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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『キリヒト』編
32/118

番外編 桜子、紙を漉く

※本話は、第三十話『御曹司、会議に参加する』でご指摘いただいた誤字をネタにしたセルフパロディとなっております。

 朝である。

 石蕗一朗の使用人、扇桜子のものともなれば起床は早い。

 指と指の間に、どろりとした白い液体が糸を引いていた。鼻の奥に引っかかるようなにおいが、広い部屋の中に充満している。桜子は、ヒノキの槽いっぱいに満たしたパルプ液に、何度か指を浸しては、液の粘性を確かめていた。滅多に皺を寄せない眉間に大きな谷を作り、自らが納得いくまで様々な素材をブレンドしていく。撹拌するのにも、自身の手を使うのが、桜子の大きなこだわりだ。

 パルプに使用したものは主にコウゾだ。しっかり素材を吟味した後、日晒ししてかんぴょうのようになった白皮から、様々な伝統的工程を経て繊維質を解きほぐしたもの。奈良吉野の一部の工芸職人にしか伝わっていない作業の流れを、彼女は一人で真似る。

 しばらくしてから、ようやく納得のいった彼女が取り出したもの。それは、漉桁すきけたとすあみであった。漉桁はやはりヒノキ製、すあみは竹ひごを編んだものを使う。桜子は、両手で漉桁の左右を支え、無数のパルプが溶け、混ざり合い、漂う槽の中を、ゆっくりとすくい上げるように動かした。すあみの上にパルプが、均一な厚みをもって溜まる。パルプと共にすくわれた水が漉されていくのを待ってから、同じ動作を数後繰り返す。


 職人芸。ワザマエ。これこそが伝統技法。

 扇桜子の手で、一枚の極上の和紙が作り上げらようという、その過程のさなかにおいて、


「桜子さん、もう朝なんだけど」

「うぎゃああああああ」

「あぁ……起きてたんだ」


 唐突に扉が開き、桜子も我に返る。扉を開けた主人、石蕗一朗の顔はいぶかしげだ。


「今朝は仕事をしていないと思ったら。どうしたの、すっぴんというか、すっぽんぽんというか」

「しっ、しめて! 一朗さま! 何もいわずにしめてください!」

「ん、」


 基本、彼女の請求はノーと断らない、良い雇い主である。

 だが、黙ってしめたあと、その扉の向こう側で彼が沈黙を守り続けてくれるかというと、それはまた別の問題である。


「桜子さん、何か変な病気にでもかかった? 熱に浮かされたような真剣な顔だったよ」

「熱に浮かされたというか、何かに取り付かれたというか……でも何でもないんです!」

「何でも無いというには、ちょっと無理があるシチュエーションだよ。今のは」


 桜子は超人的なスピードで歯磨きと着替えを済ませ、鏡台に向かって化粧箱を開いた。


「一朗さま、一朗さまも朝になったら起きますよね?」

「そりゃあね」

「起きたらシャワーで寝汗を流しますね?」

「ん、まぁね」

「そしたらドライヤーをかけながら、髪を梳いて」

「桜子さん」


 一朗が、普段は滅多に出さないような、穏やかでやさしい、諭すような声音を発する。


「髪を梳くのと、紙を漉くのはね、違うんだよ」

「わかってます!!」


 最後の声は少し涙声になっていた。

 なんでこんなことになってしまったのだろう。桜子は、涙でメイクが崩れないようにするのに精一杯でそんなことを考える余裕がなかった。

 無論、考えたところで彼女が思い当たるはずもないのだが、悪意ある第三者的高次元存在の意思介入があったことには間違いない。たったひとつの誤字を面白がって採用するだけで、このような悲劇を生むのである。執筆も趣味とする一部の読者諸兄においては、そのことをぜひとも念頭に入れていただきたい。あなたがキャラクターを愛しているのならば、このような悲劇は、二度とあってはならないのだ。

 いや、たまにはあっても良いかもしれない。


 とにかくその後、ようやく落ち着きを取り戻した桜子は、いつものスーパーウーマンが如き活躍っぷりで迅速に家事を片付けていったのである。出遅れのためか、すべてが片付くのは15時を回っていたが、それでも昼過ぎから夕方までのナローファンタジー・オンラインをゆっくりと楽しめた。

 一朗は、今朝の事件においてあれ以上の追及は行わなかったが、桜子の漉いた和紙に一筆『なんせんす』としたためた後、額縁に入れて廊下に飾った。

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