第十九話 御曹司、実力を見せ付ける
決闘魔法陣の上で、対峙する二人。
竜人族の魔法剣士、ツワブキ・イチロー。
機械人種の鍛冶師、エドワード。
その光景を見守る観衆の中にはむろん、キルシュヴァッサーとアイリスの姿もある。アイリスは、単純に心配しているとも言い切れない表情で、御曹司イチローの姿を見守っていた。顔には『とうとうやっちゃったかあのバカ』と書いてある。キルシュヴァッサーの意見も、そう遠いところにはないだろう。戦闘職対生産職。この決闘を吹っかけたのが、戦闘職であるイチローなのだからまた始末に終えない。
「で、どうなのよこの勝負」
すっかりバトル漫画の脇役の気分で、そんな台詞を振ってみた。
「どうもこうもありませんな。ここは『白い方が勝つわ』とか言うべきなのでしょうが……」
「白い方ってどっちよ」
二人は、エドワードのほうを注視する。正確には、その装備アイテムを。
彼が着ているフルプレートアーマーは、クラス制限のある防具だ。間違いなくエドワードはサブクラスに戦士を持っている。鍛冶師である以上は【筋力】値を集中的に鍛えているであろうし、それらに付随する様々なパラメータを考慮しても、物理戦闘職としての適性はあるだろう。ファイトスタイルとしては、やや重戦士型ということになるだろうか。
彼の得物は二振りの剣であるらしかった。二刀使い、俗にツインマスターと呼ばれることもある。彼らはこのゲームの中では戦士としても比較的異質の存在だ。
各種媒体の演出からスピードタイプのイメージが多いツインマスターではあるが、このゲームにおいてはそうとは限らない。二つの武器を両手でバランスよく支えるには相応の【筋力】ステータスが必要なのである。もちろんスピードタイプやバランスタイプのツインマスターもいるが、エドワードはおそらくパワータイプ。高性能高重量の双剣で敵の攻撃を弾きながら接近し、自らの距離で獲物をしとめるタイプだ。使い勝手は難しいが、慣れれば攻守に優れた戦法であると言える。
ではツインマスターが異質である理由とは何か。
単純に、このゲームのデスペナルティに起因する。装備と所持アイテムを全てロストするという、尋常ならざる不親切な設計は、多くのプレイヤーに複数の武器を所有することを躊躇わせた。数少ないツインマスターは、自分は決してヘマをしないという自信の表れとして二刀を振るっているのだ。エドワードは、自身が生産職であり、基本的に戦闘をしない・すぐに新しく作り直せるという理由もなくはないのだろうが、おそらく他のツインマスターと比しても遜色のない矜持を胸に抱いている。
自分は決して負けない。デスペナルティなど受けない。
その矜持があるからこその、次の会話である。
「ルールは君が決めていいけど」
「勝負は1回。デスマッチ。ペナルティは有りだ」
それは、市内決闘において設定しうる、最大限に過酷なルールである。市外におけるプレイヤー同士の戦闘と異なる唯一の点が、勝者のステータスにプレイヤー・キルのカウントが為されないことであり、それ以外においてはなんら変わらない。たった1回の勝負で、どちらかのHPが尽きるまで殴り合い、敗者は所有するアイテムの全てを失う。
この決定には、観衆はおおいに沸いた。圧倒的不利な立場でありながらの、エドワードの発言。彼らはエドワードの男気を称えるが、男の本音はそうではない。ツインマスターとしての矜持。そして、もうひとつ。
「あいつ、本気であたしの作った防具ぶっ壊す気だ……」
「ま、それもあるんでしょうな。今回の場合、喧嘩を吹っかけたのはどうもイチロー様ですし、文句は言えませんな」
イチローがルールを設定し、それにエドワードが改めて同意することで、決闘の準備が完全に整う。それを見るにつけ、キルシュヴァッサーとアイリスは並んで壁際まで下がる。決闘魔法陣は、しょせんはリングだ。雰囲気作りのためのシステムであって、場外乱闘はシステム的に禁じられていない。ルールで反則事項に設定することはできるが、今回のルールに反則は一切設定されていない。
戦闘開始を前に、カウントダウンが始まる。
5からスタートしたそれは、睨みあう二人の間で徐々に減っていく。いや、睨んでいるのは片方か。片や涼しげな立ち姿で、眺めていると表現するほうが正しい。気品の風を纏う王者の振る舞いだ。傲岸な貴族に反逆する、市井の戦士。これはそういう構図である。
3、2、1、数字が弾け、Fightの文字が躍った。
先にリングを蹴ったのはエドワードである。パワー型のカウンタータイプを想定していた観衆の多くは、この展開に驚いた。鍛冶師にしては驚くべき【敏捷】ステータスで肉薄し、イチローに向けて剣技を放つ。
二刀が踊り、空中に美麗な軌道を描く。《ホリゾンタルエッジ》と《ヴァーティカルエッジ》の同時発動。二刀を極めし者のみが到達しうる妙剣を、ドラゴネットの青年は素手で対応した。水平と垂直。二つの剣筋を冷静に見切り、回避行動を取ることもなく、それぞれを片手で受け止める。
「ちっ」
舌打ちこそしたが、決して手詰まりではない。この二つのアーツはあくまでも前準備に過ぎない。イチローが刃を捕らえて離さなくなる前に、剣を退かせ、しかしその勢いは殺さない。退いた動きが孤円を描いて、そのままイチローの頭部目掛けて振り下ろされる。
《サーキュラーエッジ》!
イチローは避け損ねた。いや、あえて避けなかったのかもしれない。剣筋は直撃し、血飛沫のエフェクトと共にイチローのHPを削り取る。彼は涼しい顔でそれを受け、握った右の拳をまっすぐに突き出してくる。
得物を抜かず、徒手空拳で殴りかかってくるのは予想外であった。エドワードはイチローのサブクラスを知らない。格闘家、それとも僧兵か。格闘武器による攻撃アーツには装甲を貫通して衝撃を送り込む《スンケイ・ブロウ》がある。使われてしまえば重装甲のエドワードには不利だ。
エドワードは退いた。拳の欠点はリーチの短さだ。そうとわかれば、こちらにもやりようはある。
飛び退き、油断せずに二刀を構えた。だが、エドワードの意識はすでに別のところに向けつつある。システムのモーションアシストが、人間では決して行い得ない機械人種特有の行動を補佐する。切り札は出し惜しみできない。直後、乾いた音が響き、再び血飛沫のエフェクトが散った。
「なっ……!」
アイリスが驚愕の声を挙げる。
「《隠し腕》だわ……!」
「ああ、マシンナーのクラス専用スキルでしたな。それに、あの武器は……」
観衆の間にも、感嘆の声が広がる。エドワードの脇腹から生えたウィンチ・アーム。それが握っているのは、アスガルド大陸でわずかに散見される最強の武器種、すなわち『銃』である。
エドワードが有する第三のクラス、銃士はサービス開始当初から発生条件が検証されてきた、極めて取得の難しい、いわばエクストラクラスとも言うべきものである。だが、鍛冶師を持つ一部のキャラクターが、《製鉄》《武器作成》のスキルレベルを上げて行く過程で、新たなアーツ《ガンスミス》の存在に気づいた。現在では更に検証が進み、これらのスキルの他に複雑なパラメータバランスが《ガンスミス》の取得に必要であることがわかっている。《ガンスミス》のアーツレベルを一定以上に挙げることで、銃を作成することが可能になり、そこで初めて銃士のクラスを取得できる。
発生条件が難しいこともあり、銃の武器性能は非常に高い。
威力はステータスに依存せず、速射が可能である。各種弾丸の使用によって様々な状況に適応できるのも特徴だ。状況次第では弓などの遠距離射撃武器はもちろん、魔法攻撃職の仕事さえ奪ってしまうことがあり、ここまで発生条件が複雑でなければ、バランスブレイカーであるとの謗りは免れなかっただろう。
戦闘もできる生産職プレイヤーとしてそれなりに名のあるエドワードだが、アイリスも彼が銃士のクラスを持っているとは知らなかった。
《隠し腕》による奇襲。加えて、銃の出現。観衆は大いに沸いた。生産職プレイヤーが、廃課金の戦闘職プレイヤーを倒す初めての瞬間になるかもしれない。今の一撃は、それほどの意味を持っていた。
しかし、そんな状況下にあっても、イチローはどこ吹く風であった。彼の考えることと言えば、『服に穴が開かない仕様でよかった』てなもんである。
「御曹司、負けて防具吹っ飛ばしたら承知しないわよ!」
「ナンセンスだなぁ。一昨日、帰り際のエドを怒らせたときの台詞を思い出せば良いよ」
「状況が違うのよ、じょーきょーがっ!」
観衆は、この涼やかな青年の実力を測りあぐねている。ほとんど防戦一方。明確な攻撃に転じたことなど一度もないのだ。それにしたって、明確に攻撃を防いだといえるのは最初の一撃だけ。しかし、この余裕はなんだろう。
イチローは、あろうことかポケット(あるのだ)に片腕を突っ込んだまま、ゆっくりと歩き始めた。エドワードの《隠し腕》が引き金を引く。《バーストショット》。弾薬を三つ消費して、鋭い連射攻撃がイチローに殺到する。
「ふむ」
自由にぶら下げていた一朗の片腕が、すばやく動いた。視覚強化系のスキルを持っているものならば、その腕が空中の三箇所を的確に捉えたことに気づいただろう。イチローが握った手を離すと、弾頭が三つ、リングに冷涼な音を立てて転がった。
「………!?」
驚愕に目を見開いたのは、今度はエドワードである。
「ただの《ウェポンガード》だ。そんな難しいことじゃない。一回やってみたかったんだよね」
「いやいやいやいや」
アイリスが全力で首を横に振っていた。キルシュヴァッサーは肩をすくめていた。
「さて、エド」
イチローは彼に向き直って言う。
「ちょっと痛いかもしれないけどね。僕は謝らないよ」
「何を、」
と、言ったときには、すでにイチローの身体が、こちらの懐に鋭く潜り込んでいた。引き絞った拳が、弓のように放たれるまでわずか0.2秒。如何なるスキルとアーツの組み合わせで、そこまで発動時間を短縮できるのか。
反撃せねば。などというのは、しょせん儚い決意であった。次の瞬間には、エドワードの鳩尾でインパクトが爆発する。超高レベルまで確保した《竜爪》が、素手にあるまじきダメージをエドワードに叩き込む。タチの悪いことに、イチローはドラゴネット専用スキル《ぶっ飛ばし》《オブジェクト破壊》を所有していた。
それはもう、筆舌に尽くしがたい壮絶な吹き飛び方だった。イチローも方角にはそれなりに気を使ったのではないだろうか。物理演算の導きによって、エドワードのアバターが仮想の運動エネルギーを消費していく。メインストリートに設置された魔導灯をへし折り、NPCショップの看板を破壊し、荷車を打ち砕き、ようやく地面に落ちたかと思えば、レンガ造りのストリートを削り取るようにして転がって行った。システム上、決闘は同マップ内でなければ決着はつかない。彼の身体は『グラスゴバラ職人街』と書かれた巨大なアーチを粉砕することで、ようやく停止することを赦された。
もうもうと立ち上る粉塵の中に、何か光の粒子が弾けて消えたように見えた。如何な感知系スキルを持ったプレイヤーでも、その中にエドワードの痕跡は発見できないだろう。彼のアバターは、いまや装備も所持アイテムも全て失った状態で、〝グラスゴバラUDX工房〟の中にある。
『勝者、ツワブキ・イチロー!』
誰もがわかりきっていることを、システムアナウンスが得意げに告げる。
一瞬の間があってから、空気が割れんばかりの拍手喝采が起こった。結局、観衆にとってはイチローが正しかろうとエドワードが正しかろうとどうでもよかったのだろう。多くの場合、野次馬は本質に無関心だ。だがだからこそ、当初は完全にヒールであったはずのイチローにも、こうして惜しみない拍手が向けられる。楽しませてもらったから。良い決闘だったから。
イチローは、さも当然と言わんばかりの顔で立っている。彼は、大衆が送るあらゆる賞賛には応じない。そのままアイリスとキルシュヴァッサーの元へ歩いて行く。
「見ての通りだけど」
「そ、そうね……」
「さて、」
イチローはこの時点で、その場にいるすべてのプレイヤーの視線を集めつつあった。彼はそれを確認し、風属性の補助魔法アーツ《スピーカーヴォイス》を使用する。
『あー、僕がツワブキ・イチローだ。長々としたあいさつはナンセンスだから省くけど』
大衆の中にどよめきが広がる。今さらこの男は何を言い出すのだろうか。彼らの疑問を無視し、あるいはそれに答えるかにように、イチローは続けた。
『僕の着ている防具の素晴らしさはわかってもらえたと思うんだ。だからこの場で宣言するけど、今日この時点から、服飾ブランドギルド〝アイリスブランド〟は正式に活動を開始しよう』
「はっ!?」
アイリスがイチローと出会ってから何度目かになる、その声をあげる。
「ちょ、ちょっと御曹司……」
『で、彼女がデザイナーだ。僕の防具も彼女がデザインした。かっこいいだろう?』
「ちょっとーッ!」
彼がアイリスを指してそう言うのだから、一堂の視線が彼女に集まった。可愛い女の子じゃん、という声がある。顔が真っ赤になったのは羞恥のせいだ。アバターなんだから可愛いのは当たり前でしょ! あんたらだってとってつけたようなイケメンばっかじゃないの!
さて、観衆の間に広がるざわめき。最前線に赴くようなトッププレイヤーより、ユーザー層の多くを占めるであろうミディアムユーザーの反応が大きい。彼の防具がオシャレなのは事実であるのだ。
これがゲームである以上、エドワードの攻撃を受けて平然としていたのも、一概に防具の性能によるとは言い切れない。ただ、彼のクールな戦い方は、ややフォーマルじみた衣装デザインによく合っていた。もしもあの決闘自体がファッションショーの余興であったとするならば、とんだ食わせ物ではあるが。
『お金さえ用意してくれれば、素材と設計図はこちらで手配しよう。あぁ、オリジナルデザインの使用に際して発生するリアルマネーはこちらで負担するから、気にしなくていいよ。まぁ、そのくらいかな。アイリス、何か言いたいことはあるかい』
「おうちにかえして」
『そういうことなので僕達は一端ギルドハウスに戻らせてもらおう。今すぐにオーダーメイドの依頼がある人はいないと思うし』
それだけ言うと、本当にアイリスを連れてギルドハウスに引っ込んでしまうのがツワブキ・イチローという男なのである。二人が人垣を別けてハウスの中に消えたあと、キルシュヴァッサー卿が大衆に一礼し、そのあとを追う。
電撃的な決着、宣言からの、あっさりとした幕切れ。グラスゴバラ職人街のメインストリートには、珍妙な空気だけが残された。
なまじ《痛覚遮断》など適用しているだけに、何が起きたのかよくわからなかった。全身をなぞるような感覚があって、視界が渦を巻いていく。勘違いした三半規管が不調を訴え、軽度の体調不良を表すアラートメッセージが表示される。ただ、なにやら両腕が言うことを聞かなかった。明確に意識など保っているからこそ、視界の反転と同時に表示される味気ないメッセージを、はっきりと理解してしまう。
『あなたは死亡しました』
言葉が、心に重くのしかかる。
これが漫画やアニメのように、あっさり気絶できていたなら、こんな気持ちにもならずに済んだのだろうか。次の瞬間、エドワードはギルドハウスに設置された〝祭壇〟で目を覚ました。祭壇なんて大層なことは言っても、死亡したギルドメンバーを呼び戻すための装置だ。ときおり、ギルドレベルに応じてデスペナルティを回避できることがある。確率的にも体感的にも大して期待できないという評判通り、エドワードの装備欄もアイテムインベントリも、完全に空っぽになっていた。
何もかもなくなってさっぱりするだのというのは、嘘だな。彼は、胸中に這い登る喪失感を思う。
エドワードの装備品はレアリティが高い。決闘が行われたのは市内なのだから、取りに行けばドロップした状態の装備品を取り戻すことは可能だ。だが、こんな状態で外には出られないな。
自嘲した笑いを漏らしながら、エドワードは立ち上がる。彼の服装は、未装備状態を示すインナーのみだ。鍛冶師の初期装備であるレザージャケットやスレッジハンマーはかなり前に合成素材にしてしまったので、手元にない。完全に『裸』だ。
祭壇を出ようとした彼の前に、あまり背の高くないヒゲ面の男が立った。足が止まり、エドワードは目をそらす。なんで、このタイミングで。それは、彼が今一番会いたくない人物であった。
「バカ野郎」
吐き出した単語とは裏腹に、その声音はどこかやさしい。それがなおさらにエドワードを苛む。そんな声なんかかけないで欲しかった。みじめな自分を、いっそ叱り付けて欲しかった。雷のような胴間声で、罵って欲しかった。
「親方……」
思えば久しく、彼は親方に喝を入れられていない。
「ま、当然だな。あの兄ちゃんは強ぇし、おまえはマナー違反をやったしよ。そりゃあ、こうなるわ」
「すみません」
「バカ野郎」
穏やかな罵倒は2回目。先ほどよりも緩やかに心にしみた。
「バカなんだよ実際おまえは。まぁ俺も大概に学がねぇけど、そういうことじゃなくてさ。あの兄ちゃんが何やったって、気にしなけりゃいいんだよ」
「でもそれは……はい、すいません」
何かを言いかけて、やめる。
「あのエルフのお嬢ちゃんが、本気で俺より良い防具を作れるって思ってるわけじゃねぇだろ。じゃあ良いんだよ。そういうときは、あいつはバカな選択をしたなって思っとけばさ。笑ってやれるくらいになれよ。ちっちぇんだよな。そういうとこ」
「はい……。はい」
腕が震える。脳が熱くなる。でも親方、俺は悔しかったんです。俺は、あなたほど大人にはなれません。
言ってしまいたかった。吐き出してしまいたかった。あれだけ高性能といううたい文句の感情トレース機能が、この自分の気持ちを把握してくれないことにもどかしさを覚える。この言語化することのできない自分の気持ちを、最先端の技術は表現してくれない。ミライヴギアの下でいっぱいに溜めた涙は、マシンナーの瞳からは流れないのだ。
何を熱くなっているんだ。こんなの、しょせんゲームじゃないか。虚構の世界で起きたことじゃないか。
関係ない。自分はみじめに負けてしまったのだ。プライドをかけて戦ったはずの、あの決闘に。悔しかったし、今もなお悔しい。その気持ちは制御できない。あるいは、親方は、もう見透かしているだろうか。この自分の、どうしようもなくみじめで、幼稚な感情を。わからない、わからないけれど。
一歩、踏み出す。
喚き散らすだけの自分から。感情を叫ぶだけの自分から。自分の尊敬する男に、一歩だけ歩み寄る。
「親方、ご迷惑おかけしました」
「本当だよ」
ドワーフの男は、ヒゲ面をくしゃくしゃにして笑った。
「うちの売り上げが落ちたら責任取れよ」
「落とさせたりしませんよ。俺が」
エドワードも笑う。マシンナーの乏しい表情グラフィックからは想像できないほどに、自然な笑顔だった。
「バカなのよね……」
「君が僕をバカと言うたびに、人類のアベレージを下げていることを自覚したほうが良いよ」
このやり取りも、連日のものとなりつつある。
日時はやや過ぎ去り、イチローとエドワードの決闘は数日前の出来事となる。ゲーム内撮影ソフトを使った動画が幾らかのサイトにアップされ、圧倒的な実力を持ってエドワードを蹴散らしたイチローの姿はそのままアイリスブランドの宣伝となった。戦闘職が生産職をぶちのめしたことに対する非難は常に付きまとったものの、エドワードの一般戦闘職に匹敵する実力を賢しらに指摘する意見も同時にあり、動画のコメント欄では見るに耐えないいたちごっこが続いている。
イチローが宣言した『アイリスブランド』の活動に、当然ながらアイリスは強硬に反対した。あんた何勝手なこと言ってんの! 前から勝手な奴だとは思ってたけど、バカじゃないの!
イチローの返答はこうである。
『バカじゃないよ』
そういうことを言ってんじゃないのよ、というアイリスの突っ込みも実にもっともな話であった。
アイリスは描画ソフト上で試行錯誤を繰り返しながら、引き続きここにいたるまでの流れを思い出す。
この様子を見ればおわかりになるだろうが、結局言いくるめられたのはアイリスである。アイリスが防具デザインに興味があったのは事実であって、将来アパレルデザイナーを目指しているのは(イチローが知らないだろうとは言え)事実である。結局のところ、この仮想世界でいわゆる防具デザイナーとして個性を確立できるという魅力は、抗いがたかったのだ。
御曹司は、ギルドとしてアイリスブランドを結成する当初からもう決めていたのだろう。アイリスがオーダーメイドの衣装をデザインして、防具を作る。イチローとキルシュヴァッサーの仕事はギルド運営と素材収集だ。性能から見ればぼったくりとしか思えない通貨を徴収し、オリジナルグラフィックの防具を提供する。
反響はそれなりだった。
最前線で高難度の敵と戦うトッププレイヤー集団は目もくれなかったが、VRMMOの世界をそれなりに楽しみたいという層がおもな顧客となる。小規模なギルドが、共通のデザインを用意して欲しいと依頼してくることもあった。
高額なデザイン料もあって、依頼者は一日に多くて一人二人という程度なのだが、おかげさまで忙殺されるということもなく、のんびりと依頼をこなせそうではある。実はこのデザイン料という名目も、アイリスが防具作成にかけるコスト(失敗込み)が大半を占めるのだが、当然ブランドイメージのために秘匿される。この点が露見される可能性があるとすれば、エドワードあたりが外部に漏らすということではあったが、数日経っても音沙汰はない。世間の認識としては『アイリスはエドワードほどではないにせよ、それなりに防具が作れる』というくらいであって、転じて先日のひと悶着に関しても『エドワードがそこまで怒る必要もなかったのでは?』という認識に改められつつある。
アイリスは、デザイン画に向かいながら、次にエドワードのことを考えた。
御曹司の決闘は観衆に好評を博したが、傍目にはいわゆる『舐めプレイ』と言って差し支えないものだ。プライドの高そうな彼がどう思ったか、想像には難くない。ただ、結局アイリスは、その後彼と会ってはいない。ゲームを辞めたという噂も聞いていない。真向かいにあるUDX工房には、怖くて足を運べなかった。
エドワードが負けたところで、UDX工房の客足に変化はなさそうだ。それは安心したところではある。一時期は妙な噂も立ったのだが、結局、親方を始めとした所属プレイヤーの腕が信頼できるのは確かなのだ。多くのトッププレイヤーは相変わらずアキハバラ鍛造組をたずねたし、ヴォルガンド火山帯を越えてやってきた中級入門者もまずここに顔を出す。
まとめサイトの妙にバイアスがかかった記事で、御曹司にはいわれの無い(多少はある)中傷が殺到した。アイリスはほとぼりの冷めかけた頃に、そのことに関して何かアクションは取らないのかとたずねたことがある。回答は予想通りの『ナンセンス』だった。
彼が自分の本当の実力を公表しないおかげで、赤っ恥はかかずに済んでいるのだし、アイリス自身もここでどうこうしようと言うつもりはない。となると、心配なのは、単純にエドワードの精神状態だけであったが、
「お茶が入りましたよ」
キルシュヴァッサーのその言葉で、思考は中断された。
彼は来客時の対応なども率先して行い『ワーカホリックですなぁ』などと言いながら、このギルドハウスではなかなか楽しそうにしている。本人の弁では、ドライブ時間の半分くらいも実際労働時間のようなものらしいのだが、仕事でドライブしているのであればどんだけ奔放な職場なんだと思ってしまう。ツワブキ・イチローの使用人であるなら、まぁそんなもんかもしれない。
最近は茶葉にもこだわっているようで、素材集めとして各フィールドへ赴くたびに植物系素材を収拾して帰ってくる。瘴気溢るるデルヴェ亡魔領から持ち帰った草は禍々しい燐光につつまれており、こちらとしてもそうとうドン引きしたことを覚えている。悔しいことに大変美味しかった。
「今回はヴィース竜洞窟から採取してきたものでございます」
「なんて草なの?」
「宝石草」
「安直ねー」
イチローとアイリスがカップを受け取った後、キルシュヴァッサーはこちらが本題とばかりに話題を切り出す。
「先ほど、エドワード殿がたずねてこられましたよ」
「えっ?」
アイリスは顔をあげる。これまで音沙汰がないと思っていたら。どうしたことだろう。
イチローのほうは、さりとて驚いた様子も見せずに宝石茶の香りを楽しんでいた。ただ興味はあるらしい。視線だけはカップの中で七色に変わる不思議な液体を眺め、忠実な騎士に問う。
「それで、彼はなんて?」
「特に何も。憎まれ口も叩かれませんでしたが、特に謝罪もされませんでしたな。ただ、憑き物が落ちたような顔ではありましたね」
「結構なことじゃないか」
「まぁ、あっちに謝られたらこっちも謝んなきゃいけなそうだし、気まずいわねー」
キルシュヴァッサーは、メニューウィンドウからアイテムインベントリを呼び出す。
「実は、彼からイチロー様へ届け物を預かっておりましてね」
「へぇ」
彼がオブジェクト化したのは、一振りの剣である。
「剣? うわ、なんか豪華な武器ね」
「そうだね。一応、見かけたことのない武器だな」
「形は、なんだっけ。あのタイアップ武器に似てるわ。課金装備の。攻撃力200くらいのしょっぱい奴」
「ふうん。じゃあそれが素材なのかな」
銀色に輝く、豪奢ではあるが決して下品とも言えない剣身が目立つ。柄は涼しげに輝く水晶であり、ときおり黄金のオリハルコンが幹に纏わりつく蔦のように覆っていた。剣身にはなにやら法則性のある紋章が描かれており、どこか術具的な雰囲気を感じさせる。特にイチローは目を細めたのは、剣身の根元に生える小さな花の絵柄だ。鞘はなかった。
イチローは剣をタッチし、アイテム情報を開く。
「煌剣シルバーリーフ。へぇ……なるほど」
「ツワブキですな」
「そうだね、ツワブキだ」
「へっ、何のこと?」
さっぱりわからないと首をかしげるアイリスに、イチローは剣身の根元に描かれた慎ましやかな花を指差す。
「ツワブキ。英名はジャパニーズ・シルバーリーフって言ってね」
「あ、ツワブキって植物の名前なのね……。へぇ、ちっちゃくて大人しそう。あんたとは似ても似つかないわね」
「ナンセンス。ツワブキが僕に似ていないだけだよ」
イチローは愉快そうに言葉を続けた。
「これ、作ったのは親方みたいだね。アイリスブランドの開業祝いだってさ。名目上はね。僕の性格をよくわかっているよ」
「へぇ。オリジナルグラフィック?」
「いや、描画ツールで作ったCGを表面にテクスチャしただけみたい。こっちはお金かからないしね。キルシュヴァッサー卿の盾についてる桜の花びらと同じだよ。スペックもすごいや。攻撃修正+3600、スキルスロット+80」
アイリスは思わず息を呑んだ。そんな武器、トッププレイヤー集団だって所有しているキャラクターは多くない。レジェンドクラスの装備アイテムにも匹敵、あるいは凌駕するレベルだ。
「た、耐久値は……?」
「3」
「へぇ……。凄いわね。耐久値も……え、3?」
「3」
武器耐久値というのは、消費を抑えるスキルを所有していない限りは攻撃を行うたびに減少する。この辺のスキルは初心者を卒業するあたりで手を出すのが普通なのだが、イチローは耐久値の存在しない初期装備、すなわちメイジサーベルと素手でここまでやってきたので、持っていないのだ。
耐久値3というのは、3回攻撃すれば壊れてしまう武器である。
だが、イチローの言葉はなおさら愉快そうに弾む。
「まぁ、耐久値が1まで残っていれば元に戻せるからね」
「あたしは直せないわよ!」
「そう、アイリスは直せない。武器の耐久値を回復できるのは、その武器を作ったキャラクターの《製鉄》レベル以上の《製鉄》スキルを持ったキャラクターだけだ。親方より《製鉄》のスキルレベルが高いプレイヤーなんていないからね。この武器が気に入ったら、定期的に打ち直しに来いってことさ。開業祝いなんてとんでもない。お客を取った分はきちんとキャッシュバックしろってことだね」
開いた口が塞がらないアイリスの心境を、キルシュヴァッサーが代弁する。
「親方もとんだ食わせ物ですなぁ」
「僕ほどじゃないけどね」
「あんた自分で言う!?」
イチローはメニューウィンドウから装備を選択し、なんの躊躇いもなく〝煌剣シルバーリーフ〟を装備欄に加える。光沢のあるフォーマルジャケットに、ファンタジックな剣を持った竜人族。統一感のまったくない出で立ちではあるが、やけにサマになっていた。
「よし、ちょっと外を歩いてこよう」
「あんた、他人の評価は気にならないんじゃなかったの?」
「気にならないよ。でも、それはそれとして、全身オリジナル装備になった僕の姿を、みんなに見せびらかしたくて仕方がないなぁ」
「あんた、本当に良い性格してるわね……」
「だろう?」
その日、御曹司は一日中上機嫌であった。
7/21
重複箇所を訂正
×事実、彼の防具がオシャレなのは事実であるのだ。
○彼の防具がオシャレなのは事実であるのだ。
8/31
誤字を修正
× 物理戦闘職としての適正
○ 物理戦闘職としての適性




