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語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
第一部 第一綴 『眠る琥珀と禁忌の女』
5/43

形天説

『語る脳子と、綴るは我子』

【第一部 第一綴 眠る琥珀と禁忌の女】

【形天説】


§

《天獣紀『天地創造』》


天があった。


天はふかい海のそばに腰をおろして

まずはそれに息をふきかけた。


すると 

泥と水が分かれた。


泥はせかいの果てに追いやられ

水はひくい所へと流れこんだ。

せかいの中にはいくつもの島が残った。


天は静けさから

自らのせかいをまもるように

泥をあつめた。


泥は全てをおしながそうとするものたちをたべ

そうして、幾つもの穴がうまれたあとに

さんざめきは風となって、島々に吹きかかった。

谷や山のふぞろいに音がひびいた。


天はそれを聴いて、このせかいを名づけた。


§

《フォルド神書『源泉、凋まぬふくらみ』》


原初、あらゆるものは汚濁のなかに溶け込みて、語り尽くせぬは渾沌に安寧をみまいしがその弛みの極大におきて、偶に脹の兆が生きん。して怠惰の底から己在語ろうとせしものがその意欲をもちて生温き源泉の膜を破りきたり。穴離たれののちに拓きたりしもの、己が天瞳を持ちしことを知りて高きに昇る。そのとき無明長夜なる全一の源泉、ついに底なき力を喪いたり。開拓の意欲、自らに己なる者『天』という真名を見出せば後背の汚濁の潮海泥を『流天背』と呼びたり。眼前の穴には『恒天臍』と名付けたり。ここに世界なる原初の視点領域生まれしが、恒久刻定されし穴はそれ故に限象であると悟りて、無限の渾沌にこそ真実あれと意欲それをついに知る。恒天世なれど夜の帳に包まれるべしと、意欲に反せしものの無念さえ、混濁がために神身を海穴吐瀉へと投げうちた。然れど流天すでに解かれしゆえ、意欲に無謬へ還るすべ聊かも無く、ただ限に象られし底にて己在示すのみ。淵から落つ曇濁流水は昇りては降り、沈みては浮かばんと滝の如く狂いて、果ては恒久となる。天、今まさに自然より放れきたりを解して、廟穴の底に淀みし源海の濁りに万根張りて、深淵となりし無限不可比なる世竟蔓延に無念と果てし己が残滓を見つけたり。魔異と化し方我、天瞳もちて本躰に触れんと為せば、天その穢れを祓わんと面被りて『臍』にて舞踊せん。


§

《バレア正典 ニレム書 1-2『天地創造』》


世界に未だ形がなかったころ、

大神は住まわれる国より指先を伸ばされた。

偉大なる爪先が空白に入りこみ、

その時に落ちた欠片が

いぇすとりくぁの神へと変化した。


空白のなかで、

小神は光と愛を呼び寄せられた。

こうして、輝きと影が降り下った

神は輝きを昼と呼び、影を夜と呼ばれた。

それらはつねに流れることを欲した。

夕べがあり、朝があった。

そして第一夜となった。


空白のなかで、

神は水と呪を呼び寄せられた。

こうして、天空と大海が降り下った。

天と海の両方が青々と輝いた。

あるいは黒々と静まった。

それらはつねに留まることを欲した。

夕べがあり、朝があった。

そして第二夜となった。


空白のなかで、

神は土と秘密を呼び寄せられた。

こうして、大地と塔が降り下った。

神は大地を腰掛けとし、塔を梯子とされた。

それらはつねに忘れないことを欲した。

夕べがあり、朝があった。

そして第三夜となった。


空白のなかで、

神は火と命を呼び寄せられた。

こうして、嵐と草木が降り下った。

神は嵐をこよなく愛し、草木が巻き上げられるのを喜ばれた。

草木にとってあらゆるものが愛に満ちていた。

それらはつねに変わることを欲した。

夕べがあり、朝があった。

そして第四夜となった。


空白のなかで、

神は音と瞳を呼び寄せられた。

こうして、名と心が降り下った。

神は遍くものに名をつけ、そして心を与えた。

それらはつねに止まることを欲した。

夕べがあり、朝があった。

そして第五夜となった。


空白のなかで、

神はもはや何物も呼び寄せることをやめ、

ただ静かに在りしものどもを待たれた。

こうして、昼の民と夜の民が生まれ、

それぞれに天と海の民が生じた。

在りしものどもは、

神々の法則にしたがって動き続けた。

名と心が彼らを縛りつけ、

神が思わぬようなことは決して起こらなかった。

夕べがあり、朝があった。


そして第六夜となって、

朝がくるまでのほんの短い時間に、

いぇすとりくぁの神の、

偉大なる御影が名と心をお持ちになられた。


空白のなかで、

影は夢と言葉を呼び寄せられた。

こうして、獣と人が暗闇より生じた。


影は獣を祝福して言われた。

海の魚、空の鳥、

地の上を這う生き物すべてとなりて。

産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。


影は人を祝福して言われた。

海を渡り、空を渡り、

地の果てすべてを渡る翼となりて。

歌えよ、崇めよ、天に満ちて天を従わせよ。


地は獣の住まうところ、

天は人の住まうところ、

神の影は、そのようにお決めになって、

それから、美しい輝きが影を消し去った。

そして朝とともに祝福だけが残った。


第七日となって、

獣は天へと羽を広げ、

人は地へと足を下ろし、

法則がみなばらばらになってしまった。

しかし、すでに天地万物は完成された。

第六夜に、神は仕事を完成され、

第六夜に、神は仕事を離れて安息なさった。

この夜に神はすべての創造を離れられたので、

第七夜を閉じられた。

こうして神は、この地を去られた。


これが天地創造の由来である。



§

《天獣紀『天子』》


最もおおきな陸地に天は寝そべり

子をうんだ。


胎からうまれたのは回るものであった。

あさとれいを司る子として

天は流れるものをうんだ。

これは、ハオンと名づけられた


広がるものがうまれた。

よるとねつを司る子として

天は漂うものをうんだ。

それは、ケインと名づけられた。


果てるものがうまれた。

てんとしめりを司る子として

天は沈みゆくものをうんだ。

それは、マウンと名づけられた。


集まるものがうまれた。

ちとかわきを司る子として

天は転ばぬものをうんだ。

それは、ベランと名づけられた。


この四の偉大なる子たちから、

四の天なる獣と、二十四のつき従う獣が生まれた。


天は最後に、語る言葉の子どもたちを生み出し、

この世界に名づけの力をおとした。


それにより、世界はばらばらに解かれた。

すなわち、それが世界の始りであった。


§

《クレリア魔法大学発行『新論天地形成』序文より》


 (前略)


 さて、この世界がいかにして生まれたかというのは古くから繰り返されてきた問いである。太古の哲学者アトンによれば、世界とは巨大な円盤の上に盛られた土と水であり、我々のような微生物がそこに繁殖していることで複雑さを保っているにすぎない。本質的には、虫や菌類が住まう鉢植えと同じものである。

 とはいえ、仮に我々の世界が大きな鉢植えにすぎないとしても、菜園を人間が作り出すように、あるいは山々を自然が作り出すように、始まりというものは語りうるはずである。アトンは世界を乗せる円盤を『天盤』と呼び、その天盤を支配する法則を『天』と呼んだ。しかし、かかる天盤や法則自体はいったい何に根差して存在するのであろうか。我々はそのことを懸命に探究せねばならない。

 まず、我々にとって最も身近な世界、大地のことについて考えてみたい。大地は、人間ならびに他の動植物が何万年にも渡って生息してきた、いわば家のような場所であるにも拘わらず、いまだその起源について分かっていることは少ない。しばしばネルヴァ渓谷のような深層で発掘される古代人種や獣の遺物が話題となることはあるが、大地そのものが取り上げられることは少ないのである。

 数少ない手がかりのなかで、最も有益とみなしうるのは、バルニア帝国時代の地学者レイオ=カーリンによって行われた、龍神山脈の調査である。神話によれば古代神龍であるナーグ=フィオリ=エアヌスの墓標であり、遺体そのものである龍神山脈は、実界での調査によって単なる山であることが明らかになった。無論、神龍が死後に鉱石や岩石となるのであれば結論は容易に出せないが、現代魔竜の死体を見るかぎり、竜の肉体と岩石は別物である。

 では、この巨大な山脈は果たしてどのように形成されたのか。レイオによれば、可能性は三つあるという。一つは、遡ることができないほどの昔に、天獣の乱によって形成されたというもの。もう一つは、獣暦以降の古代人が大規模な魔術を用いて作り出したというもの。そして最後に、自然が何らかの方法で作り出していったというものである。先の二つはあまりにも古い時代の仮説であるために、魔力襞年代測定法を用いても検証することができない。仮に過去探査の魔導や術式を用いるとしても、その時代までは遡ることができないだろう。

 そこで我々は三番目の可能性に絞って、これを検討することとしたい。レイオによれば、自然がこうした巨大物を形成する場合、考えられる変動は二つある。一つは大陸同士の衝突である。これはひどく荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、実は中央大陸でさえ過去数百年と比べて、乾の方角に約7ニエル程度は移動している。これは大陸移動説と呼ばれているが、現代ではしばしば大陸生物説と呼ばれる無根拠な言説と合わせて論じられることが多い。

 この説を主張する、チュニスの地学者であり生物学者でもあるアレン=ピンによれば、大陸とは一個の生命体であり、海中のはるか下、古くより『天盤底』と呼ばれてきた不可侵深層のさらに下にその本体とでもいうべき『大脚』が伸びているという。もちろんクレリアのみならず多くの国家の大学は、ピンの説を真面目に受け取ってはいないが、大陸移動説自体は広く認められている。これが呪界変動やまだ我々が知らない地底変動によって生じていることは間違いないが、その原理はまだ解明されていない。

 いずれにせよ、大陸同士が衝突した場合には数千年か数万年の時間をかけて、大規模な大地の隆起が発生することは間違いなく、それによって龍神山脈が形成されたという説にはそれなりの説得力があるように思われる。しかしながら現在の調査研究では、そのことを裏付ける発見はいまだ成されておらず、非常に残念ながら、単なる仮説の範囲を出ないと言わざるをえないだろう。

 一方で、レイオはまったく異なる変動説も提唱している。それは端的には呪界変動説と呼ばれているものであり、呪界が実界に与える影響をかなり大きく見積もったものである。レイオによれば、龍神山脈とは巨大な呪力溜まりであり、呪界において性質の異なる呪力が衝突する対流圏となっている。確かに呪界の運動が流体のそれに酷似していることはよく知られており、また龍神山脈周辺でそうした運動が周期的に見られることも事実である。

 だが、そうした呪界運動が実界に大規模な影響を及ぼすかどうかは疑わしい。レイオは、バルニア黎明期の呪界流の混沌化が大陸乾部一帯を襲うアライス級魔素嵐を引き起こしたという記録も残してはいるが、そうした呪界と実界の連関に関する研究はまだ未成熟である。そのため、大陸における山脈地帯がいかにして形成されたのかということについて、明確な結論を出すことはできなさそうである。

 また、山脈形成の問題を取り扱うにあたっては、山脈以上に不可解な問題をまずもって解決しておく必要があることも忘れてはならない。それこそ、大陸自体の形成過程である。『天盤底』は探求心に溢れた水属限定魔術士によって幾度か調査されているが、いずれの探索も「天盤の破壊不可能を発見するだけ」に終わった。破壊不可能な物質として名高き『天鋼リハントラウス』が術式魔導と環境呪、そして特異な性質を持つ鉱石ユニスから生み出されることを考えれば、この天盤と呼ばれる岩石状の構造物も、同等の素材と魔導から形成されている可能性がある。それはすなわち『刻界』に『損壊不能の存在状態』を刻まれているということであり、同時に、それを刻み込んだものがいるということである。

 『天盤底』は古くはフォルドの時代から観測されており、それ以前となると我々が知る限りでは『旧獣暦』か、あるいはそれ以前に刻まれたものということになる。もちろん天来暦のことは我々には語ることさえできない。となれば、旧獣暦に世界を支配していた古の二十三氏族と呼ばれる『太古の魔術士たち』が天盤を作り出したということになる。当時はありとあらゆる世界法則が概念固定されておらず、人類は在りしもの全てに有意味干渉を行うことができたとされている。

 残念ながら学術研究というにはあまりに不足で、もはや妄想の域を出ないが、古代人類はこの時代に『天盤底』や大陸、大海やこの世に現存するありとあらゆる世界形成物を生み出したのかもしれない。研究者のなかには、実界自体も古代人が作り出した空想の産物だと語る者も少なからずいる。世界とは本来は呪界のことを指しており、それに形と名と法則を与えたことで、実界として定まった様相を取るようになったのだと。この説に関しては本書の第六章で詳細に取り上げたい。

 しかし、前述の説を信じるとすれば、当の古代人類を生み出したものが何者かという新たな問いに向き合わざるをえないことになるが、今のところ、これに関して我々はただそれを、『天』と呼ぶしかないだろう。議論もここまでいけば空想や妄想というよりももはや神話の類に近いかもしれないが、現状、人類がどこからやってきたのかを学術的にかつ説得力のある仕方で示すことは極めて難しい。

 だが、だからといって我々はこの問いを諦めてしまうわけにはいかない。なぜならば、我々自身がいかなる存在であり、この世界がいかなる存在であるのか、という問題は過去というよりも今の問題であり、我々のすべての学問領域に影響する、きわめて根底的な問いだと思われるからである。

 本書は、かかる難題に多角的に接近するべく、クレリア大学の広範な領域から識者を招聘し、その見地をまとめた。そのため本書には、地学研究者以外の専門家の考察も加わることとなっており、読者は行きつ戻りつする議論にやきもきするかもしれない。あるいはざっくばらんに纏まった珍妙な説の数々に辟易するかもしれない。いずれにせよ、読みにくい書物となっていることは確かである。

 しかしながら、一つところの視点領域からでは見えてこないものがあると我々は強く信じており、本書のような垣根のない分野間交流こそが世界の真実を、まことに明らかにするだろうと考えている。この序説の後に続く第一章は、原種生物学の権威であるアーロニア=マスカートの手になる『進化生物学論議』の概説と、彼自身の手による補足、そして大陸に住まう生物の形成にかんする、奇特でかつ重要な考察から始められる。驚き、一笑に付したいところもあるだろうが、どうか馬鹿らしいと笑う心を、ほんの少しだけ白紙にして読まれることをお勧めしたい。


 願わくば、すべての読者が本書を最後まで読まれますように。


 クレリア魔法大学 史学部地学科教授 

 エレイン=フォロニア


§





Δ

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