第六話 御曹司、初戦闘に挑戦する(2)
スキルの熟練度は、そのスキルに関連するアクションをどれだけ行ったかに依存する。リザードマンゼブラの【技巧値】がどれだけ高かろうと、当のMOBに対して攻撃を行わなければ、スキルレベルは上昇しない。イチローは、30倍近くある実力差をひとまず無視し、引き抜いたメイジサーベルで勢いよくリザードマンゼブラに切りかかる。
石蕗一朗。サーブル・フェンシングにおいて日本人で唯一金メダルを有するが、当然ながら、プログラムによって制御されるナローファンタジー・オンラインの戦闘は、彼の思うようには運ばない。鋭い踏み込みから、稲妻のような斬撃。刃は間違いなくゼブラの鎧を捕らえるが、手ごたえはなかった。剣身が鎧の内部を透過し、リザードマンゼブラに命中しない。
「むっ」
イチローが表情を変えたのは一瞬だ。いぶかしむのはあとにすべしと、次なる攻撃に備えてその場を飛びのく。代わりに、背後から飛び出してきたキルシュヴァッサーが、リザードマンゼブラの高く振り上げた円曲刀の一撃を受け止める。
銀髪の騎士は頼もしい。重厚なカイトシールドが円曲刀を受け止めた後、その盾が勢いよくゼブラの身体を弾き飛ばした。
防御時、通過ダメージ0を条件に発動可能な騎士専用アーツ《カウンターシールド》。ダメージは発生しないものの対象に「めまい」の状態異常を与え、重量[スキルレベル]以下のMOBであれば5メートルほど吹き飛ばすことができる。リザードマンゼブラは、転がっていた岩石にぶつかって軽い昏倒を起こした。
「卿、このゲームの当たり判定どうなってるの?」
「あぁ、それも説明書には載っていませんでしたな。当たり判定は、【命中値】と【回避値】の差額に、もろもろのスキル効果を合わせて決定されるのですよ。出発前に説明した《心得》系は、攻撃への補正はもちろんですが、この当たり判定を大幅に有利にしてくれます」
「ふーん」
となると、相手の攻撃を避けたと思っても命中する可能性があるわけだ。このレベル差では。
イチローは、リザードマンゼブラがクラクラしているのをいいことに、メニューウィンドウを開いて自身のスキルを確認した。外してしまったにも関わらず、今の攻撃一回で《マギスタイル》及び《剣技の心得》のスキルレベルが2、3ほど上昇している。ゼブラの【技巧値】に加えて、複数の課金サービスの複合効果だろう。
これほどカネの力をわかりやすく実感できる世界もない。
イチローは、メイジサーベルの柄をぐっと握り、再び地面を蹴ってリザードマンゼブラに飛び込んでいく。次はアーツを試そう。
能動的に発動させる特殊技能であるアーツは、当然ながらある程度モーションが固定される。中には無敵時間が発生する類のものもあるが、アーツの発動から終了までの数秒間は、アバターの操作は完全にプログラムに掌握され、自由な動きが取れなくなる。
これはまったくもってイチロー好みのしない、実にナンセンスで不愉快なシステムではあるのだが、アーツの発動によって得られるダメージの補正が、結局のところ攻撃手段として重要になってくるのは事実なのだ。傲慢なイチローと言えど、この世界の、言わば『物理法則』にまで口出しをしようとは思わない。真に天才であれば、むしろその法則を利用することを考えねばなるまい。
実は、敏捷系のステータスが一定に達することで、発動中のアーツを強制的に解除できるようになる《アーツキャンセル》というスキルも取得できるようになるのだが、まぁ、イチローは知らない。
《バッシュ》は、すべての物理職が最初に取得する攻撃用アーツだ。武器を振りかぶって振り下ろすだけの単純なモーションだが、威力補正はそこそこで、隙が少なく疲労蓄積度も低い。
リザードマンゼブラはいまだに「めまい」から抜け出せていない。イチローは助走をかける足を更に強め、メイジサーベルを振り上げる。
―――《バッシュ》を使う。
そう意識した瞬間、腕先はスタイリッシュな軌道を描いて、リザードマンの頭部にたたきつけられた。[16]という数字がひらめく。
「御見事ですな、イチロー様」
「ナンセンス」
たった16ダメージか。1レベルプレイヤーが与えられるダメージとしては上出来なのだろうか。
再びステータスを確認すると、スキルレベルの上昇幅は先ほどより大きかった。ダメージを与えたことが大きかったのか。《バッシュ》もアーツレベルが上昇している。疲労蓄積度は、現在8。気になるほどではない。
とりあえず、これを何度か繰り返して、スキルレベルとアーツレベルを上げていけばいいということだ。リザードマンゼブラがどれだけ出現率の低いMOBかは知らないが、こちらの攻撃力が低い分、何度でも攻撃して熟練度、スキルポイントを稼ぐことができる。キルシュヴァッサー卿は完全に《カバーリング》と《カウンターシールド》に徹するようで、こちらが安全に攻撃する機会を作り出してくれる。手間が空いたときに、《ヒール》《パワーダウン》をリザードマンにかけるあたりが非常にちゃっかりしていた。確かにシステム上、そうすることにより回復系、弱体系、魔法系スキルの熟練度を上げられる。
タイミングを身体に染み込ませる目的もあっての、《バッシュ》の連続。時折《マジックボール》も交えて攻撃を続け、披露蓄積度が60を超えたあたりでアイテムの疲労回復剤を飲み、再度攻撃を再開する。スキルレベル、アーツレベルのめまぐるしい上昇により、ダメージは目に見えて増えていった。
「今ので三本目の疲労回復剤ですな。私のをお渡ししましょうか?」
「いや、いいよ。どうせタダだし」
コンフィグから課金画面を呼び出したイチローを、キルシュヴァッサーが血相変えてしかりつける。
「タダじゃありません! リアルのお金がかかっているんですよ!」
「ナンセンスナンセンス。[稼ぐ額/時間]で言えば、今の僕には円よりもゲーム内通貨のほうが高レートだよ」
ブルジョワ漫才の真っ只中、リザードマンゼブラは何度となくこちらに襲い掛かってきては、キルシュヴァッサーの盾に阻まれ、吹き飛ばされ、昏倒し、回復魔法をかけられていた。実際、良い食い物である。
いったいどれだけの攻撃を繰り返した頃だろうか。
スキルレベル21に達した《剣技の心得》と、アーツレベル36に達した《バッシュ》が織り成す高速剣技は、おおよそレベル1のプレイヤーが叩き出すのは不可能と思える数値を、リザードマンゼブラのHPゲージにえぐり込ませる。
状態異常「めまい」による防御の下方修正を差し引いても、燦然と輝く272ダメージ。
一方的な殺戮に対する怨嗟の声を上げ、リザードマンゼブラがヴォルガンド火山帯の大地に倒れ伏す。緻密なディティールを持った3Dモデルが消滅し、無数の光の粒子となって宙に散った。
「御見事ですな」
「うん」
今回の賛辞には、ひとまず素直に同意させてもらう。
不意にファンファーレが鳴り響き、MOBを討伐したことによる報酬ウィンドウが表示される。複数のブーストによって信じられない額となった獲得経験値と獲得資金。レベルは一気に17にまで上昇した。
「しかしイチロー様、初討伐がリザードマンゼブラとはさすがでございますな」
「いや……うん、じゃっかんナンセンスだな。結局攻撃は卿にしのいでもらったわけだからね」
「ま、そこは仕方がありますまい。私としては、やはりイチロー様が最初に倒すモンスターはゼブラでなければならないと思っていましたからね。金さえあれば、王位だってなんだって買えるんだ!」
「なにそれ」
「わからないんですか! これだから最近の若者は!」
「桜子さんだって僕の2コ上なだけじゃない。ナンセンスだよ」
レベルアップによるボーナスの割り振りは、またあとで済ませるとしよう。【筋力】系のステータスに全振りすれば、すぐにでも《オブジェクト破壊》が取れそうではあるが、ステータス前提の魅力的なスキルは他にも多い。
「なんなら、もう一匹くらいゼブラを探してきますかな? 筋力を上げるならリザードマンビッグボディというのもいますよ」
「残念だけど桜子さん、もう6時だ」
ウインドウの片隅に表示された時計を見て、イチローは肩をすくめる。
そう言われてしまえば、熟年の騎士キルシュヴァッサー卿は、石蕗一朗の専属使用人である扇桜子に戻らざるを得ない。いわゆる激シブな壮年男性の顔立ちに、なんともいえない情けない表情が浮かんだ。3Dモデルが描くオーバーアクションなのだ。感情は伝わって余りある。
「一朗さま、今晩はカップラーメンとかどうでしょう」
「給料減らされたい?」
決まり文句すらすっ飛ばしての脅迫である。キルシュヴァッサーは大きく肩を落とした。
「わかりましたー。わかりましたよう……。先に帰って準備してます。おゆはんは8時くらいで良いですか?」
「それがベストだね。メニューは任せる。でも、今日は魚が良いな。コクーンは付属の外部端末からドライブ中のプレイヤーに直接メッセージが送れるらしいから、準備が出来たらそれ使って教えてね」
「はーい」
いそいそとログアウトの準備を始めるキルシュヴァッサー卿であったが、ふと思い出したように顔を上げる。
「イチロー様、〝始まりの街〟へ移動するためのアイテムがありますが、お渡しいたしますかな。私はここでログアウトしてしまうので。スキルレベルが高いとは言え、一人でこの火山帯は危険すぎます」
アイテムウィンドウを開こうとしたキルシュヴァッサーを、イチローは片手で制する。
「いや、良いよ。ちょっと一人で探索してみたいし」
それに、とイチローは続けた。
「このゲームのデスペナルティは、所持アイテムと装備アイテムが全部消えるだけなんでしょ?」
「初期装備だけは残りますよ。そのシステム、プレイヤーにはすっごい不評なんですけどね……」
あまりにも不評であったためか、一定以上のレアリティを持つ装備アイテムに限り、24時間の間だけその場に放置されるというシステムに変更された。それ以外のアイテムが戻ってこないことには変わりないし、これはこれで、死亡したキャラクターのレア装備を回収して高値で売却する〝ハイエナ〟というプレイヤーを生む原因にもなったのだが。
「じゃ、私は晩御飯作ってきますね。失礼しまーす」
キルシュヴァッサーがログアウトしたあと、イチローは一息をつきながらステータスウィンドウを再確認する。
レベルアップによってスキルスロットが上昇したため、現在は70以上のスロットがある。現状、その大半を《マギスタイル》と《剣技の心得》に割くことになるわけで、確かにここに魔法系スキルを入れてしまえばだいぶカツカツになる。
さて、これから夕飯までどうしようかな。探索がてらに街まで戻ったあと、クラス専用アーツを取得できるという序盤クエストをこなすべきなのだろうか。ステータス振りはもう少し吟味しておきたいが。
思案に暮れていたイチローの背後で、何やら低く唸る声が聞こえてきた。振り返ってみると、先ほど倒したばかりのMOB……正確にはその同種が、チロチロと舌を出しながらこちらに近づきつつある。リザードマンゼブラ、2匹目だ。
よく見ると改めて素晴らしい造形であると感心する。皮膚の質感はリアルで、実際にキャラクターの視点から眺めるためなおさら迫力がある。珍しい昆虫をつぶさに観察したことのある彼であるが、その時に何度も感じ取った生命の神秘、造物主に対する畏敬を、思い出しそうにすらなっていた。
イチローはふと試してみたいことを思いつき、何の恐れもなくリザードマンゼブラに近づいていく。ゼブラは、武器すら構えようとしない目の前の獲物を前に感情を昂ぶらせた。
「うぐるあぁぁっ!!」
それから数秒もしないうち、奇態な雄たけびを挙げながら、リザードマンゼブラがイチローに斬りかかる。イチローは、科学者が予想した実験結果を受け入れるような冷徹な目でそれを見つめている。ゼブラの円月刀がイチローの頭部に到達し、彼のHPはあっさりゼロになった。
視界が真っ暗になり、『あなたは死亡しました』という、何の味気もないメッセージウィンドウが表示される。
目を覚ますと、そこは〝始まりの街〟である。さもありなん。他に復活する場所もないだろうし。
イチローはメニューウィンドウを開き、幾つかの事項を確認する。
「ふむ」
スキルウィンドウを確認しながら、満足そうに言うと、イチローは次にコンフィグを開く。
ところで、まったくの余談になるのだが、その日、18時過ぎから20時くらいにかけて、何度も何度も〝始まりの街〟と〝ヴォルガンド火山帯〟を行き来する、謎のドラゴネットの存在が確認された。恐ろしいことに彼は、ソロで火山帯の奥地に赴いては始まりの街へ『死に戻り』し、その後、失ったはずの防具を再び装着して意気揚々と火山帯へ赴いたという。謎のゾンビアバター『ツワブキ・イチロー』の存在は、新米から中堅冒険者の間で、ちょっとだけ話題をさらった。
イチローが扇桜子から、夕食の準備が出来た旨のメッセージを受け取ったとき、彼のスキルウィンドウには《竜鱗Lv42》という語句が、妙に誇らしげに浮かんでいた。