第八話 御曹司、職人街へ赴く
ナローファンタジー・オンラインにおいて生産職を志すのであれば、〝グラスゴバラ職人街〟は一度は訪れておきたい都市である。〝ヴォルガンド火山帯〟や、〝ヴィース竜洞窟〟、〝ランカスター霊森海〟から程近いこの都市は、冒険者協会のドワーフ達が率先して開拓した都市であり、そこかしこから上る製鉄の煙が印象的な街である。大掛かりな建物はなく、訪れるプレイヤーの多くが雑多な印象を受けつつも居心地の良さを感じてしまうのは、ここがすなわち、秋葉原だの、大須だの、日本橋(にっぽんばし、のほうである)だの、そういった街の雰囲気を纏っているからだと言われる。
このVRMMOでは、プレイヤーは自宅を購入し住居を構えることができるが、生産職プレイヤーの大半は、一度訪れるにとどまらず、そこを拠点に活動を始めてしまう。なんといっても素材の流通がよく、また鍛冶錬鉄系のスキル強化イベントが発生しやすい都市なのだ。結果として、生産職の腕前を求めて訪れるプレイヤーも増え、結果として、グラスゴバラの雑多な印象に拍車をかけている。
エルフの錬金術師アイリスは、そうした生産職プレイヤーの例に漏れず、グラスゴバラにこじんまりとした住まいを購入していた。住まいと言っても、プレイヤーの歩幅にしてわずか2歩か3歩と言った狭苦しいもので、ホームカスタマイズなど期待するべくもない。
錬金術師は、そう種類の多くない生産職の中では、比較的人気職に位置する。このゲーム、NPCが販売するポーションの入荷量が、一日あたり決められており、自動取得で《錬成》のスキルを取得できる錬金術師は需要が高いのである。戦闘職であっても、サブクラスに錬金術師を入れるキャラクターは少なくない。
が、このアイリス、《錬成》のスキルレベルはからきしであり、ナロファンにおいて数少ない不遇スキル《細工》のレベルばかりを伸ばしていた。
《錬成》だろうが《製鉄》だろうが《細工》だろうが、アイテム生産に関連するスキルであることには間違いない。錬金術師専用アーツ《アルケミカルサークル》や、鍛冶師専用アーツ《アイアンフォージ》などによって行える、特定のアイテム生産、アイテム強化の成功率に補正をかける。
『だが、《細工》はなぁ』
グラスゴバラ随一の生産職ギルド『アキハバラ鍛造組』のリーダー、『↓こいつ最高にアホ』(本当にそういうアバターネームなのである)は、苦笑いを浮かべる。
《細工》は、主にアクセサリー類のアイテム錬成、アイテム強化などにまつわるスキルであり、そのほかデータ上はあまり役に立たない小道具や、珍しいところではロープやランタンと言った冒険用アイテムも扱うことができる。
だが、ロープやランタンに設定されるステータスと言えばせいぜい耐久値や使用回数などであって、そのあたりを強化するくらいならば、アイテムそのものをまとめ買いしたほうが安い。アクセサリー類も、戦闘において劇的な効果をもたらすものはそう多くなく、利点と言えば素材が安く手に入ることくらいだ。
アイリスは、女の子である。
アクセサリー類をちまちまといじくり回し、自分好みのデザインをして、露店で誰かに買ってもらう。そんな些細なことに喜びを感じる。そのために、3Dモデリングソフトを始め、様々なミライヴギア専用ソフトウェアを購入したのだが、ちょっと外見が珍しいくらいで、そう大した性能でもないアクセサリや小道具を買ってくれるプレイヤーなど、いるわけがなかった。
それでも、日銭は稼がねばならない。
ゲーム中、生活費を気にする必要はほとんどないが、《細工》を行うのに、何かと金は要り様だ。ログインしてはヴィスピアーニャ平原へ繰り出し、素材を採取し、ポーションを作り、ちょっと個性的なアクセサリーを《細工》しては、まとめて露店に出してログアウトするというのが、ゲーム内におけるアイリスの、一日のサイクルである。
正直に言おう。彼女も、武器や防具は作ってみたい。せっかくの3Dモデリングソフトである。自分自身の大胆なデザインセンスを生かした防具を作り、それを着た一流のアバターが、華麗にMOBを葬り去るところを見てみたい。
だが、ログインした直後、露店に出したアイテムのうちポーションだけが見事に完売し、渾身のデザインを施したアクセサリー類にまったく手がつけられていないところを見ると、自分に才能がないのか、と落胆せざるを得ない。
そろそろ、潮時かなぁ。
初めてこのゲームにログインしたときの感動は色あせつつある。景色や町並みのリアルな質感。躍動するモンスター。彼女も3Dモデルを扱ったことがあるからこそわかる、技術度の高さ。この世界で、自分の思うがままの装備アイテムをデザインできると知ったとき、アイリスは自分の方向性を決意した。だが、その意識ももうだいぶ揺らいでいる。
夢ならば、現実世界で追いかければ良い。こんな電脳世界で予行演習をしようなど、土台無理があったのかもしれない。よし、今日で最後にしよう。ミライヴギアも高かったけど、これも手痛い授業料だと思えば、
そんなことを考えつつ、ログインした日のことである。
「あれ……。売れてる……」
アイテムウインドウを開き、そこから更に露店ウインドウを確認する。インベントリは空だった。
ホームから外に出ると、そこには『露店』を経営していた自分の分身がいる。いわゆる『売り子アバター』という奴で、ログアウト中も簡単な受け答えをして、NPC同様にキャラクター相手の商売をしてくれるシステムだ。まぁ、使うには《売り子》というスキルが必要なのだが。
「やぁ、どうも。君がログインするのをずっと待っていたんだ」
店の前に立っていたのは、稀少種族ドラゴネットの青年だ。全身を課金装備に身をつつんだ豪奢なたたずまいで、廃課金勢の臭いを露骨に漂わせている。ドラゴネットということはプレミアムパッケージのユーザーなわけで……。現実世界では苦学生であるアイリスだ。敵愾心と警戒心が生まれる。
「誰よ、あんた」
「ナンセンス。名前ならば頭の上に表示されているじゃないか。そんなことはどうでも良いんだけど」
ドラゴネットの青年、ツワブキ・イチローは、実に癪に障る自信たっぷりな態度でこう続けた。
「うん。君の顔が気に入ったよ」
「は?」
「君、僕の防具を作ってみる気はない?」
「防具が欲しいなぁ」
目の前に立ちふさがるリザードマンスーパーフェニックスを《ストラッシュ》の一撃で葬り去り、イチローはぼやいた。
「防具……ですか」
キルシュヴァッサー卿も鸚鵡返しにつぶやく。
すでにイチローの実力は、ヴォルガンド火山帯に出現するモンスターなど問題にならなくなっている。複数の課金サービスによる獲得経験値ブースト。その結果が、たった一週間で101レベルという有様である。キルシュヴァッサーの血の滲むような一年間はなんだったのか。とも思ってしまうが、この銀髪の老騎士には、あまり気にした様子はない。
「イチロー様は、基本ステも高くなりましたし、高レベルの《竜鱗》もありますからなぁ。その防具でも十分高レベル帯でやっていけそうではありますが……」
ツワブキ・イチローが現在身に纏っている課金装備は防御力が大したことない代わりに、スキルスロットが多めに空いているタイプだ。プレイを始めてから3日くらいは、《竜鱗》のスキルレベルを上げるため、リザードマンゼブラに無謀な特攻を行い、あっさり屠られる経験を繰り返したので、デスペナルティで失った回数も尋常ではない。買い換えた数も3桁は下らないだろう。
どうせ死んで戻るのだから、スキルレベルが安定するまでは買わなければ良かったのでは、という意見はもっともである。もっともであるが、簡素なレザー装備に身をつつむこと自体が、どうやら御曹司には我慢ならないことであったらしく、そのためなら死ぬたびに1200円を支払って課金防具を身につけることも厭わないらしい。ブルジョワである。
「でもこれはしょせんタイアップ装備だし、僕のために作られた衣装じゃない。そういうの、あまり好きじゃないんだよね」
「まぁ、気持ちはわからなくもありませんな」
キルシュヴァッサーも、その片手に携えるカイトシールドはオーダーメイドの一点モノだ。銘はなく、表記も単なる『カイトシールド(改)』と味気ないが、表面に刻印された桜の花びらが、彼ただ一人のものであると証明してくれている。
もうじき70レベルに到達しようというキルシュヴァッサーにとっても、やや分不相応な性能を持つ代物で、要求する筋力ステータスもべらぼうに高い。結果として、武器と鎧の性能をワンランク落としているのだが、それでもこの盾には満足しているし、愛着もわいている。
「ですが、イチロー様。オーダーメイドは高いですぞ?」
「ナンセンス。お金ならある」
「円じゃなくて、ガルトがですね!」
イチローは、そこでにやりと笑うでもなく、ごくごく事務的にメニューウィンドウを開いて、こう言った。
「実はもうそっちの方も心配していないんだ。この一週間、溜まる一方だったからね」
キルシュヴァッサーは、どれほどのものかと思って自身もウィンドウを呼び出し、フレンドリストからイチローの簡易ステータスを閲覧しようとする。その動作に気づいて彼は詳細ステータス閲覧の許可を出してくれたので、では遠慮なくとそちらを開いた。
8,726,912ガルト。
「ひどい」
「なかなかのものだろう。石蕗一朗の個人資産とは比べるべくもないんだけどね」
経験値同様の過剰なブーストがかかった獲得資金と、レアドロップの容赦ない売却、《交渉Lv38》による暴力的な商談、加えて決してアイテムを購入しない無消費生活を続ければ、こうも通貨が溜まるのか。
もちろん、通常プレイはもちろん、課金プレイであってもアイテムを購入しないなどあり得ない。二人の力量に見合う最前線、現在で言うところの〝デルヴェ亡魔領〟などにおいて、一回の戦闘で消費するポーションは、回復プレイヤーがいない場合3~6本。キルシュヴァッサーの持つ《ヒール》で消費は抑えられるものの、アーツの使用や連続的な戦闘行動によって蓄積される『疲労度』を回復させるために、疲労回復剤が必要になってくる。
一日に何十回も戦闘を繰り返すプレイヤーであれば、こうしたアイテムの複数購入は無視できない。最前線付近では、NPCの販売するポーションを独占購入し、高額転売するプレイヤーもいる(度が過ぎると運営からアカウントを停止させられるが)ので、良心的な値段でアイテムを購入するには、やはりヴォルガンド火山帯付近に戻ってこなければならない。〝始まりの街〟では、低額の消費アイテムを無限購入できるのだが、当然、10レベルに到達するまでのお助け機能だ。
イチローの場合、その辺を全部リアルマネーで解決してしまうので、まぁ強い。キルシュヴァッサーは頑ななに自身の財布から回復アイテムを買い続けたが、それでもアイテムが尽き掛けたとき、慈愛の笑みと共に主人が差し出してくる疲労回復剤には、飛びつかざるを得なかった。
「まぁ、それだけあれば、かなり良い防具が作れるかもしれませんな……」
「防御性能は《竜鱗》を上げればどうにでもなる。気になるのはデザインだな。空きスロットもあると、なおのこと良いんだけど」
キルシュヴァッサーは、このヴォルガンド火山帯をやや西寄りに抜けることで到着する〝グラスゴバラ職人街〟の存在を教えてくれた。何を隠そう、彼のカイトシールドもそこで鍛えてもらったものだ。
「もうすぐ6時なので、私はお暇させていただきますが」
「もうそんな時間なんだ。今日は鶏肉がいいなぁ」
「たまに運動するとは言え、やっぱ脂っこいものは避けたいですかねー……」
「そうだねナンセンスだ。桜子さんの得意料理は基本的にオイリーだからね。これを機会にレパートリーを広げてみたら良いんじゃない」
キルシュヴァッサーの中の人は、先日『太った』と言われたことをまだ幾らか気にしているらしい。
「蒸し鶏あたりで何か作ってみます。それでは一朗様、またあとでー」
桜子丸出して手を振りながら、キルシュヴァッサー卿がログアウトする。それを見送ったあと、イチローは職人街とやらへの道を歩き始めた。
《感覚強化》によって鋭敏となった聴覚が、獣の低い唸り声を捕らえる。が、イチローはさして気にする様子もなく、メイジサーベルを引き抜いた。特化された筋力ステータスには軽すぎる剣先が閃き、《ストラッシュ》の一撃が、岩陰のリザードマンゼブラをずたずたに引き裂いたとしても、イチローは最後までそちらを見ることはなかった。
7/14 誤字を訂正いたしました。
× エルフの錬金術師アイリスは、そうした生産職プレイヤーの例外に漏れず
○ エルフの錬金術師アイリスは、そうした生産職プレイヤーの例に漏れず