表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

かくれんぼ

作者: (two)

 数十年も前に廃校となったその場所は、完全な闇に包まれていた。怨念や憎悪をかき混ぜたような不快な空気が、そこら中に蔓延している。ヒビ割れのある窓から漏れ出た月明かりは、逆に不気味さを際立たせるだけだ。

 とある(えさに引っかかり、この場所に足を運んだ七人の高校生たち。みな一様に不安がっているが、心のどこかで面白がっている。人間の心理とは常にそういうもので、“そこに留まり続ける者”から見れば、それは愚行でしかない。

「ちょっとぉ……マジで怖くない!?」

「ヤベー、今にも何か出そう。俺もう鳥肌立ってきたわ」

「ああ……私もう帰りたい」

 興奮で大きな声を出しながら歩く男や、青ざめた顔で両腕をさする女。ギシギシと廊下の軋む音を立てながら、七人は夜の廃校を進んでいく。

 ふと、沈黙を恐れたのか1人の男が口を開いた。

「つか、ここって小学校だろ? 噂じゃ、白のワンピースを着た少女が出るって言ってたけどよ」

「俺もそう聞いたー! あれだろ、夜な夜なこの学校にやってくる人間の前に現れるっていう! ……しかも、その女の子が結構ヤバいんだよな」

 急に声のトーンを低くして男が言うと、周りに緊張が走った。怖がらせようとする気が滲み出ているが、男は話を続ける。

「なんでも、急に現れるその少女は『かくれんぼ』をしようと誘ってくるみたいなんだ」

「か、かくれんぼ? そりゃあ確かにガキっぽい遊びだな」

 せせら笑う男を他所に、話は続く。

「少女は言うんだ。『鬼はあなた達の中の誰か。それは私が決めるけど、あなた達には教えないわ。それから先は普通のかくれんぼと同じだけど、強いて言うなら……』とね」

「ちょっと、強いて言うならなんだって言うのよ」

 途中で言葉を区切ったせいで、肝心の最後を聞けなかった。一人の女が不満を口にすると、周囲もうんうんと頷く。人の心理で考えれば、気になるのも当然だろう。男は軽く鼻で笑ってみせた後、「そりゃーモチロン」と軽い口調で続ける。

「「鬼に見つかったら死んじゃうってこと」」

 男の言葉と、もう一人の声が重なった。しかも周囲の人間にはそれが、『幼い少女の声』に聞こえた。

「え……さっきの声は?」

「あ、明らかに聞こえたよな? お前の声に混じってよ……」

「じゃあ、さっきの声ってもしかして……」

 高校生たちは必死になって周りを見回した。だが、少女らしき人物の姿など影も形もない。だんだん焦りが募ってくる、彼らは初めてここに来たことを後悔した。

「──いまさら後悔したって遅いけどね」

 いつの間にか、彼らの後ろに少女は立っていた。白のワンピースを着た、小学三年生くらいの年齢の少女。その肌は白く、透き通っている。腰まで伸びた黒髪が、細やかな動きに合わせて揺れた。

「ひっ、ひぃ! 目、目があ!」

 一人の男が、少女の顔を指差して叫んだ。見ると、その少女の顔には目がなかった。眼球が抉られたように真っ黒で、一筋の光すら帯びていない。ニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべ、少女は体を前へ前へと進める。

「さぁ……始めましょ?」

 そして、彼女は言うのだ。




 ***


「かくれんぼをね!」

「…………ふーん」

 その話のオチは、何とも微妙な所で終わった。眼鏡をかけた青年と、心底つまらなそうに聞いていた顔立ちの良い青年。二人は、教室にある一つの机を囲うようにして対峙している。

「そんでよ、紘一(こういち)。その高校生たちは結局どうなったんだ?」

「よくぞ聞いてくれたな、優治(ゆうじ)。モチロン、この話には続きがあるんだ」

 紘一と呼ばれた青年は、眼鏡をくいっと中指で持ち上げた。何やら長くなりそうだと察した優治は、自分から訊いておきながら紘一の話を聞き流した。

 もう夏場になり、教室の窓の外ではセミたちの合唱が行われている。紘一の怖い話で暑さも吹っ飛ぶかと思っていたが、全然そんなことはなかった。

「……おい。つか、お前この話聞いたことないの?」

 優治は首を横に振った。

「まぁ、この町で一番の心霊スポットって言われてるぐらいだしな。知らない方がおかしいだろ」

「そりゃな」

 『廃校になった小学校に現れる、白いワンピースの少女』の噂。二人の通う学校だけでなく、町全体で有名になっていた。嘘か真かも分からない数多の噂が飛び交い、夏はいつも話題の種となる。遊び半分で本当に行ってしまう奴もいるが、帰ってきたかどうかまでは優治は知らない。

 あの廃校に入れば、生きて帰ってはこれない。

 白いワンピースの少女に追いかけられ、捕まると殺される。

 あの小学校ではかつて、通っていた小学三年生の少女が殺害される事件があった。

 ……などなど、優治が聞いただけでもキリがないほど噂が多い。だが、その中で最も有力視されている説がある。

 それは、『白いワンピースの少女とかくれんぼをする』という説だ。得体の知れない謎の少女とのかくれんぼ。壁をすり抜けでもされたら人間に勝ち目の無いゲームだが、噂では違う。

「なんでも、オニは人間がやるって話だからなぁ。その少女は隠れる側って、意味分かんねぇよな」

「……それだって噂の範疇(はんちゅう)でしょ。そんな少女いるかどうかも分からないのによ」

 優治は完全にオカルト等の類いを信じないタイプだ。呪いやら心霊やら黒魔術やら、そういうのを嫌っている。あやふやなモノは全て信じず、目に見えるモノだけを見て育った。そんな優治が興味を持たないのも、また当然だ。

「じゃあ、行ってみようぜ! 今夜!」

「……はぁ?」

 そして、紘一という眼鏡の男とは正反対だった。彼は心霊やら噂などが大の好物で、何にでも飛びつく。何者にも縛られず、自分の思うがままに生きてきた。そんな紘一が「行こう!」と言い出すのも、また当然だ。

「話聞いてたか? そんな少女いるわけないし、仮にいたとしてどうする?」

 紘一とは長い付き合いのため、呆れ顔になって優治は訊ねる。度々こう言い出してしまう紘一を、なんとか説得しようと考えていた。

「どうするって、そりゃ……かくれんぼだろ」

「その少女が本当にかくれんぼをしようと誘ってくると思う? 実は包丁片手に持っていて、行った瞬間に殺されるかもしれないじゃんか」

 身振り手振りで分かりやすく伝えようとする優治に、紘一は「あ、そっか」と頷く。あっさり終結しようとしていた時、教室の端から声が投げられた。

「おーい、なに面白そうな話してんの? 私も混ぜてよ」

 茶髪のショートカットで、ピアスやら何やら洒落た恰好をした女生徒がやってくる。彼女の姿を見るなり、優治は顔をしかめ、紘一は「よう」と軽く挨拶をした。

「よう、紘一。あんたさっき面白そうなこと言ってなかったか?」

 右手を軽く上げて挨拶をすると、彼女は勢いよく近くの椅子に座った。短いスカートを穿いているのにも関わらず、脚を組んで優治達の方を見る。

「……いや、面白そうなことなんて何も言ってないさ、真衣(まい)。な、紘一?」

 真衣からは目を逸らし、視線を紘一に向ける。彼女が来てしまったことで面倒なことになった、と優治は焦っていた。ここで紘一に余計なことを言われると不味い。0.1ミクロン程度の薄い希望を胸に、優治は願った。

「そうだ、真衣も一緒に行こーぜ。例の廃校になってる小学校! 俺と優治はもう決まってるから」

「よっしゃ、私も行く!」

 0.1ミクロン程度の薄い希望は、夏の暑さに溶けて無くなった。ただ、そんなことより優治には引っかかることがある。

「ねぇ、紘一。なんでオレもお前の頭数に入れられてるワケ?」

「いやぁ、お前なら来てくれるかなって思ってよ!」

 満面の笑顔でそう言い放つ紘一に、優治はちょっとだけイラッとした。だが、こうなってしまえばもう断れない。特に真衣がいる前でそれは絶対出来ないと確信していた。

「オレたち高校生にもなって……まさかの肝試しか。つか、三人でやるのか?」

「まさか。私はあと一人呼ぶつもりだよ。紘一、あんたは?」

 真衣に声を掛けられた紘一は、眼鏡を中指で持ち上げつつ言った。

「俺は四人だ! すげーだろ、尊敬しろ!」

「いやいや、そんなにいてどーすんだよ。全員オレの知ってる奴なんだろーな?」

 親指を立てる真衣と紘一。はぁ~と深く溜め息を吐いた優治は、一抹の不安を抱えていた。

「とにかく! まだ昼休みなんだし、午後の授業を乗り切ってから話しろ!」

「お、きょう金曜日じゃん。真衣、小学校から帰ったら俺んち来ない?」

「行くかよ、バカ紘一。死ね」

 そんな下らないやり取りが、優治の不安を増幅させていた。──勿論、二人は気付いていない。


 遥か視線の先で輝いている夕日を見ながら、優治と紘一は下校していた。肩に学校の鞄を下げ、重い足を動かし続ける。二人とも無駄なお金を使いたくないため、バスや電車を使わない。自転車は紘一の物が1ヶ月ほど前にパンクして、それ以来歩くようになった。ちなみに、優治はその道連れだ。

「──もう、あの小学校行くの面倒臭くなってきたんだけど。ドタキャンしていい?」

「いいわけあるか。お前だけは何が何でも来いよ、オレは分かんないけど」

 分かんねーのかよ! とツッコむ紘一を横目に、優治は歩を進める。……と、後ろから誰かが走ってきている気配に気付いた。隣にいる紘一は無関心で、呑気に口笛なんか吹いている。きっとランニング中の人かなんかだろうと思っていた。

「ひゅっひゅひゅ~。ひゅひゅひゅー」

 何の曲かは知らないが、ド下手くそな口笛を吹いている紘一。そのとき優治は、後ろから走ってきている人のペースが一気に速くなったと感じた。

 が、気付くのが遅過ぎた。

「──食らえ! 必殺ドロップキィーック!」

「ひゅ……ぐへぇ!」

 勢いよく助走をつけて、タイミング良く地面を蹴り、両脚で紘一の背中を蹴りつける。機嫌良く口笛を吹いていた紘一は、短い悲鳴をあげて倒れ込んだ。眼鏡がその1メートル先まで飛ぶ。日常生活で見ることなど決してない筈の技だが、この世にはそれを成してしまう奴がいるのだ。

「……なんで蹴ったんだよ、杏南」

「え? いや、理由なんてないけど」

 優治たちと同じ学校の制服を着た女子生徒は、首を傾げてそう言い放った。地面にキスをしている不様な紘一の姿など、眼中に無いようだ。優治は少しだけ、紘一に同情する。

「……くっ! 同情するなら金か体をくれ!」

「同情なんてするか! くたばれ!」

 起き上がるなり襲いかかってきた紘一の顔面に、すかさず蹴りを入れる杏南。優治がさっきまで抱いていた同情の気持ちは、煙のように消えて無くなった。

「もうやだ……。杏南、なんでお前はいつもそうなんだよ……」

「紘一がデリカシーの無いこと言ってるからだろ。セクハラで訴えられないだけ良いと思え」

「優治の言うとおり!」

 高校では陸上部に所属している中村杏南は、運動神経が誰よりも良かった。なにかの記録会では、陸上の歴史を塗り替える程の最高記録を叩き出したと聞いている。確か短距離だったと思う。

 ただ、そんな人間の蹴りを受けられるなんて、むしろ紘一は幸せ者なんじゃないかと優治は思う。絶対イタいだろうな、とも思う。

「そういや、杏南はなんでここまで来たんだ? まさか紘一を蹴るだけだった、とは言わないだろ?」

「モチロン! わたしも真衣ちゃんに誘われたんだよ、肝試しに」

 帰路を歩きながら、優治たち三人は話をしていた。車の通りが少ないその道は、何も喋らなければ不気味なほど静かだ。住宅地ではなく、周りには自然しかない。時々、木々のざわめきと森の奥から鳥の鳴き声が聞こえる。夜は絶対に通りたくないと、遅くまで部活をやっている生徒は言うらしい。

「それで、今日は練習も短いし、歩きで帰ってるっていう二人の所に来たわけ。ついでに紘一も蹴りに」

「結局、俺を蹴る予定も入ってたのかよ……」

 ガックリとうなだれる紘一を無視して、優治は話を進める。

「あれ、杏南の家ってこっちの方だったか?」

「ううん、違うよ。だけどウチからあの小学校って結構遠いから、親に連絡だけしてコッチに来たの。夕飯はコンビニで買うし、みんな揃うまではランニングでもしようかなって」

「ああ、なるほど。でも、暗くなってから一人でいるのは危険だ。気をつけろよ」

「お、なんなら俺んち来るか? 俺の部屋なら超安全だぜ?」

「誰が行くか! むしろそっちの方が危険だわ!」

 軽い冗談ですら本気に聞こえてしまう紘一の言葉に、杏南は全力で拒否する。

 段々と車の通りも多くなり、視界に広がっていた緑も疎らになった。住宅もあちこちに見られ、そろそろ紘一達と別れることになるだろうと優治は思う。

 ──と、視界の先で重そうな荷物を運ぶ年配の女性を見つけた。考えるよりも先に、脚が動いた。

「あ。また後でな、紘一、杏南。オレちょっと行ってくるわ」

「おい優治、どこ行くんだよ?」

「あそこにいる婆ちゃんの手伝いだよ。安心しろ、バックレたりはしねーから」

 そう言うと、紘一はやれやれと息を吐いた。優治の性格で言えば、なんら不思議な行動ではない。それを紘一は分かっている。

「集合場所は紘一の家近くのコンビニ、時間は9時。忘れんなよー」

 紘一の呼びかけに、優治は手を振って答えた。それを見て紘一が口を開く。

「……にしても優治って、本当に世話好きって言うか……そういう性分なのかね?」

「分かってないなぁー、紘一は。優治は素であれができるから、女の子にもモテるんだよ」

「え、マジで!?」

「マジマジ。紘一も見習わないといかんよ~?」

 和気藹々と話す二人の間には、緊張感の入り込む隙すらない。『本当にあるのか?』 と疑われる噂を、“絶対に起こり得ないモノ”として考えている。だから、これから行く肝試しに何の緊張感も抱かない。

「──こんにちは、お婆ちゃん。荷物をお持ちしますよ」

「おぉ、ありがとうねぇ……若いのにしっかりしてるもんだよ」

 それは、この優治という男も全く同じだった。


 ***


 独特の雰囲気を醸し出す夏の夜。昼の暑さがなりを潜め、やってきた冷気が体を包む。真っ暗闇の中で一際輝く丸い月が、やけに不気味に見えた。コンビニの存在感が異様に際立っているが、それはコンビニの仕様だからしょうがない。

「お、優治。おせーよ」

「悪い悪い……って、このメンツは何だ?」

 優治は待ち合わせ場所に到着するなり、早速呆れた顔をする。この場に集まっていたのは、優治も合わせて8人。学校で会った紘一、真衣、杏南の他に4人いた。

「まずは大輝。テメー不良のくせに何でこんなモンに参加してんだ?」

「紘一に誘われたんだよ。後で“絶好の喧嘩スポット”を教えてもらうって話でな」

 優治の目線は、背が高く体つきの良い男に向けられていた。優治の言う通り、学校では名の知れた不良で、喧嘩が何よりも好きだ。なぜ退学にならないのか、優治は何度も不思議に思う。

「おい、優治! 大輝さんにその口の効き方をするんじゃない!」

「そうだぞ優治! 大輝さんにボコボコにされたいのか!」

 大輝の両端を陣取るように立ち、ちっちゃい男子が二人喚いていた。この二人も同じ学校に通う生徒で、大輝の取り巻きだ。と言っても、大輝が呼んだのではなく、彼らが勝手に付いて来ているだけらしい。

「おい、真一郎に総司。オレがお前らの先輩だと分かっていてその口の効き方なのか?」

 優治たちは二年、この二人の取り巻きは一年だ。そこそこ付き合いがあるにしても、優治はそういうことに厳しい。相手を威圧するような目つきで詰め寄る。吊り目で黄色い帽子を被っているのが真一郎、垂れ目で赤い帽子を被っているのが総司だ。二人は苦笑いを浮かべながら後退する。

「「い、いや~……スミマセン優治先輩……。ちょっと調子に乗りました……」」

 二人同時にペコペコと頭を下げた。優治と会った時はいつもこんなやり取りをしているため、周りは誰も気にしない。みな自分勝手に雑談を始めていた。

「──おい、優治。あと一人忘れんなよ」

 優治の肩をトントンと叩き、耳元で紘一がそう言った。大輝と取り巻きは合わせて3人。あと一人足りないことに優治は気付いた。

「あと一人? 紘一が呼んだヤツだろ? えーっと…………え?」

 優治の隣で、紘一はニヤニヤしていた。

 コンビニから漏れる照明が照らすのは、整った可愛らしい小顔。時には小学生に見間違えられる程に背丈が低く、体つきも華奢(きゃしゃ)だ。肩に掛かる程度の黒い髪が、微かな動きに合わせて揺れる。

「千尋……お前まで呼ばれていたのか」

「あ、優治! こんばんはー」

 名前を呼ばれて振り返った千尋は、細い腕をピシッと上げた。それでも、優治の身長には届かない。それがまた、優治の心を惑わせた。

「おい……紘一。ちょっと来いよ」

「ん? なんだ?」

 紘一を集団より少し離れた場所まで引っ張り出し、事情聴取を始める。

「なんで千尋を呼んだ?」

「そりゃー、お前がアイツを好きだからだろ。連れて来ないわけがない。……なんだ、顔が怖いぞ。むしろ俺はお礼を言われるべき立場じゃないか?」

「ああ、紘一の言い分も分かる。が、別にこの日じゃなくてもよかっただろ」

 チッチッチッ、と紘一は人差し指を横に振る。優治はイラッと来た気持ちを抑え、とりあえず話を聞くことにした。

「お前なぁ~、肝試しだぞ? 心理学でいう所の『吊り橋効果』ってヤツだよ。何とか二人で行動できるよう計らってやるから、あとはお前次第だよ」

「余計なお世話……とは言わないようにしてやるよ。センキュー」

 優治は素直にお礼だけ言った。友人の粋な計らいに、そのまま便乗することにする。

 これで全員が揃い、早速あの小学校に向かって彼らは歩いた。紘一や千尋が持ってきた懐中電灯を頼りに、暗い夜道を進んでいく。彼らは“肝試しが始まる”という雰囲気を、十分に堪能していた。

「うぅ……だんだん家とかも無くなってきたね……」

 びくびく怯えながら、千尋はそう口にした。住宅の外灯や照明がなくなり、視界はいっそう暗くなる。気温も夏とは思えないほどに低くなっていた。

「あの小学校はもうちょっと先みたいだな。周りは森しかないみたいだから、もっと暗いぞ」

「ちょっと止めてよ優治ー。わたし怖いー」

「止めろはコッチの台詞だよ、杏南。お前が一番逃げんの速いんだから」

 「別に逃げないよ!」と杏南から蹴りをもらう紘一。緊張感があるのか無いのか、場は少しだけ和んだ。

「ん?」

 歩いていると、真衣が何かに気付いたように声をあげた。皆が何だと訊ねると、彼女は視界の先を指差して言う。

「あそこの小屋、スッゴい不気味じゃない?」

 指の先には、朽ち果てた木造の小屋が立っていた。腐敗してボロボロになり、いつ倒れてもおかしくない。普段なら気にならないような小さな建物が、ここでは異様な恐怖を放っていた。

「ホントだ……おい、真一郎と総司。お前ら見て来いよ」

「「えっ!? い、いやですよそんなの! ほら、大輝さんなら行ってくれるかも!?」」

 縋るように大輝を振り向く2人に、大輝は冷ややかに言い放つ。

「断る」

 結局、早足でその場をあとにした。


 ***


 ギシ──ギシッ。木で作られた床が軋む音。

 バサバサッ──キキキッ。羽を持った生き物が鳴きながら飛び立つ音。

 うぅ……うぅおぉ……。聞き覚えのない女性の呻き声──は聞こえない。

「おい……中に入ったはいいけどよ。これからどうすんだよ優治?」

「オレが知るわけないだろ。つか、行こうって言ったのはお前だろ?」

 今は廃校と化した小学校は、優治の言った通り一面森に覆われていた。千尋や杏奈が怖いと言ったため、全員で猛ダッシュして校舎に侵入。どこに何の部屋があるのか分からないまま、彼らは足を前へ進めている。

「つーかさ、紘一はウワサの『少女とかくれんぼ』がしたくてココに来たんでしょ? じゃあ少女を捜すしかないじゃん」

 真衣の言葉でみな納得し、行動方針が決まる。噂となる少女を捜して、かくれんぼに誘われるのかどうか。という目的で、校舎をグルリと一周する。二階建てのこの校舎で、そこまで長い時間はかからないだろうと彼らは思っていた。

「じゃあ、2人1グループで行動しますか! いまもう10時50分ぐらいだから、手分けした方が捜しやすいだろうし!」

 歩きながら、紘一は大きな声でそう提案した。優治にはそれが、自分が千尋にアプローチするための計らいだと直ぐに分かった。

「じゃあ、俺は大輝とな! 真一郎と総司! お前ら、いつだって2人で一つだろ!」

 ほとんど強引に2つのグループを作った紘一は、優治に目配せを送った。その視線には「あとは頑張れよ……」という思いが感じられ、優治は強く頷く。

 残ったのは優治と女子三人。真衣と杏南の2人は、優治が千尋を好きだということを知らない。だから、空気を読んでもらうことはできなかった。それはつまり、優治が誘わなければ一向に進まないということだ。

 優治は息を呑み、覚悟を決めた。

「あ……おい、千尋。オ、オレと────」

「ねぇ、アナタ達……そこ、で、何してるの?」

 優治の言葉を掻き消すようにして、その声は響いた。この場にいる誰のものでもない、幼い少女の声。その声を聞いた8人は、一気に心臓が凍りそうな程の寒さを感じた。

「だ、誰……? いま喋った人……」

 真衣が問う。どう考えても女子の声に聞こえた男子達は、辺りを隈無く見回している。そんな彼らの額には冷や汗が滲んでいた。

「な、なぁ……まさか本当に出ちまったとか言わないよな……? え、ウソだろ? だってオレ……」

 その声は震えていて、紘一の顔は今にも泣きそうだった。言い出しっぺが何を言っているのかと、優治は本気で思った。

「まぁまぁ、落ち着けお前ら。8人もいるんだ、誰かがそーいう用意しててもおかしくない」

 ざわめく周囲を(なだ)めるように、優治は呼びかけた。彼にとってはヒドく下らないことだと感じていた。知らない少女の声なんて聞こえるわけもない、こういう場所に来たことで神経質になっているのだと。優治は声を大にして、他の全員にそう伝えた。

「例えば紘一、お前が最初に行こうって言ったよな。今はそうやってビビってるフリしてるけど、本当はお前だろ? 事前に何かで録音して、さっき再生した。だからお前は今レコーダーか何かを持っているはずだ」

 眼鏡の奥で光る紘一の目を見ながら言う。優治の言葉を聞いている紘一の顔には、恐怖や焦りが見受けられた。

「……ちょっといいか」

「お、おいやめろ──っ!」

 優治は紘一に近付いて、ズボンや上着のポケットを漁る。紘一も抵抗するが、優治の力の方が強かった。

「──ホラ、な」

 紘一の穿いているズボンの左ポケットから、優治の手が姿を現す。──その手には、直方体の形をした物体が握られていた。

「そ、それって……」

 杏南が思わず声をあげた。優治の手に握られていたのは、小型のレコーダーだったのだ。紘一にそれを差し出すと、彼は悔しそうに歯を強く噛んだ。そして、やけくそ気味にこう言う。

「……じゃあ、再生してみろよ」

 優治たちからしてみれば、そんなことをする意味があるのかと思った。このレコーダーに入っているのは、先ほど聞こえてきた少女の声。それとあと2種類くらいだろうと思っていた。

「じゃあ、再生するぞ……」

 優治は恐る恐る、再生のスイッチを押した。

『──ザッザザッ──うぅ……ううぅ……ザッ……うぅおぉ……』

 まず最初に聞こえたのは、若そうな女性の呻き声だった。壊れているのか、録音時の環境が悪かったのか、ノイズが混じって聞こえる。だが、これだけでもじゅうぶん雰囲気は出るだろう。さて、次は──。

「あれ、次は?」

 一回目の呻き声が聞こえたあと、レコーダーは静かになった。優治は紘一を振り返って訊ねる。

「次なんて、入ってねぇよ──」

「え?」

 紘一の言葉に、一同は瞠目する。先ほど再生されたのは、若い女性の呻き声だった。決して幼い少女の声なんかではない。犯人扱いを受けて怒っているのか、半ばキレながら紘一は言う。

「そうさ、俺はお前らを誘う前にこの音声を録音した。ちょっとでも怖い要素があれば、楽しくなるかなって思ってたんだよ……っ!」

 優治を含め全員が絶句していた。紘一の言葉なんて半分も耳に入っていなかった。

「だって……それって……」

 口元を押さえながら、真衣が言葉を出せないでいる。今すぐこの場から離れたくても、脚が動かない。

「──いやいやいや、有り得ない! 仮にそのレコーダーに音声が入ってないとしたら、さっきの声は生きてる人間だったと考えるしかない! そうだ、この夜の小学校に一人の幼い少女がいる、これは大問題だ! 捜しに行こう!」

 その中で唯一、優治だけはよく喋った。叫ぶように声を張り上げ、身振り手振りを交えて論説している。大輝は「……やかましい」と静かに呟いた。

「さ、何してる!? 早く見つけないと事件の可能性だって────」

「……ねぇ、かくれんぼをしましょう?」

 今度は、優治にもはっきり聞こえた。それも当然、その声は耳元に(ささや)くように聞こえたからだ。優治は心臓が止まるかというほど驚いて、勢い良く振り向く。

 が、そこには誰もいない。

「……え?」

「オニは、アナタ達のなかの誰か……。オニが誰かは、わたしが決めるけど……アナタ達には教えない……」

 姿は見えなくとも、どこからか少女の声がする。レコーダーでは再現できないようなリアルの声が、聴覚を刺激する。8人は恐怖すらも忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。

「オニに見つかれば……オニじゃない人は、死ぬ……。これ、じゅうよう……」

 覇気のない、途切れ途切れの声。これが死人の声なのかと、その場にいた数人が思った。

「……あ、ひ、いる……」

 千尋がふと何かに気付き、廊下の奥を指差した。その先には、青白く光るヒト型の物体が立っている。

 目を凝らすと、それがワンピースを着た少女の姿だと分かった。その姿は半透明で、後ろにある教室の扉が透けて見える。噂で腰までだったが、目の前の少女は黒髪を床にべったりとつけていた。だが、注目すべきはそこじゃない。

「「目……目が無い……」」

 真一郎と総司が驚愕の面持ちでそう呟き、体を震わせる。少女の顔には、2つの真っ黒い空洞がポッカリと空いていた。それは丁度、人でいう目がある部分だった。

「詳しい、るーる……あとで……伝える」

「え……? あっ──」

 『あとで』という言葉の意味を理解する前に、優治たちは突然その場に倒れ込む。半透明の少女は、その口元を少しだけ緩めた。

「わたし、も……隠れる。それまで、じゅう秒……」


 ***


 目を開けると、そこは自分の部屋──というわけではなかった。腐ってボロボロになった木の床から、優治は上体を起こす。

「あれ、ここは……。オレ、あそこで知らない少女と出会って……」

 気付いたら、ここで寝ていた。周りには自分一人で、近くに人の気配はしない。完全に一人っきりにさせられてしまったのだ。

 割れた窓の外を見ると、ちょうど月が見えた。夜はまだ長く、日が昇るのは待つなら早く帰るべきだと思った。

「それにしても、あの少女は誰だったんだ……ん?」

 優治は、足元に一枚の紙切れが落ちていることに気付いた。拾い上げ、持ってきた懐中電灯で照らした読んでみる。

 その紙に書かれた内容は、以下の通りだった。


『 るーる


 ◦オニはアナタ達の中の誰かから決まる。オニが誰なのか、それはアナタ達の誰にもおしえない。


 ◦オニと目が合ったヒトは、『死ぬ』


 ◦隠れられるのは校舎内だけ。タイムリミットは『日がのぼるまで』


 ◦オニは、アナタ達の中の一人だけじゃない。気をつけてね。


 かくれんぼの終了条件


 1 オニが死ぬ。


 2 オニ以外のアナタ達全員が死ぬ。


 3 アナタ達全員が、────────。

                    』


 薄い紙には、そう書かれていた。三番目の終了条件は、塗り潰されていて続きが読めない。優治は読める部分の内容を理解し、絶句する。

 ──オニと目を合わせた者は死ぬ。そんなこと有り得ないと、優治は即行で否定した。

 もとより、優治はさっき出会ったばかりのあの少女のことも信じていない。紘一でないとすれば、他の誰かに違いないと思っている。

 なぜあの少女は半透明なのか。

 いつの間に、どうやって優治たちは別れ離れにされたのか。

 これらの不可解な現象について、優治は何も考えていなかった。

「……今は11時20分。日が昇るまでまだ時間はあるな」

 持ってきた携帯電話の表示を見て、優治はそう言った。電話やメールも出来るかと思ったが、何故か圏外だったため使えない。

「とりあえず、人とは目を合わせないようにするか。例えタダの噂だとしても、死ぬのは怖いからな」

 ブツブツと独り言を呟きながら、優治は薄暗い廊下を歩き出した。


 ***


 眼鏡のレンズをハンカチで拭きながら、紘一は考える。彼の視線の先には、足元に落ちていた例の紙があった。

「るーる……オニは俺達の中の誰か……か。目を合わせたらいけないって、結構ムズくね?」

 廊下で胡座をかき、意外にも冷静な声で紘一は言った。どこか楽しそうに、ルールの書かれた紙に注目している。

「もっと言えば、『 オニは、アナタ達の中の一人だけじゃない。気をつけてね。』ってのが気になるな……。オニは一人じゃないってことか?」

 紘一は隠れることもせず、ひたすらに考えていた。この『かくれんぼ』の本質を良く言えば分かっていて、悪く言えば大胆に間違っている。それでも、彼は熟考(じゅっこう)に時間を注いだ。

 ──と、後ろから声を掛けられた。

「あ、もしかして紘一?」

「……その声は杏南か。いいか、ゆっくり振り向くから目を合わせないようにしろよ」

 そう言って、紘一はゆっくりと後ろへと体全体を動かす。杏南からの返事は無くとも、きっともうルールを把握しているだろうと考えていた。

「……え、なんで?」

「────あ」

 だから杏南と目が合った時、紘一は心臓が爆発するかと思った。次の瞬間、物凄い剣幕で杏南に詰め寄る。

「いや、何でお前はそんなに平気でいられんの!? 心臓に毛でも生えてんじゃねーのか! ふざけんな、俺が死んだらどうすんだ!」

「知るか! あと、心臓に毛なんか生えるか!」

 ちょうど杏南の蹴りやすい位置に頭があり、彼女の回し蹴りが紘一を吹っ飛ばす。杏南にとっては普通のツッコミでも、紘一からすれば殺人未遂だ。いっそ訴えてやろうかと、紘一は思った。

「ぐっ! ──けど、目を合わせても死なないな。俺達」

「つまり、わたしと紘一はオニじゃないってこと? 良かったぁ~」

 数秒間見つめ合ってみても、二人に何の変化もない。紘一と杏南は安堵の溜め息を吐いた。

「でもさ、じゃあこれからわたし達はどう行動すればいいの? そもそも、この『かくれんぼ』はなに?」

 杏南のその質問に、紘一はうなり声をあげた。腕を組み、必死に脳を働かせている。さっき蹴られた反動で、まだクラクラとしながらも頑張っていた。

「……とりあえず、動いてみよう。オニが分からない以上、終了条件も満たせそうにない。まぁ、誰か分かっても殺さないし、殺されないようにするけどな」

「じゃあ、この3つ目のやつを考えるってこと?」

 杏南が落ちていた紙を拾い上げ、問題の箇所を指差して言った。黒く塗り潰されているその場所は、この『かくれんぼ』の新たな終了条件。“アナタ達の全員が、”という言葉の続きが塗り潰されている。紘一はこの3つ目の条件が、『誰も死なない』モノだと紘一は考えていた。

 それは要するに救済処置、誰も死なずに『かくれんぼ』を終わらせる条件だ。ただ、紘一には一つだけ引っかかる点があった。

「……でも、それじゃあまるでゲームだ。さっきの少女には、こうして『かくれんぼ』をしなければならない“何か”があるのか?」

「そうなんでしょ、多分。きっと、あの子は成仏出来てないんだと思う。それで、こういう風に遊んでもらおうとしてるの」

 廊下を踏みつける靴の音がやけに大きく聞こえる。そんな中、言葉を交わし合う二人の気分は沈んでいた。

「でも、やけに冷静に受け入れてるよな、俺達」

「そうなの? わたしはゲーム感覚なんだけど」

 杏南のその言葉に、紘一は少しだけ驚く。杏南がゲームをやるとかやらないとかではなく、この状況でそんな感覚になることに驚いていた。そのため、変な沈黙が二人の間を流れる。

「……いや、死ぬのが怖くないとか、これは夢だとか言ってるんじゃないよ? 目の前で起きたのなら現実で、受け入れなきゃいけないなってわたしは思うの」

「ああ、なるほど……」

 その沈黙を破った杏南の次の言葉で、紘一は納得した。そして、深く溜め息を吐いた。

「どうしたの?」

「……いや、その言葉。あのヤローに聞かせてやりてーなぁ……って思った」

 紘一の頭の中で、誰よりも現実を受け入れられない親友の姿が浮かんだ。同時に、紘一は危惧する。

「もしアイツがオニだったら、酷いことになるぞ……」


 ***


 大輝は高校ではロクに勉強をしたことがなかったが、馬鹿ではない。足元に落ちていた紙の内容を読み取ると、早速動き出した。

「……とりあえず、どっか隠れるか」

 相変わらず感情の窺えない顔をする大輝は、近くの教室に入ることにした。静かに扉を開け、真っ暗闇の教室を見渡しながら奥に進む。目が慣れてくると、そこが理科室であることが分かった。それでも普通を保っていられる大輝には、恐怖という感情が無いのかもしれない。

「暗いし、寒い。どこかに入れる場所はないのか?」

 そう言って探してみるも、大輝の入れそうな場所などどこにもなかった。そもそも身長180を超えているような大男には、隠れることすら精一杯だろう。辺りを適当に歩き回ってから、大輝は溜め息を吐く。

「くそ……来るんじゃなかった……」

 紘一がエサとして“絶好の喧嘩スポット”を教えてくれると言ってきた。たかが廃校に行くだけでそんな場所を教えてくれるなら、安いモンだと大輝は思った。

 だが、噂だけだと思っていた少女が目の前に現れた。大輝も最初は誰かの悪戯だと考えていたが、こうなってしまっては話は別だ。

「どうにかして、早く帰らねぇとな」

 と、その瞬間──バンッ! と理科室の木製のドアが開かれる。大輝は驚かなかったわけではないが、それは表情に出なかった。

 ドアを開けたのは、赤い帽子を被った総司だった。ドアに注目していた大輝と、視線を合わせてしまう。

「ぁ……大輝、さん」

「おう、総司。目ぇ合っちまったな」

 顔面蒼白にして口をパクパクを開閉する総司と、全く気にしていない大輝。まるで、自分が死のうが総司を殺してしまおうが、どっちでも良いと言っているみたいだった。そのため、総司は一瞬だけ背筋が凍った。

「──ッ! いやそんなことより!」

 総司は開けたドアをまた思いっ切り閉めて、大輝の元まで走った。背中に隠れるようにして抱きつく総司の体は、震えている。

「……どうした?」

「あ、あの──廊下に……」

 恐怖に支配された総司は、うまく話すことが出来ない。途切れ途切れの説明を、大輝は黙って聞いていた。

「お、女の子が……いたんです……」

「女の子? 俺達の目の前に現れた奴か?」

「ち、違います……。もっと髪の短い女の子でした……」

 大輝達の前に現れた少女は、床についてしまうほど髪が伸びていた。それより短いということは、恐らく別の少女。まさか幽霊が散髪をしたなんて、馬鹿な笑い話になるだろう。

 総司の話によると、その少女は小学三年生くらいで、廊下にジッと(たたず)んでいたという。

 その少女には目があった。

 だが、下半身は無かった。

 姿だけ視認した総司は、恐ろしくて近くのこの教室に入り、大輝と鉢合わせた。それが、今までの経緯だ。

「それで、その女の子がルールにあった『おれ達以外のオニ』なんじゃないかって、おれは思ったんです。だから慌てて……」

 最後まで話した頃、総司はだいぶ落ち着いていた。震えも収まり、大輝からも体を離している。その話を聞いた後も、大輝は黙ったままだった。

「…………ど、どうかしたんですか?」

「いや、さ」

 大輝は、理科室のドアに目線を集中させている。何を考えているのか全く分からない表情だが、総司には確かにわかった。

 ──確実に、その顔には恐怖が滲んでいた。

「お前さ、入ってくる時、すごい大きな音出したよな」

「え……?」

 間が空いて。理科室のドアが静かに開かれた。


 ***


 優治は、ほとんど無心で校内をさまよっていた。歩き回ってみても、誰かに会うわけでもない。気付けば一時間が経過していて、優治はとうとう馬鹿らしく思うようになっていた。

「くそ……校舎の昇降口は開かねぇし、携帯は何度やっても繋がんねぇし……。どうなってんだよ、畜生……っ」

 髪をガリガリと()(むし)り、優治は苦悩していた。考えても分かる筈のない現象を、必死に自分の中で理解しようとしている。例え考えついたとしても、そんなものは机上の空論だ。それを優治は知らない。

「──あ、優治先輩?」

 廊下の反対側から、真一郎が歩いて来るのが分かる。トレードマークである黄色い帽子のためだ。「目は合わせるな」と言っておき、二人は同時に接近していく。

 小さな声でも会話できるまで二人は近付き、互いに目を合わせないようにする。優治は俯いて下を見て、真一郎は真っ直ぐ正面を見ている。真一郎が死ぬのも、自分が死ぬのも優治は嫌だった。誰よりも慎重に、『かくれんぼ』をやろうとしている。

「真一郎は他の誰かに会ったか?」

「いや、下に落ちてたルールを読んでからずっと歩いてましたが、優治先輩が最初です」

 優治の質問に、真一郎は正確に答える。大輝の取り巻きでもあるが、学校での成績は悪くない。あの8人の中ではそこそこデキる奴だった。

「そうか、いや、オレもなんだがな。……でも、この体勢のまま一緒に行動は出来ないな。いっそ目を合わせてみるか?」

 確率的には4分の1だろ、と優治は笑って言った。自分の緊張を紛らわすつもりで言ったのだが、真一郎は笑わない。どうしたのだろうと思って上を向いてみると、真一郎と目が合ってしまった。

「あ! 悪い……」

 優治は直ぐに視線を逸らすが、またも真一郎は何も言わない。一度目を合わせてしまったからと、優治は顔を完全にあげた。

「あ……うあ……」

 真一郎は顔を真っ青にして何事かを呻いている。一歩、また一歩と後退し、逃げるように優治から離れていく。優治は不安になり、声を荒げた。

「おい、どうしたんだよ真一郎!」

 真一郎は、震える指で優治を指差した。目は涙目で、掠れた声で優治に向かって叫ぶ。

「う、うう、後ろォ! ──後ろだよォ!」

 そう言われ、優治は振り向く。

 何もいない。古びたトイレはあった。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアァァッッ!!」

 耳をつんざくような鋭い悲鳴が、後ろから響いた。優治の耳には、それが誰のモノか全く分からない。

 もう一度振り向く。

「…………え?」

 そこには、誰もいなかった。真一郎はいない。だが、そこには肉のミンチが飛び散っていた。優治にはそれが何なのか本当に分からなかった。近付いてみて初めて、気付く。

「──真一郎?」

 赤にまみれた物体の中に、帽子のような物が混じっていた。よく見れば、所々に黄色が残っている。間違えようもない、真一郎の物だった。

 真一郎が死んだ。そう分かった瞬間、鼻孔を血の匂いが襲った。優治は思わずしゃがみこんでしまい、口元を抑える。

「オレが殺した? いや、そんなわけない。確かに目が合ったが、オレは何もしちゃいない! そうだ、オレは悪くない!」

 まるで自分に言い聞かせるように、優治は叫び散らす。現実から目を逸らすように(きびす)を返し、反対側に向かって疾走する。

「……オレは、何も悪くない!」

 ギッシギッシと、腐った木の床が激しく唸りをあげた。まるで嘲笑うように外からカエルの合唱が聞こえてくる。その何もかもが、優治にとって耳障りだった。


 ***


「な、なに……さっきの悲鳴……」

 時を同じくして、真衣は覚束ない足取りで校舎内を歩いていた。人のものとは思えない悲痛の叫びは、遥か遠くまで届いていたのだ。真衣は周囲への警戒を一層強めた。

「今頃みんなどうしてるだろ……。オニって誰なのかな……、わたしだったらどうしよう……」

 不安で押し潰されそうになる気持ちを抑えて、真衣は何とか気分を入れ替えようとする。深呼吸をして、大きく身体を伸ばした。

「ここどこ……」

 どこに行き着くのかも分からない廊下を、辺りを見回しながら歩く。どこかに水があるのか、カエルの鳴き声が聞こえる。そのせいで、他の音が聞こえなくなってしまう程だ。

「──あれ、開いてる?」

 真衣は隠れられる場所を探すため、片っ端から教室を開けて回っていた。所々には閉まったドアはあったが、元から開いたドアはなかった。真衣はそこから、人がいたという形跡を感じる。

「おーい、誰かいんのー?」

 勇気を振り絞って声を出すも、返事は返って来ない。中を覗くと、そこが理科室だと分かった。人影は見えない。

「誰もいない……。とりあえず、ここに隠れることにしよ」

 中に入り、ドアを閉めた。そこで、ある違和感に真衣は気付く。

「なんか……変な臭いがする」

 鉄の濃い臭いというか、今まで嗅いだことのない臭いに真衣は顔をしかめる。鼻と口を覆うように手を当て、臭いの元を辿る。

 理科の実験台を避けつつ、暗い室内を探し回った。今のところ何も見つけられていないが、臭いは消えない。不快感が徐々に募って、足早に理科室を去ろうとした時だった。

 ビチャッ──。水溜まりのようなモノを踏んだらしく、水が真衣の脚に跳ねた。

「きゃあ! な、なに?」

 驚いて足元を見ると、見えにくいが水溜まりが出来ている。更に視線を動かすと、その水溜まりを作った二人の張本人が目に入った。

「……え?」

 そこには、見覚えのある顔があった。大輝と総司が、口を開けたまま寝っ転がっている。──だが、残っていたのは上半身だけ。腰から下が完全に失われ、行き場を無くした血液がドボドボと漏れ出ていた。真衣は固まったまま、状況を上手く理解出来ないでいた。数分を要したあと、最終的に二人が死んでいることを理解する。

「ひっ……イ、イヤ……。大輝も総司も、なんで死んでるのよぉ……」

 恐怖で気がおかしくなり、心が完全に潰された。血溜まりの前で膝から崩れ落ち、泣き狂う。誰に向けられているのかも分からない罵倒や、嗚咽が入り混じる。それは悲痛の叫びであり、助けを求めるだけ無意味な哀願だ。真衣は一人で泣き続け──自身の居場所を、晒け出した。

 ……やがて、真衣は何者かに肩を叩かれた。泣いていて注意力が散漫だった真衣は、無防備にも振り向いてしまう。

「……だれ?」

「──オレ、だよ」

 優治が、不気味な笑みを湛えてこちらを見ていた。真衣は驚き、顔を下に伏せる。幸い、目線は合っていない。

 ──が、急に何者かに肩を引っ張られた。グイッと物凄い力で体を引かれ、真衣は抵抗出来ずに振り向いた形になる。

 鼻と鼻がくっつきそうなほど近くに、優治の顔があった。その拍子に目が合う。真衣は短い悲鳴をあげて目を逸らすが、もう遅い。

 目を逸らした先。そこには、体が半分透けている少年がこちらを見ていた。少年には、両腕が無かった。物憂げな目で真衣を見るなり、口を開く。

「りょううで……なくなっちゃった。りょううで……頂戴?」

 耳の鼓膜に直接響くような声に、真衣の身体は凍りつく。逃げ出したくても、脚が動こうとしない。真衣は震えた声で精一杯の返事を返す。

「……イ、イャ……だ……」

「う? き、こえ……ない」

 少年は半袖半ズボンを着ていたが、裸足だった。音を一切立てずに、真衣に接近する。真衣はズルズルと、尻餅をついたまま後退していく。

「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」

「うん? き……こえない、よ?」

 だが、少年も歩みを止めない。ヒタヒタと歩くそれは、人間の動きには見えなかった。

「来るな! 来るな来るな来るな来るな来るな!」

「うん? え? 聞こえない……よ? だって──」

 優治の方を振り向くと、彼はもう理科室を出ていた。理科室のドアの前で、無表情のまま真衣を見つめている。

 そこでやっと、真衣は気付いた。いくら叫ぼうと、懇願しようと無駄だということを。

「ぼく、ミミが無いんだ……。そう、だ。ミミも……ほしいな。ミミも……頂戴?」

「あぁあ……あああぁぁ……」

 真衣の方が先に、動きを止めた。恐怖心と絶望で枯れていた涙が、再び溢れ出す。真衣は完全に諦めた。

「ああぁ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 断末魔の悲鳴が、理科室の壁を突き破って校舎内に轟いた。


 ***


 この小学校の校舎は、全体が木で造られていた。屋上にやってきた千尋は、ちょうど町を見渡せる位置まで来ると、はぁーと息を吐く。

「……ホント、なにしてんだろ」

 意味深に呟かれたその台詞には、多くの意味が込められている。

 千尋は、ここに来るまで誰にも会うことはなかった。だが、目撃することはあった。

 廊下に、真一郎と優治が立っていた。二人は目を合わせようとしていなかったが、優治が顔を上げてしまい、二人の目が合う。

 この時、優治は気がついていなかったのだ。真一郎の視線は、優治にありながら、優治には向いていなかった。それが、千尋にも分かった。

 優治が真一郎と目を合わせた瞬間、確かに見えた。顔も体もぐちゃぐちゃで、何とか人の形を保った半透明の存在。──それが、優治の背中にベッタリと張り付いていた。表情も分からなかったが、笑っているように千尋は感じた。

 そして、次の瞬間に真一郎は死んだ。まるで優治の背中に取り憑いた子供のように、グチャグチャになった。驚かなかったといえば嘘になるだろうが、悲鳴をあげることなく千尋はその場を離れた。

 優治と目を合わせたら、真一郎が死んだ。ただそれだけの事実を持って。

「──じゃあ、優治くんが“オニ”なんだ。分かっちゃったよ、わたし。……もう、帰れるじゃん」

 すると、へらへらと千尋は笑い出した。眼下に広がる町が放つ光が薄い。時計を見れば、今は午前2時と指していた。日が昇るまで、この季節ならあと3時間くらいだろう。

「……丁度良い頃合いかもね。わたし、今日は用事があるの。早く寝なきゃ……」

 誰に言うでもなくそう告げて、千尋はポケットを漁る。ポケットから出てきた手には、手頃なサイズの手鏡が握られていた。それを確認すると、千尋は町に背を向けて屋上を後にする。

「──優治くんを、殺そう」

 普段の様子からは想像出来ないような低い声が、辺りの空気を凍りつかせた。


 ***


 死を覚悟したような悲鳴が、二回も聞こえた。紘一と杏南は、言い知れぬ恐怖を感じながら廊下を歩く。

「……ねぇ紘一、なんでこんなに悲鳴が聞こえるの? さっきの声、真衣に似てたような……」

 紘一の背中に向けて、杏南が話しかける。

「やめろよ、杏南。生きて帰れれば、全てが分かる筈だから」

 紘一は周囲に誰かいないかを見ながら歩いている。聞こえた悲鳴は、真一郎と真衣のものだ。微かに聞こえたため、そこまで近くはない。だが、紘一は二人はもう死んだと決めて動いていた。やり切れない気持ちなのは変わらないが、紘一はこれ以上罪を背負いたくなかった。

「……俺が、皆を誘わなければ良かったんだ。遊び半分でこんな場所に入り込んだから……皆ここで……」

 紘一の言葉を遮って、杏南がピシャリと言い切る。

「──ねぇ、紘一。わたし、憎んでるよ」

「え?」

「紘一が言い出さなければ、わたし達はこんなことにはならなかった。多分だけど、真一郎くんも真衣も、死んじゃった。それは他でもない、紘一のせいだよ?」

 まるで人が変わったかのように、杏南は紘一を責め立てる。何を言われたのか理解出来ないでいる紘一に、再び言葉の槍が降る。

「遊び半分でとか、有り得ない。それだからあの女の子も怒っちゃって、わたし達をこんな場所に閉じ込めてるんじゃないの? ねぇ、何とか言ってみてよ。謝罪も弁明も要らない、紘一の考えを聞かせて?」

 そこまで言われても、紘一は何も返さない。下を俯いて、黙々と両脚を動かし続ける。

「ねぇ、聞いてるの? どこに行けばいいのかも分からないクセに、ただ歩くだけとか止めなよ。──ねぇ、聞いてるのかって!」

 怒りが頂点に達した杏南は、左足で踏み込んで、右足で回し蹴りを繰り出す。紘一の頭を狙ったその攻撃は──簡単に命中した。

 鈍い音を立てて、紘一の体が左に倒れる。脆い木製の床がバキッと鳴ったが、幸い床に穴は空かなかった。

「いって~……。あ、唇切った」

 頭をさすりながら、紘一はよろよろと起き上がった。床に血の混じった唾を吐き捨て、杏南に向き直る。

「……ごめん」

「頭は冷めたか? 俺の方こそ、ストレス溜めさせちまったみたいだから、お互い様だよ」

 本心から申し訳無さそうにする杏南に、紘一は笑って言い返した。呆気に取られたような顔をする杏南に、紘一は先を急ごうと促す。

「許して、くれるの?」

「んー、まぁ、言ってることに間違いは無いから。言い出したのは俺だし、二人が死んでしまったのも俺のせいだ。今更なにかを謝っても、二人には届かない」

 話しながら、紘一はとある扉の前で足を止めた。扉の隣の壁には、“図書室”と書かれた木の板が貼ってある。それだけで杏南は、紘一が何をしようとしているのかを敏感に察知した。

「この学校の歴史……あの女の子の謎を解くんだね」

「その通り。何の目的も無しに俺達を閉じ込めるなんて考えられない。……確かに、ただ遊びたいだけかもしれないけど、それじゃああの少女が隠れる意味がない」

 紘一は、図書室の扉を開ける」

「だから、それを見つけるんだ……って、え?」

 扉を開け図書室の室内を覗いた紘一は、瞠目する。次いで中を見た杏南も、驚愕の声をあげた。

「え……本がない!」

 本棚は沢山あった。だが、二人が中でいくら探しても、本棚には一冊も本が無かった。これでは、歴史もなにも調べようがない。

「チッ……無駄足かよ」

 思わず、紘一は毒づいてしまう。それでも、望みはここだけだった。校舎内を歩き回って、ようやく見つけた場所だ。何かヒントが無ければ本当に無駄足になる。

「──あ! 紘一、これ見てよ!」

 紘一が振り向くと、杏南がこちらに手を招いている。そこには、読書の為の椅子とテーブルがあった。

「これ、この紙! ここに置かれてた新聞なんだけど……」

 手に取ると、微かに埃が付いていた。遠くに向けてパンパンと払うが、紘一は一つの疑問を抱く。

「なんでこんなに埃が少ないんだ?」

「……さぁ?」

 杏南が首を傾げ、「そんなことどうでもいいじゃん」と言った。紘一は、携帯のライトで照らして読むことにする。

「んー……今から40、50年は前の新聞だな。一枚しかないし、これが何のヒントに……ってあれ? 杏南、この小学校の名前って何だっけ?」

 自分の足元を指差して、紘一は訊ねた。杏南はうーんとしばらく唸った後、電撃が走ったように突然思い出す。

「そう、“秋原田小学校”だよ。着いた時に誰かが言ってたから思い出した!」

「秋原田……。じゃあ、この記事は……」

 生唾を飲み込む紘一は、「なに?」と訊いてくる杏南に読み聞かせる。


『8月9日金曜日。──県──市の秋原田小学校に通う小学3年生5人と教師3人が殺害される事件があった。犯人は、秋原田小学校の近くを寝床にしていた54歳のホームレスの男性。所持していた鋸刀(のこぎりがたな)を持ち、放課後の小学校に侵入した。残業していた教師3人を鋸刀で殺害した後、犯人は校舎内を動き回っていた。

 殺害された5人の小学生は仲が良く、放課後の校舎で頻繁に『かくれんぼ』をしていたという。その日も、5人は運悪くかくれんぼをしていた。

 最初に殺されたのは、オニを務めていた女児だった。遺体の状態から、口を塞がれた状態で、下半身を切断されたと見られる。犯人は、その女児から自分達が『かくれんぼ』をしていると聞き出した。

 そこからは、犯人がオニとなり、他に隠れている4人を探し始めた。見つけては殺し、見つけては殺す。遺体の中には、原型も残らない程に切り刻まれたり、両腕と耳を切り取られたものもあった。

 校舎内に残っていた人間を殺し終えた犯人は、鋸刀を持って警察に自首をした。それにより、事件が発覚したという。

 犯人の供述によれば、彼は小学3年生くらいの子供に対し性的興奮を抱くという異常な性癖を持っているという。更に、この事件で快楽殺人者であることも発覚した。二十歳の頃から猫やネズミを傷付けて楽しんでいたらしい。

 犯人はその性癖のせいで交際中の異性もおらず、両親や親族はもう他界していた。要するに天涯孤独で生きる意味を失ったのだ。小学校近くの小さな小屋に住んでいた犯人は、ある日、どうせ死ぬなら“小学生”と会いたい。そして、前々から願望があった“殺傷”をやってみたい。そう犯人は思ってしまったのだ。

 犯人は死刑を宣告されたが、この事件は“──市史上最悪”の殺人事件とされた。』


 以上が、置かれていた記事の内容だった。読んでいた紘一も、聞いていた杏南もその内容に戦慄した。行き場を無くしたホームレスの男が、自分の欲を満たす為だけに多くの人、そして小学生を殺した。──それも、いま紘一達がいるこの小学校でだ。

「50年も前だから当たり前かもしれないけど……俺、こんなの聞いたことない……」

「わたしは……あるよ。小学校の名前までは知らなかったけど、そういう事件があったのはお母さんから聞いた。まぁ、それもわたしが小学生の頃だけど……」

 互いに顔を見合わせる二人。ややあって、合点がいったというように、紘一が口を開く。

「もしかしたら、3つ目の終了条件……これかもしれないな」

「えぇ、どういうこと?」

 紘一の呟きに、まだ分からないといった風に杏南が訊ねる。

「最初に俺達の前に現れた女の子、彼女のルールの話だよ。3つ目の塗り潰されてたやつ」

「それは分かる! なんでこの新聞の記事が3つ目の条件なのかってこと!」

 「焦れったいなぁ!」と杏南はそっぽを向いた。溜め息を吐きつつ、紘一は一言だけ謝っておく。

「……つまり、彼らは知ってほしかったんだ。50年も前、ここで起きてしまった凄惨な事件のことを。参加者の誰かがこの記事を読むことで、彼らは満足して俺達を解放する筈だ」

「でも、何もないよ?」

「……いや、たぶん昇降口から外に出られる筈だ。杏南、行こう!」

 そう言うなり、颯爽と図書室を出て行く紘一。一足遅れて、杏南はその背中を追いかけた。

 だが、彼らは一つだけ勘違いをしていた。『かくれんぼ』は、まだ終わらない。


 ***


 だだっ広い屋上に一人、優治は佇んでいた。夜の冷たい風に体を晒し、光の絶えた町を眺める。これが夕方なら、どれだけ綺麗だったろうと優治は思う。

 長く続いた静けさを消し払うように、後ろの扉が開く音がした。誰かがここにやってきたのだと、優治は簡単に察する。

「ふー、まさかここに戻ってくることになるとは。やっと見つけたよ……優治」

 聞き覚えのある声は、千尋のモノだった。優治が動揺したのはほんの一瞬で、すぐに心を落ち着かせる。

「……千尋か。見つけたっていうのはオレのセリフだな。だってオレは──」

「──オニでしょ? 知ってる」

 優治は振り向こうとして、止める。千尋にバレていたなんて、想像もしていなかった。時が長時間止まったかのような感覚に捕らわれた後、狼狽しつつも話を進める。

「え……な、なんでお前が……?」

「見てたよ。真一郎くんを殺したとこ。優治くんが顔を上げた後、真一郎くんが怯えだしたと思ったら死んだ。ホント、有り得ないスピードでミンチになってたよね」

 あの時、千尋は遠くから一部始終を目撃していたらしい。優治と目を合わせた刹那(せつな)、真一郎は無惨な姿に変わってしまった。その時から、優治も分かっていた。

「……そうか、知ってるのか。じゃあなんで千尋はオレのとこに来たんだ?」

 優治の問いに、千尋は呆れたように肩をすくめた。決して目を合わせることをせず、一定の距離を保って会話する。

「分からない? ……優治くんを殺して、この“遊び”を終わらせるに決まってるじゃん」

 薄ら笑いを浮かべてそう言う千尋に、優治は顔をしかめる。それは瞬き一回ほどの短い時間だったが、そこには確かに不快感が見えた。

 風の冷たさに千尋が身を震わせるまで、二人の間には沈黙が流れた。沈黙を破ったのは、優治の方からだった。

「……オレを殺すって、どうするつもりなんだ? その……ナイフとかでも持ってるのか?」

「そんなわけないじゃん、コレを使わせてもらうんだよ」

 そう言って千尋が取り出したのは、手頃なサイズの手鏡だった。それを見て、優治はなるほどと納得する。

「……それをオレに向けて、自爆させようって魂胆(こんたん)か。よく持ってたな、そんなの」

「わたしだって女だし、これぐらい持つよ。なに? 優治くんはわたしを何だと思ってたの?」

 笑いながら言う千尋。何だか和んだような雰囲気が、二人の間に流れる。それは“おかしいんだ”と、異を唱える者はこの場にいない。

 このあとも、二人は目を合わせず、ただ長い時間ムダな雑談を続けた。時に笑い、時に熱心に話をするにつれて、二人の距離は近くなる。自分達の置かれた状況も、過ぎ去る時間すらも忘れ、気付けば日が昇りそうな時間になってしまう。

 それと同時刻で、二人だけの時間に終わりが訪れる。屋上に新たに現れたのは、紘一と杏南だ。疲弊し切った二人の顔を見て、優治と千尋は驚く。

「紘一、お前ら何をしてたんだ?」

「子供たちを……探してた……」

 意味不明な返答ではあるが、優治には理解することが出来た。杏南の方を向いて──ただ、目は合わせずに話しかける。

「お前らも見たんだな、図書室にあった新聞の記事」

「え……じゃあ優治も?」

「ああ。たぶんお前らよりも前にな」

 真衣に会う前に、優治は図書室に訪れ例の記事を発見していた。最初に見つけた時は、その存在が分からないほど埃を被っていたという。むしろ、見つけられたこと自体が奇跡みたいなものだ。

「え、え? なに、何の話をしてるの?」

 唯一、千尋だけが状況を理解出来ないでいた。図書室で記事を見ていない千尋は、あの事件のことを知らない。優治は紘一に説明するよう頼んだ。

「……というのが、あったんだ」

「し、信じられない……。わたし、全然知らなかった……」

 紘一の説明で、事件のあらましを大体理解した千尋は衝撃に打ち震えていた。口元を抑え、全てを理解するのに必死に頭を働かせている。

「……んで、他のヤツはどうしたんだ? 真一郎と真衣の悲鳴は聞こえたんだが……優治と千尋は見てないか?」

 すると、千尋が答える。

「死んだよ……いや、正確には殺された。かな。──ここにいる、優治(オニ)によってね」

 チラリと視線だけでオニの正体を知らせる。その事実を知った二人は、口を開けて茫然自失としていた。優治は顔を伏せて、誰の目も見ないようにしている。

「……なぁ、最初に殺したのは?」

 明らかに怒気を含んだ声で、紘一が訊ねる。優治は、俯いたまま答えた。

「……真一郎」

「じゃあ、真衣は二番目だな? なぜ殺した?」

 それはまるで誘導尋問のようだった。徐々に距離を詰める紘一に対し、優治は段々と後ろに下がっていく。

「あ、あれは……つい、魔が差してって言うか……。し、真一郎の時だって死ぬとは思わなかったんだ。絶対にオレはオニじゃない……そんなわけないって、思ってたのに……っ」

 真衣の時、優治は彼女に会えて嬉しかった。普通に話をしようと思っていたら、彼女が大輝と総司の死体の前で泣いている。そもそも、大輝と総司がなぜ死んでいるのか優治には分からなかった。真衣がオニだという可能性も考えたが、それでも話をするべきだと思った。

 いや──大輝と総司が謎の死を遂げていたことで、優治は安心していた。自分がオニではないと、“間違った確信”をしていたのだ。

 ルールには、『オニが一人ではない』と書いていた。そのオニとは、50年前にもオニをやっていた女の子。下半身を失った少女は、死して尚その役目を全うしようとしたのだ。

「それで……オレは初めて受け入れたんだ、オレが……オニだってことに──」

 そこまで言い終えるかどうかの所で、紘一に胸ぐらを掴まれる。目は見ない。紘一は優治の胸の辺りに視線を送っていた。

「てめぇ……遅過ぎんだろ。真一郎を殺した時点で気付くか警戒しろ。魔が差したとか、考えが甘かったとか。そんな下らねぇ言い訳で逃れられると思うなァ!」

 胸ぐらを掴んだまま、前と後ろに強く揺さぶった。情に身を任せる紘一と、過ぎる時間に身を任せる優治。杏南と千尋は、その様子をただ見守るだけだった。

「友達の命が失われるっつーのに、そんな無責任でどうすんだ! お前の人に対する思いやりは……信じてたのに!」

 紘一の糾弾は止まず、優治は相も変わらず無反応を貫いていた。さっきまでの森の静けさを消し払うように、紘一の叫びがこだまする。今の優治が何を考えているのか、それが誰にも分からない。下を向いていた優治は、肩をピクッと震わせ、一笑した。

「……ふ」

 それが、紘一の怒りに油を注いだ。

「あ? 何がおかしいんだよ」

「や……責任って何かなって思ってよ。なぁ、お前だってそう思うだろ?」

 ようやく顔を上げた優治は、何もいない場所へ視線を向ける。紘一たちも釣られて同じ方向を向くが、本当にそこには何もない。

「な、なにを言ってんだよ……優治」

 紘一は視線を優治に戻す。この時、彼は完全に油断していた。

「……あ」

 気を逸らす罠を張っていた優治が、紘一の目を凝視していた。口元は笑みで歪んでいて、心底楽しそうな顔をしている。

「お前……誰だ……。あ、あぅあぁ……」

 紘一には見えるようになっていた。あの事件の被害者の一人、体中をミンチにされた少年の霊が優治に引っ付いている。強い怨恨の念が、その霊には宿っていた。

「こ、殺される……。あぁ、イ、イヤだ、助け……て……」

 恐怖に完全に支配され、勢いよく尻餅をつく紘一。怯えきった呻き声をあげ、死にたくないと懇願する。千尋は目を逸らし、杏南は口を抑えて同じ恐怖を味わう。優治はその様子をただ無表情で見つめている。

「お、俺が悪かった……俺の責任だよ、だから何とかしてくれぇ!」

 生きるのに必死になるのは、悪いことじゃない。必死とは決して綺麗なモノではないが、それはとても素晴らしいことだと優治は感じていた。

「そうだ。俺も紘一も、お前も。責任を感じていたんだよな。……もう大丈夫だから、出てこいよ」

 優治が視線を向けた先には、古びた木製の箱があった。学校にある掃除用具入れぐらいの大きさだ。無造作に下に置かれたそれは、今まで誰も気にしなかったものだ。

 その中から、音を立てずに最初に出会った長髪の少女が現れる。彼女は例の事件で、両方の目をくり抜かれてしまった。犯人に見つかり殺された場所も、恐らくその箱の中だったのだろう。

 スッと現れた少女は、浮いているような動きで脚を使わずに優治達に近付く。優治以外の3人は身構えるが、少女には何の敵意も怨みもなかった。あったのは──たった一つの後悔の念。

「──わたし、ずっと後悔してた。50年前、わたしが『かくれんぼ』をしよう、なんて言わなかったら……。わたしも、皆も、死なずに済んだハズなのに……」

 半透明の少女は、脳に直接言葉を流し込むように話し出した。それは、後悔してもしきれない“死”という結果。テストで悪い点数をとったなどという事と比べ、雲泥の差ほども程度が違う。4人は聞いていて何だか不思議な気持ちになった。

「皆、怖かったよね……わたしだって怖かった。いきなり知らない“オニ”が現れて、すごい鼻息で襲いかかってきた……。わたしの体なんかじゃ抵抗も出来なくて……」

 千尋と杏南の二人は、同情の涙を流していた。紘一も、“同じ言い出しっぺ”として感じるモノがあるのだろう。黙って何度も頷いていた。

「ぜんぶ、わたしの責任で……皆にそれを謝りたくて……」

「いや、違うだろ。そんなの謝ることじゃない」

 優治だけが唯一、いつもと変わらなかった。同情もせず、だが敵にもならない。思ったことは何でも言うのだ。

「責任なんて、誰も負わないだろ。強いて言うなら犯人のホームレス野郎ぐらいだ。誰も彼もが、自分が死ぬと分かっていて行動しないし、それが出来ないから人は死ぬんだ。そうだとは思わないか?」

 筋の通った話に、誰もが言葉を呑み込んでしまう。優治は紘一の方を向いて話を続ける。

「今日死んだアイツらもそうだ、自分が死ぬと分かっていてここに来たやつなんていなかっただろ? どこでどう動こうと、死ぬ可能性は誰にだってあったんだ」

「……じゃあ、優治が殺した二人はどう言うつもりなんだ? 『死ぬ可能性があったんだから、オレが殺そうと関係無い』とでも言うのか?」

 皮肉の混じった物言いだが、優治はそれにも清々しく答えた。

「当然だ。例えオレが殺そうと、そこには結果しか残らない。別に警察に捕まっても、何の証拠も残らないワケだしな」

「──そうじゃねぇ、アイツらの親に何て言うつもりなんだって聞いてんだァ!」

 紘一は再び優治に突進し、胸ぐらを掴んだ。千尋と杏南がやめなよと止めるが、それでも紘一は止まらなかった。優治は冷ややかな目で紘一を見る。紘一はそんな優治の腐りきった目を強く睨みつけた。

「目ぇ覚ませよ優治……お前、俺達のいない間に性格変わりまくってんぞ……」

「変わんねぇ方がおかしいだろ……。そこにいる千尋と杏南も、ここに来るまでに精神崩壊(メンタルコラップス)起こしてるだろ? 誰だってこんな状況に置かれたら性格変わっちまうんだよ……」

 最後の言葉は、まるで吐き捨てるかのようだった。あまりの暴言に唖然とする紘一を無視して、優治は少女に向き直った。

「──だからさ、他の仲間も気にしてないと思うぜ? 試しに聞いてみろよ、ここにも一人いるんだしよ」

 ここにいる一人とは、優治に引っ付いている子供の事だろう。少女は、どこか緊張した声音で訊ねる。

「……伸太郎、怒ってる? ごめんね、わたしが『かくれんぼしよう』なんて言わなければ……」

 少年は、どこが顔でどこが体なのかもよく分からない。だが、確かに聞こえた。

「……いいよ」

 その瞬間、優治の肩の重みが消えた。それで、もう成仏したのだと優治は悟る。

「残りの奴らだって、たぶん同じ気持ちだと思うぞ? そんな50年も前のことは水に流すって、言ってくれてるんじゃないのか」

 優治にとっては適当に言っているだけだが、少女は満足そうに頷いた。

「分かっ……た。あり、がとう……」

 幽霊にお礼を言われるなど、優治はかなり変な気分になった。だが、悪い気はしない。

「あ……もうすぐ日が昇るよ? 一体、かくれんぼはどうなっちゃうの?」

 杏南が東の空を指差して言う。見れば、町の奥はもう明るくなっている。優治はその質問に対して、苦笑して答えた。

「……終わったよ、とっくの昔にな」

 え、どういうこと? という顔をする他の三人に向け、優治は分かりやすく簡潔に話した。

「3つ目の終了条件は、『アナタ達の全員が、少女たちの過去を知る』だよ。紘一が千尋に説明した時点で、かくれんぼは終わってたんだ」

「ま、マジか。……だから俺は死んでないんだな」

 その通り。と返す優治は、どこか嬉しそうな顔をしていた。千尋が不思議に思い訊いてみると、優治は不思議なことを言った。

「なあ、あるよな?」

 それも、少女に向けて。一瞬なんのことだか分からないといった様子だったが、しばらくして思い出したらしい。こくこくと頷いて、一言だけ喋った。

「……じゃあね」

 次に瞬きをした時には、少女は消えていた。恐らく、ここにいた他の子ども達の霊も消えたのだろうと優治は思う。それでも、他の三人は取り残されたままだった。

「……ねぇ、どういうことなの?」

「いずれ分かるよ。だから千尋、ちょっと一つだけ質問に答えてくれないか?」

 質問に質問で返すという暴挙に出る優治だったが、千尋は溜め息を吐くだけだった。優治はそれを肯定ととる。

「なぜ、直ぐにオレを殺さなかった」

 紘一と杏南の二人が来る前、千尋は手鏡を持っていながらも優治を殺そうとはしなかった。それだけで『かくれんぼ』は終わった筈なのにと、優治は思っていた。

「なーんだ、そんなこと。答えはカンタン、優治がわたしのこと好きだって、紘一から聞いてたからだよ」

「…………げ」

 マズい、と言ったのは紘一だった。チクったことをチクられたと、紘一はバツが悪そうな顔をする。優治は、紘一に怒りの矛先を向けた。

「お前……本人に言うヤツがあるか……? こっち来いよ、殺してやる……」

「ゆ、許せ優治!? ホ、ホラ……さっきのお前の発言とか許してやるから!」

 マジの殺気を放つ優治に、負けじと紘一も本気の命乞いをする。下らない二人のやり取りが勃発してしまったと、杏南が溜め息をついた頃。

「あ、ここにいたー! もー、帰ったかと思ってヒヤヒヤしたよ~」

 新たに屋上の扉を開けて現れたのは、真衣だった。何事もなかったかのように、笑顔で優治達の方に駆けつける。その様子を見て、優治はニヤリと笑い、他の三人は開いた口が塞がらない。真衣は「どったの?」とでも言いたげに首を傾げる。

「──ほら、大輝さんも早くー! 日の出もうすぐですよー!」

 その声は、 吊り目で黄色い帽子を被っている真一郎の声。

「そうですそうです、さっさとしてください!」

 その声は、垂れ目で赤い帽子を被っている総司の声だ。

「……うるせぇな、お前ら」

 鬱陶しそうに眉をひそめる大柄の男が、しっかりと両足で歩いていた。もう訳が分からないと、千尋は頭をぐるぐるさせていた。

「……おい、本当にどういうことなんだよ。真衣と真一郎……それに大輝と総司まで……?」

「全てが幻だった……って言えば、お前は信じるか?」

 有り得ないと、紘一は頭を振った。千尋も半信半疑だったが、杏南だけは違った。

「──でも、誰も死んでないなら何でもいいじゃん! ほら、もうすぐ日が昇るよ!」

 全てを有耶無耶(うやむや)にされ、紘一は少しだけ不愉快な気持ちになる。だが、目の前の光景を見ればそんな気持ちも吹き飛んだ。

「……おぉ、すげぇ」

 ちょうど、昇ってきた太陽の光が町を照らしていた。今まで見たことのない幻想的な光景に、彼らは感嘆を声をあげる。肉体的にも精神的にも疲労が限界だったからか、その光がとても温かく感じた。

「もー、こんな学校で寝ちゃうなんてね。しかも大輝と総司も一緒。……さ、そろそろ帰らない?」

 景色はもう十分堪能したと、真衣は足早にこの場を去ろうとする。大輝と総司、それに真一郎もそれに続くが、他の4人は動けない。

「先、行っててくれよ」

 優治の言葉に、4人は素直に従った。「じゃあね」と手を振って帰って行く。

「……先行っててくれ、ってのはお前らも入ってるぜ? 紘一、杏南」

「あ、悪い悪い……じゃ、色々と混乱してて何言ったかも覚えてないんだが……すまん」

 深々と頭を下げる紘一に、止めてくれと優治は顔を上げさせる。

「オレだってそう、情緒が不安定だったんだ。お前ら3人にも、すげー迷惑かけたと思ってる。ごめん」

「いや、いいよ。わたしだって紘一にヒドいこと言っちゃったし……お互い様だよ」

 全員で頭を下げ合うという、不思議な行為が屋上で行われていた。誰からでもなく、場に笑いが起きた。

「……じゃあ、俺達は先行ってるぜ。あんま遅くならないようにな」

「じゃあね、優治、千尋」

 手を振って、紘一と杏南が屋上を去った。騒がしかったこの場にも、今は優治と千尋しか残っていない。──話があるというのは、優治の方だった。

「……なぁ、千尋」

「なに?」

 二人の間に、緊張が走る。まだ朝の早い時間帯から、血流がドンドン速くなってしまう。

 やがて、優治は決心したように──そして諦めたように口を開いた。

「なぁ、“責任”って二文字についてどう思う?」

「え?」

「お?」

 鳩が豆でっぽうを食らったような顔をしている千尋に、同じく間の抜けた返事をしてしまう優治。二人はしばらく固まった後、何故という風に千尋が優治に詰め寄る。

「えぇ、今の完全に告白の空気じゃなかった?」

「いや、オレもそうかなって思ったんだけど、それでもやっぱお門違いかなって。あ、状況がね?」

 体裁が悪いから、とも優治は付け足す。髪の毛を乱暴に掻き乱すのは、照れ隠しからだろう。千尋はそんな優治の様子を見て、クスっと笑った。

「じゃあ、歩きながら答えてあげる。さぁ、行こう?」

 千尋は駆け足で屋上の扉へと向かい、優治を手招きしている。優治は、口元を綻ばせつつ答えた。

「ああ!」

 今から仕事を始めようとする太陽を背に、優治は屋上を後にした。

「──ちなみにだけど、もしオレが告白してたら何て答えたの?」

「んー、秘密」

 そこだけは、上手くはぐらかされてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ