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蒼に溶ける  作者: nie
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05:あの日の歌を覚えているか

05:あの日の歌を覚えているか





灰色の空から小雨が落ちてきた。

まだ日の登らない早朝。電子時計に浮き上がる数字は05:30。

何時もの紺色の教員用の制服に黒い手袋をはめ、黒いバラのコサージュを胸に付ける。

昨日の夜のうちに用意した色とりどりの花束を手に持ち、黒いベールを頭から被る。

こっそりと、誰にも見られぬように足早に教員宿舎を後にした。


千尋は雨にぬれる事を恐れる事無く、まっすぐに、そして足早に歩んでゆく。

この場所でこの日を迎えるのはこれで2回目だ。昨年も快晴では無かった気がする。


校舎の裏にある草むらをかき分け、森を抜ける。去年はすがる気持ちでこの森を走った。この深く暗い森を抜ければ「貴方に会える」と何度呟いただろうか。

そして今年も、そう思いながら無意識に足が早まるのを感じた。


「っ………はぁ、っ……はぁ」


足元の悪いあぜ道を速度を落とすことなく突き進む。

息が上がり、呼吸が乱れた。

小さな丘を過ぎ、森を抜けた瞬間に広大な草原が視界に飛び込んでくる。

それはなんと美しくそして残酷な光景なのか――。何度見ても、一瞬足がすくむ。

草原のいたるところに立てられた黒石碑。ここは楽園とも終末地ともいえる場所。


千尋はある一つの石碑の前にしゃがみ込んだ。ふわりと、風が彼女の髪を揺らす。

誰もいない空間で木霊した声はやけに静かだった。


「葵くん……元気にしてた?」


ゆっくりと、その細い指で石碑に彫られた文字をなぞる。残暑の名残か、今にも息絶えそうな蝉の最後の叫びが聞こえる。それはまるで呻き苦しむ地獄の声。

花束を石像の前に置き、じっと目の前の黒い石を見つめ、言葉を紡ぐ。


「私ね、航空大の教員をしているの。おかしいでしょ?長谷先輩ならしもこの私がだよ?葵君が見たら絶対に笑ってるよね。この前なんてね、生徒に授業がつまらないって怒られちゃった。私になんか教員なんて……無理だよね」


乾いた笑いが出ると共に虚しくなる。自分で笑っているはずのなのに、何故かずきりと心が音を立てた気がした。

雨脚が徐々に強くなる。

ふわりとした千尋の髪に水滴が染みこんでゆき、頬に雨粒が流れて落ちて行く。重く分厚い雲が風によって流れては去っていった。どれほどの時間、其処に居たのだろうか。絞り出した声は、か細く、空気の音をはらんでいた。


「……私、もう……そっちに行っていいかな」


激しい雷の音が遠くで響き渡った。

木々にとまっていた鳥たちが一斉に灰色の空に飛び立つ。

スコールの様な雨はまるで千尋を糾弾するかのように、一層激しさを増す。

いつの間にか指先が冷たくなって、頬を流れる水滴は雨なのかそれとも涙なのか解らなくなって。

苦しい、と無意識に言葉が漏れる。

どうしてこんなことになってしまったのだろうか。気づいたら大切なものが手から零れ落ちていた。必死に拾おうとしても、もう跡形もなくなってしまっていた。


ふと、雨が止んだ。否、止んではいなかった。



「こんなところで、風邪ひくだろ」


あぁ、そうだ。いつだって貴方は私が苦しい時、傍に、居て、くれた。そう、あの時だって。


「っ、あおい、く――」


千尋は笑みを浮かべ振り返る。

振り向いた先には、無表情で傘を差しだした青年が立っていた。思わず目を見開いた。

黒い短髪、そして黒曜石のような美しい瞳をもった、美しい、人―――。

震える唇でその名前を呟く。


「高瀬くん……どうして」

「アンタこそ、なんでこんな墓場みたいなところで蹲ってんだよ」


力強い掌が、冷たくなった千尋の細い腕を強引に掴みあげる。長い間雨に打たれた体は自らの意志通りには動かず、わずかに抵抗した動きも簡単に阻まれる。


「冷たっ。アンタどれだけここに居たんだよ」

「あの、高瀬くん」

「こんなに雨に濡れて、風邪引くにきまってんだろ」


有無を言わさない態度で、雅也は自ら着ていたランニング用のスポーツジャケットを千尋の背にかけた。雅也の体温がジャケットを通してじんわりと千尋に伝わる。

その間も雨は止めどなく振り続けた。一つの傘に2人は並ぶように入る。

千尋は自らの背よりも高い雅也を見上げた。彼の瞳は目の前の墓石に向けらており、その真摯な瞳は何を考えているのか読み取れない。


「高瀬くん、なんで此処にいるんですか?」


一拍の後、黒い黒曜石のような静かな瞳が千尋の青い瞳をじっと見つめた。


「………知りたい?」


どくりと心臓が音を立てた。視線が絡み、二人の距離がゆっくりと縮まる。雨が降っているはずなのに、何も音が聞こえなかった。ただ、息をする静かな静寂だけが耳奥に聞こえる。


「先生の事が、気になったから」

「え?」

「朝の走り込みしてたんだよ。傘も差さずに山奥に消えていく自分の教師を見つけたら誰でも気になるだろ」

「そ、そっか」

「で?」

「?」

「新山葵って、先生の何?」


千尋は思わず、目の前の雅也ではなく横に静かに佇む墓石を振り返った。どくどくと鼓動が早くなる。彼はこの場に居ないはずなのに、何故か罪悪感で胸が締め付けられる。思わず自らの掌をきつく握れば、自分より大きな手がその上を覆うように握られた。


「直ぐ握る癖、直したら?このままだと、掌の傷いつまでも治んないよ」

そういいながら、雅也はきつく閉じられた千尋の指をゆっくりと解いてゆく。いとも簡単に解かれた指は、そのまま掌で包み込まれる。

温かな体温と優しい手つきに、千尋の視界がじんわりと滲んだ。決して痛くない、しかしゆるくもない、離れない大きくてしっかりした掌。いつものどこか刺々しい彼はどこにもいなかった。


「先生の同期?友達?それとも――」

「私の、パイロット時代の……航空大の同期です」


雅也は千尋の手を握ったままゆっくりと歩き始めた。歩みを進める度に雨粒に濡れた草がサクサクと音を立てて水しぶきを飛ばす。


「2年前の大戦で、彼は亡くなりました」

「…………」

「戦闘の最中、私が一番最後に彼の傍に居たんです。なのに、救ってあげられなかった」

「あの時、私がちゃんとしていればきっと彼は生きていた。なのに、私はっ……私は!」


千尋の声は途中から震えて、上手く言葉を紡ぐことができなくなっていた。瞳からは止めどなく涙がこぼれてゆく。


「なんで、っ私だけが、生きているのかな」


何度も何度も拭っても涙は途切れない。

雅也は、そんな千尋を振り向くことなく手を握ったまま歩き続けた。

ゆっくりと手を引かれる。もう、いい歳の大人なのに。まるでお気に入りの人形を無くした子どもの様だ。前を行く背中は大きくて、すがりたくなる。


千尋の涙が止まるまでその掌は優しくも、強く握られていた。

雨は、いつの間にか止んでいた。




****


「―――であるからして」


教員の声と共にカタカタとキーボードの音が室内に奏でられる。プログラミングの授業の最中、雅也は教員の言付け通り操作をしつつも、手元のタブレットを扱っていた。

非公式の国内のアングラサーバーを使用し、カモフラージュ用の閲覧も同時に行う。アクセス先は防衛相ではなく総務省。防衛相のセキュリティはハッカーでも難しいと言われる程に高度で尚且つ危険だ。その反面、総務省であればなんとか潜り抜けることができる自信があった。回線が込み合う、この学園のこのネット応用の授業の最中であれば。


素早くタップし、文字を打ち込んでゆく。

『小原千尋』

検索のタイムバーが青に光る。

学園の生徒であれば教員の経歴を調べることは何の不思議なことではないが、念には念を入れてだ。なんとなくだが、彼女には何らかの違和感が常にあった。得体のしれない、何かが。


「……ビンゴ」


検索終了のアイコンと共に表示される経歴一覧。

画面上に彼女の今より少し幼い写真が挙げられていた。



ID 993002-A-6709583

氏名 小原 千尋 (オハラ チヒロ)

所属 帝国航空大学

職種 帝国航空大教員(飛行学)

生年月日 2400.09.12

年齢 25歳

血液型 A


経歴

2415.3 九星区立中学校普通科 卒業

2415.4 一星県立高等学校 心理科学科 入学

2419.3 一星県立高等学校 心理科学科 卒業

2419.4 帝国航空大 入学

2421.3 帝国航空大 卒業

2421.4 帝国航空大 幹部候補生 加入

2421.12 特例招集により パイロット承認

2423.6 帝国航空大教員 着任



「特例招集?なんだ、これ」


候補生から約3年かけてパイロットの承認試験を受けるのが通常である。彼女の経歴は、約1年未満でパイロット承認をされたということだ。これまでの歴史の中で無い事は無いが、あの彼女がそれに該当するとは何とも信じがたい事実ではないか。

雅也の脳内には、先日の緊急時の彼女の苦痛に満ちた顔と絞り出したような声が響く。


『っ……私は、……飛べません』


雅也は無意識に次の文字を入力した。


『新山葵』


名前と共に出た写真は、黒い短髪と青い瞳。右の目じりには泣きぼくろ。にっこりと笑う顔は、世の中でいう爽やかな好青年というべきか。

彼女は同期だと言っていたが、この男との関係性はただの同期ではないと感じた。確証はないが、男の感。きっと、大切な人だったのだろう。

この男と彼女が並んで歩く姿を想像してなんだか胸の内がもやもやする気がした。


雅也は経歴をスクロールしてゆく。単調に語られる見ず知らずの男の経歴。


「2423.3 第5次大戦 対東共和国戦――――」


文字を追っていた視線が硬直する。思わず、この世界と切り離されたように雅也の周囲が無音になった。自らの心音だけが、はっきりと聞こえる。


「嘘だろ」


つい、零れ落ちた言葉。


「おい、高瀬?顔色が悪いぞ?大丈夫か?」


教師の声により一気に現実に引き戻される。


「っあ、すみません。少し気分が悪くて……、保健室に行ってきてもいいですか」

「大丈夫だが……。付添はいるか?」

「いえ、自分で歩けます」

「気を付けていきなさい」


周囲の気遣わしげな視線に、申し訳なさそうな顔で会釈しながら廊下にでる。そして、勢いよく走った。階段を駆け登り、屋上への扉を開ける。荒い呼吸音が、今しがた飛び立った飛行機の音によってかき消される。

嘘だ、と無意識に口から言葉が漏れた。嘘だ、ともう一度タブレットの文字をなぞる。



『2423.3 第5次大戦 対東共和国戦 小原一等飛行官により殉職』


この文字の意味するところは――――。



「先生が……新山葵を、殺した?」



授業の終礼の鐘が静かに敷地内に響き渡る。

信じることが出来ない事実に、雅也はただその場に立ち尽くした。






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