでもないが、なんとなく長く付き合った相手の趣味ぐらいは知ってみたい気もした。
「師匠って、どんな曲聞くんですか?」
溜まり場で二人きりになった時に、そんな質問をしてみると、シアンは少しだけ虚を突かれたような表情になった。
その表情が、徐々に悪戯っぽい微笑みへと変わっていく。
「ゲームの話しかしない人だと思ってた」
「いや、まあ、たまには違った話も良いかなと」
シアンはかなりのゲーム馬鹿だ。だから、グリムとの間では自然とゲームの話が多くなる。
半ば固定パーティーを組んでいた時期があったと言っても、グリムは他の女性三人の話題についていけていないことがしばしばあった。
「いいよ、答えてあげよう。一番好きなのは、金平糖の精の踊りかな」
「……なんですか、それ?」
「くるみ割り人形って言えば良いかな」
それは確か、授業で黒板に書かれたことがある名前だった気がする。ただ、その曲のメロディラインまでは思い出せない。
「あー……クラシック?」
「そう。行進曲なら絶対聴いたことあるよ。ぱっぱぱぱぱっぱっぱっぱっぱーって曲」
シアンが口にしたメロディラインには、確かに聞き覚えがあった。賑やかな曲だ、というのがグリムの印象だった。
「金平糖の精の踊りは全然趣が違う曲なんだ。今度聴いてみなよ。静かで、可愛らしい曲だから」
「わかりました、聴いてみます」
「で、グリムはどんな曲好きなの? アイドルとか?」
「なんでアイドルが真っ先に出てきますかね……」
グリムが好きなバンドの名前をあげる。
「えー、ロック系? 意外」
「ギターも弾けますよ。コピーバンドやってた時期があるんで」
「ほー、意外」
意外、意外と連呼されると、グリムは馬鹿にされたような気分になってくる。
「いや、師匠のクラシック趣味のほうが意外でした」
「クラシックが好きってわけじゃないぞ。金平糖の精の踊りが好きなんだ。あれは特別だ。夜あれを聴きながら寝るとぐっすり寝付ける」
そこまで勧めるなら聴いてみようと思うグリムがいた。
エッグの中でパネルフォンを起動して、曲を検索し、購入し、ダウンロードする。
そして、その曲は流れ始めた。何かが忍びよるような弦楽器の音に続き、鉄琴のような音色で奏でられるどこか神秘的なメロディ。
それを聴いて思った感想を、グリムは素直に口にしていた。
「なんか心が不安定になります」
「私は可愛い曲だと思うけどなー」
シアンは不機嫌になるわけでもなく、ただ悪戯っぽく笑っているだけだった。
++++
思えばグリムは、シアンのことを良く知らないのだ。
本名は、オフ会をしたから知っている。顔も、知っている。意外なことに美人だった。けれども、どんな仕事をしていて、どんな風に友達と遊んで、どんな風に生活しているか、良くは知らない。
別キャラが所属しているというギルドのことも知らないし、そこでどんな人間関係を築いているかも知らない。
メールアドレスは教えてもらったが、メールで写真を送ってもらったことはあっても、意見交換に使ったことはない。
(まあ、ゲームの師匠相手に気にすることでもないけど)
そう結論付けるグリムもいるが、相手に興味を抱いているグリムが心のどこかにいるのも確かだった。
(ん? なんで今更あんな滅茶苦茶な人のことを気にしてるんだろう)
考えても、答えは出ててこない。
溜まり場にはシズクがいるが、反応がないので離席しているらしい。なんとなく手持ち無沙汰で、グリムは酒場に顔を出すことにした。上級ダンジョンの野良パーティー募集があるかもしれないと思ったのだ。
壁に背を預け、卓を見渡す。そして同時に、インターネットブラウザを立ち上げて掲示板をチェックする。酒場の卓を利用してプレイヤーはパーティーを募集する。それが全て埋まった場合、外部の掲示板を利用するのが人口の多いこの町の慣わしだった。
それを教えてくれたのも、シアンだったが。
「おーい、グリムくん」
声をかけられて、グリムは振り向く。
するとそこには、野良パーティーで何度も一緒になった女性がいた。確か、名前はグラスと言ったはずで、職業は聖職者だ。
「どうしたんですか、グラスさん」
「いやね? グリムくんもそろそろかなりのレベルになってるかなって」
「最近サボってるから、前ほどのペースじゃ伸びてませんよ。募集、立てます?」
「いやね? 今日は、お願いがあって来たのよ」
「お願い?」
思わず、怪訝な表情になるグリムだった。ここはパーティーを募集する場だ。それ以外のお願いとは、一体なんなのだろう。
内容を聞いて、グリムは目を丸くした。
グリムがギルドを抜ける旨をシズクに報告したのは、その晩のことだった。
「唐突だね」
シズクは、面白がるように言った。普段前後に振っているその左右の足が、今は止まっていた。
周囲に座っているシアン、シンタ、ヤツハ、ククリ、如月、与一、八千代は、鳩が豆鉄砲を食らったような表情だ。
「最近固定パーティー組んでなかったからかな?」
ヤツハが、不安げに訊いてくる。
グリムは、慌てて事情を説明した。
「いや、抜けると言っても一時的な話なんですよ。今週の土曜十時に抜けさせてもらえればそれで良いんです」
「土曜十時ってなんかあったっけ?」
如月が怪訝そうに訊き、ククリが訳知り顔で口を開く。
「きっと対人だよ、キサちゃん。城攻めの時間だ」
「あー」
一同、納得したような表情になる。ただ、シアンだけは、どうしてか面白くなさげな表情だった。
「野良パーティーでお世話になった人に誘われて、断ることもできませんで」
「うん、了解したよ。このギルドには代わりにサブキャラを置く? それとも、メインを後々戻す?」
「メインを戻す方向で。毎週付き合わされるのはちょっと大変だな、と思いまして」
「……対人怖いって言ってなかった?」
シアンの声は、少し低かった。
「……頼まれたらしょうがないじゃないですか」
「目血走らせた危険人物の集団みたいに思ってた癖に」
「ちょ、やめてくださいよ師匠。対人ギルドの人が聞いてたらどうするんですか」
それだけじゃなく、対人ギルドに友人を持つ人がいたら尚更困る。グリムの印象は著しく悪くなるだろう。
「聞かれて困ることを言ったお前が悪いんだろー。お前の責任だよ。人の口に戸は立たないんだ」
「そこを立てるのが大人ってもんじゃないですか」
シアンは自分を指差す。
「私、社会人」
そして、次にグリムを指差した。
「君、学生。君に大人をどうこう言われたくはないな」
「まあまあ、二人とも……」
「そうだよ、ちょっと落ち着いて」
シンタとヤツハが、慌てて間に入る。
「痴話喧嘩は他所でやりなね」
シズクが飄々とした調子で言う。
「誰がこんな人と!」
グリムは思わず、反射的にそう叫んでいた。
シアンならば、普段通りに上手く流してくれるだろうとそう思っていた。
けれども、今日のシアンは、無感情な表情でグリムを眺めるだけだった。
「こんな人、で悪かったわね」
拗ねたように言うと、シアンは立ち上がった。
「なんか面白くないから、狩りにでも行ってくる」
そう言って、シアンは溜まり場を出て行った。
「……追いかければ?」
シズクが、淡々と言う。グリムは困惑することしかできない。
「いや、今の、俺が悪いんですか?」
「あいつの不機嫌の理由はわかんないけど、トリガーになったのは君っぽいからねえ」
「追いかけたほうが良い気がする」
ヤツハも不安げに言う。
「皆バラバラになるのは、嫌だよ……」
「俺は嫌ですよ。勝手にいきなり不機嫌になって。俺、あんな人知りませんから」
なんで彼女なんかのことを気にしたんだろうとグリムは思う。この瞬間においては、彼女は苛立たしい存在でしかなかった。
「俺も、ちょっと出かけてきます。追いかけはしませんけどね」
そう言って、グリムは溜まり場を後にした。その場にいることが、なんとなく居た堪れなかったのだ。