第四話 御曹司、始まりの街に降り立つ
光が晴れると、それまでのサイバー空間とは異なり、空気や地面などが確かな実感を伴った場所へと転送される。正確には、転送したとの錯覚を、脳が起こす。石蕗一朗……否、竜人族の魔法剣士であるツワブキ・イチローは、はっきり覚醒した意識と同時に、自分がどのような場所に立っているのかを確かめた。
どうやら、そう広くない個室であるように思える。木目の床と、簡素なベッド。片隅に置かれたテーブルにはニスなどはなく、撫でてみるとざらついている。当然、電球の類はなし。
ここがスタート地点というわけである。
ひとつ備え付けられた窓ガラスの向こうには、煉瓦敷きの穏やかな町並みが広がっていた。
五感的な違和感はない。狭い部屋の中を歩き回ってみると、ブーツの硬い感触に、自身の体重を確かに実感できる。備え付けの鏡台は決して出来の良いものではなかったが、自分自身にそっくり似せて作ったツワブキ・イチローの端整な顔立ちと、レザーアーマーに覆われた均整の取れた身体を映し出している。
人間の手でここまではっきりと脳を騙せるものなのか。イチローは珍しく舌を巻いた。これは確かにすごいかもしれない。たくさんの人間が夢中になるわけだ。
さて、イチローはここで少しいたずら心のようなものを起こした。窓を開き、身を乗り出す。どうやらここは二階のようだ。いざ、飛び降りてみるかと思ったが、次の瞬間、謎のアラーム音が鳴り、目の前に半透明のメッセージウィンドウが出現した。
『まずは階下へ行き、受付で操作方法のチュートリアルを受けてください』
なるほど、こういうところはゲームだな。
「ナンセンス。教えてもらわなくても操作はできるんだけど」
『決まりは決まりですので』
「あ、そう……」
この辺はプログラムだ。あまり融通も効かないんだろうな、とあっさり折れることにする。
だが、教えてもらわずとも操作ができるのは本当だ。説明書を一回読んだだけではあるが、そこは天才・石蕗一朗であるからして。
イチローは拳の背中で、虚空を三回ノックした。キーモーションに連動して、目の前にメニューウィンドウが出現する。この辺の操作は意識承認とホログラムタッチの併用式だ。システム上、前者だけでも操作は可能であるらしいが、『操作している』という実感を伴ったほうが、意識との剥離性が少なく済むとか、意識承認だけでは誤作動が発生するとか、そんな理由だろう。このあたりは、野々あざみの論文に書いてあった気がする。
ステータス閲覧、装備、スキルやアーツの選択など、メニューには様々な項目が並んでいる。コンフィグをタッチすると、課金に関するメニューがあり、アカウントに登録されたウェブマネーの残高(当然買っていないのでゼロである)と、クレジットカードのアイコンが確認できた。購入済みアイテム一覧というのもあり、コース名とパック名がずらりと並んでいる。一部のパック名には、名前の先頭に包装されたボックスのアイコンがあった。そのうちひとつをタッチしてみると、やはりメッセージウィンドウが出現した。
『ポーション×5を入手しました。解毒剤×5を入手しました。万能薬×3を入手しました。蘇生薬×1を入手しました。疲労回復剤×3を……』
なるほど。こんな具合か。イチローは課金により入手したゲーム内アイテムを次々に開梱していく。
その後、メニューウィンドウから『装備』項目をタッチする。レザーアーマーに身をつつんだイチロー自身の姿が表示され、選択可能な装備欄には、追加課金に購入した防具やアクセサリ類が並んでいた。さすがに初期装備より性能は良いようだが、防御力自体に大差はなさそうだ。人気アニメとタイアップした類のものが多い。やはりオシャレ装備なのだろう。結構結構。イチローはその中から適当に複数をチョイスして、装備した。レザーアーマーよりはイチロー好みする見栄えだ。
自動取得したというスキルやアーツの確認もしておきたかったが、まぁ、それは後でもいいかと思い直す。外では桜子さんが待っているのだろうし。いや、アバターネームを聞き忘れてしまったが。でもまぁ、イチローは姿も名前も完全に一朗なので、向こうから気づいてくれるだろう。
扉を開けて部屋を出る。安普請な作りなのだろう。歩くたびにギシギシと音が鳴る。まぁ、現実の安普請とは異なり、どれだけ暴れてみたところで、壊れることなどないのだろうが。
一階。受付というのはすぐに見つかった。キャラクターメイク時にアナウンスをしてくれたNPCのアザミがそこに立っている。出ずっぱりな社長だな。自己顕示欲の現れであるとするならば、イチローにも痛いほど気持ちがわかるところだ。
ともあれ、このアザミ嬢は冒険者協会の案内係であるという。ならば、この建物も冒険者協会の関連施設であるわけだ。説明書によれば、このゲームは設定上新大陸であるアスガルド大陸を舞台にしている。冒険者というのは、要するに体の良い開拓者のことで、冒険者協会というのは、バックに存在する王国があつらえた後援組織だ。
『では、イチローさん。これからチュートリアルを開始します』
アザミがにっこりと笑ってそう言った。
「いや、知り合いを待たせているから早く出たいんだけど」
『チュートリアルを開始します』
「わからないことはないから大丈夫だよ。あっても知り合いに聞くし」
『チュートリアルを開始します』
「あのさぁ。ユーザーフレンドリーがなってないんじゃないの。VRMMOの魅力は自由度の高さとストレスフリーなところじゃないの」
不満も露にそう言うと、アザミは数秒ほど反応を停止させ、こう言った。
『では、チュートリアルは終了です』
すごいな。ゴネてみるもんだ。
そういえば、野々あざみの論文には、仮想現実世界をより快適なものにする手段として、人工知能にある程度プログラムの改訂権を与える方法論が載っていた。ミライヴギアの思考波スキャンを利用して、ユーザーの要望を常に取り込んでいるのであるとすれば、それはなかなか大したものだ。
100年遊べるオンラインゲームというのは、そういう意味なのかもしれない。
ともあれ、面倒なプログラムの呪縛はこれでおしまいだ。イチローは、木製の扉を両手で開く。
直後、柔らかな日差しと、さわやかな風がイチローを出迎えてくれた。レンガ敷きのストリートに、一歩、踏み出す。これがミライヴギアの作り出した虚構であり、突き詰めれば電気信号によって引き起こされる錯覚でしかないのだが、そこを改めて持ち出すのはナンセンスというものだ。
このバーチャル・リアリティ技術は、確かにすごい。イチローがこのアスガルド大陸に誕生してまだ10分と経たないが、すでにそう認識せざるを得ないところまでは来ていた。
外を様々な人間が行き交っている。大半のキャラクターは、頭上に名前が表示されており、プレイヤーキャラクターであることが確認できる。ここは、いわゆる〝始まりの街〟であるためか、装備が簡素なプレイヤーが多かったが、中には豪奢で重厚な鎧を着た騎士の姿もある。
「お待ちしておりました、イチロー様」
イチローに最初に声をかけてきたのは、その騎士である。
姿を偽れるVRMMOで外見への言及などなんの意味もないが、オールバックにそろえた銀髪が印象的な、精悍な中年男性であった。名前はキルシュヴァッサー。腰に吊るした片手剣は幅広で、重量のありそうなカイトシールドも携えている。相当な筋力ステータスの持ち主であることは伺えた。歩み寄って来るのと同時に、金属のこすれあうガチャガチャという音が響く。
誰だこいつは。
と、思った後、数瞬の時間を経て、イチローは口を開いた。
「……ひょっとして、桜子さん?」
「そーですけど」
普段の扇桜子とは似ても似つかない、深く響くような声音である。
「うわぁ、ナンセンス。これは誰も得をしない展開だなぁ」
「えぇっ、それってどういうことですか? そう、この私は、ナロファンの世界では激シブの前衛ナイト・キルシュヴァッサー卿なのですよ!」
「その声で桜子さんのしゃべり方はちょっと気持ち悪い」
「率直に言われると傷つきますね! 普段はきちんとロールしてますよ。えー、あー、おほん」
激シブの前衛ナイト・キルシュヴァッサー卿は、何度か喉の調子を整える仕草をした後、やはり低く明朗な声(要するに激シブな声というのだろう)で言葉を続ける。
「イチロー様はドラゴネットにされたようですな。その防具は課金装備ですか?」
「うん。レザー装備の見た目は好きじゃなかったからね」
「ふむ。では私は、ツワブキ家に代々お仕えする熟練の騎士。冒険者として新大陸アスガルドにやってきた主人の護衛としてやってきたということで」
キルシュヴァッサー卿=桜子の中では、すでに設定の構築が進行しているようだった。ドラゴネットと人間の間に、そこまで歴史ある主従関係が成立するのかどうかは疑問だったが、どうせゲームの進行に関係ないところなのだ。突っ込むだけナンセンスである。使用人がそうしたいというのだから、そうさせればよろしい。
イチローも別に機嫌が悪いわけでもない。彼女というべきか彼というべきか、とにかくキルシュヴァッサーのロールプレイには、乗じてやることにした。
「キルシュヴァッサー卿、待たせたね。とりあえずフレンド登録でもすればいいかい」
虚空を三度ノックして、メニューウィンドウを開く。先ほどまで選択できなかった『フレンドリスト』の項目がタッチできるようになっている。プレイ中の知人の条件検索機能と、周囲十メートル以内のプレイヤーを選択してフレンド申請する機能がある。
「あー、そうですな。イチロー様のステータスも確認しておきたいですしな。フレンド登録すればそれができるので」
「はい、申請したよ」
「お、確認しました」
キルシュヴァッサーが、目の前に出現したウィンドウに触れる。直後、イチローにも『キルシュヴァッサーさんへのフレンド申請が承認されました』という、メッセージウィンドウが出る。
イチローは引き続きメニューウィンドウの操作を続ける。『ステータス』を選択し、画面を呼び出した後、『フレンドに見せる』をタッチする。フレンドリストの一覧が呼び出されるが、当然キルシュヴァッサーの名前しかない。
「フレンドは何人かいますが、ドラゴネットのステを見させていただくのは初めてですなぁ」
ここでも嬉々とした感情を隠せていないキルシュヴァッサーの背後には、当然桜子が透けて見える。外見の変貌は、まこと残念で言わざるを得ないのだが。まったくナンセンス。
キルシュヴァッサーからもステータス画面閲覧の許可が出たので、遠慮なく見せてもらうことにする。種族は人間、クラスは騎士、サブクラスに戦士と聖職者がある。敏捷系のステータスを犠牲にして攻撃力、防御力、耐久力に特化したステータス。ガチ前衛と言っていたか。確かにガチだな。レベルは64。これがどこまで高いのかまではわからない。
「課金装備とは言っても防御力はそこまではないようで。スキルスロットがやや多いくらいですかな」
「タイアップ装備だしね。高レベルのユーザーでも、スキル編成次第では性能を生かせるようにって配慮じゃないの」
「でしょうな。スキルレベルの育っていない序盤ではあまり役に立ちそうにありませんが」
イチローはキルシュヴァッサーのステータス画面を閉じて、改めて自分のステータスを確認する。数値上、筋力系などはもちろんだが、キルシュヴァッサーの苦手分野である敏捷系・魔法系などでも劣っていた。レベル1だから仕方が無いといえばないのだが、ちょっともやもやする。
装備のほか、スキルやアーツ、課金やプレミアム特典などのボーナスもこの画面で簡単に確認ができるようにはなっているらしい。キルシュヴァッサーがふむふむと唸っている間、イチローも無言でそれらを眺めていた。
「武器はメイジサーベルですか。初期装備にしてもちょっと攻撃力が心もとないですな」
「一応魔法攻撃にも補正がかかるらしいけど、たかが知れているということかな」
「でしょうなぁ」
魔法剣士は器用貧乏であると言いたいらしい。それは始める前の桜子の態度からわかっていたことだ。が、難しい顔をするキルシュヴァッサーとは対照的に、イチローは自分の選択を悔やんでもいなければ、成長方針に思い悩んでもいない。
「魔法剣士の旨みを最大で生かそうと思ったら、やはり剣士系のスキルと魔法系のスキルを同時に伸ばさなければなりません。一応、自動取得スキルの《マギスタイル》は物理系と魔法系のステータスに多少の補正がかかるようではありますが」
ここらで簡単に解説をしておこう。ナロファンには、キャラクターの得意技能を表すステータスとして常時効果を受けられる〝スキル〟と能動的に起こすアクションである〝アーツ〟がある。どちらも関連するアクションを行うことで熟練度が溜まりレベルが上昇する。キャラクターの個性を際立たせるのは、もっぱらスキルのチョイスだ。これらはスキルレベルの合計が、キャラクターの持つスキルスロット数以下でなければならない。
スキルとアーツはどちらも新規取得には条件が必要で、これらの条件を満たした上で、スキルポイントやアーツポイントを消費して取得する。
イチローのステータスで言えば、《マギスタイル》の他では、素の防御力に補正のかかる《竜鱗》がスキルであり、普遍的な武器技である《バッシュ》、簡易攻撃魔法である《マジックボール》がアーツにあたる。
「イチロー様は剣を装備していらっしゃるので、スキルポイントさえあれば《剣技の心得》が取得できるはずです。《心得》系は物理攻撃を行う上では基本スキルなので、取っておいた方が良いでしょうな」
「ああ、スキルポイントは100あるね。遠慮なく使おう」
「なんでそんなにあるんですか!?」
キルシュヴァッサーが思わず素を露呈し、周囲を行きかう新米冒険者の視線を集めた。
「プレミアムパッケージの特典で初期スキルポイントが20、スターターコースの特典で+20、課金装備のオマケ特典で+10、あー、あとは、初めてコースやパックを購入した特典でそれぞれから+5とか、そんなのがいっぱい」
「でも、スキルポイントがいっぱいあっても、スロットが足りませんしねぇ」
「追加料金パックで、『スロットブーストパック』っていうのがあったけど。24時間限定でスキルスロットが2倍になるやつ」
「それ中堅以上のキャラクターがどうしても勝てないボスに挑むときに使うパックですからね! しかも高いし!」
「ナンセンス。たかだか2000円だよ」
課金装備の空きスロットと合わせて、スキルスロットは38ある。38レベル分のスキルを発動させられるということになるが、現在取得できるスキルの数自体はそんなでもないのだろう。スキルを乱取りすることはできるが、やはりキルシュヴァッサーの言うとおり、ある程度スキルを絞ってレベルを上げる必要はあるだろうし。
「あー、おほん。そういえば気になっていたんですが、ドラゴネットの種族スキルは《竜鱗》の他に何かあるんですかな」
「ん、どうだろう。いま取得できる奴か。面白いのがあると良いね」
メニューウィンドウで『スキル』を選択して、開く。
キルシュヴァッサーに教えてもらうと、人間の種族スキルは、自動取得がスキルスロットを1だけ増やす《神々の加護》で、他にもステータスをちまちま上げる程度のものらしい。尖った性能がないぶん、様々な方向性に対応できるということだろう。
「《竜翼》とか《竜尾》とかだね。素手の攻撃を強化する《竜爪》っていうのもある」
「完全に物理職ですなぁ。まープレミアム種族だと、ハイエルフが魔法向けって感じでしたし……イチロー様、いまそれ全部取得しましたね?」
羽根と尻尾と爪を生やしたイチローに、キルシュヴァッサーがなんともいえない視線を向ける。
これらのパーツも、気に入らなければ自分の意志で出し入れができるらしい。見た目があまり優雅ではないので、普段は非表示にしておこう。
「この《オブジェクト破壊》っていうスキルも面白そうなんだけど、筋力ステータスが足りないみたいだ」
「あー、ダンジョン探索とかで役立ちそうですな」
スキル談義はここまでにしておこう。聞いた話では、この〝始まりの街〟(本当にそういう名前だった)では、クラスごとに専用アーツを取得するためのお遣いクエストがあるらしい。が、ナンセンス。それはいつでもできる。せっかく一緒にプレイを始めたのだから、まず自分のレベル上げを手伝って欲しいと言うと、キルシュヴァッサーは恭しく頷いた。丁寧なロールであることだ。
かくして、二人で並んでメインストリートを歩き出す。新米冒険者ばかりが闊歩する往来において、高レベル騎士と稀少種族ドラゴネットの組み合わせは、少しばかり視線を集めた。
「しかし、なんかずるいですなぁ。イチロー様。廃課金どころの騒ぎではありませんぞ」
「ナンセンス。お金で才能が買えるならそうするべきだよ」
そのお金というのも、現実世界におけるイチローの才能の賜物であるからして、金銭によって才能を獲得することに何の罪悪感もありはしないのである。
二人はそのまま正面門に向かい、アスガルドの広大な大陸へと踏み出して行った。