第十五話 御曹司、不興を買う
マシンナーの鍛冶師エドワードは、激怒した。
とは言え、感情の表現パターンが極めて少ないのが機械人種のグラフィック特徴である。元来言葉数の少ないエドワード自身の性格もあって、周囲の鍛冶師たちは『今日のエドさんなんか機嫌が悪いな』くらいにしか思っていないが、とんでもない。感情のトレース機能が上手く働いていないだけで、彼のはらわたは煮えくり返る思いであった。
原因は、おととい工房を訪れたあの竜人族である。MMOのヘビーユーザーの中には、課金プレイヤーというだけで忌み嫌う人種もいるだろうがそうではない。エドワードも高い金を払ってプレミアムパッケージを購入したし、月額の基本料金に加えてエクストラコースとロイヤルコースに加入している。ゲームを楽しむために高い料金を支払うのは当然だと思っているし、本業がシステムエンジニアである彼なのだ。この膨大なデータを記録保持するサーバー管理費やメンテナンス費用のことを思えば、お布施を支払うのもファンとしての義務と考える。
あのドラゴネットの問題は、そんなところにあるのでは、ない。
最初からいけ好かない感じはあった。ドラゴネットの感情パターンのせいもあるだろうが、どこか高みに立って、他人を見下しているように思えてならなかった。それでも、尊敬する親方が連れてきたのだ。彼の期待に答えねばならないと、全力でハンマーを振った。
しかし男はそれを一蹴したのである。思っていたものと違う、と。素人に何がわかる、と言い返してやりたかった。後からかぶさる親方のフォローが、なおさら彼の恥辱を苛んだ。親方の顔に泥を塗ってしまったという感覚もあった。男は、他に気に入る鍛冶師がいないか探してくると言い、工房を後にした。ふん、親方より優れた生産職プレイヤーなどいるものか。あとで親方に泣きつくが良いさ。ざまぁみろだ。
その二日後、男が工房のはす向かいに男自身の工房を建てた。
これは憤死モノである。まるで当てつけではないか。自分の気に入る防具を作れるものがいないというから、まさか自分達で作るというのか? ギルドメンバーがなだめるも効果はなく(エドさん、ああいうのはあざ笑ってやりゃいいんだって)、昂ぶる感情を抑えきれない。目の前に、血圧の急上昇を告げるアラートメッセージがポップアップする有様だった。
エドワードは一心不乱にハンマーを振るう。
プログラムが実行処理する《アイアンフォージ》は正確だ。プレイヤーの精神状態にどれだけの乱れがあろうと、その【筋力】ステータスと発動スキル、素材の合成難易度などを複雑に勘案し、計算結果を算出する。いつもと同じ数字が動き、いつもと同じ、完璧な装備アイテムが完成する。
「……くそっ」
だが、エドワードの心は晴れない。ぶつける相手のいない罵りが、口をついて出た。
いっそ、自分の感情が反映されてしまえば良いのに。この憎らしい気持ちが、口惜しい気持ちが、自身の醜い胸中が、鎧の中に映し出されてしまえば良いのに。システムの行いはいつだってクールだ。
それでもエドワードには、ハンマーを振るい続けることしかできない。
工房の喧騒など耳に届かず、彼はひたすらハンマーが素材を叩く甲高い音を聞き続けていた。
「では、アキハバラ鍛造組のほうを断ったのですか?」
「うん。実際、そのあとアイリスに会えたわけだから、僕の判断は正しかったよ」
「まぁ、イチロー様の中ではそうなんでしょうな……」
イチローとキルシュヴァッサーは、引き続き素材集めを続けている。時刻は夜の8時過ぎ。
ギルド〝アイリスブランド〟の結成により、二人は夕食の時間を6時にずらすことにした。アイリスのログインする7時をやや回ったあたりで二人もナロファンの世界に戻る。素材が揃ったアクセサリーの合成にはなんの心配も要らないので、いよいよ防具の素材集めというわけである。
難易度に糸目はつけなくていい、すなわち何度失敗しようと構わないというイチローの意見に甘える形で、アイリスは山積みされた設計図を吟味する。どうせグラフィックなど自由にできるので性能の高いものを選べば良いだけなのだが、アイリスは『素材』へのこだわりを強硬に主張した。
イチローもキルシュヴァッサーもあずかり知らぬことではあるが、杜若あいりはアパレルデザイナーの卵である。シャツの素材が鉱石であったり、竜の骨でできたスラックスなど、とうてい許容できるものではない。ギルドリーダーはデザイナーの意見を尊重し、防具の雛形はすべて生物の皮、羽根、植物繊維などの素材でできるものが選択された。
なお、ジャケットに使用するレイディアントモルフォの翅についてのみ、イチローの意見が採用されている。
二人はそのジャケットの素材と、シャツの素材となる〝霊大樹ユグドラシル〟の葉を採取するべく、〝ランカスター霊森海〟を訪れていた。
「思ったのですが、鉱石系素材で作れるシャツというのもあるのでは……?」
「ああ、ポリエステルとかね。どのみちイメージの問題だから、良いんじゃない?」
ランカスター霊森海は、ヴィスピアーニャ平原と隣接する広大な森林地帯だ。平原を卒業したレベル10以上の冒険者が訪れるフィールドだが、イチローは飛び級でヴォルガンド火山帯に向かったのであまり来たことはない。
ナローファンタジー・オンラインのフィールドには〝深奥〟と呼ばれる区画があり、そこに踏み込むと非常に危険性の高いモンスターが湧き出るようになる。ワープフェザーも使えないため、力量が低いまま踏み込むと全滅の憂き目に合うのだ。二人が歩いているのは霊森海の深奥であり、目指しているのは更にその中枢にそびえるという霊大樹、というわけである。
しっとりと濡れた地面、積もる枯葉と枯れ枝を、金属製のブーツが踏みしめていく。頭上を覆う大樹の葉は何層にも重なって陽光や月光を遮断しているため、大気は湿り気を含み薄暗い。朝霧の中にいるような涼やかな感覚が肌に纏わりつく。
新しいフィールドに来るたび、それは新しい感動の連続だ。技術陣に対する素直な賞賛の心が、イチローの胸中に芽生える。とりわけ、この霊森海深奥は良い。思わず足を止め、枯葉に埋もれた巨木の幹、何があったのか倒れてから久しいであろうそれを眺める。苔むした樹皮は、触れてみるとビロードのような肌触りがあった。青白い翅を持った小さな蝶が、ひらひらと周囲を飛び交っている。
イチローとキルシュヴァッサーは《夜目》スキルの発動によって、それらの光景を違和感なく受信することができている。先ほどから感嘆を漏らしてあまり前に進まないイチローを見て、この騎士は肩をすくめていた。
「イチロー様の好きそうなフィールドだとは思っておりましたが」
「そうだね、こういうところは好きだな。白谷雲水峡に行ったときを思い出すよ。国内にもこういう自然林が残っているから、捨てたものじゃないなって思う」
「ちなみにその蝶、レイディアントモルフォの仲間です。MOBやアイテムにはならない、単なるエフェクトとしての蝶なんですがな」
「卿は無粋だな。もう少し雰囲気に浸らせてくれてもいいだろうに」
単なるエフェクトであるが故に警戒心を持たない蝶たちは、そっと伸ばしたイチローの人差し指に停まり翅を休める。わずかな自然発光を宿すその斑紋が光り輝くモルフォの眷属であることを示していた。
ディティール・フォーカスは優秀だ。蝶特有のぽっこりとした腹部、黒い複眼、伸びた触角や渦を巻く口吻までを忠実に再現し、そのデータをイチローの脳に送信する。おおよそ彼の知る限りにおいて、それは現実世界の蝶と比べてもなんら変わらない美しさを持つ。集合知集積システムの為せる技か、あるいは元から設定されていたグラフィックなのか。それを吟味することすら億劫になる。
「ところでイチロー様、ジャケットの素材になるレイディアントモルフォの翅はドロップ品になるのですが」
「ナンセンス。ひょっとして卿は、僕がこんな美しい蝶の仲間を傷つけるとでも思っているのかい」
やけにうっとりとした声で言う主人の言葉には、やはり忠士キルシュヴァッサーとしても呆れを隠せないもので、
「じゃあどうやってドロップ品を入手するというのです」
「確か一昨日くらいから、一周年記念のプレサービスとして『他クラス経験アイテムパック』が配信されていただろう。一人三つまで無料でダウンロードできるやつ。確か盗賊パックの中に、《アイテムスティール》のアーツジュエルがあったよ。あれ使おう」
イチローがメニューウィンドウからコンフィグを開くと、指先に止まっていた蝶たちが驚いたように飛び去っていく。
おそらく、そのアイテムパックを大量購入しながら、イチローは話題を切り替えた。
「さっきの話の続きだけど、」
「はいはい、なんでしょう」
「卿の盾もグラスゴバラで作り直したって言ってたよね」
「お、そうなのですよ。良い出来でしょう。実は、イチロー様がソデにしたアキハバラ鍛造組の製作でしてな」
キルシュヴァッサーも、嬉しそうに盾を掲げる。銘は『カイトシールド(改)』。表面に桜の花びらが刻印されたそれは、今まで様々なMOBの攻撃からキルシュヴァッサー自身を、そして共に死線を潜り抜けた仲間達を守り抜いてきた自慢の一品だ。まだレベルの低かったイチローを、リザードマンゼブラの巧みな技から遠ざけたのもこの盾であるし、もうちょっと彼からの評価があっても良いとは思う。
防御修正+780。盾の特徴として、その部位で攻撃をしのいだ場合修正値は2倍という扱いで算出される。《防護の備え》《破魔の盾》による補正もあり、防御を固めた際の瞬間的な防御修正は+2000を超える。これは数値だけ見ればゲーム内に数えるほどしか存在しないというレジェンドアイテムにも匹敵するレベルだ。ま、おかげさまで必要筋力値は高い。
これだけの装備アイテムを作れる生産職プレイヤーなど、5人いるかいないかだろう。当然NPCが売ってくれるはずもなし。アキハバラ鍛造組が人気を集める理由は、一般プレイヤーでもこうしたレジェンド級のアイテムを入手できるという点にある。スキル構成やステータスなどの複数の情報を元にオーダーメイドする結果であって、もちろん汎用性や総合性ではレジェンドアイテムのほうが圧倒的に高いのだが、プレイヤー自身の方向性に合わせて作られたアイテムなので愛着もわきやすい。
製作者の項目には『エドワード』とあった。
「ギルドのNo.2が作ったと言ってましたかな。親方自身はなかなかハンマーを振るわないという話ですので、実質これを上回る盾はなかなかありませんよ」
「ふぅん」
「性能もそうですが、デザインもいいでしょう? 花びらの刻印は私自身の名前から気を利かせて親方がつけてくれたらしいのですよ」
「さくらんぼ酒なら酒瓶が書かれていた可能性もあるから僥倖だったね」
「チョウチョと戯れていたときと反応が違いすぎませんかねぇぇぇ」
話が終わった頃には、イチローもコンフィグ画面を閉じる。いったいどれだけのアイテムパックを購入したのかは恐ろしくてとても聞き出せなかった。アーツジュエルは使い捨てだ。求めている素材自体は決してレアなものでないが、レイディアントモルフォほどの高レベルMOBから《アイテムスティール》を成功させるのは至難であろうし、さしものイチローもスティール系の成功率をあげるスキルは持っていない。
加えて、素材を持ち帰ってもアイリスが失敗する可能性も考えなければならないのだから、今宵一晩はずっと霊大樹の根元で蝶と戯れる覚悟が必要であるかもしれない。イチローは、インベントリに収容しきれなくなったシーフのアーツジュエルをギルドのアイテムボックスに送っている。
「《アイテムスティール》以外のアーツジュエルはトラップ対策系も多いですし、今後デルヴェの最前線に赴くときも役立ちそうですな」
情報が共有されたアイテムボックスの中身をのぞきこんで、キルシュヴァッサーは頷く。《サーチトラップ》のアーツジュエルを20個数えたあたりで、メニューウィンドウを閉じた。右端のバーがどんどん短くなっていく。今のギルドハウスの規模なら、アイテムボックスにもだいぶ余裕はあるのだろうが。
「ま、こんなところかな。行こうか。キルシュヴァッサー卿、23時までに帰らないとアイリスのログアウトに間に合わないしね」
「あと2時間半でどれだけスティールを成功させる自信があるんですかな……」
ぼやいては見るものの、キルシュヴァッサーはキルシュヴァッサーで、つい昨日デルヴェ亡魔領でイチローが事故らせた圧倒的なドロップ率を目にしているのだ。乱数が彼に対して謎の助成を行う可能性は捨てきれない。
実際その通りであった。