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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『アイリスブランド』編
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第十六話 御曹司、喧嘩を買う

 魔法陣の上に置かれた設計図レシピと、マギメタルドラゴンの鱗。アイリスが目を瞑り、意識を集中させると、描かれた紋様の端々から、光の粒子が立ち上った。アーツ《アルケミカルサークル》が発動する。地道にコツコツ上げた【知力】系ステータスと高レベルの《細工》が、安定した合成結果を約束してくれる。

 ベルトと腕時計のデザインは、設計図にかかれた材料をイメージして行った。マギメタルドラゴンの実物は見たことないが、ウェブ上に回っている討伐済みユーザーのイラストや、クエスト配信の際に行われた公式アナウンスの画像などを参考にする。金属的な光沢と、爬虫類的な鱗の刺々しさを再現するのにかなり骨は折れたが、出来上がった3Dグラフィックは満足のいくものだった。


 この二点のアクセサリーは、実費をアイリス自身が支払っている。


 御曹司がいくらリアルマネーを持っているのかは知らない。全額負担をしてもらうのが申し訳ない、と思ったわけではない。ただ、アイリスはアクセサリーの製作に関してのみ絶対な自信がある。御曹司がグラフィック変更に伴うリアルマネーを負担してくれるのは、失敗を恐れないようにという配慮だ(もちろんそれだけではないが、アイリスにはそこが重要だ)。得意分野においてまで、お金を払ってもらうのはプライドが許さない。


 軽快なファンファーレが鳴り響いて、魔法陣を包み込んでいた光が途切れる。いつもの手順。いつもの光景。今までであれば、ここで出来たアクセサリーが売れるのはいつだろうと、暗澹たる気持ちになったが、今回はそうではない。


「よし……っと」


 ベルトを拾い上げて、小さくガッツポーズ。御曹司が帰ってくるのが楽しみだ。

 ベルトと言っても、すでに輪を巻いた形状で固定されている。さもありなん。彼女が開発したOBJファイルに可動域は設定されていない。これが融通の効かないデータの塊でなければ、竜の鱗を使用した鞭としてかなり有用なサブウェポンとなったであろうに。

 装備制限のないそれを一端インベントリに収容し、メニューウィンドウから装備欄を開く。試しに装備してみると、ベルトがアルケミストローブの上に出現した。子供の頃弟と一緒に見ていた特撮ヒーロー番組を思い出す。


 彼女がアクセサリー作成を好む理由のひとつは、これだ。システム上はマギメタル・イヤリングであるこのベルトも、オリジナルグラフィック作成の際に表示部位を再設定できる。アバターのカスタマイズ性において、非常に融通が効くのだ。


「うん、問題ないかも」


 準備体操をするように上半身をひねる。可動域の設定されていないはずのベルトが、それに合わせて不自然でない動き方をする。グラフィックの最適化作業というのは、つまりこれなのだ。実は一回行うだけで相当量のデータの送受信が発生し、手数料の半分近くがその通信費となることをアイリスは知らない。


 じゃあ、次は腕時計ね。


 インベントリから、オリハルコンとミスリル、そしてジュエルクォーツを選択し、オブジェクト化する。最後に取り出すのは『設計図レシピ:絢爛のブレスレッド』だ。こちらはベルトと違い、腕輪が腕時計になるのだしまぁ筋は通っている。時計機能をテクスチャーするのは御曹司自身がやるのだし、実際に腕輪を作っているのと大して変わらない。

 来客の存在を知った、アイテムを魔法陣の上にくべている途中だ。


 アイリスが新たに所属することになったギルド〝アイリスブランド〟のギルドハウスは、メインストリートに面している。今までの拠点が裏路地のこじんまりとしたウサギ小屋だったのだから、大層な進歩だ。最大の生産ギルド〝アキハバラ鍛造組〟の真向かいであるというのが、ちょっと怖い。

 逆に言えば、大手ギルドの正面だからこそそうそう誰かが訪ねてくることもないだろうと思っていたのだが。来訪者の存在を告げるメッセージがポップアップする。〝工房〟として彼女のためにしつらえられた部屋を出て、アイリスは階下へ降りた。ただっぴろいホールを抜けて、ハウスの正面にある扉を開ける。


「あ、すいません。まだ何か作って売ったりしてるわけじゃ……」


 扉の向こうに立っていたのは、背の高い機械人種マシンナーだった。フルプレートアーマーに、二本の剣。実に冒険者らしい剣呑な出で立ちだが、腰にぶら下げた戦闘向きでないハンマーは、男が鍛冶師ブラックスミスであることを物語る。

 言葉に詰まったのは、男の立ち姿からただならぬ雰囲気を感じ取ったからだ。もともとマシンナーの感情表現パターンは多くない。だが、まるで逃げ道を塞ぐかのように入り口に立ち、室内に大きな影を作るマシンナーの姿は、アイリスを怖気づかせた。


「え、えっと、あの……」

「このハウスにいるのは、今はあんただけか」


 男は、じろじろとアイリスの身体を眺めながら言う。

 現実世界、電車通勤で不用意にもお尻に手を伸ばしてきた痴漢を鉄道警察に引き渡したこともある。勇気ある専修学校生が杜若あいりであるが、この男の不躾な視線にはそういった類の生理的嫌悪感は湧き上がらない。ナロファンのシステムと脳波スキャナーが、男の視線に込める意味を拾いきれていないわけではないと思う。男の目には、もっと別種の感情が宿っているように感じたからだ。


「あんた、錬金術師アルケミストか。サブクラスは?」

「ぶ、鍛冶師ブラックスミス魔術師メイジ……。あの、用件は? あんたは誰?」


 この感情の正体に、杜若あいりは心当たりがある。

 あいりが通う学校には、将来の服飾デザイナーを夢見る少女が集う。彼女たちはみな自信家だ。自分の衣装デザインの洗練性を誰よりも信じている。少なくとも、中学時代までは間違いなくファッションデザインのトップランナーであったし、友人達の羨望の視線に裏打ちされた自信だ。

 だが、青春時代の自信というのはしょせんは虚勢でしかないのだと、あいりは割と早い段階で知った。才能というものは間違いなく存在した。あるいはその影に、自分の知らぬ努力があったのかもしれないが、結局は同じこと。学校には、自分より優れたデザインセンスを持つ人間が大勢いたし、大人たちは彼女達のデザインの幼稚さを容赦なく指摘する。あいりがVRMMOを始めたのも、許容できない現実に対する逃避があったのは否定しない。


 そして、最終的には、自分より優れた者を、日の当たらぬ場所から見上げることになるのだ。そしてそれは決して、かつての同級生達が自分に送った羨望の視線などではない。

 嫉妬と憎悪、的外れな軽蔑。そして、そこにいるのが自分ではない理不尽に対する、底の見えない失望感。


 男の目に宿っているのは、それなのだ。


 あるいは、勘違いであるかもしれない。虚構の世界が、そこまで人間の感情と、その機微に肉薄しているなどとは思いたくない。だが、それでは、この男を見たときに蘇る、この苦々しい嫌悪の感情はなんだ。


「俺のことなんかどうでも良い。あんた、防具を作れるか」


 抑揚のない、電子音のエフェクトがかかった声で、男が言う。心臓がドクンと跳ね上がった。


「む、無理よ……」

「無理ということはないだろう。このギルドのメンバーは三人。他のメンバーは魔法剣士マギフェンサー騎士ナイトだと聞いた。生産系のギルドを作るなら、一人は装備アイテムを作れるメンバーがいるはずだ」


 システム上、そんなルールは存在しない。だが、男の言うことはもっともだ。ポーションなどの消費アイテムの売り上げをメインにしている生産ギルドもあるにはあるが、そんなギルドはこんな大規模なハウスを構えない。

 御曹司が余計なことするから! どうせすぐ解散するギルドなのに!

 男はインベントリを開き、複数のアイテムをオブジェクト化した。いずれも防具の設計図レシピだ。手にとって見ると、めまいのするような難易度。こんなもの、何十回とトライしたところで成功する見込みなんかない。


「素材なら全て用意がある。無論、成功すれば報酬は払う」


 フレンドリストに登録するか、こちらから閲覧の許可を出さない限りは、プレイヤーキャラクターのステータスは決して他人に開示されない。このマシンナーの男は、アイリスの《防具作成》のレベルを知らないのだ。

 いっそ恥をかくよりは、ステータス画面を相手に見せてお引取りを願おうとも考えたが、こちらをじっと睨む男の迫力がそれを許さない。


 なんであたしがこんなことしなきゃいけないのよ。


 理不尽な感情が胸中を席巻したが、それは怒りにまで到達することはなかった。男からおずおずと設計図レシピ、素材を受け取り、重い足取りで二階の工房へと案内する。先ほどから発する彼の暗い目を見るにつけ、いつものように怒鳴りつけて追い返してやることもできなくなる。


 男の手渡してきた設計図レシピは、高レベルの《防具作成》を所持していない限り、NPCが販売してくれないものだ。アイリスも噂には聞いていたが見るのは初めて。値引きも通用しない類のもので、当分は目にする機会もないと思っていた。

 当然、レアリティに比例して作られる防具の性能、要求する難易度も高く、御曹司が持ってきたドロップ品の設計図レシピなど問題にならないレベルである。

 なぜ、こんな設計図レシピを入手できるプレイヤーが、わざわざ防具の作成を依頼しにきたのか。それは当然の疑問であるものの、アイリスの思考にそこまで至る余裕はない。男のプレートアーマーが肩部に宿す〝アキハバラ鍛造組〟のギルドマークにも気づかなかった。


 部屋に入るまで、ひとことも喋らずに男はついてくる。

 男がじっと見守る中、アイリスは魔法陣の上に置いてあった素材を退け、代わりに手渡された設計図レシピと素材を並べる。普段であればそれっぽい配置にもこだわる彼女だが、今はそんな余裕もなかった。


「………」


 目を閉じて魔法陣に両手を向ける。意識を統一し《アルケミカルサークル》を発動させる。

 魔法陣の端から光が沸き、素材全体を包み込む。その光景を音に変換したような、聞きなれたサウンドエフェクトが部屋に響き、やけに軽い『ぽん』という音を最後に合成は終了だ。結果はどうだ、と思う前に、やけにこちらの苛立ちを煽るような、あのドン臭いBGMが流れる。


 失敗だった。


 やっぱり、と思うと同時にどんよりとした気持ちがかさを増す。いったい今の自分はどう見られているのだろうか。視線を向けるより早く、男は次の設計図レシピと素材アイテムを差し出した。


「次だ」


 その言葉もあくまで事務的である。

 設計図レシピを見ると、それは先ほどよりも数段低めの難易度である。店でもごく普通に購入できるもの。アイテムもヴィスピアーニャ平原で手に入るような、入手難度の低いもの。これくらいなら、という気持ちで、それらのアイテムを魔法陣に載せた。先ほどの残骸を撤去する。《アルケミカルサークル》を発動し、合成を行う。


 だが、失敗だった。


 顔から火を噴きそうになる。あたしは何をやっているんだ。難易度が数段落ちたところで、防具作成がそんなすんなりいくはずがないのに。勘違いした感情トレース機能によって真っ赤なエフェクトを宿した顔を伏せる。男のほうを見る勇気はなかった。笑われるな、と思った。

 しかし、男が見せたのは、嘲笑などではない。


「……けるな」


 ぽつりと漏らしたその言葉を、一瞬だけ聞き漏らす。おそるおそる顔を上げると、数パターンしか存在しないと言われるマシンナーの表情が制御しきれない感情によって歪んでいた。


「……ふざけるなっ!」


 男が見せていた感情、それは間違いなく怒りである。行き場を失った激情が、最後にたどり着く脱出口。圧縮された思いの丈が激流となって噴き出した。だがそれは、決して理性的な言語を紡ぐことはない。

 男は大股で部屋の中央に向かう、身をすくめるアイリスを素通りし、魔法陣の上に残された残骸を、勢いこめて踏み潰す。


「ふざけるな! こんな……こんなもので! こんなものでよくも!」


 ふざけるな、という言葉は、結局感情の裏返しでしかない。むしろそれが『おふざけ』であったほうが、それを口にする人間にはどれほどの救いになるだろうか。だがアイリスは、決して『ふざけて』失敗したわけではない。実際問題として、今の彼女には、彼から差し出された設計図レシピの防具を作るだけの実力が備わっていない。

 男、マシンナーの鍛冶師ブラックスミスエドワードには、何よりもそれこそが許容しがたい現実であり、唾棄すべき『おふざけ』であることに他ならなかった。


「おまえ達は、俺をバカにしているのか!? 親方をバカにしているのか!? あてつけみたいにこんなギルドハウスを建てて、中にいるのは使い物にならない錬金術師アルケミストが一人だけ! ふざけるな!」


 怒りの矛先は、ついにアイリスへ向く。

 憤怒の形相で振り返るエドワードを止める術は、アイリスにはない。理性的に考えれば、止める必要すらなかっただろう。エドワードがどれほどの怒りを込めたところでここは都市の中だ。彼の拳も、剣も、ハンマーも彼女に傷ひとつ負わせることはできはしない。《痛覚遮断》を発動しなくとも、痛みが彼女の神経を苛むことなどない。

 だがそれはあくまでもシステム上の問題でしかない。今まで感じたことがない敵意と憎悪をぶつけられる瞬間、杜若あいりの心は竦んだ。それはかつて、彼女が多くの優等生に向けてきた嫉妬の延長線上に存在するものだと、わかっていただろうか。


「この……!」

「ひっ……!」


 拳が振り上げられる。目を閉じて頭を押さえる。

 だが、予想していた衝撃はもちろん、触覚を刺激するあらゆるインパクトは、起こらなかった。


 アイリスが恐る恐る目を開けると、拳は振り上げられたまま、第三者の手によって掴まれていた。銀髪の騎士が保有する【筋力値】ステータスは、エドワードの持つそれを圧倒的に凌駕する。その背後には、ドラゴネットの青年が相変わらず憎たらしいほど涼やかな顔つきで立っていた。笑顔は浮かべていなかったが、さりとてそこまで怒っているわけでもない。いつものクールな立ち姿。


「月並みなことを言うのは好きじゃないんだけど……あまり感心しないね。こういうことは」

「御曹司! キルシュさん!」

「止めた私の名前があとに出てくるのは理不尽ではありませんかな……」


 三者三様の発言。まだ出会ってから一週間もないギルドメンバーの帰参であったが、アイリスの顔は安堵にほころんだ。


「おっ、おまえ……おまえはっ……!」

「あぁ、卿。放していいよ。彼のヘイトは僕に向いているようだから。一応、アイリスの前には立っていてくれ」

「かしこまりました」


 キルシュヴァッサーが手を緩めると、エドワードはそれを強引に振り払う。老練の騎士キルシュヴァッサー卿は、鎧を鳴らしながらアイリスの前に片膝をついた。


「お怪我はございませんかな。アイリス」

「冷静に考えたら、システム的に怪我するはずがないんだけど……でも助かったわ。ありがとう」

「いえいえ」


 エドワードの怒気は、御曹司ツワブキ・イチローの出現で、なおさらドス黒く燃え上がったように見える。二人の間に、どのような因縁があるのか。ひょっとしなくても巻き込まれたであろうアイリスは、遅刻してやってきた怒りの感情をもてあまし始めたが、解答の所在が不明なその疑問に意識を向けることで頭を切り替える。


「おまえ、俺たちに喧嘩を売っているのか!?」

「ナンセンスだね。僕だって売り物には気を使うよ。君が勝手に拾っただけじゃないのかい」


 まぁ、恨みくらい買うだろうな。あの性格なら。


「エド、僕は君のこと、実力はあると思っているよ。客観的に見て」

「ふざけるな! どの口でそう言うんだ! 親方の顔に泥を塗ったくせに!」

「あの程度で泥を塗られたと思うなら、君もあの親方の度量を過小評価しているんじゃないかな」

「きっ……!」


 言葉を失ったエドワードが、再び拳を振り上げて殴りかかる。システムアシストが何も無い状況下だが、イチローはふわりとそれを避けて見せた。勢いを殺しきれずに、エドワードは部屋の隅に向けて転倒する。あれは、だいぶ痛そうだ。ゲームの中でなければ、だが。


「客観的に考えれば、君が僕に抱く怒りも、理屈としては理解できないこともない。でもその上で聞いておこう。君は、僕に何をさせたいんだい」

「………っ!」


 今、エドワードは怒りを制御し、彼なりの理屈をひねり出そうとしているのだろうか。

 このマシンナーのプレイヤーがどんな人物であるのか知るよしもないわけだが、彼の血圧が少し心配になる。目の前には、体調の変化を告げるアラートメッセージが山のようにポップアップしているのではないだろうか。

 アイリスも、安心を得た瞬間にこう考えられるようになるのだから現金な話ではある。


「親方への非礼を詫びさせる……! おまえだって、頭を下げることくらいはできるだろう……!」

「そりゃ物理的にはできるけど、したくないな」

「おまえはっ……!」


 エドワードは立ち上がって、イチローの胸倉を掴みにいく。が、当然御曹司はそれすらも許さない。ゲームの物理演算に合気道を利用したゆるやかな受け流しで、再びエドワードは床に転がった。動きが穏やか過ぎて、システムも攻撃行動と判断できていない。


「力ずくでもさせてやる! このギルドハウスの戦闘禁止を解除しろ! おまえがリーダーならできるだろ!」

「今日はやめておこう。また今度でもできるじゃないか」


 天気を見て洗濯物を干すかのような言い方だ。


「君の怒りはおおかた、僕が親方をソデにして、アイリスに防具を作らせようと思っていることに対してなんだろう。床に残骸が転がっているね。君はアイリスの実力を確かめようとして、自分が認められるほどの力を持っていれば引き下がるつもりだった。君なりに自分の心に決着をつけようとした結果かな。それは評価するよ」


 相変わらず、こいつ何様だと言いたくなる。おそらく、イチローを除いたこの場の三人は同じ意見だろう。


「だが、アイリスのスキルレベルは低かった。予想以上の不出来を見て、君は感情をもてあまし、そこに僕が帰ってきたから歯止めが利かなくなったってところだろう。でも僕は本気なんだ。アイリスには防具を作ってもらいたい。で、まぁあと三日で全部できるかなって思ってる」

「はっ!?」


 ここで、アイリスが素っ頓狂な声をあげる。


「ちょっと待って、あんた何勝手に」

「君が僕に喧嘩を売るというのなら、そのとき言い値で買おう」

「既にイチロー様はそれ以外のものもだいぶ買われておいでのようですが」


 半眼のキルシュヴァッサーに、イチローも肩を竦める。


「あぁ、不興とかね」

「わかってらっしゃるんですな……」

「で、それでどう?」


 イチローに視線を向けられて、エドワードは唇を噛んだ。どのみち、ギルドハウス内では厳しいローカルルールが存在し、リーダーが認可しない限りは戦闘もデュエルも発生しない。それは外に出ても似たようなものだ。あえて言うなら、イチローがフィールドに出た直後に後ろから殴りかかる手段はあるが、それではエドワード自身が納得できない。

 親方に対する非礼を詫びさせたいという建前が、徐々に置換されつつあることに、エドワードは気づいていない。自分より優れた生産職プレイヤーは親方だけだと信じてここまできた。だが、その価値観を根底から揺るがすこの男を打ち負かしたいという気持ちが、彼にもあるのだ。


「それで構わない……。おまえ達の作った防具とやらを見せてもらう」


 エフェクトの混じった声は震えていた。感情のトレースは、忠実に声帯の緊張までも再現する。

 その防具を見せてもらうことで、溜飲を下げられるのか。それともやはりこの男には殴りかかってしまうのか。それはエドワードにもわからない。だが、その時決着をつけられると言うのなら……。


 片手を差し出すイチローの手を払いのけ、エドワードは立ち上がる。


「お出口までお送りしましょう」

「いらない」

「そう言わずに」


 キルシュヴァッサーに付き添われ、エドワードが退出したあとである。ひとまずアイリスも怒りを爆発させた。


「あんたバカじゃないの!?」

「助けてあげたのにそれかい」

「う、ありがとうだけど、助けてもらったのとあんたがバカなのは関係ないわよ!」

「確かにそうだね。でも僕はバカじゃないよ。僕がバカだとすると、世界中の人類の、」

「そういうのは良いっつてんでしょ! ナンセンスよ!」


 苛立ちのあまり、アイリスは壁を叩く。とても大きな音がした。


「あのマシンナーと喧嘩するの、本気かって聞いてんの! エドワードって聞いて思い出したわよ。あれ、アキハバラ鍛造組のNo.2じゃない!」

「そうだよ」


 イチローはあっさりと頷く。


「ひょっとしてアイリス、僕が彼に負けるんじゃないかと思ってる?」

「逆よ」


 はああぁーっ。アイリスはため息をついた。


「あんたね。噂だけどエドワードは強いわよ。たぶん生産職プレイヤーの中じゃトップの戦闘能力よ。でもね、課金しまくって戦闘能力特化したあんたなんかに勝てるわけないでしょ! それを正面からぶつかってボコボコにする気かって聞いてんの! モラルを疑うわ!」

「人のギルドハウスに上がりこんで女の子に手を挙げた時点で、彼のモラルも相当欠如していたと思うけどね……」


 部屋の片隅に転がる残骸を見やっての台詞である。


「確かに相手のモラルが欠如しているからって自分のモラルを失うつもりはないよ。でも、僕のモラルは僕が決める。彼が僕に勝てないとわかっているなら立ち向かわなければ良い。それでも立ち向かってくるなら、それなりに譲れないものがあるんだろう」

「でもするんでしょ? ボコボコに」

「するよ。彼に譲れないものがあるのと、僕が買った喧嘩に負けるのは関係がないことだからね」

「アイリス、イチロー様はいつもこんな感じですよ」


 再び部屋に戻ってきたキルシュヴァッサーがそう言う。彼は現実世界でもイチローの使用人と言っていたか。さぞかし苦労も絶えないのだろう。同情する。


「あと声は抑えておいたほうがいいですな。システム上、建物の中と外は区切られたマップではありませんから。エドワード殿もさぞかしプライドを損ねられたご様子でした」

「あっ……」


 あわてて口元を押さえるが、もう遅い。


「卿、彼は最後になにか言っていたかい」

「あの女が作った防具も粉々にしてやると」

「勇ましいね。ではアイリス、粉々にされないような立派な防具を作ろうか。素材はシャツとジャケットのものしかないけれど、君がログアウトするまで1時間はある。それぞれ50回までは失敗して大丈夫だよ」


 恥ずかしさやらなにやらで、笑顔の御曹司に拳を一発お見舞いしてやりたかった。結局、ひらりと避けた御曹司のおかげで、エドワードとまったく同じ末路を辿ったのだが。

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誤字を修正

×稼動域

○可動域


×肩膝をついた

○片膝をついた


×アイリスには、遅刻してやってきた怒りの感情をもてあまし始めたが、

○アイリスは、遅刻してやってきた怒りの感情をもてあまし始めたが、



文法のおかしい部分を修正

×血圧が少し心配しそうになる。彼の前には、

○彼の血圧が少し心配になる。目の前には、


上記の修正に合わせて以下の点を修正

×山のようにポップアップしてはいないだろうか。

○山のようにポップアップしているのではないだろうか。

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