桜舞う日
シンタとヤツハが今に至るまでの物語です。
昔書いた長編をさっくり省略して短編にまとめました。
「上級ダンジョンデビューかー。早いねえ」
ヤツハはしみじみとした口調で言う。
町の外と内とを隔てる巨大な壁に背を預けて、僕達は座っていた。周囲は原っぱで、遠くにレンガ造りの町並みが見える。
僕はなんとなく気恥ずかしくて、天を仰いだ。
「一緒に遊んでくれた皆や、見守ってくれたヤツハさん達のおかげだよ」
「あはは、私達は狩りに行かずにサボってばっかりだったから、シンタくんは無理して褒めることないよ」
「ここ、お酒飲んで騒ぐギルドだからなー。入った時はそうとは知らなかった」
僕は、半ば拗ねた口調になる。
山奥の町でゲームを開始し、最初に誘われたのが今のギルドだ。どんなギルドなのだろうと期待して入ってみれば、加入者はギルドマスターの歌世を含めて四人だけ。しかも、夜な夜な集まっては酒を飲んで盛り上がっているという会話用ギルドだった。
そんな中で、ヤツハも僕も、ギルドでは少数派の酒を飲まない人種だった。
もっとも、ヤツハは酔っ払い達に溶け込んで、上手く立ち回ってはいたのだが。
「それじゃあ、これでしばらくはお別れだね」
ヤツハの言葉に、僕は戸惑った。
「なんで? 俺、ギルドの皆と別れる気はないけれど」
「あれ、シンタくん、知らないの?」
ヤツハは、目を丸くする。エメラルドグリーンの瞳が、宝石のようだった。
「この町の近辺には、中級ダンジョンまでしかないんだよ」
「……マジで」
「マジマジ。毎回首都まで通うのは時間的にも厳しいと思うし、新しいギルドを探すべきかなーとヤツハさんは思います」
俺がいなくなっても気にしないの? そんな言葉が、喉元まで込みあがってくる。
ヤツハは、穏やかな表情で誤魔化すだけだろうな、という結論がすぐに導き出された。
歳は近いし、喋る機会も多い。けれども、僕とヤツハは一緒に狩った回数が少なかった。彼女が主に行動を共にするのは、相棒のシュバルツだ。僕と彼らのそもそものレベルに差があるのだ。その差を埋めるための上級ダンジョン挑戦、のはずだった。
「ギルドの皆に近付きたくて上級ダンジョンを目指そうと思ったのに、ギルドから離れることになるなんて。これじゃあ本末転倒だ」
僕は、真剣に考え込んでしまった。
酔っ払いばかりだけれど、今のギルドの面々を結構気に行っている僕がいた。
突拍子がないことも言うけれど、なんだかんだで面倒見の良い歌世。
寝てばかりいるけれど、相談すれば的確なアドバイスをくれるゴルトス。
歌世とゴルトスが揉めかけたらさりげなく話題を変える、頼れるお兄さんといった感じのシュバルツ。
そして、歳が近くて話題に困らないヤツハ。
四人とも、僕の大好きな相手だったのだ。
「うーん、別れもあれば、出会いもあるよ」
ヤツハが、もっともらしいことを言う。
「もう見送りムードなんですね?」
「だって、止められないでしょ。シンタくんも、新しい経験をして良い頃だよ」
ヤツハは、穏やかな表情でもっともらしいことを言う。
(結局は、必要とされてないんだよな……)
それを、惜しいと感じてしまう僕がいた。自分が彼女の相棒のシュバルツだったらどれだけ楽しいだろうと、何度思ったかわからない。
その夜、ヤツハは、皆が集まるのを見計らって、僕の送別会を開こうと提案した。逃げ道を徐々に塞がれているという実感があった。
「いや、まだ行くと決めたわけじゃないんですけどね」
僕は、そう言って未練がましく周囲に救いを求める。
「行きなよー。そろそろ君も、新しい世界で新しい体験をして良い頃だ」
歌世が、ヤツハと似たようなことを言う。
惜しげもなく太腿を晒すズボンをはいて、猫耳に猫の尻尾をつけたキュートな格好をしている彼女だが、中身は男勝りの酔っ払いだ。その金の目が、僕を穏やかに見つめている。
「ここは常連さんだけが集まる閉じたギルドだからね。人が出入りする生きたギルドというものに君も触れても良い頃だ。そもそも、私、こんなに長く君が残るとは思ってなかったし」
余計な一言を付け加えるのが彼女らしい。
「期待されてなかったってことですか?」
「呆れて出てくと思ってた。若い子は酔っ払いが嫌いだろう?」
「確かに、最初は苦手だったけど、今じゃ馴染んでるつもりです」
「まあ、どうせオンラインゲームをするなら、色々な体験をってな。すぐに新しい友達ができて、そっちのが楽しくなるさ。そもそも、俺達のレベルじゃ狩りに付き合ってやれないしなー」
落ち着いた口調でそう語るのは、ゴルトスだ。
どうやら、彼も敵らしい。
「シュバルツさんは、どう思います?」
ここで頼れるのは、兄貴分であるシュバルツだ。彼ならば、仲裁役としてまた違った意見を言ってくれるだろう。有体に言えば、うやむやにしてくれるだろうと思ったのだ。
「飽きるまで上級ダンジョンを巡ってみたらどうかと思うぞ。中級ダンジョンみたいに、ただ集めるだけじゃ潰れるからな。スリリングだ」
(ブルータス、お前もか……)
心の中で僕は嘆いた。ギルドは既に送迎ムードだ。リアルで言えば送別会をやることは最早決定事項で、どの店でそれをやるかを相談している段階だ。
僕はなんだか泣きたくなってきた。
「ヤツハー」
歌世が悪戯っぽく微笑んで言う。
「はいはい、なんですか?」
急に話を振られて、ヤツハは戸惑ったような表情になる。
「あんたシンタくんについてってやれな」
「へっ!?」
ヤツハが珍しく素っ頓狂な声を上げた。彼女のそんな声、僕は初めて聞いた。歌世の表情は、変わらない。むしろ、楽しんでいるように見える。
「あんたもこんな町で隠居してる歳じゃなかろうよ。私達なんかに付き合うよりも、もっとゲームを楽しんで良い時期だ」
「私は歌世さんが傍にいれば、それで十分ですよ……」
とたんにヤツハは、か細い声になった。
「二人でしばらく冒険してみな。多分、全然違った景色が見えるだろうからさ」
「そうだな、それが良い」
「そうそう。お前はもっと外で友達を作るべきなんだよ」
ゴルトスが穏やかな口調で言い、シュバルツが追い立てるように言う。
僕は、ヤツハを見る。ヤツハも、僕を見ていた。
多分、お互いに情けない表情をしていたに違いなかった。
首都の大通りは、人ごみに溢れている。川のようなその流れに抗いながら、僕とヤツハは道を歩いていく。
前を先導するのは、シズクという女性だ。キャミソールの上に皮のジャケットと言う、暑いんだか寒いんだか良くわからない格好をしている。多分、優秀な装備を選んだ結果そういう組み合わせになったのだろう。
そのうち、シズクは路地裏に入って行った。その後についていくと、彼女は既に酒樽の上に座っていた。彼女の左右の足が、前後に揺れる。その動きは歌世の尻尾のようで、その子供っぽさも、どこか彼女に通じるものがある。
「ようこそ、アメノシズクへ。新規加入者は大歓迎。ギルド狩りは週一度。面倒臭いと思ったら参加しなくて良いよ」
「ギルド狩りなんてあるんですか……」
僕は驚いていた。
「ああ、自由参加だからね? 気にしないで良いんだよ?」
「いえ、そういうのあるんだなーって感心したんです」
なにせ、前のギルドのマスターの歌世と、サブマスター的ポジションのゴルトスは、ギルド狩りどころか狩りそのものをしなかったのだから。彼女達ときたら、いつも夜に集まって酒を飲むことしかやらなかった。若いシュバルツとヤツハも、たまにクエスト攻略や狩りに出かけていたものの、溜まり場でカードゲームなどに興じている時間のほうがよほど長かった。
「禁止事項は、ギルド名をからかうことかな。私だって好きでこの看板を背負ってるわけじゃない。それをわかって欲しい」
苦笑顔でシズクはそう言い足した。それを聞いて、ヤツハが不思議そうな表情になる。
「シズクさんは、ギルドマスターではないので?」
「サブマスターだよ。マスターは不定期接続だから実質ギルドマスターみたいなもんなんだけどさ。んで、お二人はなんでこのギルドに移籍を?」
シズクが、身を乗り出して興味深げに聞いてきた。その視線は、ヤツハに向いている。
「移籍の理由、ですか」
「うん。もしもトラブルがあったなら、先に聞いておきたい。ほら、掲示板とか色々あるからねー」
「ああ、実録、ギルドであった怖い話とかそれ系の」
「そうそう、そういうの。二人で抜けるってよっぽどのことがあったのかもしれないし、後々それでトラブルが起きる可能性があるなら身構えておきたい」
「その点は大丈夫ですよ」
ヤツハは表情を崩して、事情を説明する。それを聞いて、シズクは納得したようだった。
「なるほど、お互いメインキャラは元のギルドに置いてるんだね。シンタくんが上級ダンジョンに混ざろうと思ったから、首都にギルドを求めたと」
僕もヤツハも、アメノシズクに参加させたのはサブキャラだった。僕が聖職者で、ヤツハは魔術師。お互い、レベル五十前後だ。
「メインキャラを他に置いてあるのは失礼でしょうか?」
「大歓迎よー。人数が増えたほうが賑やかだしねー。ちなみに、別キャラは何を持ってるの?」
シズクが、興味深げに聞く。
「魔術師ばっかりです」
「おおう、魔術師オタか」
「そういうわけでもないんですが……まあ、結果的にはそうですよね。ちなみに良く組んでた人は、聖職者ばっかり作ってました」
ヤツハは、そう言って苦笑する。
そういえば、彼女はいつも後衛だ。その理由を、聞いたことがない僕だった。シュバルツならば、事情を知っているのかもしれない。
シズクは満足したようで、ギルド全体の会話モードに切り替えた。
「皆ー、新しいメンバーが参加したよー」
すると、世界のあちこちから声が飛んできた。
「よろー」
「よろしくー」
「レベルいくつー? 一緒に遊べる人ー?」
「よろしくねー」
「よろしくお願いします」
僕は挨拶の数々に返事をしつつ、感心してシズクに声をかけた。
「賑やかなギルドですね」
「これからどんどん増えてくよ」
少し誇らしげにシズクは言う。
いつもログインした時、ギルドにいるのはヤツハだけだった。社会人達のログイン時間は遅く、皆が集まるのは二十二時過ぎになることもあった。
けれども、今は十九時だというのに、このギルドには人が沢山いる。
それに感動してしまった僕がいた。
正直、僕は、この環境を楽しみ始めていた。
「良いかいシンタ。狩りのペースを握るのは前衛だ。前衛がいかに敵を耐えられるかによって狩りの難易度も効率も変わってくる。脆い前衛なら狩りが成り立たない。しかし前衛さえ倒れなければ狩りは成り立つ。責任は重大だよね」
「後ろに敵が現れて仲間が全滅しても、心の中で泣いて、回復アイテムを叩いて一人生き残って味方の建て直しを図る。それぐらいの生存能力と財力が前衛には必要だ。中々わかってもらえないんだよな」
そう語ったのは、歌世とゴルトスだ。
「良いかー、シンタ。聖職者をやるなら覚えておけよ。狩りのペースを握るのは支援だ。支援のスキルが一秒早いか否かで味方が倒れることもあるし、頼りになる支援だと思えば前衛はガンガン釣れる。パーティーの舵取り役としてなくてはならない存在、それが支援職なんだ」
そう語ったのは、シュバルツだった。
「狩りのテンポを握るのはやっぱり後衛じゃないかな。詠唱開始のタイミングがあるし、どれだけ殲滅力があるかも問題だよね。その為に武器は最上級のものが欲しくなるし。ヒットポイントが元々低いから、位置取りや緊急回避の判断力も求められてくる。なのに、事故で死んだら装備が脆いんだろうとか言いがかりをつけられたりもする。中々わかってもらえないんだよね」
そう語ったのは、ヤツハだった。
つまるところ、各職色々思うところはあるということだ。
上級ダンジョンに野良パーティーで通い始めたその頃、その意識差によって起こった喧嘩によって、僕はやる気を失っていた。
経験値効率の良いダンジョンだ。集まるのはやはり、真剣にゲームをプレイしているゲーマーで、その分衝突した時にはエキサイトする人がいる。
そういう状況がなんだか怖くて、僕は上級ダンジョンから足が遠のいていた。
いや、騎士で何度も通っているうちに、回復アイテムを買うお金もなくなった、というのが正直な所だったかもしれない。
上級ダンジョンはやはり敵からのダメージが大きく、パーティーを成り立たせるには、ゴルトスの言う通り財力が必要だった。
聖職者のキャラで溜まり場に座ってぼんやり会話に興じていると、ヤツハが帰って来た。ギルドメンバーと狩りに行ってきたようで、三人で連れ立っている。
「ただいま」
にこやかに言って、彼女は僕の前で立ち止まる。それが、なんだか心地良かった。
「一緒に出かけようか、シンタくん」
「うん、行こうか」
二人で、大通りを歩く。彼女はどんどん先を歩いて行く。
「こっちだよー、シンタくん」
「わかってるー」
人ごみに押されながら、慌てて彼女の後を追う。熟練者の彼女は、人ごみの中でも歩き慣れていた。
そのうち、大通りから離れた大樹の元に二人は辿り着いた。並んで座り、会話が始まる。
ヤツハは僕を何かと優先してくれた。狩りにしても、会話にしても。それが、心地良かった。
後から思えばそれは、進級した生徒が、前の学年から引き続きクラスが一緒になった友達に接近するようなものだったのかもしれない。けれども、この時の僕はその状況に浮かれていたのだった。
「上級ダンジョン、最近はどう?」
「お金が足りなくて……。思った以上に散財するね」
「あー、前衛はそういう点で大変だよね。じゃあ、今日も聖職者で回復アイテムを稼ごうか。魔術師で付き合うよ」
「行こうか」
隣り合って歩くのが、当たり前になっていた。手の距離が、近くなっていた。それを握ることが出来れば、どんなに良いだろう。僕は、そう思い始めていた。
「最近楽しいんだ、シンタくん」
ヤツハは、弾んだ声で言う。
「そう言えば、いつになく狩りに行ってるね」
山の町にいた頃、ヤツハは一人でいる時間が長かった。僕は自分の友達と狩りに行っていたが、ヤツハとはレベルが合わなくて遊べなかったのだ。サブキャラならレベルは合った。けれども、その頃の彼女はメインキャラしか表に出していなかった。他のメンバーが接続する時間が遅いせいもあり、帰ってくると、彼女は一人で座っていることや出歩いていることが多かった。その後、会話に興じることは多かったが、一人でいる時に彼女が何をして、何を感じていたのか、僕は良く知らないのだ。
趣味のクエスト巡りをしていたのだろうか、という気もした。
「皆が誘ってくれるし、シンタくんのお金稼ぎにも付き合いたいしね。なんだか、このキャラを使ってると、始めたばっかりの頃を思い出せて楽しいんだ」
「ヤツハさん、メインキャラは本当廃キャラだもんなあ」
僕は苦笑して答える。
彼女が楽しんでいると、こちらまで楽しくなる。そんな自分に、僕は気づき始めていた。
幸せが壊れる瞬間は、すぐにやってきたのだった。
「新しいギルドメンバーが入ったよー」
シズクの声が遠くから届いたのは、ある日のことだった。
「見に行ってみようか」
大樹の下で語り合っていたヤツハが、穏やかに微笑んで言う。
僕も微笑んで、一つ頷いた。
「もう絶対、お前を手放そうなんて思わない」
そんな、熱っぽい声が聞こえてきた。その声は男性のものだったが、見ると、女性同士のアバターが抱きしめあっている。
ヤツハはそれから少し離れてから、僕に囁きかけた。
「相方同士なのかなー。今の二人」
「そうかもね」
苦笑して、僕は答える。
(俺達って相方なのかな……?)
そんなことを、しばしば思うようになった。
一緒に狩ることが多いし、会話をしている時間は一番長い。お互いがお互いのために、率先して時間を用意している。
相方の条件は満たしているように思える。
(けど、ヤツハさんにはシュバルツさんがいるもんなあ)
結論はいつもそこに辿り着いた。今は突き放された態度を取られているとはいえ、シュバルツはいつもヤツハと遊ぶ間柄だったのだ。
メインキャラのレベルも、僕は二人に大きく差をつけられている。
その間に入り込むことは、無理なように思えた。
それを当たり前のこととして受け取っている僕がいた。何せ、ゲームをプレイした時から、彼らは仲が良かった。今更、自分がそこに入り込めるとは思えない。
ヤツハの手は、近いようで、とても遠くにあるように思えた。握ろうとすればするほど、その手は遠くに行くように思えた。
溜まり場に辿り着くと、そこには黒衣の男がいた。黒髪で髪は短い。体格は細身だが程よく鍛えられていそうだった。
「セロくん?」
ヤツハが、戸惑うように言う。
「ヤツハさん。やっぱりヤツハさんだ!」
セロと呼ばれた男は声を弾ませた。そして、ヤツハに近付いてその手を握る。
「えっと、知り合い?」
酒樽に座っているシズクが、戸惑うような表情で言う。僕も、彼女と似たような表情をしていただろう。
「ええ、昔の……」
ヤツハが、一瞬気まずげに僕を見た。しかし、その視線はすぐにセロに向けられた。
僕は、その仕草だけで、胸に穴が空いたような気分になった。
「ヤツハさん、メインキャラで組めると思うんで、一緒に遊びませんか?」
「えーっ。セロくんそんなにレベル高くなかったじゃない」
驚いたようにヤツハは言う。
「苦労してレベルを上げたんだ。他にも友達を呼べるから、超上級ダンジョンに行けるよ」
「けど、私のステータスは大勢のパーティー向けじゃないし……。知ってるでしょ? 素早さ上げてないから、走れないんだよ」
「身内同士の狩りだからどうにでもなるよ。一緒に遊ぼう、ヤツハさん」
話をぼんやりと聞いているだけで、わかったことがある。
一つ、この男は、高レベルキャラを持っている。
一つ、この男はヤツハを良いダンジョンに連れて行けるネットワークを持っている。
どちらも、僕にはないものだ。
「それじゃあ、久々だし、お呼ばれしようかな……?」
躊躇いがちに、ヤツハは言う。
「うん、どんどんお呼ばれして」
そう言って、セロは微笑んだのだった。