1章「ダークヒーロー(仮)」 Ⅱ
Ⅱ
「まず今世の中で何が起こっているのか、説明して欲しい」
ベンチに腰掛けたアンネさんの前に立って説明を促した。組んだ足がマントの隙間からちらりと覗く。どうやら下は短いズボンを履いているのか、はたまた何も履いていないのか、いやいやそんなはずはない、と一人問答を繰り広げる。
まず、と声が出され一瞬で我に返る。全くもって目のやり場に困るが、眉間の皺が出ないよう気を張って聞くことにしようと決意した。
「私たちASが発足した理由を知っているか?」
「はい、一応ニュースで散々放送していたので……。能力犯罪が多くて、それを逮捕したり抑制するために能力のある人が集められた、と」
能力を使った犯罪の横行が広く知れ渡ることになったのも、そういった報道あってこそのことだった。
毎日毎日能力者が何か罪を犯し、ASの力によって逮捕されたというニュースが垂れ流されていたら嫌でも覚えてしまうだろう。
「そうだ。私たちは能力犯罪を無くす為に動いている。……だが、それだけでは五十点の答えだな」
「五十点?何か他に理由があるんですか?」
あぁ、と短く呟いた後、少し遠い目をしながら話を始める。
「お前の言ったことは勿論正しい。私自身、ASに入るまではそう思っていたからな。しかし、公表していないことがあるんだ。それを今からお前に伝えさせてもらう」
ごくり、と生唾を飲み込む。夕暮れの蒸し暑さの中、不安から来る若干の後悔と、もう後戻り出来ない焦燥感から全身の毛穴から汗が噴く出してくるのを感じていた。
「……冗談だと思うかもしれないが、悪の組織が生まれたんだ」
「…………は?」
前置きがあったものの、何を言っているのか理解出来なかった。
悪の組織?それって日曜の朝にレンジャーやライダーが戦っている相手のことなのか?
「すまない、始めはそういう何を言っているんだという訝しんだ顔になるのも無理は無い。私だって初めて聞いたときは自分の耳を疑ったよ」
はは、と苦笑いをして見せながらアンネさんは説明を続ける。
「もっと詳細に話させてもらうと、能力にも分類とランクがあるんだ。これ自体は警察が勝手に作り当てはめたものだが、人に危害を与えるものはA分類、心や精神に関するものはB分類、傷を癒すものをC分類という具合にな」
なるほど。確かに能力と言っても多種多様で、本当にファンタジーなものもあれば家電製品のような微妙な能力も多いと聞く。
「そのA分類の中で、特に危険度の高い能力を私たちのなかではS分類と呼んでいるのだが、最近そのS分類の能力者たちが手を組んで組織化したらしいのだ」
それがASが発足されたもう一つの理由、それは理解が出来た。だが、
「で、でも待ってください?そこにどうして俺が必要になるんですか!?」
ついつい声を荒げてしまう。そんな危険な能力者同士の争いにこんな何の力も無いただの平凡な高校生がどうして必要なのか。能力なんて無いことはすでに実証済みだし、家系的に遥か昔に魔法を使ってきた一族だったなんてことも無い。父はただの会社員だし、母はスーパーでレジ打ちをしている。本当に平凡な高校生なのだ。
「そう、それを今から説明してやる」
おもむろに立ち上がると、不適な笑みを浮かべながらその意味を言葉にした。
「私の能力が『人の妄想を三分間だけ現実のものにする』というものだからだ」
思わず目を丸くした。まさか……そんなことが……と呟いた俺の顔はさぞかし間抜けだっただろう。
鳴り響くヒグラシの鳴き声は何度繰り返しただろうか。沈んでいく夕日を浴びて長く長く伸びた影が、さらにどれだけ伸びただろうか。自分の思い描いてきたくだらない妄想が、ずっと夢見てきた世界が、こんなにも容易く唐突に手に入ることになった現実に、俺の脳内の処理速度が追い付かなかった。
「だが……勿論それには制約があるのだ……」
アンネさんの言葉はもう、ほとんど俺の耳には入って来なかった。
葛藤が始まっていたからだ。
確かに嬉しい。嬉しいのだが。
例えそれが現実となるとはいえ、果たして良いのか?中学生の頃の俺なら恐らく嬉々として受け入れていただろう。だが今はもう、自分の中でアレは痛い行動なのだと自覚してしまっている。左手をかざして『暗黒の裁き!』などと叫ぶのか?眼帯を付けてそれを外しながら『この目に映る我に向けられた敵意を全て、滅する』なんて言えるのか?しかもそれを人前で。
今から再び黒歴史と呼べるような人生を進んで行って良いものなのかという葛藤が俺の中でぐるぐると渦巻いていた。
「そ、その……制約なのだが……」
―――刹那、鳴り響いた爆発音と瓦解音が、アンネの言葉と俺の葛藤を同時に吹き飛ばした。
「くっ、まだ全て話していないがしかたない!草太、行こう!敵が現れたようだ!」
へ?と気の抜けた返事を聞いてもらうことも出来ず、アンネさんは俺の手を引っ張り駆け出した。
バクバクと飛び跳ねるように鼓動する心臓が、状況を飲み込めない困惑から来るものなのか、初めて女性と手を繋いだ緊張から来るものなのか。一体何に対してなのか混乱した俺の頭ではわからなかった。
***
日頃の運動不足がたたり息切れが始まった頃、街の異変に気が付いた。
焦げ臭い臭いが辺りを包み込み、所々から黒煙が上がっている。家の塀は崩れ、道路には穴が開き、街路樹は燃えているものも見られた。
「まるで……戦場だ……」
暑い。いや熱いというべきか。噴き出した汗が流れること無く蒸発していってしまうほどだ。そんな中を走り続けているにも関わらず息切れをしている様子の無いアンネさんは小柄ながらもさすがは特殊な部隊に所属した人間なんだと感心してしまった。
しばらく走り続けた後、破壊が一段と激しい場所で立ち止まった。
「恐らくこの辺りに居るはずだ」
ぜひぜひと咳をする俺に対し、淡々とした口調で現状の報告をしてくれた。
肩で息をしながら見た光景を、俺はきっと一生忘れないだろう。
広がっていたのは、俺が育ってきた街の風景ではなく、一言で言い表すなら『火の海』だった。きっとそれ以外にも表す言葉はあるのだろうが、熱気で呆けた俺が辛うじて考えられるのはそれくらいだった。
崩壊し瓦礫となった家屋、至る所で上がる火の手。幼い頃に風香とよく石灰で落書きしたアスファルトの地面は、掘り返されて土が覗いていた。
「こっ、ここに住んでいた人たちは……!?」
「安心しろ、ASの救助チームが先に到着し避難させたとの報告が入っている」
いつの間に付けていたのか、耳からイヤホンマイクを外しながら冷静に教えてくれた。
一先ずは肩を撫で下ろしたのも束の間、獣のような声が木霊した。
「ひゃーはははは!燃えろ燃えろぉ!」
声が聞こえたのとほぼ同時に手を引かれ一際大きな瓦礫の山に身を隠した。
アンネさんが端からゆっくりと顔を出し、声のした方向を見渡している。そしてある一点で停止する。
「聞いていた時期よりずっと早いじゃないか、偵察部の役立たず共め……!」
険しい表情ときつい口調からは、先ほどまでの丁寧に説明を施してくれたアンネさんの面影は無く、ただただ焦りだけが顔に貼り付いていた。
「こんなことになってしまって本当に申し訳が無い……。ASの恥を晒してしまったこと、完全に覚悟を決めてくれたわけでもないのに巻き込んでしまったことを重ねて詫びさせて頂きたい……」
「あ、いえ、そんな……」
そんなことない、とは言葉が出てこなかった。受身な姿勢でいたせいで引っ張られる手を振り解く事が出来なかった自分にも確かに原因があるとはいえ、半ば強制的にここまで連れてこられたのだ。言葉に詰まってしまった。
「しかし、詫びたからといってこの状況が覆るわけでもない。改めてお前に、美作草太に問いたい。こういった惨状を二度と起こさない為にも、どうか少しだけでも良い、私に力を貸して欲しい……!」
深々と下げられる頭に俺は動揺した。確かに俺は妄想を人よりもしてきただろう、設定を考えては痛々しいキャラを演じてきただろう、だがそれがどうした。それ以外は平々凡々な学生なんだ。秀でた部分など何も無い。むしろ運動神経など他の学生よりも低いくらいだ。
物心付いたときには自分の限界を感じていた。これ以上努力して何を得るのか、考えたらそれまでしてきた努力すらせずに、毎日の流れに身を任せて流されていくだけになっていた。
嫌なことからは逃げて、楽なことへ飛びついていく。それで生きていられるんだ、必要の無いことの取捨選択は当たり前ではないか。そんなことを考えているから毎日がつまらない、悪循環から逃れられない。
「お、俺が……やらないと言ったらアンネさんはどうするんですか……」
違う、これも逃げだ。相手の動きを探って最適解を導きたいだけのただの逃げだ。
やらなくて良いと言って欲しいだけだ、私がやるから帰ってゆっくりしていて良いという答えを求めているだけだ。
瓦礫の向こうから大きく炎が上がる。同時に轟く声に、俺の膝は完全に笑っていた。
「私は……それ以外に能力が無い。それでも、大した能力が無くともASだ。身体能力だけはその辺の男子よりは高い。増援が来るまで私が奴をここに留めるつもりだ」
強気な発言は、不安そうな顔から発せられていた。当たり前だ、怖いんだ。
「……わかっている、怖いのだろう。すまないな、こんなことになってしまって、私の思い違いだったようだ。なかなかパートナーは見つからないものだな」
俺が特別なのではないんだ。俺だけが特別ではないんだ。今までアンネさんは沢山の人を勧誘してきたんだ。それを考えた瞬間に葛藤は消えて、代わりに放棄できるという安心感が動揺を押し退けた。
このまま断ってしまおう、固まった決意は響き渡る悲鳴によってあっけなく崩された。
「おっ!まだ人が居たのか、燃やし甲斐があるなぁ~!」
「た、助けて……誰かっ……!」
毎日のように聞いていたあの声を、俺が間違えるわけがない。他ならぬ俺の幼馴染の声だった。
身近な人間が殺される恐怖。逃げることに傾いた天秤は、一気に逆へと振り切れる。
ここで大切な親しい人間を、俺が逃げ出して殺されてしまうくらいなら。
「アンネさん」
助けに向かおうと身体を起こした彼女の肩を掴んで呼び止める。
「俺に、あの幼馴染を救う力をください」
「良いのか、と聞くのは野暮のようだな……」
そうだ。
どんな漫画やゲームの主人公だって同じだ。
決意を固め、新天地に足を踏み入れるのは、いつだって一つのシンプルな理由なんだ。
「大切な人を、救う力をください!」
ありがとうと呟いたアンネさんは、俺の正面を見据えた。
「能力を使う。すまないが目を閉じてくれないか」
何も言わず、すっと目を閉じる。
ところで聞きそびれていたな、能力の制約を。俺にも何かやらなければいけないことがあるのだろうか。
答えはすぐにはっきりした。
「言いそびれていた能力の制約だが……与えたい相手と接吻を交わすことなんだ」
せっぷん?それって……と思わず目を開けた瞬間に、
唇に柔らかいものがふわりと触れた。