代用品同士
MMORPGイグドラシルオンライン。その世界の首都と呼ばれる場所、その中にある、酒場傍の路地裏に、アメノシズクというギルドの溜まり場がある。
今日もそこでは、そのギルドメンバー達の会話が繰り広げられている。
「最近、接続増えましたね?」
ククリが、不安交じりの声で言う。
「ちょっと暇になってねー」
与一は、そう答えるだけだった。
与一は、ククリの記憶が確かなら社会人だ。その社会人が、夕方六時からログインしている。勤務時間が変わったと言われたらそれまでだが、気になる変化だった。
けれど、本人が自ら事情を語らないならば、それ以上深くも聞けなかった。
「そんじゃ、一緒に狩り行く? 与一さん後衛持ってたよね」
如月が与一を誘う。如月は専業主婦なのだが、接続時間は自由極まりない。亭主と喧嘩にならなければ良いのだがと、ククリは内心で冷や冷やしている。
如月はこうも語っていたが。
「亭主は私にベタ惚れだから、怒ったりとかできないよー」
それで良いのだろうか、とククリは思わないでもない。
「狩りですか。良いですよ」
与一はゆったりとした動作で立ち上がる。
その口調には、どこか影がある。以前から落ち着いた人ではあったが、今の声のトーンはあまりにも静か過ぎた。
狩場を相談し、三人で賢者の塔と呼ばれるダンジョンに向うことになった。そこの上層に向わなければ、狩りになるだろうという結論になったのだ。
賢者の塔は、下層は筋肉質で巨大な人型モンスターが多くうろついている。ヤツハが言うには、賢者が作り出そうとしたホムンクルスの失敗体、とのことだった。
狩りが始まる。
敵が近付いてくるのにあわせて、与一は矢を放つ。それは一発で、敵の首を射抜いていた。
クリティカルヒットの表示が出て、敵は一瞬で倒れ伏す。
「うわ、一発急所抜き。腕は衰えてないね」
聖職者の如月が感嘆したように言う。
前衛のククリは、やることがない。
このゲームでは、敵にも味方にも急所が設定されている。今回の敵の場合、それは首だ。数センチの誤差でハズレ判定が出るそれを、与一は見事に射抜いて見せたのだ。
上級のモンスターになるほど、急所は体の奥や固い外殻の中に設定されるようになるのだが、今回の敵は比較的表面に近い位置にそれがあった。
「タイミングを計るのは得意なんですよ。毎回は無理ですけどね」
そう言って、与一は僅かに微笑んで見せた。
それからも、与一の射撃は精密極まりなかった。ククリが窮地に陥れば、空中で曲がる矢を駆使して敵の武器を持つ腕を射抜き、一瞬の隙を作る。ククリが囲まれれば、広範囲に矢の雨を降らせて敵を仰け反らせる。
妨害に適した狩人の面目躍如と言った感じだった。
そして、ここぞいう時に出るクリティカルヒットは見事と言う他ない。
「キレッキレじゃん、よいっちゃん」
如月が親しげに言って、与一の背を叩く。
「どうしてでしょうね。集中力が酷く増している気がする」
仕事を辞めたからではないか、とククリは心の中だけで思う。その話題には、中々触れ辛かった。
狩りが終わると、与一は買い物に出かけた。ククリは、他の人に聞かれないように、一対一の会話モードで如月に話しかけ始めた。
「ねえ、与一さん、仕事辞めたのかなあ?」
「辞めてはないんじゃない? 昼間に見たことはないし。ただ、帰りは早くなったよね」
如月も、与一の変化については気になっているようだった。
「けど、私達が気にすることじゃないんじゃないかな」
如月は、淡々と言葉を続ける。
「まあ、そうだけどさ……」
「ここは夢の世界だよ。夢の世界にまでリアルを引っ張ってくることはないさ」
「このギルド、定期的にオフ会もしてるみたいだけどね?」
「それはそれ、これはこれ」
こんな時に、ククリは如月が大人なのだな、と再確認させられる。他人のことに関しても、自分のことに関しても、割り切ってしまっているのだ。
だからこそ、ふとした時にあっさり引退なんて言いだすのかもしれないが。
「与一さんって仕事どうしたんですか?」
八千代がギルド全員に伝わる会話でそんなことを聞いたので、ククリは悲鳴をあげたくなった。
(やめてあげて、そこには触れないであげて……)
心の声は出るのだが、上手い言葉が出て来ない。
傍には、シンタとヤツハがいた。丁度、三人の狩りで出たアイテムを溜まり場で分け合っている時だった。
この世界のどこかにいる与一は、返答に詰まったのか、黙り込んでいる。
「……地雷踏んだ?」
シンタが神妙な表情で呟く。
「踏んだかも」
ヤツハも、苦笑顔で呟く。
「まったく、八千代ちゃんはチャレンジャーだなあ……」
二人の会話は、この場所にいないメンバーには伝わっていない。
与一はそのうち、穏やかな口調で答えた。
「まだ、辞めてはないですよ」
「まだ?」
八千代が、不思議そうに問い返す。
「辞める準備をしている最中って感じです。もうちょっとしたらゲーム廃人になっているかもしれませんね」
笑いを誘う物言いが、周囲に気を使ってのものだとありありとわかる。ククリは、心が痛くなった。
「なんで辞めるんですかー?」
八千代のその問いは、ククリも気にしていることだった。まだ高校生のククリにはわからないが、仕事を辞めるなんて一大事に思える。
「頑張る理由がなくなったからですねー。心が折れる時って、案外一瞬なんですよ」
しみじみとした口調で与一は言う。
なんだかククリは、強く与一の心配をしている自分に気がついた。
「逃げ癖だけはつかないようにしなね」
シアンが、淡々とした口調でいう。
「師匠は逃げるどころか壁に体当たりしてぶち破りそう」
グリムが呆れたように言った。
「に、逃げるわけじゃないもん!」
与一の声は冗談めかしているが、その本心はわからない。
首都の人ごみの中を歩きながら、ククリは如月に自分の感情について相談していた。
一対一モードの会話なので、それは他の人間には聞こえていない。
「何、与一さん狙いなの?」
どこか気まずげな表情で如月が言う。
「違うよキサちゃん。狙いだなんて下品な」
「下品て……まあ、悪い物件じゃないと思うよ。大卒らしいし、職歴もきちんと数年あるらしいし……」
「だから、違うってば」
「気になるんでしょ?」
「心配だとは、思う」
「あんたは優しいからね、ククリ」
如月が、しみじみとした口調で言う。
「一度言っておきたいと思ってたんだけど、あんた多分駄目な男に惹かれる才能があるよ。気をつけといたほうが良い」
「与一さんは、別に駄目な男じゃないじゃない」
「けど、今弱ってるでしょう? 弱っている部分や、駄目な部分を見せる男性に惹かれる女性が世の中には存在するんだよ……」
そんな特徴をもしも自分が持っているなら困るな、とククリは思う。
「だから、あんまり踏み外さないことだね」
如月はそう言うのだが、ククリが与一を心配する気持ちは変わらない。彼がこのまま、仕事を辞めてしまって良いのだろうか、という不安があった。
なんとか、それを止められないか、という気持ちがあった。
溜まり場に戻ると、与一とシズクが話し合っていた。
「そっかー、辞めるかー。良いなー、私も辞めたい」
「一応俺は後のことも考えて辞めるんですよ。逃げるわけじゃないです」
「別に、逃げるとは言ってないけどなあ」
「シアンに言われました」
与一は苦笑交じりに言う。
「あははは、彼女らしーわ。仕事やるも辞めるもニートするも、貯金がある限りは自由だからね。私の関与するところではないわ」
「いや、ニートはしませんけどね? ちょっと、立ち止まりたくなったって言うか」
二人はゆったりとしたペースで話し合っている。
「与一さん」
高校生の自分が、どんな言葉を言えるだろう。高校生の自分が、どんな気持ちを汲み取ってあげられるだろう。それは、わからなかった。
けれども、与一の力になってあげたかった。
「狩り、行きませんか?」
出てきた言葉は、月並みのものだった。
「良いですよ。聖職者や魔術師を誘って、パーティー組みましょうか」
「いや、えっと、ペアでどうでしょう」
「ペア?」
与一が、意外そうな表情になる。
「私、避けますし。与一さん、当てますし。モノマネでレア狙いなんか出来たらなあ、と」
「ああ、モノマネ程度なら、僕らのレベル帯なら余裕ですね。行きましょうか」
如月は、何かを察したのか、ついてくるとは言わなかった。
かくして、二人は狩場に移動したのだった。
ククリが周囲から敵を一体ずつ釣ってきて、二人の物理攻撃で沈める。その繰り返しだった。
単純作業の中で、会話は弾まない。
お互いに、核心に触れることをしようとしないからだ。
話が聞きたかったのに、これでは気疲れが溜まっていくだけだぞ、とククリは思う。
「ちょっと、大技使って良いですか?」
「良いですよー」
弓につがえられた与一の矢が、白銀の輝きを帯びる。
それは放たれ、モノマネの頭部を一瞬で貫通していった。空いた穴には、拳が入りそうだ。
「ピンポイントショット。狩人の必殺技の一つです」
「狩人は良いですねー、スキル使い放題で」
会話の取っ掛かりが出来たことに、ククリは安堵する。
「前衛はスキルあんまり使えないので?」
「技を使った後に硬直時間が発生する場合が多いんですよ。少しの間、何も出来なくなる。だから、前衛が技を使う時は、止めを刺せると確信した時です」
「なるほど、そういう秘密があったわけか」
「前衛、作ったことないんですか?」
「こればっかり。昔からなんです。好きになったことにのめりこんで、気がつくと退路を失っている」
退路を失う。それは、彼が珍しく見せた、本音だった気がした。
「……退路、失っちゃったんですか?」
恐る恐る、ククリは訊ねていた。
与一は、苦笑するばかりだった。
自分はダメンズウォーカーなのだろうか。そんなことを、ククリは考え込む。
確かに、与一のことは気になる。心配だ。けれども、そこに恋愛感情はない。
どちらかというと、シンタのほうが気になるぐらいだ。ただ、彼は妻帯者なので高い頻度で誘うのは少々抵抗がある。
たった十数年しか生きていない自分が、二十何歳かの人間の人生を変えられるのだろうか。
そもそも、余計なお世話と言われる可能性が高い。
けれども、なんとなく与一のことが気になるのだ。
彼は何を考えて仕事を辞めるのだろう。何があって仕事を辞めるという結論に辿り着いたのだろう。
他のことに集中しようとしても、そればかりが気になるククリだった。
翌日、溜まり場にログインすると、人が沢山集まっていた。
十五人はいるだろう。それが、狭い路地裏にひしめいている。
「どうしたの? この人数」
ククリは、如月に訊ねる。
「与一さんが引越しや就職活動でしばらくログイン減るって言うから、送る会をするんだって」
「へー、なるほどねー」
与一は人に囲まれている。
「あー、俺も仕事辞めたーい」
「まあ、しばらくゆっくり休みなよー」
「ログイン減るって言っても、しなくなるわけじゃないんですけどね。盛大に送り出しにかからないでくれませんか」
彼の顔に浮かぶのは、苦笑いだ。
シズクは酒樽に座り、左右の足を前後に振るいつもの動作をしながら、口を開く。
「まあ、ギルド狩りのついでだ。行ってみたい場所はある?」
「行きたい場所、ですか……狂信者の研究所、とか?」
一瞬、周囲の会話が止まった。
「メインキャラ出すかー」
「皆メインキャラで良くない?」
「メインキャラで再集合だなー。低レベル帯の人達は今回は留守番してもらう形で」
ククリも聞いたことがある。狂信者の研究所は、中級ダンジョンだ。しかし最下層は、上級ダンジョンに指定されている。
土の柱が幾重にも生えて、人より幾分か背の高い巨大なゾンビの体を絡め取る。鉈を持ったその腕が、手首だけ口惜しげに上下に振られる。
その体に、複数の剣が、矢が、魔法が襲い掛かる。
ゾンビは胴体を切り裂かれ、消えて行った。後には、しゃれこうべが残った。
それを、鎧を身にまとい、盾を片手に持ったシアンが回収する。そして、淡々とした口調で言った。
「今回は釣らないほうが良さそうだねー。単体火力でボッコにする感じで」
「師匠も空気読める時があるんですね」
「あ?」
シアンがグリムを睨みつける。
「土柱が生えるまでの速度と狙いの正確さが半端ないんだけれど、ヤツハさんってレベルいくつ……?」
「うーん、内緒」
キヅが呆れたように言い、ヤツハは苦笑してかわす。
「なんか久々にアタッカーしたなあ」
「あー、同じく。最近聖職者だもんねえ」
とは、シンタとシズク。お互い、鎧に身をまとって剣を手に持っている。
与一はそれらを見て、楽しげに微笑んでいる。
十三人のパーティーの進行は、狩場の蹂躙に等しかった。
横に敵が沸いても、ヤツハら魔術師が巨大な氷柱を発生させ、潰しにかかる。前に現れた敵は、前衛陣に滅多切りにされた。
そのうち、下層で十三人は真っ黒な体をした敵に遭遇する。
ククリはそれに対して斬りかかったが、その固い外殻に剣を弾かれた。
「俺の出番か!」
退魔師のギルドメンバーが意気揚々とスキルを使う。その周辺に神々しい六本の剣が現れ、黒い体をした敵の外殻を突き破る。
そこに、シズクがアイテムボックスから取り出したのだろう光り輝く剣で追撃した。
黒い敵の体が真っ二つになった。固い外殻を持つ彼も、この十三人の進行を止めるには至らない。
そして、ついに最下層に十三人は辿り着いた。
「苦しい……苦しい……」
遠くから、何者かの声が響いてくる。
それに対する反応は様々だ。
「なにこれー」
「不気味ー」
と反応する、中堅プレイヤー層。
「うわ、いるね」
「あんまドロップに旨みがないボスだからねー。たまたま放置されてる時期に被ったか」
と訳知り顔の上級プレイヤー層。
「これ、ボスの声ですか?」
与一が、興味深げに訊く。
中堅プレイヤー層が、息を呑んだ。
「そう。ボスの、大悪魔グレイヴルサの声だ」
シズクが、楽しげに言う。
「この地にいた狂信者達の知識じゃ、不完全な召喚しかできなかった。だから、苦しいって呻いてるんです」
事情通のヤツハが解説し、各々納得したように頷く。
「一応、対策装備は持ってきてるよ」
シアンが言う。
「炎系呪文は得意です」
ヤツハが、少しだけ誇らしげに言う。
「じゃあタンカーはシアンに任せて、アタッカーはヤツハを中心に。聖職者はヒールをシアンに集中させるように」
「他の前衛は?」
「ボス周辺に現われた敵の処理。遠距離攻撃スキルがあればグレイヴルサに使っても良いよ。特に退魔師の攻撃は良く通る」
シズクは淡々と指示を出していく。
そして、十三人は歩き出した。その先に、それはいた。
赤い肌に、浮き出る脈。呼吸と共に大きく動く胸部に、大きくへこんだ腹。筋肉質な腕は鎖で地面に縛られている。鳥のような嘴があり、カブト虫の羽根を思わせる巨大な角が生えていた。巨大な上半身だけが、魔方陣からはみ出ている。
大悪魔グレイヴルサが、そこには居た。
盾を構えたシアンが、悪魔の噛みつきや、放たれる火炎の渦や黒い波動を受け止めている。本人が回復アイテムを使っていることもあり、そのヒットポイントは、常に三分の二をキープしている。
少し離れた距離から、三人の聖職者がシアンにヒールをし、三人の魔術師が魔術を放つ。退魔師の聖なる剣も、風を切って飛んで行く。
そして与一は正確に、大悪魔の眉間を狙っていた。一本、二本と、その眉間に矢が突き刺さっていく。
他の前衛達は、周囲に援護に駆けつける巨大ゾンビの処理だ。特にシズクの活躍が目覚しく、光り輝く剣は見事に巨大ゾンビの胴体を斬っていった。
ククリが、一体を受け持つことになる。相手の振るう鉈を、ククリは剣で受け止めようとする。
受けた角度が悪かった。鉈がたまたま、剣の急所を突いた。すると、ククリの剣は真っ二つに叩き折られていた。
「ククリ!」
シズクが状況に気がついて、敵の攻撃を回避しながら焦ったように手持ちの光り輝く剣を投げる。
ククリは、それを受け取った。その時には、敵は鉈を振りかぶり終えていた。
剣を構えるよりも、鉈が振り下ろされるほうが速い。
そう思って目を瞑った瞬間、風を切る音がした。
矢が、ククリの目の前にいる巨大ゾンビの眉間を貫き、動きを一瞬止めていた。
ククリは鉈を回避しながら無我夢中に剣を振るい、巨大ゾンビを倒していた。
「ありがとうございます!」
そう言って、ククリはシズクに光り輝く剣を投げ返す。
そして、アイテムボックスに手を伸ばしながら、与一に視線を向けていた。
与一は親指を立てると、再びグレイヴルサに矢を放ち始めた。




