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蒼に溶ける  作者: nie
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01:きっと、それが始まり

キーンというエンジン音が響き渡り、今日も空には『鉄の鳥』が飛び交う。


青空に飛ぶ白い機体は、見る見るうちに小さくなっていく。

何処かへ物資を運ぶ為か、人を運ぶ為か、それとも誰かの命を消す為か―――。

小原千尋は今日も屋上からその姿を眺めながら、そっとため息を吐く。青い瞳は、空を見つめることを止め眼下のグラウンドに視線を滑らせた。

そろそろ登校の時間帯だ。紺色の制服に身を包んだ男女がちらほらと現れ、校舎に吸い込まれていく。


白い教員用制服の衿元を正し、空に向かって左手を上げ敬礼のポーズを取る。

再び独特のエンジン音が響き渡り、台風の様な風を一時的に巻き起こす。栗色の髪が風によってぶわりと揺れた。


「今日も、頑張りますか…」


小さな呟きは、千尋の頭上を行く機体によってかき消された。



01:きっと、それが始まり



「――――――――次は、飛行機の構造についてです。」


カリカリと黒板に白チョークで文字が書かれてゆく。モニターに映し出された機体の映像の横に詳細を書き込むその手はか細い。ふわふわした栗毛のポニーテールがその都度揺れる。それがさらに、眠気を誘う上に講義の内容が内容なだけに頭まで痛くなってくる。周囲を見渡せば自分と同じように、目の前の授業に興味を失った者がちらほら見える。机の下で端末を扱ったり、他の授業の課題をしたり、机と心中してるヤツもいる。

まだ起きている方がマシ、か。


「基礎工学でも習ったかと思いますが、現代の飛行機…特に戦闘機は人間の思考とリンクしています。そのシステムが確立したのは今より20年前、丁度皆さんが生まれたぐらいでしょうか」


この全寮制の帝国航空大学に入学して早3ヶ月。入学当初の緊張感は薄れ、気分が弛む6月下旬。昼食後の5限目。しかも、小原の航空学。正直、眠い。


「現在となっては、無くてはならない技術です。我が国の航空が他国よりも秀でているのはこの技術あってのことだと…言われています」


カリカリカリカリ。黒板に書く文字は、教科書に載っているものばかり。その文字を真面目にノートに写す者や教科書にマーカーを引くヤツもいるが正直無駄だと思う。学期末のテストに関しては、この小動物を連想させる小原が学内でも一番簡単なのだから。


「では、……瀬尾さん教科書の23ページの一行目から読み上げてもらえますか?」

「はい。人の神経伝達は脳を介して―――」


義務教育を終え、兵役訓練義務に従った高瀬雅也は陸・海・空のうち最難関の空軍の教育機関「帝国航空大学」に入学した。

この世界は常に戦争と隣り合わせの時勢にある。義務教育後、兵役訓練義務に従い軍教育機関のいずれかに2年間進学する事が一般的な事例であり、雅也も周囲の流れのままに入学したのだ。飛行機乗りになりたかった、というわけではない。単に一番、『難しい』ところだったから。

雅也は幼い頃から何でもそつなくこなすことが出来た。勉強も、運動も。難しいことでも持ち前のセンスで壁にぶつかることなくこなしてしまう。だからなのか、次第に色々なものから興味も薄れていっていた。


(適当に、何となくやればいいか)

別に、この軍教育機関を卒業して普通の会社員になっても構わない。

大学に進学してもいい。

夢なんてモノなんて無い――――。


ぼんやりとしていたのか、いつの間にか終業のベルが鳴り、生徒が一斉に教科書を片づけ始める。そんな中、ソプラノの優しい声が雅也の名前を呼んだ。


「……高瀬くん」

「…………」

「高瀬くん?進路希望の事で話があるので、終礼後A-2教官室に来てください」

「…………」

「来ないと、ご両親にもお伝えしなくてはいけなくなりますから。来てくださいね」

「…………ッチ」


念押しをしていく担当教員に、雅也はため息をついた。


「おい、雅也。お前も大変だな」

「そう思うなら、代わってくれ。貴志」

「いや、流石に担当教員が小原なのは勘弁!」


この学園には所属クラスとは別に担当教員という制度がある。一人の教員が10人の生徒の進路や成績を管理しアドバイザーとしての役割も果たす。雅也の担当教員は、学園でも『飛べない鳥』として有名な小原千尋だった。


「でもさ、成績上位者の雅也の担当教員があの小原だろ?学園側は何考えてんだろうな。お前には、長谷一等飛行官の方が理にかなってる。誰でも解るだろ」

「……俺もできればそうして欲しかった。貴志、お前も職員室まで用があるだろ」

「あ、精神学のレポート!雅也が言わなかったらすっかり忘れるところだった!」


放課後の西日が差す廊下を二人で歩く。

高身長で、黒髪短髪。整った顔立ちの雅也に女子生徒達からの熱い視線が注がれる。


「きゃっ、高瀬君だ!」

「高瀬君今回の実技試験1位だったらしいよ~!出来る男は違うよね!」

「あっ、そういえば高瀬君2回生のマドンナ先輩から告白されたんだって~」

「えー!?どうなったのそれ!聞きたい!」

「実はね~」


きゃーきゃーと黄色い声を上げる女子に、笑顔で手を振れば一層声が大きくなる。

その動作に、隣に居た友人である木田貴志が苦笑した。


「おっまえ、本当に何しても絵になるな」

「……別に、こうやって平等に振る舞っておけば何も傷が付くことはない。それだけだろ」

「モテる男は違うねぇ~」

「正当防衛、ってヤツだよ」



職員室前で友人と別れた後、雅也は校舎の奥地にある教務室棟の入り口を潜る。受付でクラス名と名前、担当教員の名前を記入し自分のIDカードを提示した後エレベーターで7階まで浮上する。

ぐんぐん登っていく冷たい箱の中で、小さくため息をついた。

小原に呼び出されるのはこれで3回目だ。どうせ、今日も何時もの様な変な説得が繰り返されるに決まっている。元々担当教員である小原には最初からマイナスのイメージしか持っていない。その上、何度も呼び出され、面談を施される。その度に謎の苛立ちが募っていくばかりだ。


エレベーターを降り、赤絨毯の上を歩き一番左奥の部屋が小原千尋の教官室であった。扉の前に立ち、三度ノックする。いつも通り室内から返事は無く、急にがちゃりとドアが開かれた。


「小原先生、高瀬です。来たけど――――」


いつも通り気だるげに述べようとすれば、思いもよらない人物が雅也の前に立っていた。

「あぁ、高瀬か。小原、高瀬が来たようだ」

「え、長谷教官…?」


思わず雅也の口から言葉が零れ落ちる。

ブロンドの短髪、甘夏色の瞳。紺色の教官服の左胸にはこの世に数人しかいないという一等飛行官の証であるルビーをメインにした勲章が輝く。顔も非常に整っており、飛行技術の高さとその甘いマスクで男女問わず生徒から憧れの的にされている人物である。そんな“完璧”とも称される人物が何故、正反対の“落ちこぼれ”と言われる小原の部屋にいるのか。


思考を読まれたのか何なのか。すっと長谷の目が細められる。雅也は思わず姿勢を正した。

そんな中、室内の奥からふわりとした声が聞こえる。


「あ、はい、すみません!高瀬君、少し待っててくれますか」

「はい……大丈夫です」

「あ、長谷先輩。これ、持っていきますか?フルールの焼き菓子、沢山買ってしまって」

「おまえ、そんなに食べると太るぞ。それより、生徒の前で先輩はよせ」

「あ、ごめんなさい。じゃぁ、お詫びにもう1つ」

「仕方がないな。これで、無しとしよう。……高瀬、」

「はい」

「あんまり、小原を困らせるなよ」

「…え」


クールな人物像にはミスマッチなお菓子屋の真っ赤な紙袋を持って、颯爽と歩いていく長谷の背中を雅也はじっと見つめていた。二人の仲が良いというのが、何となくむしゃくしゃさせる。


「……―――くん」

「…………高瀬君?」

「チッ、何?」


雅也を覗き込むように伺う千尋の姿に、思わず舌打ちがこぼれる。

その様子に千尋は怯えたように視線を伏せ、苦笑気味に室内への入室を促した。



教務室としては余りにも生活感が溢れている、そんな室内に雅也は通される。部屋の中央には紺色の絨毯が敷かれその上に木製のダイニングテーブルのような立派なテーブルが一台。


「お茶を入れるので、座って待っていてください」


その言葉に遠慮なしに椅子に腰かけ、周囲を見渡す。観葉植物に無数の本が詰められた本棚。壁際にあるパソコンの置かれたテーブルには一脚の椅子。パソコンの横には複数のフォトフレーム――――。


「高瀬君、すみませんでした。お待たせしてしまって」

「…………」


雅也の正面の椅子に腰かけ、千尋は微笑んだ。テーブル上にある2つのカップからはふわりと湯気が立ち上る。アッサムの香りが室内に満ちてゆく。


「………進路希望、考えてくれましたか?」


雅也は正面に座るブラウンの髪の教官の方を向き、そして無言で机にある白紙の空欄がある紙をみつめた。


「もう、早いことで高瀬君が航空大に入学して約半年が経ちました。これから選択科目の編成も個々の進路によって大きく変わってきます、と先々週も説明しましたよね」

「……はい」

「進路希望の紙、先週が締切だっていいましたよね」

「……はい」

「今は、あくまでも今の希望でいいんです。途中で変えてもいい、漠然としたものでもいい。君は、この二週間で考えてきましたか?」

「…………」

落ち着きのあるソプラノ声がゴウゴウと冷気を出すエアコンの音と共に響き渡る。


雅也は目の前に座る自分と同じ歳に見える教官を、じっとみつめる。この教官が仮にもあの長谷一等航空官だったら話は別だ。直ぐに提出して、否そもそも期日を守って提出するだろう。だが、現実は違う。


(なんで、俺の教官がよりにもよって小原千尋なんだよ。もっとマシなのにしろよ)


雅也は小さくため息をついた。

小原千尋、そう、この大学の教官をしているのが謎だと言われるほどに存在感が無く、そしてヨワイ教官。授業も淡々としているし、物静か。凄腕パイロットというわけでもなければ、民間会社のキャリアも無い、25歳、おそらく独身。


(しかも、コイツ)


「高瀬君?」

「っ、……何でもいいし。アンタが書いといてよ」

「それは出来ません。決まりですから」


さらりと表情一つ変えずに言ってのける姿に「ショボ小原のくせに」と内心悪態をつけば、目ざとく千尋のボールペンの頭が容赦なく雅也の掌に食い込む。


「痛っ!」

「で、何で君はそんなに仮の進路見通しに悩んでいるんですか?」

「………」

「高瀬君、君は…」


小原の白くて細い手がぺらり、ぺらりと資料を捲る。おそらく自分の情報が事細かに書いてあるのだろう。なんとなく、恥ずかしくなって気晴らしに近くの窓の方を向いた。

外は夕暮れから夜へと水色が混じりかけている。


「君は高校時代まで、サッカーで良い成績を残していたようですね。サッカー選手とはどうですか?」

「……いや、足故障したから。それは考えてない」

「お母様はモデルをされていたそうですね。高瀬君は、学内でも人気があるようですから…芸能の道に進むのはどうですか?」

「キッズモデルでもう芸能界は懲り懲り」

「では、航空大を出た後に大学に進学しては?見聞も広がると思いますし―――」


真剣に考えているのだろう。目の前の教員は頬に掌をあて、資料をじっと見つめている。

だが、これが癪にさわる。何故、こうも――。


「大学進学、良いと思います。容量が良い君なら、きっと推薦枠も――」

「っ、うっせーよ!!」


ダンッという音と共に雅也の掌が机に叩き付けられた。カップ中の紅茶が、まるで涙の様にポロポロと落ちソーサーに溜まってゆく。


「なんで、……なんでアンタは毎回さ」

「………」

「俺に、パイロットを目指せとか、航空官を目指せとか言わないんだよ!?ここは、航空大で、飛行機乗りになる事を前提に生徒が学んでる場なんだろ!なんで、なんでっ最初にそれが出てこないんだよ!?俺は、アンタと違って優秀なんだ!」


荒い吐息の音が室内に響く。


見上げる青い瞳と視線が合った。ピンク色のふっくらした唇が音を紡ぐ。


「高瀬君は、飛行機乗りに……なりたいんですか」

「っ、…………俺は」


夢なんてモノなんて無い――――。

飛行機乗りになりたかった、というわけではない。なのに。単に暇つぶし感覚で、この大学に入ったはずだった。

雅也は無意識に口から出た言葉に、自分自身で驚いた。


「高瀬君は」


シンと静まり返った室内に、少し落ちた声が響く。


「飛行機乗りには、向いてません」

「は?」

「君が思っている以上に、この世界は優しくないんです」

「っ……なんで!」

「飛行機に乗ることが生きる全てじゃない」

「っちょ」

「人の命を奪って英雄になる。汚い世界なんです」

「っ、おはら」

「死ぬときは、空中で散って消えて、誰にも看取られることも無く消えるんですよ!?服も、持ち物も、骨の欠片さえ残らないのにっ、君はっ」

「解ったから!!!」


ガタンという激しい音と共に椅子が倒れる。

思わず、目の前の細い肩を掴んだ。

「っ…………もう、いいから」

「っ、よく、ないですっ」


青い瞳からぽろぽろと透明な滴が落ちて行く。何か鋭利な刃物で切り付けられたようなそんな苦しそうな表情に、心臓を掴まれた気分になる。強引に抱き寄せた身体は震えていた。

千尋の耳元に雅也は顔を寄せ、囁く。


「なんで、そんなに……アンタは飛行機乗りが嫌いなの?」

「っ、君には……関係のない、ことです」

「…………」


未だに涙声の手中の教員に小さく息を吐く。

あぁ、可愛くない。


「………小原先生ってさー」

「なんですかっ」

「子ども、だよな」

「っ……少なくとも、君より6歳年上です」

「………ふーん」


ずっと鼻水を啜る姿を横目でみながら、雅也はそっと千尋を離し机上にある白い紙を手に取る。

先程の衝撃の所為か、紅茶の染みが所々に付いた進路希望の用紙。胸ポケットに入れていた油性ボールペンをノックし、空欄だった“第一希望”の隣を埋めて行く。


「今、決めたから」

「え?」

「進路希望」


「俺、飛行機乗りになる。第一希望は国防空軍のパイロット、第二希望は民間航空パイロット」

「っ……な、なんで」

「なんで?」


千尋の顔は驚きと絶望で歪んでいた。今にもまた泣き出しそうだ。

そんな顔を見ながら雅也は楽しそうに口元を引き上げる。


「アンタがなんで、そんなに飛行機乗りに執着するのか気になったから」

「っ…………ひどいっそんな理由でっ」

「酷い?航空大の生徒に飛行機乗り以外を進める教師の方が酷いだろ。授業、手抜きしないでくださいね、小原先生?」


白い柔らかな頬を伝う涙を、優しく指で掬う。


日が落ちた窓の外には滑走路の誘導灯の淡い青色が静かに溢れていた。




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