2章「炎の高揚」 Ⅰ
2章【炎の高揚】
Ⅰ
「……で、反対する風香をASの車に押し込んで避難所送りにしたのは良いですけど、本当に一緒に住むんですか?」
「当然だろう?いつ何時またアイツのような奴が襲ってくるかわからない以上、行動を共にするのが最善というものだ」
月明かりだけが照らす薄暗い夜道で、白い肌が目の前に浮かんでいた。何故そんなに疑問視するんだ?という表情でこちらを見つめている。
「いや、それは勿論そうなんだろうけど……親には何て説明すれば……」
多分、俺の心配よりもアンネさんの心配をするビジョンしか浮かばないけれど、それでも一応親は親だ。年頃の息子が年頃の女性と一つ屋根の下なんて、息子が可愛ければ許すはずが無い。
「安心しろ、それはもうすでにASの方から説明し、了承は得ている。快く受け入れてくださるそうだ。良い両親だな」
許すはずが……。許すはずが……あったのか……。
天を仰ぎ、美少女と一つ屋根の下というフィクションの主人公展開に思いを耽る。ああ俺の人生はバトル展開有りの美少女ハーレムものだったのか、と妄想を巡らせた。
「どうした?身体を震わせているが、どこか痛めたのか?」
心配そうな声と共にアンネさんが近付いてくる。あの唇と共に。
思い返すと火が出そうになるほど顔が熱くなっていく。とっさに大丈夫ですと距離を置く。
そうか?と首を傾げる姿にはもう、出会った当初の堅いイメージは無くなっていた。
「そろそろ今回の犯人情報がASの解析班から届くはずだ。行くぞ」
「行くぞ、って歩いてですか?もう電車も無いんですけど……」
案ずるな、という言葉と共にアンネさんの背後に突然眩い光が二つ現れた。急な明かりに目が眩む。二重のエンジン音が夜の帳に鳴り響いた。
「うちらが送ってくよー!乗って乗ってー!」
鳴り響く騒音に負けないほどの、元気な声が響き渡った。
二台のバイクに跨った女性が二人、今までどうして気付かなかったのだろうか。ヘルメットを被ってはいるが、背格好は二人とも同じくらい、声の感じからして同い年くらいの子達だろうか。
「紹介しよう、私の同期の橘姉妹、双子だ。今大声で話したのが妹の橘花蓮で、何も話してないのが姉の橘美羽だ」
ということはアンネさんと同い年、つまり年上だ。初めましてと会釈をしたが、エンジン音に掻き消されて届いていないようだった。
「ヒーロー君は私の方に乗ってってー!姉ちゃんアンネ以外が乗ろうとすると怒るんだよねー!」
ぐりんとお姉さんの首が妹さんの方を向くが、それに全く動じて居ないようだ。さすが双子の姉妹。
ヘルメットを被り、後ろに乗った俺に、
「あたしにしっかり掴まってー!」
そんな言葉が投げられる。それは後ろから抱き付けということでしょうか、あの、お姉さんの無言の圧力が怖いんですけど。実際にはヘルメットのガラス部分に覆われて目線は見えないけれど、顔は間違いなくこちらを見ている。怖い。
「ほらほら早くー!」
「は、はい!」
自棄になって腰に手を回すと、前輪が浮いたのではないかという勢いでバイクが動き出した。
やばいこの人スピード狂だ、という考えで、女性に抱き付くというドキドキ感は吹き飛んでいった。
***
走っている間、色々な話を聞かされたが一切覚えていない。カーブの度に膝が地面と擦れてしまうのではないかと心配でそれどころではなかったのだ。
唯一覚えているのは妹さんはEカップでお姉さんはBカップという無駄な知識だけだった。こういうところだけ無駄に拾ってしまうのが男子高校生の悲しい性だろう。
学校前に停まり、ボボボボと五月蝿いエンジンが止められた。
「そうだ!私らの能力を教えておくね!」
この人エンジンが五月蝿くなくても声が大きいのか。
「私の能力は【透明化】目を閉じている間は姿が消えるの」
そう言うと妹の花蓮さんは目を閉じた。するとパッと姿が消えた。服も消えているところを見るに、触っているものも消える、ということだろうか。
冷静に考察しているところに突然、ふうと耳に息を吹きかけられた。
ひゃあと情けない声を上げると、くすくすと笑いながら俺のすぐ真横に花蓮さんが姿を現した。
「ふふふ、びっくりした?」
悪戯な笑みを浮かべる花蓮さんに、少しドキドキしてしまう。
「歩いている音もしなかったんですけど、それも透明に?」
なるべく冷静を装ってはいるものの、声は上擦っていた。恥ずかしい。
「それは私の能力」
不意に後ろに居たお姉さんから声が上がった。
「任意の音を消せるの」
妹さんの元気な声とは逆に、お姉さんである美羽さんの声は控えめな音量だった。しかし声はとても似ている。性格の問題なのか。
「私、絶対音感なの。消したい音の音階を口ずさむとその音が消えるの」
「姉ちゃんすげーよな、あたしにはエンジン音はボボボボー!くらいにしか聞こえないのにドレミファソラシドで聞こえるらしい!」
なるほど、それで迎えに来たときは急にバイクが現れたように思えたわけか。
「でも、色んな音が飛び交ってると無理。人混みの音とか消したいのに消し切れなくてムカムカする」
「姉ちゃんほとんど家から出ないのによく言うよー!」
ケラケラと笑う妹さんを他所に、お姉さんは淡々とアンネさんに声を掛ける。
「アンネ、おめでとう。やっと能力を活かせる相棒を見つけたのね」
「ああ、しかも連中を退けられるほどの逸材だ。本当に良かった……」
はっとした。
アンネさんの能力は俺の妄想ありきのもの。今までは能力を使うこともできず、しかし正義感だけを持ち合わせて、さぞ悶々とする日々だっただろう。
そう考えた時、背筋がひやりとして冷や汗が垂れる。
|俺にはそんな覚悟があるのか?(・・・・・・・・・・・・・・)
あの時は確かに覚悟を決めて飛び出して、風香を守ろうと必死に行動し、倒すまでは出来ずとも追い返すことが出来た。
しかし今はどうだ?アンネさんのような戦う覚悟がまたあるのか?そもそも俺がこのままずっと続けていかないといけないことなのか?
そんな葛藤が、頭の中を埋め尽くした。
「……た、草太?」
「えっ、あっ、何ですか?」
どうした?体調が悪いのか?と心配してくれるアンネさん。真っ直ぐな碧色の瞳を見返すことは、今の俺には出来なかった。
「二人ともありがとう、足にしてしまってすまなかった。引き続き、周辺の見回りをよろしく頼む」
双子の姉妹はバイクに跨り、瞬きの間ほどの一瞬で夜の闇に消えて行った。
鳴り響くエンジン音だけが、姿の見えない彼女達の存在を浮かび上がらせる。
「さて、と」
二人を見送ったアンネさんが踵を返し俺に話しかける。
「部屋に案内するから着いて来てくれ」
喜んでいたはずのアンネさんの声色は、どこか切なそうな掠れた声だったことに、俺はこの時は気付いていなかった。
***
「こ、これは……!」
案内された部屋には、家具が全て揃っていて、それでいて黒を基調としたシックでそして何より……。
「ダークな部屋だ……!」
廊下を抜けた部屋の入り口で呆けていると、後ろからアンネさんが早く入ってくれとせっついてきた。
黒い革張りのソファに倒れるように座り込む。今日は少し、疲れた……。
どのくらいの時間が経過したのか。
ソファに座り込むなり寝てしまっていたようだ。
何か音が聞こえる。
アンネさんが何かをしているのだろうか。
臭いがする。それも、今日嗅いだような、そんな、焦げ臭い……。
「焦げ臭い!?」
はっと飛び起き辺りを見回す。
部屋中が薄い煙で包まれ、それが目に染み涙が滲む。
天井のシャンデリアの光が煙で揺らいていた。
「アンネさん!アンネさん!?どこですか!?炎の能力者の攻撃じゃないですかこれ!」
「何!?敵か!?」
涙目を擦りながら声のした方へ目を向けると、そこにはエプロン姿のアンネさんが居た。フライ返しを剣のように振り上げながら、険しい表情をしている姿を見て気が抜ける。
それと同時に気付く。
煙はキッチンの方から出て来ている。今尚もくもくと煙を吐き出すその場所は、今まさに間抜けなエプロン姿の女性が飛び出してきた現場だった。
「アンネさん……何してるんです……?」
勘付いていた。しかし脳が認識を拒んだので、念の為、万が一、違っていて欲しいという希望的観測を信じたい、そう思ったから尋ねた。
「何って、今日は疲れてお腹も空いただろうと思ってな。草太の寝ている間に飯を作っていたのだ。もう少しで出来るからな、まだ寝ていて良いぞ」
無駄な期待なんて持つんじゃなかった。
そうこうしている間にも煙はどんどん部屋に充満していき、心なしか黒い煙になっている気がしなくもない。何これもしかして新しい能力者?
「って現実逃避してる場合じゃねぇ!」
走って台所へ入る。困惑するアンネさんが呑気にどうした?と声を掛けてくるのを無視してもうもうと煙を上げるフライパンを熱し続けていた火を止めた。
「どうした?ちゃんと皿に盛り付けてやるから気持ちは嬉しいが手伝ってくれなくて良いんだぞ?」
フライパンの中で真っ黒になり煙を上げ続ける謎の物体を目の前にして、俺が唯一発することが出来たのは、
「料理まで黒を基調にしなくて良いんですよ……」
窓を全て開けて換気を行い、やっとのことで嫌な臭いが部屋から消えた。鼻の奥には焦げた臭いが残っているような感覚はあるが、多少は落ち着いた。
「す、すまない、料理は実は初めてだったんだ……」
床で正座をして頭を下げるアンネさんを責めることは俺には無理だ。火事にならなくて良かった、それで良いですとしか言えなかった。
アンネさんは真面目だ、しかし不器用な真面目さだ。何でも自分で抱え込んでしまうような、そんな人な気がした。
「……草太」
なんですか?そう応えながら目をやると、俯いているアンネさんの旋毛が目に入った。
「改めて、聞かせて欲しい。草太の覚悟を」
どこか掠れた切なそうな声色、それは家に入る前に聞いた声と同じだった。
「覚悟、ですか……?」
聞き返す俺の声を、身動ぎもせず浴びている。
覚悟、そう覚悟。
さっき頭を埋め尽くしていた黒い靄。
もしかしたら死ぬかもしれない、そんな世界に入る覚悟が……。
その矢先、アンネさんの通信機から甲高いアラームが鳴り響いた。
「くそっ……!こんな時に……!」
敵の襲来を知らせるその音は、酷く不快な音に聞こえた。
俺は……。