第五話 御曹司、初戦闘に挑戦する(1)
〝始まりの街〟の正門を出ると、見渡す限りの草原が広がっている。〝ヴィスピアーニャ平原〟は、強力なモンスターMOBも生息せず、食用や薬用となるアイテムの収集も容易であるため、初心者がナローファンタジー・オンラインの操作性やゲームシステムに慣れる練習ステージとして認識されている。なお、王国からやってきた冒険者を大陸に送り出す〝始まりの街〟は、海岸線に面し、大規模な港も有するが、こちらは次回のアップデートで解放される予定らしい。
ツワブキ・イチローとキルシュヴァッサーは、その全てをスルーして〝ヴォルガンド火山帯〟へと向かった。
だいたい20レベルから30レベル。初心者を卒業し、ナロファンにも慣れてきた冒険者たちが、徒党を組んで立ち向かうべきフィールドが、このヴォルガンド火山帯である。まかり間違ってもデビュー1時間に満たない新米プレイヤーを連れてきて良い場所ではないのだが、キルシュヴァッサーには、ひとつ考えがあった。
「ここに出現するMOBが、美味しいのですよ」
理知的な騎士の顔グラフィックを以てしても、その内面に眠る狡猾なゲーマーの性は隠せないものだ。キルシュヴァッサー卿が不敵に笑う。
平原を抜けた頃には、青々と茂る草木の姿はなりを潜め、岩石がごろごろ転がる殺風景な道へと変化し始める。途中、こじんまりとした家が何件か立ち並ぶ、集落のようなものもあったのだが、キルシュヴァッサーはそれもスルーした。
何度か他のプレイヤーともすれ違う中、イチローはふと疑問を口にする。
「さっきから、妙に同じ名前のプレイヤーが多い気がする」
「ああ、〝キリヒト〟ですか。十年くらい前に刊行された、VRMMOを主題にした小説の主人公ですな。アニメ化もされましたよ」
「へぇ」
さすがにこのあたりのことを答えさせると、キルシュヴァッサー=桜子はよどみがない。
「そのVRMMOが現実化したので、ここ1、2年はまた盛り上がってますな。今度映画にもなりますよ。あと一週間で封切りです」
「桜子さんも見に行くの」
「そりゃもちろん! 私はキルシュヴァッサーですが。イチロー様も一緒に行きますか」
「ナンセンス」
他愛の無い話題を続け、本日12人目の〝キリヒト〟氏とすれ違った頃になると、肌に纏わりつく空気がにわかに熱気を帯び始めた。アバターに発汗神経は必要ないはずだが、額からにじみ出た汗と、それが頬を伝わる感覚までもが、リアルに再現されて一朗の脳を刺激する。
「こういう要素って、最初は感動しそうだけど、しばらくするとストレスの原因にもなりそうだね」
「はい?」
「暑さのこと」
「ああー」
キルシュヴァッサーのように、一年もプレイを続けているユーザーにとってはそうなのではないだろうか。このゲーム、再現性の高さは素晴らしいが、不快感の類はそもそも人体の脳に対するアラームであるはずだ。不必要に神経を煽っていれば、煩わしさの元にもなる。
「そういう意見はあったみたいですな。だから現在は、《痛覚遮断》というスキルがあります。レベルが上がらないしスロットを2ほど使いますが。痛みだけじゃなくて、ゲーム中のあらゆる不快感をカットしてくれるという」
「へぇ。さもありなんっていうか、まぁたいしたもんだ」
もちろん攻撃を受けた場合には、ダメージを受けたことを実感させるため、代替の電気信号が脳に送られることになる。が、それはストレスを誘発する類のものではないらしい。感覚としては、『コントローラーのバイブ機能でダメージを実感する感じ』というのだが、それがまたどういうものなのかはよくわからない。
ま、取っておけば良いか。
イチローは歩きながらメニューウィンドウを開き、取得可能スキル一覧から《痛覚遮断》を選んで取得した。
「またそうやって無駄遣いをする……」
「ナンセンス。僕のやることに無駄なんてないよ」
現状で取得できるスキルはもうほとんど取ってしまった。が、まだスキルスロットにもゆとりがある。
「あとはユーザーの希望で追加されたスキルには、《視点変更》っていうのがありますな。自分の姿を第三者視点から確認できるようになります。FPSからTPSになるみたいなカンジ。まぁ、そこまで融通を利かせられる視点変更ではないのですが」
魔術師や射手がより広い視野を確保するために活用するスキルかと思ったが、キルシュヴァッサーの話を聞くに、どうやら違うらしい。
いわゆるMMORPGの楽しみのひとつに、キャラクターエディットがある。顔や体型など、まずは苦心して自分好みのキャラクターを作り上げ、数ある装備の中から似合うもの、格好いいもの、可愛らしいものなどを着せてやる。自分のアバターに対して人形遊びのような楽しみ方をするユーザーも、決して少なくはなかったという。
ナローファンタジー・オンラインを初めとするVRMMOも、その多彩なキャラクターエディット機能を活用し、見栄えのいいアバターを組んでいくユーザーは数多く存在した。中には性別を偽る例まで存在したというが、それはまぁ、目の前のかつてメイドだった騎士を見れば自明である。
まぁそこまでは良い。問題があったのはそこからだ。
いかに労力を払い、キャラクターをエディットしてみたところで、VRMMOは自分自身がキャラクターとなって大活躍するゲームである。そのキャラクターの一挙手一投足はプレイヤー自身と連動するし、勇ましくMOBに斬りかかるキャラクターの姿を、プレイヤー自身は確認できない。ありていに言えば、プレイヤーは自分自身のキャラクターに萌えられないのである。
これは多くの人間がうっかり気づかずにいたVRMMOの盲点であり、大量のネカマ(インターネット・オカマ)卒業者を輩出した。それでも、自分自身のエディットしたキャラクターの外見を、第三者的に楽しみたいという猛者の要望により、この《視点変更》が実装されたという経緯があるのだそうな。
「うーん、ナンセンス」
さすがの御曹司もそう唸らざるを得ない。
「キルシュヴァッサー卿も女のキャラクターにはしないんだね」
「いやぁ、コスプレをしていると思えば悪いもんではないですな。私自身、こういうロールプレイは嫌いではありませんし。今は外してますが、戯れに《視点変更》も取っていますよ」
「君の場合、日常生活もコスプレみたいなもんだと思うんだけど」
やがて二人は、火山帯の奥深くまでたどり着く。そこかしこで蒸気が噴出し、熱により光が屈折して、視界が歪むような演出が確認できる。溶岩が垂れ流しになっている箇所もあり、リアルではあるが現実味を感じられない光景だ。スキル欄から、先ほど取得した《痛覚遮断》を外してみると、全身から汗が噴出してくるような感覚があった。
キルシュヴァッサー卿は周囲に目を配るが、お目当てのMOBというのはなかなか見つからないらしい。途中、口から火を吐く小さなトカゲなどを見かけたりしたが、高レベルプレイヤーには近づかない思考ルーチンが設定されているのか、遠巻きにこちらを見て唸っているだけだった。
キルシュヴァッサーは自身のメニューウィンドウを開いて、なんらかのスキルを発動させている。その間、イチローは退屈であるので、火山帯に生えた数少ない植物を引っこ抜いたりしていた。得てしてこうしたところに自生する植物は、火山活動が生む二酸化硫黄や硫化水素に適応を見せる。要するに、なんらかの特殊効果があるのではないかと期待してのことだったが、
『火炎草を入手しました。アイテム化しますか?』
どうやらこれ自体が火を吐いたりするようだ。ファンタジーだな。
メッセージウィンドウに『YES』で返答すると、引っこ抜いた火炎草は光につつまれて消えてしまった。メニューからアイテムを選択し、課金で入手した消費アイテムに混じって、火炎草が存在していることを確認する。
キルシュヴァッサーがいまだにMOBを探索している。イチローは、ふと、地面に転がっている小石を拾い上げてみた。アイテム化を問うメッセージウィンドウは出てこない。このくらい小さいと、あまり使い道もないということなのだろう。
好奇心の赴くまま、口の中に放り込んでみる。
妙な苦味と、じゃり、という感触があって、その直後、アラート音と共にメッセージウィンドウが展開した。
『それは食材アイテムではありません!』
さすがに嚥下することまではできないか。だが、口に放り込んだ上で、味や食感まで再現できているとは。道端に転がっている小石ひとつひとつに、こういったステータスが設定されているとは思えない。いったいどういったプログラムを組んでいるのか、ちょっと気になるな。
「イチロー様、発見しました。移動しましょう」
周囲にモンスターらしき気配はないが、キルシュヴァッサーはそう言った。おそらく先ほど発動させていたスキルは、遠視や千里眼、あるいはレーダーのような効果を持つものなのだろう。イチローも立ち上がって、彼のあとをついていくことにする。
先述の通り、ヴォルガンド火山帯はレベル20以上の冒険者が訪れるフィールドだ。レベル1、しかも初期装備に毛が生えたような防御力しかないイチローには、ザコモンスターの一撃も致命傷になりかねない。が、彼に臆した様子は一切なかった。どうせゲームだし、という意識があるのは、まぁ否定しない。
しばらく進んだところで、キルシュヴァッサーが片手でイチローを制した。巨大な岩陰から、顔だけを出してその先を覗き込む。
「なんだかキルシュヴァッサー卿を見てると、去年アマゾンに行ったときに案内してくれたマリオを思い出す」
「お、頼りにしていただけますか」
「現地のガイドでね。彼のおかげでワニやジャガーに襲われる稀有な体験をしたよ」
「それって役立たずじゃないですか!」
そのときは一朗がマリオを救出して事なきを得たのだが、今回似たような状況に陥ってもそう上手くいくとは限らない。プログラムは平等で融通が利かないからだ。少なくとも、現時点で、イチローは一朗に比べてだいぶスペックで劣っていることを自覚せねばならない。
ま、その辺はキルシュヴァッサーを全面的に信頼するとしようか。
促されるままに岩陰の向こうを覗き込むと、なんとも表現に困る生き物が、周囲を警戒しながら闊歩していた。白と黒のストライプ柄を持った二足歩行のトカゲである。火山灰でくすんだ甲冑を身につけているが、片手に持った剣の刀身だけは、きらびやかな光を放っている。
「リザードマンゼブラです。このレベル帯のMOBにしては、飛びぬけて【技巧値】が高いのですよ」
「説明書には載ってなかったステータスだね」
「MOBに設定されている隠しステですな。【技巧値】というのも公式名称ではありませんし。有志の検証で明らかになったものです」
曰く、【技巧値】は、各種戦闘系ステータスやクリティカルの発生率に補正をかけるステータスである。【技巧値】の高いMOBは、実際のステータスより幾らか強力な性能を持つことになるのだが、プレイヤーにも利点がある。
ナローファンタジー・オンラインの成長システムは複雑であり、ステータスの成長は、それまでに交戦したMOBのステータスに依存する部分がある。筋力ステータスの高いMOBとの交戦経験が多ければ、筋力系の成長に補正がかかるといった具合だ。もちろん、レベルアップ時に行うポイント割り振りのほうが比率としては大きいのだが、高レベルになればなるほど、こうした些細な補正の積み重ねがバカにできないものとなる。
【技巧値】はこうしたステータス補正の恩恵とは関係ないものの、スキルの熟練度やスキルポイントと関連するため、熟練プレイヤーには非常に重要視される。スキルの自由度がキャラクターの個性と能力を裏づけするのは先述の通りであり、このレベル帯にしてはかなり高い【技巧値】を持つリザードマンゼブラは、低いレベルからスキルレベルやスキルポイントを上昇させるのにうってつけなMOBなのだ。今回、キルシュヴァッサーが行うように、高レベルプレイヤーが低レベルプレイヤーを引き連れておこなうパワーレベリングにも利用されることがある。
なお、ヴォルガンド火山帯にはゼブラを含めて五種のリザードマンが生息しており、それぞれが筋力系ステータスや敏捷系ステータスに特化している。ステータス補正を稼ぐのにも有用なポイントで、ヘビーユーザーからは『リザードマン道場』として重用されている。
「インターネットでナロファンwikiって調べれば出てきますな」
「そうなんだ。じゃあ、あとで調べておこう」
イチローは、コンフィグから課金画面を呼び出し、ミライヴギア専用インターネットブラウザを購入することにした。こうしたソフトウェアは、やはりコンフィグ画面の『外部ソフト』を選択することで、ゲームプレイ中でも一部使用可能である。エディット時に購入した3Dモデリング用のソフトもそうだ。
「では、いきますよ! イチロー様、準備はよろしいですか?」
「ナンセンス。準備なんていつでもできてる」
片手剣を盾を構えるキルシュヴァッサーに対し、イチローは気負わずに答える。彼の使える武器と言えば、せいぜい攻撃力修正+6のメイジサーベルくらいだ。いや、《竜爪》があったな。微弱ながら素手に強化補正がかかっている。
いよいよ、戦闘というわけだ。ディスプレイを通して、コマンド選択で非現実的なモンスターを狩った経験ならばある。山奥の道場で、合気道の門下生100人を相手取って乱捕りをした経験もある。インドへ行ったとき、空腹からこちらを襲ってきたベンガルトラを、やむを得ず射殺したこともある石蕗一朗だが、これから経験する戦闘はそれらともまったく違う、未知の領域に踏み込むことになるはずだ。
始める以前に感じていた漠然とした不安と諦観じみた感情は、払拭されつつある。これが、プログラムがはじき出す電気信号によって見せられている幻の体験であったとしても、そんなことを論じるのはナンセンスだ。
意識の裏に野々あざみの顔をちらつかせるのは少々癪ではあるが、ここは素直に楽しませてもらうとしよう。イチローはメイジサーベルを構え、キルシュヴァッサーのあとを追うようにして、リザードマンゼブラへ切りかかっていく。