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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『アイリスブランド』編
18/118

第十七話 御曹司、防具のデキに満足する

 御曹司ツワブキ・イチローの悪逆非道な振る舞いは、尾ひれと背びれと胸びれに加えて6枚3対の翼と12本の角に9本の腕まで生やした上で、グラスゴバラの職人中に知れ渡った。要するに原型を留めていない。

 最前線プレイヤーとはまた違った意味でディープなプレイヤーが集まるのがこのグラスゴバラである。ウェブ上の掲示板などにはあからさまな課金プレイヤーであるイチローが見せた挑発的な振る舞いや、〝アキハバラ鍛造組〟No.2エドワードの受けた仕打ちについて様々な意見が飛び交っていた。問題は、そこで言葉を交わす人間のすべてが情報を伝聞でしか知らないことであって、ことの真相を直接見聞きした人間がいないこと。

 エドワードが、ごく親しいギルドメンバーだけに漏らしたはずの情報が、彼らにとっての信頼できるフレンドに渡り、興味深いゴシップを広めたい欲求が更に噂を拡散させる。人の口に戸は立てられないのだから、仕方のない話であった。よしんば戸を立てたとして、指が一本あれば十分に情報伝達が可能なご時勢でもある。


 意見の大半がエドワードに対して擁護的であったのも、そうした噂の経緯によるものだ。彼はギルドメンバーに話すとき、自身のモラルに欠如していた点、すなわちギルドハウスに押し入ってエルフの少女に手を上げかけた点などは、あまり詳細に語らなかった。とは言え、親しい知人に愚痴を言うのに公平性のある物言いをする必要は一切ない。客観性の欠いた風説が流布されたところで、エドワードに責任を負わせることはできない。


 噂の拡散と共にネットで話題にのぼったのは、このツワブキ・イチローなるキャラクターのプレイヤーについてであった。

 五年前お茶の間を騒がせたアイドルに似ている。以前、うちの大学に来た客員教授に似ている。会社の廊下を社長と親しげにくっちゃべりながら歩いていた男に似ている。いつかのコンサートホールでヴァイオリンの難曲をソロで演奏しきった音楽家に似ている。息子と雑木林でカブトムシを探していたとき、手伝ってくれた気前の良い兄ちゃんに似ている。


 その全てがすなわち石蕗一朗という人間であることに、彼らは納得できるだろうか。

 ウィキペディア先生も、石蕗一朗の冗談じみたハイスペックにはそこまで言及していない。せいぜいが、ツワブキコンツェルン総裁石蕗明朗の息子であることと、2年間お茶の間を騒がせた幻のアイドルであることくらいである。特に後者のほうに記述が多く割かれており、結果として現実の一朗像からはじゃっかん乖離した内容となっていた。


 ともあれ、生産職界隈ではそれなりに有名人であるエドワードと、話題性には事欠きそうにないツワブキ・イチローの間に発生した決裂は、多くの人間がスナックを片手にその事実を知る運びとなった。

 この展開は、ただでさえ心が不安定なエドワードをおおいに不愉快にさせたものだが、それではイチローのほうはどうであるか。





「うん、なかなか良いね」


 これがまったく気にしていないのだった。大方のご想像には漏れまい。

 レイディアントモルフォの素材を使用した『フェアリーメイル・キプリス』、アイリスが名づけたところの『アイリスブランド・ジャケット』は、奇跡的に数回の試行で成功を見せ、あまった素材はそのまま『フェアリーレギンス・ヘレナ』の合成素材となった。脚部装備に関しては、当初はもっと安価な素材と設計図レシピを使用とするはずであったが、あまっているなら挑戦してしまえということで、ジャケットと同素材のスラックスを作成する試みが為された。


 結果は無惨であり、美しい輝光蝶の翅はすべて醜い残骸へと姿を変えたものの、諦めきれないイチローとアイリスの意見の一致により、再びレイディアントモルフォの翅を取ってくる流れとなり、通産123回目でスラックスはついに完成した。使用した《アイテムスティール》のアーツジュエルは、その何倍にあたるのか。考えたくも無い数字である。シスル・コーポレーションの指定口座はさぞかし愉快なことになっているのだろう。


「あとはベストと革靴ですな」

「ま、素材はいくらでもあるしね。作ってしまおうか」

「アイリスの《防具作成》もそれなりにレベルになってきたのでは?」

「う、うん……」


 アイリスの返答にはいささかの戸惑いがある。

 彼女の胸中を席巻するのは、今朝方知ったばかりの情報。すなわちナローファンタジー・オンラインにおいて、機械人種マシンナー鍛冶師ブラックスミス竜人族ドラゴネット魔法剣士マギフェンサーが激しく対立したという噂である。どちらもプレミアムパッケージのユーザーということで、ウェブ上では比較的センセーショナルに報じられていた。イチローはまったく気にも留めていないのだが、アイリスのほうはそうもいかないらしい。

 彼女は大手の掲示板を覗いたりするようなディープなネットユーザーではないものの、まとめブログなるものを定期的にチェックする程度には、オンライン上に構築されたウェブ文化に浸かっていた。

 もともとナロファンの情報収集のために触れたものだ。当初から愛読しているのは、当然VRMMO系のまとめ記事を専門に扱うサイトである。そこに、先日発生したひと悶着の顛末が載せられていた。やや恣意的な編集が為された記事ではあったが、アイリスはそんなこと知る由もない。記事のコメント欄もエドワードに同情的な意見が多く、そうでないものもネットユーザー特有の、天邪鬼なだけのレスが大半を占めた。


 自分がこの男に加担するのは、正しいことなんだろうか。


 そんな疑問が鎌首をもたげると同時に、『何を考えているんだ』と強い自分が出てきて叱責する。口にすれば『ナンセンス』と一笑されるだろう。正しい、正しくないではないのだ。御曹司は、自分のデザインを評価してくれた。平気で酷いことを口にもしたが、彼が自分に防具を作って欲しいという言葉に嘘はないのだ。ならばそこに、是非の問いは必要ない。

 ただ、アイリスは、あの男の持つ視線の意味を理解してしまったわけでもある。自分の持つ力が正当に評価されない理不尽。幼稚な感情と言えばそうなのだが、アイリス自身にだって心当たりはあるのだ。

 ただ同情的になっているだけ? そうかもしれない。


「どうかしましたかな、アイリス」


 キルシュヴァッサー卿が首をかしげる。


「なんでもないわ。ただちょっと、考え事してただけ……」


 そう言ってメニューウィンドウを開き、ギルドの共有アイテムボックスから疲労回復剤をオブジェクト化する。アーツの使用や長時間の移動によって蓄積される疲労度は、ある程度の『ダルさ』となってプレイヤーの精神に反映される。きっと、変なことを考えるのも疲れているせいなんだ。アイリスはそう考えて、回復剤に口をつけた。


「僕としては一刻も早く装備したいところではあるけれど、」


 シャツとスラックス、ジャケット、そして三点のアクセサリーだけであるが、イチローはかなり気に入ったように自分の装備を眺めている。時折《視点変更》も使用しているようだった。


「ただ、防具を作るのは君だからね。アーツの使用に精神状態が関係ないにしても、やっぱり僕は君が仏頂面で作った装備はあまり着たくないな」

「そういうときは、『疲れたなら休んで良いよ』とだけ言えば良いのですよ」

「ナンセンス」


 人の気も知らないで、のんきなものだ。

 そう思ったが、それこそが幼稚な感情であるとあわてて自覚する。それに、もし自分の心情を理解してくれたところで、御曹司の言動は1ミリたりとも変化しないだろうとも。


「はぁーっ……」

「ため息をつくと【幸運】ステータスが減少するらしいよ」

「知ってるわよ。アイテム作成のクリティカル率が変わるだけでしょ。どうせ何回失敗しても良いんだから良いじゃない」


 工房の壁側に置かれた椅子に、アイリスは腰を下ろす。


「お茶を入れてまいりましょうか。《茶道》スキルは最近伸ばし始めたのですが、それなりに美味しいものがご用意できますよ」

「お願いしようかな」

「あたしも」


 キルシュヴァッサーは軽く一礼をして工房を後にした。あそこまで来ると本当に執事だ。執事らしいタキシードを着せてあげたらさぞかし似合うだろうが、彼は今のフルプレートアーマーを気に入っているようだし、そもそもアイリスの《防具作成》スキルでそんなことはおいそれと口に出せない。


「御曹司、」

「うん?」


 声をかけると、彼はいつものように専用ブラウザを立ち上げて、なにやら英文のニュースサイトを閲覧していた。時間をもてあましたときに新聞を眺めるようなものだ。杜若あいりの成績表は、英語の欄に毎学期アヒルさんが並ぶレベルなので、いったいどんな記事なのか想像もできない。

 アイリスは、じゃっかんの躊躇いを持ってから、その疑問を口にする。


「あんた、挫折したこととかってないの?」

「ないよ」


 即答である。


「失敗したことなら、なくはないかな。でもそれも結局は主観の問題だからね」

「へぇ、あるんだ。失敗したこと。聞かせてよ」


 ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて追及すると、御曹司は少し目を細めてブラウザを閉じた。


「あれは大学の入学試験のときだったな。本当に些細な計算ミスで、満点を逃したことがあってね。自己採点で気づいたときはちょっと気まずかったな」

「ほ、他には?」

「ないよ」

「………」


 反応に困る。嘘か本当かもわからない話だった。


「ちなみにそのときは入学を辞退して、翌年の試験で満点を取ったから僕としてはノーカウントだ。ただ記録は残ってしまうからね。苦々しいといえば苦々しい。タイムマシンがあるなら修正したいなぁ」

「へ、へぇ……。ざ、残念だったわね……」


 アイリスは、自分の笑顔が引きつっていくのを感じる。それが一桁の年齢で受けた、ハーバード大学の入学試験だと知らなかったのは、彼女にとって幸運以外の何物でもない。

 深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗き込んでいると言ったのは、果たして誰であったか。それは深い地の底ではなく、遥かなる天上に対しても通用する言葉である。本能的に話題を変えなければと感じた。


「そういえばあんた……えぇーと、そう。結婚とかしてるの? 随分落ち着いてるし、お金もあるみたいだけどさ」

「随分プライベートに踏み込むね……。僕という個体で人類は完成しているから、子孫を増やす行為に興味はないよ。結婚は、したくなったらするし、ならなかったらしないさ」

「あんた、嫌な奴って言われたことどんくらいあんのよ」

「カウントしたことはないけど、君が思っているよりは多くないはずだよ」


 そこでキルシュヴァッサーがトレーにお茶を載せて入ってきたので、アイリスは聞くに堪えない尊大トークをこれ以上脳に通さず済んだ。得てしてこういう話は『はいはい』と聞き流してしまうものだが、なまじ妙な経済力がありそうなだけに『本当かも』と思ってしまう自分が許せない。


「何の話をしていたんですかな」

「僕が生物として完全だから、結婚する必要はないよねって話」

「そこはテーマじゃないでしょ」


 カップから立ち上る芳醇な香りは、なかなか現実世界ではお目に(お鼻に?)かかれない。

 《茶道》スキルは、採取できる薬草系のアイテムからお茶を抽出できるスキルだ。消費アイテム系ほどではないが、体力回復や疲労回復、一時的なパラメータアップなどの効果があるのは《料理》と同じで、趣味スキルの中では比較的人気が高い。薬草の他にも草系アイテムは多いため、いまだに検証の余地は幅広く、有志によって『ナロファン茶道wiki』なんていうものも作られているくらいである。


「まぁ、イチロー様なら20年後でも30年後でも結婚したくなった時に出来そうですしな」

「そうだね。僕は卿のほうが不安だな」

「ちょっと今のは普通に傷つきますね……」


 お茶の香りを楽しもうとするアイリスとは裏腹に、この二人はのんきなのか生々しいのかよくわからない会話を続けている。


「それで、アイリスは挫折しそうなのかい」


 いきなり話題を引き戻してきたので、お茶を噴き出しそうになった。幸い、リアクションとしてそういったモーションは実装されているものの、彼女は感情表現パターンからオミット済である。


「な、何よそれ」

「いきなり話題を振ってきたから、そういうことなんじゃないのかい。それとも結婚の話のほうが主題だった?」

「ち、違うっつってんでしょ! えぇと、そうよ。挫折しそうじゃないけど、した経験っていうか……」


 急に歯切れが悪くなる。


「エドワードの気持ちもわからなくもないなっていうか……。あんた、本当に良い性格してるわねっていうか……」

「そこで僕の人格攻撃に移るのはナンセンスだよ。まぁ僕は気にしないんだけど。挫折や失敗なら自分の中で完結させるべきだ」

「大抵の人間はあんたみたいにぶっ壊れたスペックじゃないのよ」

「知ってる」


 イチローはカップに口をつけて言った。


「珍しい味だ。こういうの、どうやって設定してるんだろう」

「さぁ、私は門外漢ですので。霊森海の深奥で採取した葉ですよ」


 カップとソーサーを申し訳程度に設置された机に置き、再び専用ブラウザを開いた。何かのページを開いてから、ウィンドウをこちらに向けて反転させる。アイリスが今朝見たまとめブログのページと同じものだ。


「そのページ、見たの?」

「アンテナは常に張ってるよ」

「結局、自分より優れてる人とか、評価されてる人とかを認めるのって、エネルギーいるのよね……。あんたにはわかんないでしょうけど」

「そうだね。結局、僕が一番強くて凄いからね」


 それを聞いて、キルシュヴァッサーはツワブキ違いですな、と呟く。


「僕は僕だし、君は君で、エドはエドだ。あまり気にしすぎるものじゃないよ」

「ひょっとしてあんた、それ元気付けようとして言ってる?」

「君がそう思いたければそう思えば良いんじゃないかな。そう、結局言葉をどう受け取るかも主観の問題だよね。僕は彼のことが嫌いではないけど、それを伝えたって彼は聞かないだろうし」

「まぁあいつはあんたのこと嫌いよね」

「それは彼が決めることだけど。で、気は済んだ?」


 カップから口を離すと、白い底に液体がちょびっと残っているだけだった。美味しいお茶だった。ため息をついて、カップをソーサーに置く。


「ぶっちゃけ気は済まないけど、落ち着いたわ。お茶は美味しかったし」

「それは何よりです」


 トレーを抱えたまま、キルシュヴァッサーがにこりと微笑んだ。

 結局、心のもやもやは晴れないままだ。御曹司がどれだけ人間の出来たことを言っても、素直に飲み込むことなんてできやしない。どう受け取るかも主観の問題か。確かに、そうだ。主観があるからまとめサイトの記事も真に受けるし、御曹司の慰め(なのかどうか)でも気持ちは晴れない。

 エドワードは、自分の作った防具を粉々にすると言っていたか。あたしも嫌われちゃってるんだろうな。でも、壊されるのは嫌だ。だから、ちゃんと作る。


 よし。


 アイリスは立ち上がった。


「作るわよ。ベストと、革靴」

「ああ、頼むよ」


 御曹司は、いつものように涼やかな笑顔で頷いた。

 ま、結局こうするしかないのよね。アイリスは心の中で独りごちる。ただ、それは諦観じみたものではなく、発奮に近い感情だった。防具を作る。そう、性能なんて大して高くないし、御曹司のステータスにあわせたものでもない。何回も失敗した散々なものだけど、自分が作れるのはこんなものだ。こうするしかない。

 そんな中、キルシュヴァッサーはこほんと咳払いをする。


「ただしあまり夜遅くならないように。夜更かしはお肌の大敵ですぞ」


 アイリスは目を丸くした。


「キルシュさんたまに女の人みたいなこと言うわね」

「ははは」

7/19

 誤字、誤用などを修正

×挑戦的な振る舞い

○挑発的な振る舞い


×人の口に戸は建てられない

○人の口に戸は立てられない


×エルフの少女に手を挙げかけた点

○エルフの少女に手を上げかけた点


×現実の一朗像からはじゃっかん剥離した内容

○現実の一朗像からはじゃっかん乖離した内容


×自分の持つ力が正統に評価されない

○自分の持つ力が正当に評価されない


×ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて追求すると

○ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて追及すると


×まとめサイトの記事も間に受ける

○まとめサイトの記事も真に受ける

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