代用品同士2
「結構良いセンは行ってたと思う」
シズクが苦笑顔で言う。
首都の酒場傍の路地裏では、反省会が行なわれていた。
「けど、途中からコテンパンだったね。必死の撤退だった」
おどけた表情でそう語るのはシアンだ。
シズクは口惜しげに言葉を続ける。
「グレイヴルサをやるなら編成考えるべきだったなー。前衛明らかに多すぎた」
「マジックポイント切らして面目ない……」
如月が申し訳なさげに言う。
「中級レベル帯で良くあれだけの人数の面倒を見たもんだと思うよ。グレイヴルサをやるには支援職が足りなかった」
シアンが体を前に乗り出して言う。
「けど、あこでボスがいたら突っ込んじゃうよね?」
シズクが、フォローを求めるように言う。
「行っちゃう行っちゃう。間違いない」
「行っちゃいますねえ」
シアンとヤツハが苦笑交じりに同意する。なんだかんだで仲の良い三人だ。
「うーん、支援もっと急ピッチで育てようかな」
とはシンタ。
「結局、メインキャラで行くことにこだわりすぎたのが今回の敗因かな」
と、シアンがまとめる。
「まあ、楽しかったね」
ヤツハが、ボス狩り失敗という事実から話題を逸らすように言った。
そのうち、話題も尽きて、人が一人、また一人と減っていく。
最後に残ったのは、如月、与一、シアン、シズク、ククリだった。
「与一さん、ありがとうございました。途中、助けてくれて」
ククリが頭を下げると、与一は照れ臭げに笑った。
「妨害役の面目躍如って感じです」
「ちょっと別ギルドの友達に呼ばれたから行ってくらぁ」
そう言って、シアンが重々しげな盾を持って立ち上がる。
「いってらー」
シズクが、気だるげに送り出す。
「……どうして仕事を辞めるか、聞いて良いですか?」
ククリの一言で、場に沈黙が流れる。歩き去ろうとしていたシアンが、ゆったりとした足取りで戻ってきて座り込む。
「どうして、ですか」
「私はまだ高校生だから、仕事を辞めるって大事に思えます。ただでさえ今って、就職難って言われているし……」
「再就職はそこまで難しくないと踏んでいます。ただ、ちょっと燃え尽きたって言うか……」
周囲の視線が、与一に向けられている。
「そんな、興味深いですか?」
与一は、女性四人に視線を向けられて、戸惑うように言う。
「興味深い」
と如月。
「興味はあるねー」
と、シアン。
「……話したいなら話せば良いし、話したくないなら触れないようにしておくけど」
とシズクは言うが、視線は興味深げに与一を見つめている。
「知りたいです。与一さん、適当な人には見えないし。ブラックな企業だったんですか?」
「まあ、そこそこブラックではありますが、人には恵まれていた。ただ、僕に問題があっただけです」
沈黙が、場に満ちた。
与一は、ためらうように、言葉を紡ぎ始める。
「僕には、遠距離恋愛をしている恋人がいました」
「ほー」
「意外ー」
シアンがそう言って身を乗り出す。
「やるじゃん。浪漫だね」
「高校からの付き合いで、大学で進路が別れちゃって。就職先も、近場で頑張ろうと思ったんだけれど、やっぱり離れちゃって。最近はちょくちょく喧嘩をしていました。どちらが仕事を辞めるか、で。お互い、仕事が面白くなってたんですね」
沈黙が、場に満ちた。
どう言えば良いか、わからなくなってしまったのだろう。それは、ククリも同じだった。
シアンだけは気にした様子もなく、沈黙に戸惑うように口を開いた。
「立派な彼女じゃん。遠距離で頑張るしかないんじゃないー?」
「彼女から、連絡が途絶えました」
今度こそ、誰も何も言えなくなってしまった。
与一は、慌てて言葉を続ける。
「この話、やめときます? なんか反応見てると続き話すのが怖くなってきたんですけど」
「いや、聞くよ」
「むしろ話せ」
「興味深い」
女性三人が、淡々と言う。
与一は苦笑して、言葉を続けた。
「どう連絡しても、駄目でした。言葉は全部スルーされる。吃驚しました。まさか、お別れの言葉すら言えないなんて、思ってもいなかった。話すら聞いてもらえないなんて、思ってもいなかった」
「話しても無駄だと思われちゃったのかもね」
と、如月。
「別れの言葉ってそんなに重要かな?」
と、シズク。
「いや、特にいらないと思うー」
と、シアン。
「いらないですかね? だって数年がかりの付き合いですよ? お互いこの先頑張ろうねの一言ぐらいあったって良くないですか?」
「だって、可哀想だけれど、気持ちが離れちゃってたら、そういうのももう空々しいよね」
「シズクに同意するかな。改めて話すことなんかないって思っちゃったらそういうもんな気がする」
「見切り使われちゃったんだよ見切り」
「見切りつえーよな見切り」
シアンとシズクは容赦がない。
「そういうものなのかなあ」
「そういう時はすっぱり身を引くのが良い男さー」
シアンが言う。
「ええ。だから身を引こうと思いました。そしたら、気がついちゃったんですよね。僕は彼女のために必死に立派な人間になろうとしていた。彼女が誇れるような良い会社を目指して、彼女が誇れるような仕事をしようとしていた。けど、結局はそれが彼女を遠ざけてしまった。自分のやってたことの矛盾を突きつけられた気がしました」
「……そのまま、頑張れはしなかったんだ?」
シズクの問いに、与一は苦笑して頷く。
「故郷のほうが、思い出も友達も多い。自分が無理をして今の土地にいたんだと気がつかされました。一人で過ごすには、今の土地は少々寂しすぎた」
「一人じゃ、ないじゃないですか」
ククリは、思わず声をあげていた。
「私達が、いるじゃないですか。良い会社なら、辞めるなんて勿体無いですよ」
「多分、そういう話じゃないんだよ、ククリ」
シズクが、諌めるように言う。
けれども、納得行かなかった。せっかく良い会社に入って、それを放り出す与一が、なんだか気の毒に思えた。
けれども、同時に与一の孤独を想像してみる。友達も少ない土地で、恋人とも離れ、ただひたすら仕事に明け暮れる。それは、気の毒ではないのだろうか。
「確かに、皆さんのおかげで楽しい気持ちはあります。寂しさを紛らわせることができた。だから、感謝しています」
「女が原因で仕事を放り出すのは感心しないがな」
シアンはやはり容赦がない。しかし、優しい口調でこう付け加えた。
「ただ、いつでもこの世界に来たら、私はあんたを歓迎するよ」
「私達、って付け加えて欲しいな」
とは、シズクだ。
「はい。今日は情けない話を聞いてもらって、ありがとうございました。なんか気恥ずかしいから、このままログアウトしますね」
「おう、また明日ね」
「またなー」
「元気出してね」
与一がログアウトする。
結局、自分は何も変えられなかったのだな、とククリは思う。
「恋愛絡みで仕事を辞めるのはあまり感心しないな」
とは、シアンだ。
「高校時代からって言ってたからねー。彼にとっては人生の何分の一かの時間だ。私達にはちょっと想像できないよ。多分、立ち直るために時間が必要なんだよ」
シズクが、フォローするように言う。
「そう言うもんかね。私は恋愛したことがないからわからん」
「マジで」
「マジマジ。ゲームが恋人」
「それはそれで問題があると思うけどなあ……」
「シズクだって同じ穴の狢じゃないか。お、高い所からこっちを見てる既婚者がいる」
「絡まないでくださいよー。引退しますよ?」
如月は苦笑顔だ。
「その翌月には復帰している癖に」
やはり容赦のないシアンなのだった。
ある時は、如月が言う。
「与一さん、どうせ暇でしょう? 遊びましょうよ」
ある時は、シズクが言う。
「与一、ヤツハ主催のクエスト巡り行くぞ、付き合え」
ある時は、シアンが言う。
「与一、別ギルド主催で狩りに行くんだけど、魔術師の護衛役で来る?」
あるギルドメンバーは言ったものだ。
「なんか与一さん、モテモテですね?」
「ゲームの世界でモテても嬉しくないだろ。むしろデメリットのが多い」
真面目な口調でシズクが言う。
「まるでモテてたことがあるかのような言い分」
「そういう時期もあったんだよ! シアンだって女だってだけでモテたことはあろう?」
「まったくないなー!」
「マジか!」
「マジ!」
「あの二人、仲が良いですね」
穏やかに微笑んで与一が言う。あの二人の会話は、ギルド全体に伝わる会話で行なわれているので、遠くにいても筒抜けだ。
「廃人同士だし、性格もどこか似てるし、意気投合したんでしょ」
如月が苦笑交じりに言う。
「引越し先はどうですか?」
ククリは、与一に訊ねていた。
場所は、大通りから離れた大樹の下だ。なんとなく、三人はその場で集まっていた。
「良い感じですよ。早速古い友達に飲みに連れて行ってもらいました。楽しかったなあ」
与一は、以前に比べれば声が明るくなった。だから、これで良かったのかもしれない、とククリは思う。
結局、自分がやっていたのは余計なお節介だったということだろうか。
「やっぱり皆大人になってるんですよ。仕事の愚痴が増えてましたね」
「久々に会うと、あ、大人になってるって、吃驚するよね」
「そういうもんなの? キサちゃん」
「そういうもんだよー。ククリも大人になればわかる」
まあ、実際に自分は子供なのだから、子供扱いも仕方ないかとククリは思う。
その時、賑やかな一団が目の前を歩いて行った。その中心には、ウェディングドレスの花嫁と、タキシード姿の花婿がいる。
「結婚式かぁ」
与一が、眩しげに言う。
「結婚式ですねえ」
「二人は、結婚願望あんの?」
「リアルの話ですか、ゲームの話ですか」
与一は苦笑いを浮かべながら言う。
「うーん、今の場合はゲームかな」
「僕は、特にないですね。元々、ソロが多かったし。その分、ククリさんや皆が気を使って誘ってくれて、楽しかったです」
「私は、この子にウェディングドレス着せてみたいかなあ」
ククリは、正直な気持ちを答えていた。
「じゃあ、あんたら結婚すれば?」
如月が、悪戯っぽく微笑んで言った。
そして、沈黙が漂う。
「いや、気を使わせている上に結婚とか、流石に申し訳ないでしょ」
我に返ったように、与一が言う。
ククリも、その言葉で止まっていた思考が動き始めた。
「いきなり結婚なんて、そんな。ねえ?」
「ゲーム内の結婚なんてネタでやるもんだよ。そんな本気で身構えるもんじゃない。ウェディングドレスが着たいって理由だけでやっちゃって良い」
ククリは、思わず与一に視線を向けた。
与一は、困ったような表情で中空に視線を向けている。
「キサちゃん、迷惑だよ。いきなりそんなこと言ったら」
「いえ、迷惑なんかじゃ、ないですよ」
与一が、慌てて口を開く。
「ククリさんは僕の転職に関しても凄い心配してくれて、感謝しています」
与一は、ゆっくりと言葉を続ける。
「……僕で良ければ、そのキャラに着せましょうか? ウェディングドレス」
後のことは、ククリは良く覚えていない。
返事を保留にして、何かを話して、解散してからログアウトしたという流れだけはぼんやりと覚えている。
日付が変わった。
布団から体を起こして、美里は伸びをする。そして、思うのだ。冷静になってみると、昨日の自分はどうかしていたな、と。
美里は、ククリを操るプレイヤーだ。
(結局、彼は未だに失恋のダメージを引きずってるんだろうなあ……)
というのが、美里の考察だった。
だから、ゲーム内でも良いから結婚して、気分を切り替えようとしている。もしくは、現実では果たせなかったことを果たそうとしている。
つまり、相手は美里でなくても良いわけだ。
しかし、ククリにウェディングドレスを着せたいという思いも美里の中にある。与一ならば、大事にしてくれるだろうという確信もある。現在無職というのが気になる点だが、彼の言葉を信じれば転職のあてもあるのだろう。別にリアルに関係を発展させたいという気持ちはないが、大事に育てたキャラクターを嫁に出すなら、職を持っているか、これから職に就く人が良いなと、なんとなく思う美里がいるのだった。
さて、どうしたものだろう。そんなことを考えながら、美里は一日を過ごした。
クラスメイトの誰も知らない。美里がゲーム内のこととはいえ、結婚について思い悩んでいることを。
秘密を抱えたようで、それが少し面白かった。
そしてその夜、美里はククリとなってゲームの世界にログインした。
溜まり場には、シズク、シアン、グリム、如月、ヤツハ、シンタがいた。与一は、まだログインしていないようだ。
「シンタさん、ちょっと付き合ってもらって良いですか?」
「良いけど、ここじゃ駄目?」
「駄目ですね」
「了解」
シンタは言って、立ち上がる。
「それじゃあちょっと行ってきます」
「シンタさんお借りしますね、ヤツハさん」
「ええ、好きに使って良いわよ」
ヤツハはそう言って、微笑顔で二人を送り出した。
そして、二人は大通りから離れた大樹の下へと辿り着いた。ここは元々、シンタがククリに教えてくれた場所だった。
「最近あの二人に影響されて、ヤツハまで口が悪くなってる気がする……」
シンタが苦笑いを浮かべる。
「仲良いですもんね、あの三人」
「で、どうしたの?」
シンタは、優しい表情でククリを見つめる。
それを見ていると、ククリは少しだけ切なくなるのだ。
「なんていうかその、結婚を申し込まれてて……」
シンタは、目を丸くする。
「誰に?」
「与一さん」
「ほー、よいっさんは優しいからなあ。優良物件じゃない?」
「そうですよね。重婚とかしたり、しないですよね」
「そこは、ゲームだからわかんないなあ」
シンタは苦笑交じりに答える。
ククリは、少しだけ胸が弾むのを感じた。
「シンタさんは、重婚はありだと思うほうですか?」
「他人ならあり、自分ならなしかなー。与一さんも似たタイプに見えるけど」
淡々とシンタは言う。
ククリは、胸の中で膨れ上がっていた思いがしぼんでいくのを感じた。
ククリとシンタは歳も近い。性格の相性も多分良い。ただ、ククリと出会うより前にシンタはヤツハと出会っていた。それが全てなのだろうと思う。
本気で、ヤツハからシンタを奪おうと思っていたわけではない。ただ、もしかしたら、止めてくれるのではないかという気持ちはあった。
けれども、そんなわけあるはずがないのだ。
結局は、区切りをつけたかっただけのことなのだろう。
「シンタさんらしい答えで安心しました」
ククリは微笑む。
「お嫁へ行こうかなと思います」
自分と与一は似たもの同士だ、とククリは思う。本命と決別するために、結婚衣装に身を包む。
元々、シンタに対してもそれほど強い気持ちがあったわけではない。その気持ちは、憧憬に近い。自分自身の中でも、シンタに対する気持ちを良くわかっていない面があるのだ。きっと時間が経てば全てを忘れられるだろう。ククリは、そう思った。
その晩、ログインした与一は、ククリを大樹の下に呼び出した。
結婚の話だろうな、とククリは思う。脳裏に浮かぶのは、シンタと狩りに行った思い出だ。それが徐々に、与一と狩った思い出へと変わっていく。
まずは、相手に就職を促そう。そう考えたククリがいた。
与一は、深々とククリに頭を上げた。
「ごめんなさい、ほんっとうにごめんなさい」
いきなり謝られて、ククリは唖然とする他ない。
「パネルフォンの故障が原因だった?」
シズクから事情を聞いて、ククリは唖然とした。
つまるところ、与一が恋人と連絡が取れなくなったのは、恋人のパネルフォンが故障したことが原因だったそうだ。与一と連絡を取るためのアプリケーションのログインIDとパスワードが、以前のパネルフォンには登録されていた。しかし、次のパネルフォンには未入力の状態だった。彼女は、そのログインIDとパスワードをすっかりと失念してしまっていたらしい。
「それなら電話に出れば良かったのでは?」
「いやー、アプリで連絡とってて、電話番号お互い覚えてなかったらしいよ? それで、どうせ喧嘩になると思って放置して、仕事に熱中してたっぽいね」
「……つまるところ、彼女さん本人は別れたつもりはなかった、と」
「そゆこと。いやあ、別れの言葉って案外大事なんだねえ」
シズクは溜まり場の酒樽に座っているが、いつものように足を振ってはいない。
「なら、良かったですね。どっちが仕事を辞めるかで喧嘩することは、もうないでしょうし」
「うん、それで、今日は彼女をこのゲームに連れて来てるらしい」
「へえー、興味深いですね」
「興味深いよねー。あの落ち着いた与一くんが喧嘩したり、投げやりになったりするほど惚れた女の子って、どんな人なんだろうね」
「きっと、大事にされてるんでしょうね」
「うん、そりゃあ、高校からの付き合いらしいからねえ」
なんとなく、羨ましいなと思ってしまうククリがいた。
その晩、ククリは溜まり場へ行く気が起きずに、如月と首都の大樹の根元で座っていた。
なんとなく、気まずかったのだ。
「ねえ、キサちゃんってどうやって旦那さんと出会ったの?」
「んー? 大学の後輩」
「私にもいつかできるかなあ。ゲームじゃなくてリアルで。私を大事にしてくれる人」
この際ゲームでも良いけど、とククリは心の中で付け加える。
「できるよ、絶対にね。ククリは、気を使える優しい子だから」
「ありがとう。いつかキサちゃんみたいに幸せになるよ」
「おう、頑張れ」
人生はまだまだ続く。色々な人との出会いも別れも数え切れないほど待っているだろう。その中で、特別な出会いがあることを、ククリは祈った。
ククリはまだ知らない。
数年後、自分が結婚に関して酷く苦労することを。
面倒見の良さと忍耐力の高さが招いた悲劇だった。
余談
「で、彼氏がオンラインゲームやっててさ」
「ああ、オンゲーね」
「私がいない間、色々気を使ってくれたんだって人を紹介してくれたんだけど……」
「なに、女だったとか?」
「女は女でも、女子高生紹介された……」
「女子高生、紹介されちゃったかー……」
「それ以来、彼を見る目がちょっと変わってね……」
自分の知らぬところで周囲に影響を与えているククリなのだった。