1章「ダークヒーロー(仮)」 Ⅲ
Ⅲ
硬直。
思わず腕が棒のように真っ直ぐピンと伸びた。
「今から三分間、草太の妄想は現実となる」
そっと口を離した第一声は事務的な言葉だった。
一方の俺はアドレナリンがドバドバ出ているのがわかるような感覚に捉われた。目の前に風景が、燃えた瓦礫の中に居る一人の女性がぐるぐると回転するような感覚。
「時間が無いんだ、頼む……」
唇に指を当てながら懇願する姿に、心臓が張り裂けそうなほどの鼓動が開始された。
呆けている暇は無い、こうしている間にも風香が危ない。その感情が俺に辛うじて冷静さを保たせていた。
「マントを、貸してください」
鳩が豆鉄砲くらったような顔をしていたが、すぐに真意を理解したようで、即座に脱ぎ捨て手渡してくれた。
長袖の軍服のようなデザインの黒い服に、下はそれに合わせたような短パン姿が露になる。良かった履いていたと、公園での妄想をここで補完した。
「やはり暗黒騎士にはマントが必須だな」
投げかけられた言葉に、微笑んで頷いた。
―――俺は、混沌の暗黒騎士だ。
誰でもない、自分に言い聞かせる為に呟いた。
「燃えろぉ!」
敵の、この街を破壊した元凶の、振り上げられた腕が頂点に達したとき叫んだ。
「待てぇ!」
ピタリと止まった腕を下げ、俺へと向き直す。
俺は夕日が背になるように、瓦礫の山のてっぺんに立っている。眩しそうに目を細めながら、炎の能力者は俺に対して敵意を剥き出しにした。
「んだテメェ!何者だ!」
ふはははと高笑いをし、敵意を跳ね除けるように自身を鼓舞していく。アドレナリンが出るように、自分を高揚させるために大きく仰け反り、相手を見下した。
「我は混沌の暗黒騎士、闇を司り贄を貪る世の支配者だ!」
普段であれば気まずい沈黙の中、パチパチと音を立てる火の音が俺への拍手のように聞こえるほどにテンションは上がり切っていた。
風香に目をやると、ぎょっとしたような、信じられないものを見るような目で俺の方へ注目していた。
良いから逃げろ、というのはさすがにキャラでは無い。キャラに合わないことをしてしまったら整合性が保てなくなり妄想は失速する。
考えろ、この状況を残りの二分間でどうにかする方法を。
「その声はテメェ男だろ!男のクセに調子乗ってンじゃねぇぞ!」
逆立った赤茶色の髪、真紅の炎のような色のロリータ服を翻し、振り上げた手から炎の弾が射出された。
ここで失敗したら終わりだ、そしてアンネの言っていたことが嘘だとしたら俺の人生はここで終了する。こんな何も得られないまま、自分を変えられないまま消えるのは嫌だ。
妄想し、思い描け。今ははりぼてだが理想のダークヒーローなのだ。世の中に悪態をつきながらも、強きを挫き弱きを助け、励ます。そんなダークヒーローなのだ。
「悪役は……」
轟音を響かせながら近付く火炎の弾を、俺は目を見開いて見つめた。俺の目は、俺の目で見つめた事象は、無に帰すんだ!
「俺一人で十分だ!事象の崩壊!」
火炎は霧散し、湿気を蒸発させた白煙だけがその場には残った。
成功した、その事実は俺に更なる勇気を与えた。今集中を途切れさせたらきっと腰が抜けてしまうだろう。
炎の砲台とも言える女の子を視界で捉える。何が起こったのかわからないという顔をした彼女は明らかに動揺している。人間、対面した相手が困惑していると自分は逆に冷静になれるものだ。
左手を上げ、手のひらを女性に向ける。
「暗黒の裁き!」
手のひらの前から紫色の稲妻が射出された。まさに妄想通りの光景、感動してしまう。
すんでの所で我に帰った女の子は、慌てて飛び退いた。ロリータドレスのスカートを少し掠めて稲妻は地面へと突き刺さる。
轟音が鳴り響き、地面にあった瓦礫を吹き飛ばす。飛び散った破片はいくつか彼女に命中し、小さな悲鳴を上げていた。
「どうだ、これでもまだ、男のクセになどと世迷い事を口に出来るのか?」
ひっ、と小さくか弱い声だけ聞いていると、先ほどまでの口調が嘘のように感じてしまう。
ロリータ服は所々破れ、信じられないといった表情で目を丸くしていた。
無理も無い、能力が無いと思っていた相手に攻撃はかき消され、その上攻撃まで受けてしまっているのだから。現実を受け入れることが出来ないんだろう。
「女子供を弄る趣味は無いが、貴殿は少々やり過ぎたな……」
再び掲げた左手を見て女性は身を翻した。
「お、覚えていろ!必ずお前を燃やしてやるからな!」
捨て台詞とはまた小物らしいことを言うものだ。
ボロボロになった服を棚引かせながら、……そういえば名を聞いていなかった。真紅の人形(プロミネンス・ドール)とでも名付けておくか、真紅の人形は走り去っていった。
自身で悪くした足場で何度も躓きながら。あの厚底の靴では大層走り難いだろう。
今まで何の長所も無かった自分が嫌いだった。
でも、今は違う、守ることが出来た。
少しだけ、自分を好きになれたような気がした。
ふぅ、とため息を吐いた俺に、アンネが賞賛の声を掛けてくれた。
「素晴らしい!さすが私の見込んだ男だ!」
ぎゅっと握られた両手には、辺りの熱気を忘れるほどの温もりが伝わってきた。
柔らかい、そう思った瞬間に唇の感触が思い出され、顔から火が出るように熱くなった。アンネさんもそれに気が付いたようで、雪のように真っ白な肌が高潮していくのが見て取れた。
互いに、これは熱気のせいだと言い訳を口にしたのは言うまでもない。
***
「正直ギリギリでした。あそこで逃げてくれなかったらもう、能力は時間切れになっていました」
こう答えたのは、辺りが暗くなって星が見えるようになった公園のベンチでのことだ。
「いや、初めてにも関わらずあそこまで敵を追い詰めたのは賞賛に値する」
褒められることに悪い気はしない。むしろ嬉しいくらいだ。人から褒めてもらうのはいつ以来だろうか。物心付いた頃からはもう、大して記憶が無い。
「ねぇ、なんでアンタが能力を使えるようになってるのよ」
聞き慣れた声で疑問符が投げ掛けられる。幼馴染の風香だ。無傷とは勿論いかないが、軽傷だった為、遅れてきた組織の増援の手当てを受け、どうしても聞きたいということで連れてきたのだった。本来であれば精神的トラウマの検査の為に入院するのが望ましいのだが、たっての希望でそれを回避してここに居る。
「それについては私から説明しよう」
アンネさんが俺にしたのと同じ説明を風香に施した。
能力のことを聞いた瞬間、なるほどねと納得した顔で大きく頷いた。
「でも風香は能力使えば聞かなくたってわかるだろ?」
風香はぎくりとした表情を一瞬浮かべたが、すぐに取り繕い、
「重要なことは私から視るんじゃなくて直接言葉で聞きたいの」
なるほど、と頷いたもののよくわからない。これが俗に言う『乙女心』というやつなのだろうか。いやいやまさか、ガサツな風香にそんなメルヘンな心が備わってるなんて考えにくい。
「アンタ今あたしを心の中で馬鹿にしてるでしょ?」
しまった、心が読めるんだったと我に返った俺はすぐに地面に頭を擦り付けた。やっぱりね、と呆れ声が聞こえるだけで鉄拳が飛んでこなかったのは元気が無い証拠なのかもしれない。
「それより風香、怪我は大丈夫なのか?」
「うん、平気だよこれくらい。もっと酷い怪我の人だっていっぱい居るしね……」
不幸中の幸いと言うべきか、今回の一件では死者は出ていないそうだ。だが、この先いつどこで同じような悲惨な事が起きるかわからない。奴らは本気で人を殺しに来ているように感じた。何が彼女たちを駆り立てているのかは直接聞かないことにはわからないが、例え大義名分があったとしても行っている事は身勝手な暴力でしかない。
「自己紹介がまだだったな、私はアンドール=フェネット。十八歳だ。君たちより年上だが、敬語も要らないしアンネと呼び捨てで構わない」
「え!?年上!?」
風香がかなり失礼な驚きを見せる。
確かにアンネさん……アンネは小さい。顔も幼い顔をしている。しかしそこに驚いてしまったら彼女の威厳と言うものが無くなってしまうだろう。
あぁ、と詰まりながらも冷静に返事をしているつもりなのだろうが、眉間に入った一筋の線が誤魔化せていない以上、感情が表に出やすい人なのだろう。その辺りも幼さを加速させている、なんて口走った日には俺へと矛先が向いてしまいそうなので自重しようと思う。
「こんなに小さくて可愛くて肌が白くて妖精みたいなのに年上なのかぁ~」
「んなっ、可愛くなど無い!」
明らかに動揺しているアンネを他所に、風香は頭を撫で始めた。そういえばコイツは昔から可愛いぬいぐるみとか自分より幼い子を愛でる癖があったな……。
撫でながら風香も自己紹介を済ませ、問いかけた。
「アンネちゃんはどうしてASに入ろうと思ったの?」
いきなりちゃん付けとは恐れ入る。風香の方がヒーロー向いてるんじゃないのか?
まず手をどけろ、と振り払われて残念そうな顔をする風香。ぷりぷりと怒る姿に出会った際の強気な印象は薄れた。
しかし、アンネを見るとどうしても唇に目がいってしまうのを何とかしない限り、今後目を合わせて話せそうにない。思い出すとまた顔が熱くなる。
「私は小さい頃から警察に憧れて、高校を卒業すると同時に警察官になるんだと決めていた。私の父も警察官で、将来は父のようになるんだと。しかし、去年の彗星の一件で能力に目覚めただろう?私はその時思ったのだ。一歩遣い方を誤れば人を殺めてしまえる能力を持った人が、悪意を持って暴れたら世界はパニックになると」
そう、それは全ての始まりの彗星が去った直後に懸念されたことだった。能力を持った人間に立ち向かうには、同じく能力を持った人間がぶつからないと歯が立たない。最悪の場合、死ぬこともあり得る。
「だからこそ、ASに入ったのだ。私の父にはどうすることも出来ないことも、私が矢面に立つことで解決できるはずだと考えた。自分の能力がこんなものでなければもっと前線に立って飛び回りたいのだがな……」
そう語る横顔は、どこか寂しげに見えた。同時に醸し出す雰囲気から、神秘的にも感じられた。
俺と風香はそれを聞いてなかなか口を開けなかった。沈黙が訪れ、夜風が揺らす公園の草むらのざわめきだけが響いていた。
「……ところで」
沈黙を破ったのは風香だった。
「あたしは家が壊れちゃったから一時避難所に行くけど、アンネちゃんもそこに行くの?行くなら一緒に行こ!」
「すまない。気持ちは嬉しいのだが、風香はASの用意した車を呼んであるからそれに乗って行ってくれ。今日の奴に顔を覚えられていて襲われるといけないからな」
そっかぁ、と残念そうに漏らすが、年上だってこと忘れてないかこの幼馴染は。
「じゃぁアンネちゃんはどうするの?」
「学校の傍に部屋を借りた。そこで草太と一緒に住む」
「「……は?」」
その時、俺と風香の時間が止まった。
温い夜風すらも吹いていなかった。
1章【はりぼてのダークヒーロー】 了