プロローグ
それは、甘美なる囁き。
日常から非日常へと飛び込んで行く為の、言わば片道切符。それを差し出されたら……受け取るしかないじゃないか。
―――力が、欲しいか……?
脳内で反響するその声を、俺は心のどこかで待ちわびていたのかもしれない。
「欲しい……この腐った世の中を、狂った世界を変えてしまえるだけの力が!」
―――力が、欲しいか……?
再度繰り返される重く荘厳な声。不思議とその声に不安や不信は抱かない。ビリビリを響くような重低音が、まるでロックの音楽のように脳内に流れ込んでくる。
こぶしを握り締め、姿も見えることの無い“何か”に示すように前に突き出す。
「あぁ、欲しいんだ!何もかもを殲滅してしまえるような、圧倒的な力が!」
暗闇は依然として変わらない。脳内世界なのだろうか、そんな情報すらも無く、ただただ黒で塗り潰したような空間に俺の発した声は飲み込まれていく。
しんと静まり返った闇が俺を包む。だがしかし、どこか温もりを感じる。そうして俺が日頃から考えていることを思い出す。『闇は俺自身』なんだ。何も知らないような愚かな人間たちは俺のことを頭のおかしいやつ呼ばわりをするが、そんなことは関係ない。現にこうして闇との対話に成功し、力を与えられようとしているのだから。
―――力が、欲しいか……?
「え?」
おかしい。つい声を上げてしまった。二度も呼びかけに応じているというのに、繰り返される全く同じ質問。
どういうことなのだろうか、俺の気持ちが足りないとでも言うのだろうか。そんなはずはない、俺ほどに世界の危機を滅することに最適な人間など他には居ないはずだ。
そんなことを考えていると唐突に足元に大きな揺れを感じた。ゴゴゴゴゴという地鳴りが響き、立っていることが辛くなる。バランスを崩した俺に追い討ちをかけるように、目を焼いてしまうのではないかと思ってしまうほど眩い光が俺を襲う。
「ぐっ……!なんだ……この光は……!」
―――力が、欲し、ガシャン!
「草太!この変な声の目覚まし、やめなって言ったでしょ!」
怒声と共に俺の非日常は日常へと姿を変える。
あぁ、朝だ。温もりを感じていた布団も剥ぎ取られてしまった。
「夢か……」
「何の夢見てたか知らないけど、アンタ遅刻するよ!」
突き出したコブシは、電灯の紐にすら届いていなかった。
【プロローグ】
この世界は間違っている。
夢の中で思っていたことは本当だ。深層心理でも何でもなく、常日頃から思っていることなのだ。
いつか力が発現し、不条理と戦い、時に悩み時に暴走し、まるで漫画の主人公のような人生を歩む……。俺、美作草太は中学二年の頃から三年間ずっとそう信じてきた。
なのに現実はどうだ?
俺には何の力も無い。手をかざしたって闇の波動なんて出るわけもなく、目を見開いても他人を操ったり空間を消滅させることも出来ない。
極めつけは一年前のこと。彗星が接近するというニュースが流れた。何百年に一度しかないというその出来事に日本中が盛り上がった。
その彗星は『アビリターレ彗星』と呼ばれている。イタリア語で『能力を与える彗星』という意味だそうだ。文字通りその彗星が接近することによって、人々は能力に目覚めた。まるで漫画や小説のように。
ただし。
それは女性にだけ、与えられたのだ。
理由は不明、また与えられた能力は誰一人として同じものは無いということが調査によってわかっている。年齢に関しても十五~二十歳の比較的若年層にのみ発現しているらしい。
そんな思春期真っ盛りの子供に大きな能力が備わったらどうなるか、結果は火を見るよりも明らかだ。八割の女子生徒は学校に来なくなり、自分の思い通りにならないことを力任せに通すようになっていった。
最初は本当にこの世の終わりだと思った。あちこちで戦いが起こり、まるで世紀末の世の中になってしまった。
「わかるわかる、あたしも世界が滅んじゃうのかと思ったもん!」
「うわっ!?」
唐突に耳元で発せられた声に驚き飛び退く。
「そんなに驚かなくても良いじゃん、失礼ね」
そう言って、ぷりぷりと頬を膨らませている女生徒。長い黒髪を風になびかせ、いわゆる日本らしい和風美人といった佇まい。幼馴染というか腐れ縁というか……小さい頃からの長い付き合いの逢沢風香だ。
「だから勝手に心を読むのやめろって言ってんだろ」
「んふふー、朝から眉間に皺寄せて何考えてるのかなーってね」
そう、彼女の能力は『心を読む』こと。
ファンタジーなんかの世界だと、そういう能力を持った人間は大体入ってくる情報の取捨選択が出来なくて心を壊してしまうのが鉄則であるはずだが、彼女の場合は違う。
理由として『能力の制約』がある。彼女の場合、能力の発動には相手を三十秒以上見続けること、加えて相手の名前を知っていることが必要になる。だから能力のセーブも容易に行えるというわけだ。
「確かに最初は色んな人の心読んでて頭おかしくなりそうだったなー」
「だから読むなっつーの!」
結果として世界が滅ばなかった理由はそこにあるのだ。能力を使う人間は、同時に制約が課せられる。それ自体は風香のように使用条件だったり、後から何かをしなければいけないといった対価方式のものもある。
「ま、結局落ち着くところに落ち着いたって感じだよね」
「まぁな、一時期は学校行っても男子しか居ないし、そのせいで勉強どころじゃなかった。それが今じゃすっかり元通りだもんな」
もっとも、元通りなのは生活だけで、建物や自然への被害の爪痕は未だ残っている。
例えば今通り過ぎた正門も、身体を硬化する能力を手に入れた子が破壊したままになっている。理由は聞くと馬鹿らしくなってしまうのだが『遅刻したら先生が門を閉めたせいで入れなかった。だから壊して入った』だそうだ。真面目なのか不真面目なのかよくわからない動機だ。ちなみに能力の制約が『硬化した部分の皮膚が、能力を使う度に荒れる』という女子には少々酷な制約だったせいで、その子はそれ以来能力を使っていない。
「草太に能力出なくて残念だったね、中学の頃あんなにカッコつけて必殺技とか設定とか考えてたのにね!」
「お前!やめろ!あの時の俺はもう死んだんだ!」
「そういう言い回しがあの頃の癖が抜けてない証拠だよね」
俺は中学の頃、いわゆる中二病だった。過去形だが今でも目覚ましを中二仕様にするなど抜け切っていない部分も多い。あえて分類するとしたら『隠れ中二病』とでも言うべきか。
「え、アンタまだあの趣味の悪い目覚まし使ってんの……?」
「だから読むな!」
***
右から左へ抜けていく教師の声をBGMにしながら、妄想をしながら一日を過ごしていく。いつの日か学校を化け物だとか能力者の集団が襲撃しに来て、それを俺が一人で倒してしまう。きっと誰もが一度はしたことがあるだろう。
いつもと何も変わらない、退屈な日常。その日も変わらずに、通学時に風香と話し、授業中は妄想をして過ごす。友達と昨日のテレビについて意見交換をして、昼は屋上で風を浴びながら一人で……食べたい衝動を抑えつつ、屋上に入れないのでしかたなく教室で食べる。
薄々俺は気が付いていた。
俺は何かに選ばれるほど優秀な人間ではない。運動も人並み程度しか出来なければ、勉強も頑張って中の上が限度だ。異世界からの使者が俺を選んで力を授けることなんて絶対にあり得ない。漫画で見かける『俺は普通の高校生』なんて嘘だって知っている。普通の高校生が正義感から身を挺して他人を助けたりなんてしないし、相手の攻撃を見切って避けることなんて出来ない。
そうやって冷めた事を考えていると嫌でもテンションが下がっていく。廊下を歩く足取りはいつもよりも重い。
のろのろとした手つきで下駄箱で靴を変える。今日も同じ日常が過ぎ去った。早く帰ってゲームをしよう、そう決意したときだった。
「先輩、少しお時間頂けませんか……?」
呼び止められ、人気の無い校舎裏へ連れていかれた。まるで架空のシチュエーションのようでドキドキしてしまう。そうか俺の人生は能力ファンタジー活劇では無く、学園恋愛ものだったんだと錯乱する。
背が低く、軽く茶色がかった髪を肩で結んで二つ結びにしている。見るからに真面目そうな女生徒だ。
そんな彼女がもじもじと恥ずかしそうにしている様子は、どうにも小動物を連想させる。恥ずかしそうに制服の裾を握り、うつむき加減でこちらの様子を伺っている。
「そ、それで!な、ななななんで呼び出したのかぬぁ!?」
噛みまくりで声の裏返る俺、非常にカッコ悪い。こんな経験初めてだからどうにも落ち着かない。
「えっと……その……」
ごくりと生唾を飲み込む。
「私、中学の頃から先輩に憧れていました……!だから……先輩の弟子にしてください!」
「……は?……弟子?」
思わず聞き返してしまう内容だった。弟子とは何の弟子なのか、しかも中学の頃からということは俺の黒歴史の時代からということ。毎日左手に包帯を巻き、事あるごとに暴走している設定を装い腕を抑えてうずくまっていた暗黒の時代。思い出しただけで自分の腹に刃物を刺して切腹したくなる衝動に駆られる時代。
「私なんかじゃ……ダメなんでしょうか……?やっぱり能力が無いと……」
現在能力が宿っているのは高校二年以上の女性のみ。彗星接近時に高校生だった者だけに限られているのだ。
「い、いや、能力とかは関係無いんだけど……」
「私、『混沌の暗黒騎士』様の為なら何でも出来ます!」
思わず血を吐くところだった。
まさかあの時代に名乗っていた名前を呼ばれるとは思っていなかった。からかわれているのかと思ったがそうでは無さそうだ。なにせ目が真剣そのものなのだから。
「左手からは闇の波動を出せて、左目で見たものを圧縮して異空間へ飛ばせる先輩に、私は憧れていたんです!だから、だからどうか!お願いします!」
設定も完璧。だがしかしやめて欲しい、もう言わないで俺目から汗が出てしまう。やばい子に目を付けられてしまったと汗が吹き出してくる。逃げ場は無さそうだし、周りに助けを求めるにもここは人気の無い校舎裏。誰も助けてくれなさそうだ。
じわじわと鳴くセミの声を聞きながら、夏はやっぱり暑いなぁ、こんなにも汗が出てくるんだから、などと現実逃避をしてしまう。深々と頭を下げて直角になった後輩の頭の旋毛を見ながら、どうにか逃げる方法は無いかと模索する。
もう、なりふり構っていられない。憧れの暗黒騎士様に断ってもらおう。
「ふ……ふふ……」
「……先輩?」
急に笑い出す俺を不審がったのか、頭を上げる後輩。顔も幼い感じで可愛いのに、なんて残念な子なんだろうか。
「残念だったな少女よ!我の弟子など片腹痛いわ!闇の世界で命を賭して戦う我に弟子など不要!」
不要と言われ肩を落とす彼女に、慌ててフォローを付け足す。
「だがしかし、その意気や良し!影で我を見守るというのであれば許可しようではないか!」
我ながら何言ってんだ自分という気持ちを持たざるを得ないが、この後輩女子には喜びの方が大きかったようだ。
「ありがとうございます!私、1年の片倉木葉って言います!先輩の活躍、見守らせて頂きますね!そして……いつの日か、背中合わせで戦わせてください!」
「あ、あぁ……」
気の抜けた返事が聞こえたかわからないうちに彼女は走り去っていった。
木陰になっているとはいえ、地面に反射した日差しが身体を焼いている。汗がだらだら垂れてくるのは騙しているという罪悪感からなのか、単純に暑いからなのかわからない七月のことだった。
頭上からは耳が痛くなるほどのセミの声が鳴り響く中、ふと声が聞こえた気がしたんだ。
「見つけた」と。
【プロローグ 了】