第二十一話 御曹司、映画を見る
近年MMORPGにおいて、パーティを組まずに一人で攻略を楽しむ『ソロプレイヤー』は増加の一途を辿るという。虚構の世界においても人間関係が煩わしくなってなどという理由であるとするならば、実に現代らしい話だ。が、オンライン上とは言え、結局は社会の傾向であるので、それを外部からどうこういうことはできないだろう。
もちろん、多人数プレイを前提としたゲームシステムである以上、最前線においてもソロプレイを継続することは極めて困難である。強大なモンスターの多くは、プレイヤー一人一人などとは比べ物にならないステータスを設定されているし、無限に湧き出るモンスターをたった一人で捌ききることなどできるものではない。
それがVRMMOであるとすれば、なおさらである。
いわゆる一人称視点でゲームを行うVRMMOにおいては、従来の三人称視点よりも死角が多く発生し、MOBに囲まれた際の隙が生じやすい。コントローラーをいじくって、ぐるりと周囲を確認などという便利な真似もできない。加えて、プレイヤーの疲労がキャラクターの性能にもダイレクトに反映されるのだ。VRMMOのトップタイトルであるナローファンタジー・オンラインにおいても、その最前線〝デルヴェ亡魔領〟にソロプレイヤーの姿を確認することはできない。
たった一人を除いて。
亡魔領の中枢部。魍魎が跋扈する廃墟街を、黒い影が疾駆する。初期装備であるレザージャケットの上に、各関節部を覆うポイントアーマー。高い抗魔力を備えたコートが翻り、剣を携えた青年が死線と揶揄されたデルヴェの地に踊った。
「しッ……!」
上段から下段に向けての振り下ろし。銘も飾りもない剣が閃き、唯一の存在価値を証明するかのように歓喜の血飛沫を上げる。4ケタの数字がぱっと飛び跳ね、亡者は怨嗟の声すら吐き出せずに消えていく。
返す剣筋が、そのまま周囲を囲み始めていた数体のゾンビを引き裂いた。
ゲームの世界ではいくら剣を酷使しようと、血糊によって切れ味が鈍ることなどない。耐久値にはまだかなり余裕が残っている。ならば、無心で剣を振るい続けてもなんら問題はないだろう。突撃と共に逆袈裟斬り。活路を開き、再び直進を開始した。
そう、これはゲームだ。現実世界から隔絶された、どこか遠い世界の話。
自分はその中で、屈強な戦士を演じているに過ぎない矮小な人間である。迫り来る魔物を片端から切り伏せていく最強の自分は、この虚構の世界にしか存在しない。だが、それがなんであるというのか。自分は、戦って勝つことが好きだ。法則に則り、規則に則り、鍛え上げた自分の力量と知識だけで戦い抜き、その結果を手中に収めることが好きなのだ。
そこに、現実と虚構の違いを述べる意味などない。
進撃する彼の周囲に、ふと立ち込めるのは異臭。このデルヴェにおいて、《痛覚遮断》を持ってしても防ぎきれない不快感は、一部のモンスターが持つMOB専用スキル《澱んだ腐敗臭》だけだ。プレイヤー自身が不快感を感じるだけでなく、キャラクターの行動にも一定の制限がかけられる。
彼は一端足を止め、異臭の源を探る。
地響きがする。剣を抜いたまま油断なく周囲に視線をこらした。
『お、おおお……おおおお……』
地獄の底から響くようなおどろおどろしい鳴き声。半壊した建物の影から、巨体が〝ぬっ〟と持ち上がる。現実の尺度に照らし合わせれば、それはゆうに20メートルはあるだろう。迫力はあるが、ボスMOBなどではない。出現頻度が少ないとは言え、これは単なるザコMOBだ。
ゾンビレギオン。亡魔領を拠点に活動するネクロマンサーが、骸を団子のようにまとめ、くみ上げた醜悪な芸術品である。進路上のグレーターゾンビを取り込みHPを回復する《同族吸収》のスキルを持ち、そのタフネスには多くのトッププレイヤーにも恐れられている。
ゾンビ達のうつろな視線がいっせいにこちらを見た。
身の毛がよだつような光景であっても、彼の姿勢は変わらない。彼のやるべきことは決まっている。戦って、勝つという、ただそれだけのことだ。進路の先に立つものがMOBであれば、それはシステムから彼に差し出された挑戦状である。受け取って切り捨てる。
出現数の少なさと強大さから思考ルーチンの検証が行われていないゾンビレギオンだが、彼の姿を見るにつけ、進路をゆっくりとこちらへ変える。ゆったりと大地を這い、足元をゆらゆらと歩くゾンビたちを磨り潰しながら前進する。
彼は、片手で振るっていた剣を始めて両手で構えなおし、正面からゾンビレギオンをにらみつけた。そこに、舌なめずりをするような高揚感は宿らない。9回裏、ピッチャーがマウンドに上がるように。ペナルティキック戦でストライカーがゴールを睨みつけるように。決勝のスタートラインに立つ陸上選手のように。
ナローファンタジー・オンラインの最前線において、唯一ソロプレイを続ける一人の男がいる。一切の課金を行わず、ただ愚直に自身のレベルとスキルを伸ばし続けただけの地味な男であったが、国内外におけるヘビーなオンラインゲーマーで、彼の存在を知らない者はいない。
国内ゲームチャンプ。本名不明。経歴不明。素性不明。年齢不明。性別不明。その他、一切不明。
だが、ときおりふらっとオンラインゲームに姿を見せては一貫してソロプレイを貫き、そのゲームのトッププレイヤーに躍り出る。むろん、対人戦においても無敗。ゲームごとに名前は地味に変わるものの、そのブレないスタンスがたった一人のものであることは間違いない。
多くのゲーマーは、彼に対する畏怖と、増えすぎた同名のアバターとの区別のために、彼をこう呼んだ。
Ki2。すなわち〝キング・キリヒト〟。
「はぁーっ、面白い映画でしたねぇー……」
「そうだね。なかなかだった」
興味はなかったはずなのに、結局見に来てしまったな、と思う。一朗が振り返ると、看板にでかでかと踊る映画のタイトル。桜子が抱きしめているパンフレットと、まったく同じものだ。ドラゴンファンタジー・オンライン。原作はもう10年も前に刊行されたエンターテイメント小説である。バーチャルリアリティ技術が御伽噺だった頃のお話で、現在では当たり前として認知されつつあるVRMMOを題材に取り扱ったものだ。当時は好評を博し、様々なメディアミックスが為された。
ここ1年のVRMMOの社会的人気を鑑みて、リメイク映画版の企画が持ち上がったのだという。当然のように、現行する数少ないVRMMOとも様々なタイアップが為され、最大手であるナローファンタジー・オンラインにおいても、主人公『キリヒト』が扱うものとまったく同じ装備がグラスゴバラのNPCショップに並んでいる。運営が守銭奴じみていると揶揄されるナロファンにおいて、一切の課金が不要なタイアップ装備というのは珍しい。
映画自体にもVR技術が用いられ、第一人者である野々あざみが関わったとまで言われれば、一朗も興味は沸く。館内で貸与されたミライヴギアを半覚醒状態で使用する、いわば仮想現実と言うよりも拡張現実に近いものではあったが、確かに技術的にも迫力はあった。
シナリオ自体は一時期隆盛を誇ったいわゆる『デスゲーム』もので、VRMMOにログインしたキャラクター達がなんらかの事情でログアウトできなくなり、ゲーム上の死が現実の死と直結する状況に放り込まれるというものだった。一時期隆盛を誇ったというのは、ドラゴンファンタジー・オンラインの流行にあわせて、似たような設定の作品が雨後のタケノコのように生えて出たという理由に起因する。このあたりは全て桜子が得意げに解説してくれた。『そうか、10年前と言えば桜子さんあの主人公と同い年だからね』と言うと、彼女はなにやら絶望的な表情を浮かべていた。
基本的に道を行くとき、桜子が一朗の隣に並ぶということはなく、彼女は一歩引いた位置を歩く。自然、一朗が桜子を従えて歩くような構図になり、実際のところそうではあるのだが、メイドを連れて歩く好青年の構図は往来においても目を引いた。もちろん、衆目を集めることに取り立てて抵抗を感じない二人ではある。
「桜子さん、寄って行きたいところある?」
「一朗さま、今日はやけに優しいですね……」
「誕生日ロスタイムだよ。昨日も午前中はあんま構ってあげられなかったしね」
「特に無いですよ。早く帰ってナロファンやりましょう。アイリスが不満がってましたよ。せっかく夏休みが始まったのに、御曹司はログインして来ないって」
「そう言えば世間様ではもうそんな感じだね」
目をやれば、行き交う人々の中に若者の割合が多く感じる。
「夏休みで人口が増えるのは、繁華街もMMOも同じですねー。最前線はあんま変わらないでしょうけど、グラスゴバラは賑わうんだろうなー」
「今日は何人のキリヒトと会うんだろうね」
以前からそれなりの数は見受けられたのだが、DFOが公開された先週ごろから、『キリヒト』というアバターネームを持つプレイヤーは爆発的に増えた。アバターネームとアカウント名は別に管理されるので、ゲーム上では名前の重複が防がれることはない。被る名前は徹底的に被る。身近なところでは『アイリス』だって、今までに1人、2人はすれ違ったことがある。
面白いのはやはりDFOの影響力を感じるところで、『キリヒト』という名前のアバターは大概が戦士であり、彼らはみな直剣を振るう。グラスゴバラには現在、みな一様に同じ格好をした戦士『キリヒト』が、往来を異様な人数で闊歩しているのだ。彼らはみな、自分たちがそのゲームの主人公であると疑っていない。まぁ間違いではないだろう。MMOというゲームの特性を考えるならば、プレイヤーは全員主人公である。
ただまぁ、彼らにも一定の矜恃やプライドはあるようで、気まずさに冷めた『キリヒト』からまずは自分なりの装備を揃えて行く。直剣から自分に似合う武器を選びなおしたり、格好いいと思った防具や、スキル構成を見直したりする。そうした過程で、彼らは評判高い〝アキハバラ鍛造組〟を訪れ、たまに間違えてはす向かいにある〝アイリスブランド〟を訪ねたりするのだ。
「いやー、ほほえましい話ですよねー。私にもあったな、ああいう頃……」
「今は違うの?」
「もうぜんぜん。キャラ名のつけ方からロールプレイまで自分で設定を考えてですね……。種族やクラスも設定との兼ね合いを考えて、スキル構成とか……。手馴れちゃったなー。一朗さまは無いんですか? そういうこと」
「ナンセンス。僕が演じるのは常に僕だけだよ」
「まーそーでしょうねぇー」
桜子のキャラの作り方などまだ可愛らしいもので、中には性能のみを追求したガッチガチの組み方をするプレイヤーも大勢いる。古式ゆかしいTRPGのプレイスタイルにおいてはマンチキン(和マンチ)などと呼ばれるものだ。パワープレイとか、ハックアンドスラッシュとかいう言葉のほうが馴染み深いものもいるかもしれない。
むろんMMORPGはロールプレイゲームとは言え、設定上の役割を演じず、素のキャラクターで通すプレイヤーのほうが圧倒的に多い。ネカマが駆逐されたVRMMOにおいてはなおさらのことだ。一朗やアイリスなどはまさにそれだし、おそらく多くの『キリヒト』も、行動までキリヒトになりきっているつもりはないだろう。桜子のようなリアル・ロールプレイヤーのほうが稀少と言える。
デルヴェ亡魔領に入り浸る最前線プレイヤーは、多くが戦闘偏重のプレイスタイルだ。いわゆる『遊び』のない装備、スキル構成、成長方針で、強くなるための努力を惜しまない。彼らは誰よりも最前線で戦い、レベルを上げ、強くなることに誇りを持っている。ナンセンスとまでは言わないが、ちょっと理解できないな、とは思う。
「そういえば、今日からグランドクエスト配信ですねぇ」
「デルヴェ亡魔領の開放クエストだっけ。興味がなくもないけど、別に良いかな。どのみちアイリスは連れていけないしね」
「ま、のんびりやりましょうか。最近は《茶道》スキルを伸ばすのがなんだか楽しくなってきましたよ」
「攻撃系を延ばすのも飽きてきたし、僕も《料理》あたりを取ろうかな。霊森海でピクニックをやるのもいいね。まぁ、これもアイリスが自衛できるくらいのレベルになってからかな」
二人は、その後もゲームについてそれなりに楽しく語らいながら、帰路へと就いた。
アイリス>:じゃあみんな今グランドクエストに参加してるの?
ユーリ>:そうだよー
アイリス>:すごい
ミウ:>レベル低いほうだよ
レナ:>足手まといにならないのがせいいっぱいってかんじ
アイリス>:でもすごいよ
ユーリ>:アイだってすごいじゃん
ユーリ>:見たよまとめサイト
レナ>:見た見た
アイリス>:やーめーてー
ミウ>:今度うちらの防具も作ってよ
レナ>:友達価格で!
アイリス>:あはは
アイリス>:社長がいいって言ったらねー
レナ>:友情プライスレスやし
ユーリ>:お抱えデザイナーも大変そうだね
アイリス>:楽しいけどね
ユーリ>:よかった
ユーリ>:最近ずっと音沙汰ないから
アイリス>:うん
ユーリ>:連絡とれて安心したよ
ユーリ>:チャットだから声聞けないけど
ユーリ>:元気でやってそうだし
アイリス>:みんなもがんばってね
ミウ:>こっちの台詞だし!
レナ:>このクエストおわたらそっちいくかも
アイリス>:うん
アイリス>:待ってるね
ユーリ:>私たちこれからまたダンジョン探索だ
ミウ:>もう10回くらい死んだ
レナ:>MOBこわいんやもんな
ユーリ:>アイリスも根詰めすぎるなよ
アイリス:>わかってる
ユーリ:>じゃーねー
アイリス:>またねー
「はぁ」
チャット用のウインドウを閉じて、出てくるのはため息だ。
かつて〝始まりの街〟で出会い、ギルドを組み、ここグラスゴバラで別れた仲間達である。最近は精神的余裕も出来たことだし、今は何をやっているのかと思い連絡を取ってみたのだが、予想だにしないような場所で頑張っていた。出会った当初はみな初心者であったはずだが、どうにも差がつけられてしまったようだ。現状に不満が無いとはいえ、やはりため息くらいは出る。
グラスゴバラ職人街は、周囲に出現するMOBの戦闘力も大して高くなく、実力的には中級者クラスのプレイヤーが行き来するフィールドに囲まれた街だ。しかし、優秀な職人が集うという性質上、メインストリートを歩くトッププレイヤーの姿も決して珍しくは無い。ゆえに、最前線で行われるという開放系クエストの熱気は、余波となってここまで伝わってくる。
グランドクエストにも様々な種類はあるのだが、やはり中でもプレイヤーの注目が集まるのが開放系だ。このゲームが、(忘れられがちであるとは言え)新大陸アスガルドを開拓していく冒険者達の活躍を描くものである以上、当然と言えるだろうか。開放系クエスト後は文字通り新しい街が開放され、NPCが入植するため、新たな要素のお披露目ということにもなる。
開放系グランドクエストへの参加は、戦闘職・探索職プレイヤーの目標のひとつ。かつての仲間達は、その偉大な目標に到達したということなのだ。ため息の正体は羨望である。戦闘、探索への未練はとうに断ち切ったものの、だ。
「デルヴェ亡魔領かー」
ギルドメンバーの御曹司とキルシュヴァッサーがときおり赴いているのは知っている。アイリスなど瞬殺できるような超高レベルMOBが跋扈し、奥地に踏み込めばトラップの嵐。とてもではないが、自分が踏み込めるようなフィールドであるとは思えない。
しかし、先ほどのチャットが、アイリスの心に横たわっていた感情をじわじわと引きずり出してきた。別に、グランドクエストに参加したいとまでは思わないが、そう。かつての仲間達に会いたくはある。クエストが終わるまで待ってなんかいられないのだ。できれば、今すぐにでも。
元気な顔を見せられたら、2、3言だけ会話を交わせたら、それで帰っても良い。
御曹司がログインしてきたら、お願いしてみようかな。それくらいならば大して問題ないだろう。アイリスブランドへの客足はそう多いものでもないのだ。ちょっとばかり店を空けたところで、門前で立ち尽くすようなプレイヤーもいまい。
アイリスはメニューウィンドウの時計を見た。時刻は午後3時を回る。今日はキルシュさんと映画を見に行くと言っていた。彼の誕生日ロスタイムなのだそうだ。男二人で映画というのもなにやら寂しい話ではあるが、まぁ良い雇い主と使用人なのではないだろうか。
しかしそろそろ帰ってくる頃だろう。アイリスは、憎たらしい御曹司のあの顔を、このときばかりは今か今かと待ちわびることにした。
7/24
誤字を訂正
×アドヴァンスド・リアリティ
○オーグメンテッド・リアリティ
8/3
誤字を修正
×間接部
○関節部




