04:でぐちの見えない迷路の中で
静まり返った室内に軽いノック音が響く。
読書灯以外を消した薄暗い室内で置時計に視線をやれば、午後11時。もう人の出入りが少なくなる時間である。誰かは解らないが寝たふりはさすがに失礼だろうと思い、控えめに返事をした。
「入るぞ、小原」
「……あ、長谷先輩」
聞こえてきた声は、良く知る声。
其処には、白い教員服に身をまとった長谷の姿があった。やや疲労の色が見えるものの、何時もと同じ優しい笑みを浮かべている。美しいオレンジの瞳は心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫か?具合はどうだ」
「お帰りなさいませ。私は大丈夫です。先輩こそ、私が不甲斐ないばかりに危険な目に合わせてしまって」
「良い。小原が気にすることじゃない」
「でも」
尚も謝罪を続けようとする千尋の頭に、長谷はぽんと優しく掌を乗せる。
「良いって言ってるだろう?お前は、気にしすぎだ」
「すみません」
「こういう時は、ありがとうって言っておけ」
「っ………はい。ありがとう、ございます」
時計が時を刻む音が静かな室内に響く。
千尋は上半身を起こし、枕にもたれ掛った状態でそっと窓の外を見つめた。
「敵は、東共和国だ。解析室の見解によると、敵機3機で襲来。牽制の意味合いもあったが、戦闘力が低い教育生を狙った。明らかに将来の戦力狩りだろう」
「東共和国ですか」
「あんまり良い相手じゃないな。2年前の大戦で懲りてないらしい」
「お互い恨みや憎しみがありますから。例え誰が死のうと関係ない」
「おい、小原」
急に熱を奪うような冷たさが千尋の掌を包み込む。その体温の主を仰ぎ見れば、眉を潜めた長谷の表情が目に入る。
「あんまり気を立てるなよ。俺が医者に怒られる」
「大丈夫です。それより、先輩の手冷たいですね」
「あまり体温が高くないんだ。お前も、人の事言えないだろ」
「……そうですね」
くすくすと小さく笑う千尋につられ長谷も表情を和らげた。一瞬だが、千尋の脳裏にはこんな風に笑って過ごした情景がふんわりと蘇る。航空大に入って1年経とうとしていた頃だろうか。夜の星空の下、ぬるくなったコーヒーを片手に3人で語り合ったあの日。夜遅くまで、真剣に話し合った。この国の未来を、この国のあり方を。
長谷も遠くを見つめるようにして、何かを思い出すような表情で窓の外を見つめた。
「懐かしいな」
「はい。今更ですが……あの頃、長谷先輩の髪ちょっと変でした」
「お前、今言うか?俺もそう思うよ。あの時は冒険しすぎた」
金髪のさらりとした髪を掻きあげながら長谷は笑い、そして一瞬にして表情を真剣なものに変える。
「そろそろ、時間だ」
「え?」
「司令が呼んでいる、歩けるか」
「一宮司令が……ですか」
「あぁ。歩けなければ車いすを持って来よう」
時計の針は11時30分を刻む。長谷のこの言い方だと、拒否権は無いに等しい。
空軍のトップである一宮司令の命令は絶対である。きっと、緊張するであろう一宮司令との面会時間まで場を和ませる為にわざわざ職務後に来てくれたのだ。後輩想いの先輩には本当に頭が上がらない。千尋は、頭を振りベットからゆっくりと降り立った。
「歩いていけます。ありがとうございます、長谷先輩」
「司令室まで送ろう」
「いえ、そんな「その必要は無いよ」
被された言葉と共に静かに千尋の病室の扉が開かれた。その瞬間キンと澄んだ空気が一気に室内を駆け抜ける。
深く青い瞳と、それとは対照的に真っ赤な燃えるような赤い髪を持ち合わせた青年が姿を現した。年齢は16、17か否もっと歳が低いか。その風貌は市内にいる中高生と大差ない様に思えるが放つオーラは只者ではないと誰もが思ってしまうようなもので。黒い軍服に身を包んだ青年は目を細め、まるで子どもあやす様に笑いかける。
「久しぶりだね?小原」
「お久しぶりにお目にかかります、一宮司令」
千尋はその場で頭を垂れた。一宮は千尋の傍で同じく頭を垂れる長谷に声をかける。
「長谷、少し込み入った話をするから……解るね?」
「はい。かしこまりました」
その言葉と共に立ち上がり短く一宮に敬礼をした後、長谷は即座に部屋を後にした。
「うん、2年ぶりかな?」
「はい」
「傷は、どう?」
「お陰様で回復しました」
「そう」
千尋の返答に満足そうに微笑む一宮。磨き上げられたブーツの音がコツリコツリと響く。わざとらしく奏でられた音は、まるでカウントダウンの幕開けのように錯覚させられる。
「今回の報告書を見たよ。的確な指示出しだ……流石の小原だね、君のアシストで何機もリスク回避ができた」
「恐れ多いことです」
「でも」
ワントーン低くなる声。
すっと手を取られ立ち上がらされる。正面から深い青い瞳に捉えれ身動きが取れなくなった。一宮の方が千尋よりわずかに背が低い。なのに、威圧感に押される。彼のたった一つの行動で動きが止まってしまうのだ。まるで見えない紐で拘束されたかのように。
トンっと人差し指で胸間の胸骨を押され、骨を隔てたその奥の臓器に痛みが走る。思わず目をつぶれば、優しい声が降り注ぐ。
「心は、まだ癒えてないね」
軽く生み出された言葉に、千尋は息を飲んだ。
04:でぐちの見えない迷路の中で
あの飛行実技の襲撃事件から早一週間。学園は通常通りの静けさに包まれ、淡々と授業がおこなわれていた。
「では、今日の表題は戦闘機の基幹であるETSシステムについてです」
千尋の穏やかな声が教室内に響く。何時ものつまらない授業とは異なり、各机に置かれたタブレットから投影されるホログラムに生徒達は興味深々である。
「ETSシステムはこの国の戦力の基盤です。詳細は、第一級極秘事項ですので…皆さんが戦闘機に乗る為に必要最低限のことのみ今回は教えます」
普段は寝ている生徒も今日は真剣にノートにメモをのこしている。この帝国が世界大戦において有利に物事を進める事が出来るようになった要因の一つが空軍のETSシステムなのだ。このシステムについて学びたいが為にこの空軍を目指す強者もいるほど、重要な技術なのである。
「では、ETSシステムの正式名を知っている人はいますか?」
千尋の問いに教室の数名が手を上げる。青い瞳が、ゆっくりと室内をみつめ一番後ろの生徒を指名する。
「えっと、脳派伝達システムです」
「そうです。山田さんの言う通りです。英名はElectroencephalographic transmission system、言葉の通り人の思考回路を戦闘機操縦に直結させるシステムです」
雅也は机上に投影されている人間の脳をじっと見つめた後、千尋に視線を向ける。教壇に立つ彼女とは以前病室で声を荒げた日以来話していない。ブラウンの髪をハーフアップにした姿はあの日よりほんの少し小さくなった気がした。
「戦闘機内には、私たちの脳派を読み取る機械が内蔵されています」
「先生!それがどう戦闘に役立つのですか?」
「人の思考を読み取る……というか、イメージしたものを生み出す事ができます」
「イメージ?」
「どういうこと?」
教室中が「理解が追いつかない」という雰囲気に包まれる。
千尋は、慌ててモニターを投影しながら解説してゆく。
「普通の旅客機などは、様々な操縦ボタンやスロットルレバーなどで機体をコントロールしますよね…旋回する時にも同じく、ハンドルをきります。これは、皆さん訓練機で以前練習しましたね」
多くの生徒が頷くのを視界にいれながら、ゆっくりとホログラムを操作する。
「ではまずは、「右に旋回する」という動作をかみ砕いて説明してみましょう」
ホログラム上に3つの選択肢が浮かび上がった。
「今、「右に旋回する」という動作を構成する要素をホログラムに挙げました。最初の構成要素はわかりますか?では、木田君」
「え、俺ッスか。うーん、「右に旋回したい意志を持つ」ですか?」
「正解です。まず、人は脳で「旋回したい」という意思を持ちます。これが一つ目の構成要素です」
ポンっという軽い音と共に選択肢の順番が入れ替わる。
「先生、じゃぁ2番目の構成要素は「旋回するための命令を出す」ですか?」
「はい、そのとおりです。旋回する為に必要な命令を身体に脳が出します。そして3番目の構成要素は「命令を受けて身体が動く」、この一連の流れを経ることによって「右に旋回する」という動作が完成されます。意外に時間がかかることを人間はしているんですね」
脳は知覚情報を統合し、運動反射を指揮する。あらゆる動きを行うとき、人間は無意識に脳内で電流を絶えず発している。その電流を頭皮上の電極で記録することにより、脳波を計測できるのだ。
「つまり、ETSシステムを介せばハンドルやボタン操作の必要性がなくなるという事ですか」
静まり返った室内に雅也の声がぽつりとこぼれた。
「その通りです、高瀬君。高度な戦闘においては、一瞬の遅れが生死を左右します。そこでETSシステムを使用し、脳波を詳細に読み取ることによって脳内で行動をイメージしただけで飛行機を操ることができることを可能にしたのです」
「えっと……先生、質問いいですか?」
「はい、瀬尾さん何でしょう?」
「先程の、生み出すとは……」
瀬尾の質問に、一瞬千尋は目を瞑る。そして、苦いものを噛んだかのように一瞬表情をゆがめ淡々と話し始めた。
「ETSシステムと高度なリンクを行うと、飛行用エネルギーから攻撃の為の爆弾やミサイルを創造できるようになります」
その言葉に教室内の誰もが息を飲んだ。
「高度なリンクはパイロットの中でも経験と技術がある者にしかできません。普通の戦闘員は予め積んでいるミサイルなどで戦闘を行うのが通例です。なぜなら、創造する事は非常にリスクが高い事象だからです」
ホログラムが戦闘機内部を映し出す。基本構造は、普通の旅客機と変わりがないように見えるが、着席面にエメラルドの結晶が鈍く光っているのが目に留まる。まるで、それは宝石を散りばめた中世の王座の様に神々しくも見えた。
女子生徒が感嘆の声を上げる。
「綺麗」
「素敵っ!こんなに美しいなんて!」
そんな女子生徒の声を背に雅也は、ふと千尋の耳元を見つめた。今まで気が付かなかったが、小粒の光が彼女の耳に見える。遠くて何の石か解らないがその輝きは、血の様に赤い。それは素人でも解るほど清く澄んでいて、プラスチックでは無く本当の石であるという事に気づく。
「長年の研究から、脳波を最も上手く引きだす効果を持つものが鉱石だということが解っています。ルビーやダイヤモンドなど、その機体の特性によって使われる鉱石も様々です」
「それがリスクとどう関係があるのですか?」
「上手く引き出しすぎる、つまり……過度の脳波を吸収すると簡単に言えば自我の崩壊が起こります。それと共に神経を傷つけてしまう恐れもあります」
本来人間が行える処理能力以上の事を人間が行えば脳内はパンク状態になる。人間が鉱石を利用し、ETSシステムを上手く稼働させるはずが、逆に鉱石とETSシステムに喰われることになるのだ。
恐る恐る男子生徒が声をあげる。
「今までこのシステムで犠牲になった人は居るんですか」
千尋は、その問いに不自然なぐらいの笑みを浮かべた。
「勿論、長い歴史の中で多少なりともいますが……、今は、いませんよ」
「なんだっ……じゃぁ、安心だ「違うだろ」
男子生徒の声を遮り、雅也は目を細め千尋を見つめた。隠したいという意思が嫌と言うほど彼女から伝わってくるのを感じ、思わず苦笑する。
「アンタが言いたいのは、犠牲になった人はこの世には居させないってことだろ?小原先生?」
「君は、本当に聡いですね……高瀬君」
静まりかえった室内に、千尋の明るい声だけが通る。
「そうです、彼が言った通りシステムに飲まれた瞬間にこの世から消えていただきます。他国に流用されたりシステムの暴走による損害を防ぐためです。これは、航空法5章にも定められています」
終業のチャイム音が鳴る。
「でも、安心してください。そうならない為の対ETSシステムのカリキュラムもしっかりと整っています。早速、明日は仮想空間での思考の練習の授業があります。今日の話を踏まえ、明日からの訓練も頑張りましょうね」
にっこりとした笑みを浮かべた千尋が教室を出て行った後、ざわめきと共に生徒達は帰り支度を始める。
「さっきのETSの話、ちょっと怖かったね」
「え、でも大丈夫じゃない?訓練するし~」
「それより今日、カフェいかない?」
「いいね~!」
続々と教室を出ていく生徒達とは反対に、雅也は頬杖をついて窓の外を見つめていた。日が傾き、西日が室内を照らしてゆく。この室内からは、滑走路が見えない。
「雅也!帰らねぇの?」
「……貴志、なぁ」
「ん?なんだよ」
(赤い、ピアス。青い、瞳。)
あの何とも言えない偽りの笑顔が脳内から離れない。千尋が何を思って、先程の言葉を言っていたのか、いくら考えても解らない。まるで何かの感情を必死で隠そうとしている、そんな風に雅也には見えたのだ。
「なんで、小原って教員してると思う?」
「はぁ?そりゃ、教員志望だったんじゃ……それはないか。あのへっぽこ具合だと」
「他には?」
「は?他?うーん……教員にならざるを得なかった、とか?」
「ならざるを、得ない……」
「この学園に、居なきゃならないとか?収入とかで職業選んだんじゃね?ってか、なんかお前最近小原の事気にしてんのか?さっきも授業中突っかかってたし」
「………別に」
雅也は、席を立ち貴志の肩をぽんと叩いた。
「情報室に用があるから、先に帰っててくれ」
「お、おう。後でゲームしようぜ!雅也が居ないと次のダンジョン進めないんだよ」
「あぁ、分かった。お前ほんと好きだなあのゲーム」
「あのゲームの良さがわかんないとか人生損してる!」
「はいはい。じゃぁな」
西日が差した廊下を一人で歩く。
友人が言った言葉が、引っかかって離れない。
「教員に、ならざるを得なかった……か」
きっと、データを遡れば何かは解るはずだろう。彼女の事が何故気になるのかという点に関しては、今は考えないでおこうとぼんやりと思う。ただ、何の楽しみも無い人生に得体の知れないものが転がり落ちてきた。その得体の知れないものを暴く――まるでゲームだ。暴いた先に、ある彼女は天使かそれとも悪魔か。
雅也は無意識に口元に弧を描いた。