それって浮気なんでしょうか?2
高校時代の同級生で、同じ地域に進学した金田と、僕は繁華街に繰り出していた。
「大体の遊び場はチェックしとかないとなー」
と金田は大乗り気だ。
けれども、僕の気分は憂鬱だった。ヤツハとの問題を抱えたままだからだ。
ヤツハへの返信を、未だに僕はできていない。吹雪丸はログインするたびにキヅに話しかけては無視されて沈んでいるし、溜まり場の空気も悪い。
たった一組のカップルが、ギルド全体に悪影響を及ぼしているのは明白だった。
「なんか元気ないな」
「ちょっと悩みを抱えててなー」
「まだ大学始まってもないのに、早いな」
金田はからかうように言う。
「いや、ゲーム上の悩み。復帰したら、ややこしいことになってた」
「へえ」
僕はなんとなく、彼に悩みを相談してみることにした。
一応は、この男はイグドラシルオンラインに関しては先輩ではあるのだ。
僕らは、ファーストフード店に入った。
金田は話を聞いて、なるほどともっともらしく頷いた。もっとも僕は、彼から賢明な答えが返ってくることを期待したわけではない。ただ、他人に話して肩の荷を下ろしたかっただけだ。
「なんで結婚したか、だよな」
金田は、もっともらしいことをもっともらしい表情で言った。
「なんで結婚したか?」
「例えば、お前とそのヤツハちゃんは、なんで結婚したんだよ」
「俺が休止するから、復帰したらまた遊ぼうって約束のつもりで」
「……惚気だな」
「ゲームの話だよ」
店員が運んできたダイエットコーラを飲みながら、僕は渋い顔で言う。金田はフライドポテトを食べ始めた。
「例えば結婚つっても色々あるだろう? ネットでの恋愛ごっこの延長線として結婚する人もいれば、たんにノリで結婚する人もいるし、お前らみたいに友達同士の約束として結婚する人もいる。色々いるから、カップルによってケースバイケースになるよな」
「……お前、ゲームのことになるとまともなこと言うよな」
「お前、言外に俺はゲーム以外じゃ役に立たないって言ったよな、今」
「誤解だ。言葉の選び方が悪かった」
「……まあ、良い。そのカップルは、ネットでの恋愛ごっこを楽しみたかったんだろうな。お前らの結婚とはわけが違うんだよ」
「まあ、それはわかるんだけどなー」
僕は、深々とため息を吐く。
「なんか、ヤツハの声が聞きたいなって、凄く思う」
これだけを言ったら、誤解を受けてしまう。僕は慌てて、言葉を付け足した。
「大事な、友達だからな」
「……惚気だな」
金田は、呆れたようにそう言った。
「お前がいない間、他の男ときゃっきゃと遊んでたんだぜ。ムカつくーとかちょっとは思わないわけ?」
やはり金田だ。余計なことを言うのは忘れない。
「メールでのやりとりはしてたしなあ。ゲームだぜ。そんなムキにならないよ。大体、世の中に何人男がいると思ってるんだよ。遊び相手の一人に男がいるぐらいはあるさ」
そう言いつつも、そう言われてしまうと少しだけ胸が焦げるような思いをしてしまう僕だった。
けれども、それはくだらないことだ。今心配すべきは、ヤツハだ。彼女がログインし辛い状況にあるというのは、非常に気の毒だった。
しかし、メールの返信の内容も思いつかず、吹雪丸とキヅの仲裁をするきっかけも見えず、時間だけが無為に過ぎて行ったのだった。
キヅと僕が会ったのは、ゲームを再開してから一週間後のことだった。ヤツハへの返信を放置し始めてから、一週間でもある。彼女は、それを不審がるメールも送って来ない。
返信がないならないで諦める。それもまた、ヤツハらしかった。このままでは、どんどん彼女が遠くに行ってしまう。そう思っていた所に、キヅは現われた。
その時、溜まり場にいたのは僕とシズクだった。平日の昼間だから、ログインしているギルドメンバーは少ない。それを見計らって、キヅはやって来たようだった。
「今日は、ギルドを抜けようかと思って相談にやってきました」
キヅは座るなり、そう言ってのけた。マントの下に鎧を着て、剣を帯びている。全身を隠すような鎧ではなく、腹部や太腿の部分の服が露になっている。ゲームのコンセプト上、そういった鎧しか用意されていないのだ。このゲームには対人要素もあるのだが、急所を攻撃することによって一発逆転を狙うことが可能になっている。だから、鎧には自然と防御が薄い箇所が用意されるのだった。
「ギルド、抜けるの? 吹雪丸くんと会えなくなるけど、良いんだ?」
シズクが、珍しく真面目な表情で問いかける。普段は前後に振られている左右の足が、今日は大人しく止まっていた。
「良いんです。もうあんな人、知りません。本当なら今すぐにでも離婚したいぐらいです」
「性急じゃないかな」
僕は、出来るだけ穏やかな口調を作って話に入り込む。
彼女がギルドを抜けてしまっては、ヤツハは本当に帰り辛くなってしまう。
「貴方は、ヤツハさんの旦那さんでしたっけ」
「そうだけど……」
キヅは憎しみを込めたような表情で、僕を見た。
「貴方はどうも思わないんですか? 私達、帰ってきたのに待たれてなかったんですよ」
「待たれてなかった、とは思わないな」
「一緒に遊ぶクエスト、全部先にプレイしちゃって。しかも、異性と一緒に。そんなの、私の立場がないじゃないですか。なんだかどうでも良いやってなっちゃいます」
「それじゃあ、どうしてキヅさんは、それをしないでくれって前もって言わなかったの?」
僕は必死に、言葉を選んでいた。ここは、ヤツハが帰れなくなるかどうかの分岐点のように思えた。
「俺は言ってたよ。俺がいない間、誰と好きに遊んでも良いって。結婚が枷になるぐらいなら、離婚してもかまわないって」
なにせ、これはゲームで、僕達がしているのはゲーム上の結婚なのだ。
けど、僕はまだ子供だから、キヅの言葉がわからないわけでもなかった。けれども、大人になりつつある僕はこうも考えるのだ。くだらない独占欲は、相手を傷つけるだけだと。
キヅは、言葉に詰まったようだった。そのうち、やっと出てきた言葉が、これだった。
「言わなくても、わかると思って」
「あんたは自分に合わせて、吹雪丸さんがゲームのプレイを制限するように望んでたみたいだ。そんな思いを持っているなら、そうと伝えておくべきだった」
キヅは、痛い所を突かれたように黙り込む。
「あんたの審査には合格しなかったかもしれないけれど、吹雪丸はあんたを大事に思ってると思うぜ。連絡取れないって、鬱陶しいぐらいにへこんでたし。今度こそ、きちんと話すべきじゃないか」
「……私がいなくなれば、ヤツハさんのところに行きますよ」
そんなわけないだろう。そう思って、僕がヒートアップして口を開こうとした時のことだった。
「キヅちゃんはさ、結構人を試す人なんだね」
シズクが、淡々と言葉を発した。その瞳は、冷たく見えるほどに感情を浮かべずにキヅを見ている。
感情的になりかけていた僕とキヅは、その一言でやっと冷静になってシズクを見る。
「自由にさせてみて、相方がどう行動するか試す。姿を消してみて、相方がどう行動するか試す。けどね、人間って試せば試すほど離れていくし、試せば試すほど孤立するんだよ?」
「試す、だなんて……」
キヅは、再び言葉に詰まったようだった。
「少なくとも、姿を消したらヤツハのところに行くか、は試す気なんでしょう?」
キヅは、黙り込む。
「寂しがりな人の中にね、人を試すタイプの人がいるんだ。例えば、醜い自分を見せたり、束縛したい相手をあえて自由にさせて、反応を見る。けれどね、それで得られるものなんて何もないんだよ。もっと自分が寂しくなるだけ」
「けど、もう、吹雪くんのこと、前みたいに思えないっていうか」
「本当にそうなのかな。もう少し時間を置いてみたらどうだろう。あんたがやるべきことは異性と遊ばないでって頼んだり、クエストは残しておいてねって頼むことだった。サブマスターとしてはそういうの、面倒だと思うけれど、夫婦の形は色々だからね。それとも、思った通りに動いてくれる相手に辿り着くまで人を試し続ける? それって果てしないことだよ」
「だって、そんな勝手なこと言えるわけない……。ゲームだけの、関係なんだから」
そこまで言って、キヅは何かに気が付いたような表情になった。それは、気まずげな表情でもあった。
「そうだよ。これは、ゲームの話なんだよ。忘れてるかもしれないけれどね」
シズクは淡々と言った。
気まずい沈黙が、場を包んだ。それは、永遠にも思える静寂だった。誰か何か言葉を発してくれ。僕がそう思い始めた時のことだった。
「こんにちはー」
溜まり場に、踏み入れる人影があった。マントに布の服を着た、初心者にありがちなアバターだ。
声は、青年のものだった。
「この前、吹雪丸さんと一緒にクエストした時に借りたお金、返しに来たんですけど」
「ああ、そこの子に渡しておけば良いよ」
そう言って、シズクは気さくに微笑んでキヅを指差す。
「シズクさんが受け取ってくださいよ。サブマスターでしょう」
小声で、キヅは言う。
「私は嫌よー。とりあえず受け取っておきなさい」
投げやりにシズクは言う。駆け寄ってきた少年に、キヅはしばし躊躇いがちな表情でいたが、表情を緩めて訊ねた。
「……吹雪くんって、どんな感じでクエストしてるの?」
少年は、穏やかに微笑んだ。
「いつも複数人でって感じですよ。二人きりにならないように、気を使ってました」
「……そっか」
キヅは少しバツが悪そうに微笑んで、頷いた。
「……変ですね、こんなゲームで、ムキになりすぎました。一人で先走って。ますます恥ですね、恥」
キヅは、小さな声で言う。
「いや、ゲームにのめりこむ気持ちはわかるよ。けど、少し冷静になったなら二人で一度話してみたらどうかな。今度はきちんと、自分の思っていることを伝えるように。ゲーム内夫婦って言ったって、色々な形があるんだから」
「……そうしてみます。ちょっと、気分転換に遊んできますね」
そう言って、キヅは溜まり場を去って行った。
僕はシズクの言葉に感心していた。
「名演説でしたね」
「よしてくれ」
気まずげにシズクは言う。
「あの子は結局、吹雪丸がヤツハの所に行くってのを否定してもらいたかっただけだよ。あの子の性格なら、止めて欲しくない時は勝手にギルドを抜けて勝手に離婚届を出してただろうし。だから意地悪で返してやったのさ」
そう言って、シズクは舌を出す。
「……なんでそんな意地悪を?」
「昔居たんだよなー。やたら人を試す男が。自分の弱い部分を見せてきて、信頼してくれてるんだなと思ってたら、ただ受け入れてもらえるかを試されてただけだっていう。その後、色々あって組んだんだけど、異性と遊んだら叱られるわ、野良パーティーに行ったら変な癖を覚えて来たって叱られるわ。どれだけ束縛しても離れないかを試す段階に移っちゃったわけだよ。あの時はゲームを辞めようかと思ったね。回線で首くくりたくなったよ」
「業が深いですねえ……」
「きついのは、相手の正体を知った時には、相手に同情してしまってるってことだよ。相手の弱い部分を聞かされてるからね。離れ辛くなってどろどろの共依存関係へノンストップだ」
「……業が、深いですねえ」
「オンラインゲームを長く続けるには、捕まる相手も選ばなければならないってことだよ。まあ、今回みたいなケースだと、相手が関係に本気になりかかっているって喜ぶ男性もいるかもしれんけどな」
「……まあ、ヤツハは僕が誰と遊んでたって、気にしないでしょうしね」
「嫉妬かい?」
「ちょっとだけ。あれだけ必死になられてみたいなあと、思ってみました」
「そんなこと、ないと思う」
溜まり場に何故か残り続けていた少年が、呟くように言った。
「ん?」
シズクが、少年がいたことを思い出したように、戸惑いの声を上げた。
「君は自分が思っているより、ヤツハに好かれているよ。それは、信じて良いと思う」
少年は、そう言って駆け去って行った。
後には、にやけた表情のシズクと、唖然とした表情の僕が残された。
キヅと吹雪丸は、その日、長く語り合っていたようだった。そのうち、二人で笑顔で、仲直りしましたとの報告をしにやってきた。
大変だったのはその後だ。この二人、一対一の対話モードを使っているようで、二人の世界に入ってギルドメンバーの会話に入って来ない。
そのうち、二人でいちゃつくだけなら出て行けとシズクに追い出される始末となった。
「あれは私の忍耐力を試しにかかったんだろうか……?」
と疑うシズクの姿が象徴的だった。
「いや、たんに考えなしなだけだと思いますよ」
僕はフォローになっているんだかなっていないんだかわからないことしか言えなかった。
「まったく、ヤツハさんみたいに面倒見が良い人とか、シンタくんみたいにトラブルを起こさない夫婦が運営側としては一番ありがたいね。面倒くさいカップルは本当に面倒くさい」
「それはありがたい褒め言葉です」
翌日の朝、僕はヤツハにエッグを介してメールを送った。溜まり場のトラブルは全部片付いたよ、と。ヤツハがログインしたのは、それから間もなくだった。あまりにも短時間でやってきたので、僕は逆に戸惑ったほどだ。
結婚相手だというのに、ヤツハが暇にしている理由を僕は未だに把握しきれていない。
ヤツハは人ごみの中をかき分けて来て、路地裏に入ってくる。そして僕の隣に座ると、微笑んだ。
「久々だね」
「うん、久々」
ゲーム内での再会は、実に一年ぶりだった。エメラルドグリーンの宝石のような瞳も、白い肌も、路地裏の外では光を受けて輝く黒い長髪も、黒いとんがり帽子にローブ姿の彼女も、久々に見るものだった。
自然と、僕の声は弾んだ。
「メール、一週間返事なかったけど?」
穏やかな口調でヤツハは言う。責めるような口調ではないのが彼女らしい。なんだか懐かしくなって、僕は自分が溶けてしまうのではないかと思った。
「……こう、ヤツハを追い込むようなメールになりかねないと思って。変にフォローされても、責められても、嫌だろ?」
「気持ちはわからないでもないかなー。難しいよね。ゲーム内の結婚なのに、嫉妬する人は嫉妬するし、それがきっかけで荒れちゃう人は荒れちゃうし。今回は、ほとほと疲れました。貰い事故って感じ」
彼女は溜息混じりに言う。
事情を知っている僕は、苦笑して労うしかない。
「お疲れ様」
「シンタくんは、嫉妬した?」
「……どう答えてほしいんだよ」
僕は苦笑する。人を試す人間にはろくな奴がいないというのがシズクの持論だが、これぐらいの試され方なら可愛いものだ。
ほのかにとはいえ嫉妬したのも事実だし、ゲームだからそんなものだろうと思ったのも事実だった。
ヤツハは、どう答えてほしかったかは、教えてはくれなかった。
「それで、シンタくんは私にも嫉妬して欲しいんだっけ」
話が急に飛んで、僕は戸惑った。
「いつそんなこと言ったっけ」
「昨日、キヅさんが話しに来た時に、乱入してきた男の子、いるでしょ?」
「うん」
なんでそれをヤツハが知っているのだろう。嫌な予感がした僕だった。
「あれね、シュバルツだよ。私が色々事情を説明しても、キヅさん頑なになるだけだろうから」
僕は唖然とした。シュバルツとは、ヤツハの元相棒で、今は引退した人物だ。
面倒見は良くても、根っこの部分では人と距離を置きがちな彼女だ。頼れるのは、彼しかいなかったのだろう。
「一週間ずーっと溜まり場監視してたの?」
「いや? キヅさんを呼び出して貰おうかと思ってたんだけれど、タイミングが良かったみたいだね」
二人の間に、沈黙が漂った。
「シンタくんは中々難しいことを言うね。私に、嫉妬しろだなんて」
大真面目な口調で、ヤツハは言う。
「いや、そんな真剣に悩まれても困るというか。話の流れで出た言葉だから、そんなに気にしないでほしいというか」
「一応結婚相手の言うことだからねー。気にはします」
「義理堅いね。けど、嫉妬してたらキリがないじゃない」
リアルでの友達、ゲーム内の異性の友達。嫉妬できる対象はいくらでも存在するのだ。それら全てに嫉妬されたら、ゲーム生活が成り立たなくなる。
信じる相手を誤ったがためにそんな状況に陥った。それが、以前のシズクの姿なのだろう。
それは、ゲームそのものの楽しみを削っているように思えるのだ。
ゲームがしたいのか、結婚ごっこがしたいのか、わからないではないか。
「うん。私は君が他の人とペアで狩ってても、一緒に固定パーティーを組んでも、嫉妬しないと思うんだ」
「だから話の流れで出た言葉だって」
僕は苦笑する。
再度、漂う沈黙。
「やっぱり君の隣が一番落ち着くよ。気を張らなくて良いからね。それじゃあ、駄目かな?」
僕は一瞬、言葉を失った。それは、失望したからではない。その逆だ。
「俺も、同じ気持ちだよ」
君が野良パーティーで仲の良い友達を作っても、ギルドで仲の良い遊び友達を作っても、他の人とペアで狩りをしていても、最後には二人並んでこうやって穏やかに話したい。
そんなことを思った僕が居た。
僕らの関係は薄氷のような繊細さで形作られている。無造作に踏めば、割れてしまう。割れた後には何も残らない。相手の本当の名前も、日常で見ている景色の数々も、僕は知ることなく終えることになる。それで、良いのかもしれない、とも思う。
けれども、例え一時の世界だろうと、僕らはこの世界で過ごし続ける。適度な距離感を、模索しあいながら。
「お帰り、シンタくん」
「ただいま、ヤツハ」
久々に交わした挨拶は、少しくすぐったかった。
次回 鉄板パーティーに入れない!