第十四話 御曹司、素材を集める
ふつふつと煮えたぎる溶岩の狭間、天すらも覆いつくさんとする巨大な影が息を潜めている。長期間高熱に晒され、黒くくすんだその地肌は、多くの同種がそうであるように『金属を含有した』などというレベルでは済まされない。その巨体を構成するのは、紛れもない魔法金属。頑健な装甲に強靭なる魔法耐性を備えた、その恐るべき生命体は、伝承の中にしか存在しないと信じられてきた。
すなわち、魔鋼竜。
鼻先から獄炎の吐息を漏らす竜を前にして、不遜にも立ちはだかる男の姿がある。
『我が末裔よ……。貴様、何ゆえ禁断の地に足を踏み入れた……』
「実は、僕の新しいベルトを作るのに君の鱗が欲しくてね」
クエスト配信以来、この竜を前にこうもはっきりと欲まみれの理由を告げたプレイヤーなど存在しまい。想像にすら及ばなかったその大きさと、緻密に作りこめた各部のグラフィック・ディティール。血を一滴落としたかのような双眸は、ゲームの中であることを忘れてしまうほどに生々しい。用語wikiや攻略wikiにおいても、見る者の原始的恐怖を呼び起こすその容姿に、パニックを起こしたプレイヤーも少なくないとある。
だが、ツワブキ・イチローが思うことと言えば『ドラゴネットで訪れると台詞パターンが変化するのか。細かいな』てなもんである。一部のクエストにおけるボスMOBの台詞は、運営を補助する幾つかの人工知能がリアルタイムで直接考案し受け答えしているという噂もあったが、真相はあざみ社長に直接聞かなければわからない。
『不遜な男よ……。我が吐息に巻かれ、朽ち果てるが良い!』
戦闘開始をアナウンスする咆哮と同時に、竜の口元から灼熱が噴き出す。イチローは微動だにすることもなく《インフェルニック・ブレス》の直撃を受けた。数瞬遅れて届く、勇壮ながら焦燥じみた熱気の篭る旋律。心地よいBGMの曲調を確かめ、メニューウィンドウから自身のステータスを確認する。
高レベルにまで育てた《竜鱗》と《火炎の流儀》が、炎属性ダメージを大幅に減衰させ、【HP】の減少幅は驚くほどに少ない。もう少し無茶をしても良さそうではある。イチローは《竜鱗》のスキルレベルを10下げ、同じ値だけ《流水の流儀》のレベルを上げていく。
このゲーム、当然ながらターン制バトルではない。
身体を起こした巨竜の爪が、イチローに強襲をかける。その一本で彼の身長に届こうかという禍々しい形。あらゆる命を容赦なく裁断する死神の鎌は、しかし虚しく大地を穿った。
跳躍。姿勢制御もままならぬ空中で、まずは牽制。イチローは左手に意識を傾ける。
幼少期、6歳にしてこの世の物理法則を大雑把ながら理解した石蕗一朗は、天才たる自分が生涯為しえぬかもしれない偉業のひとつに『魔法を使う』を刻んだ。彼が経済を掌握し、世界の命運をその手に握ることがあろうと、『魔法』は現実世界に存在しえぬテクノロジー。一朗少年はおおいに落胆したものである。
「ふっ……!」
しかし、この仮想世界。0と1によって構築された虚構のテクノロジーと言えど、彼は間違いなくそれを手にしていた。放たれた大渦が魔鋼竜の身体を拘束する。水属性中位攻撃魔法《スパイラルフラッド》。ダメージの余波が溶岩の熱を奪い、大岩を削り取る。たちまちにして蒸気が一面に立ち込めた。
竜を拘束できる時間は短い。実時間にして2秒。だがそれは、イチローが着地し姿勢を整えるには十分すぎる時間だった。メイジサーベルを引き抜いて構える。この竜に初期装備で挑む『勇者』など、彼くらいなものだ。
ナンセンス。この場にいれば謎の喝采をあげたであろう観衆に、そうつぶやく。
しょせんはプログラムであるマギメタルドラゴンは、如何に命を危ぶもうと苦悶の声をあげることは決してない。体力が一定値を割ることで見せる動作は、ボスのHPを閲覧できないプレイヤーに対する開発側の配慮だ。しかし、その一撃が削り取ったダメージ、イチローは確かな手ごたえを得ていた。
メイジサーベルを、逆手に構える。
彼も薄々感づいていたことではあるが、このゲーム、『構え』と呼ばれる隠し要素がある。特定のアーツ発動の直前に取っていたポージングにより、その後のモーションの発生速度、ダメージなどに補正がかかる。付随効果が発生する場合もあった。すでに幾らかの『構え』は、有志による検証で明らかになり、攻略wikiにて体系化されている。
この構え、イチローが独自に発見した魔法剣士専用の構え。専用アーツである《ストラッシュ》の発動に大きく補正をかけ、発動直後に他のアーツや武器によるキャンセル追撃が行える。怒り狂い、咆哮を挙げるドラゴンの姿を、どこか遠くの世界のもののように眺めながら、このドラゴネットの青年はまんじりとも動かない。口内の熱量が跳ね上がり、二度目となる《インフェルニック・ブレス》が放たれた。
炎ダメージであれば恐れるに足らない。身を焦がす熱の感触を心地よいとさえ感じながら、イチローは的確に狙いを定めた。狙うは喉元。すべてのドラゴンの弱点は、この部位に共通する。竜も粘る。HPがじわじわと減少を続けていく。ナンセンス。残りHPが1であっても、勝てばよい。
ブレスが途切れる一瞬。視界がクリアになる。
イチローは大地を蹴った。駆け出しの初速を上げる補助アーツ《ダッシュスラスト》が彼の身体を限界域に押し込んでいく。もしマギメタルドラゴンに自意識があったならば、その目は驚愕していただろうか。あるいは、怒りに濁って何も覗けなかっただろうか。
逆手に構えたメイジサーベルが閃く。
《ストラッシュ》! この世のあらゆる金属より強固であるとされる魔鋼竜の装甲が火花を散らす。だが間髪など入れない。左手に意識を集めながら、素手で削り痕を捉える。瞬間、可視化した《竜爪》がその装甲を完全に叩き割った。
喉元に食らいつく抉り込みからの、《キャストブレイク》そして《ハイドロプレス》!
魔法剣士ならではの、物理ダメージと魔法ダメージの波状攻撃。破壊された装甲面、【防御力】がゼロであるその地点に叩き込まれた唯一の弱点属性攻撃は、《弱点知識》《猛攻》《流水の流儀》そして《ゼロ距離魔術》の相乗効果によって、ドラゴンに致死量のダメージを叩き込む。
ダメ押しとばかりに顎を蹴り込み、空中で回転しながら着地する。今は《体術》を外しているので、モーションアシスト効果はない。脳波スキャナーがイチローの意識を忠実にトレースし、底上げされた彼の【敏捷】ステータスが仕事をした結果と言える。
現実世界の自分なら、あと一回捻りは加えられたな。
メイジサーベルを鞘にしまいながら、イチローは思った。
『ば、バカな……。この私が……悠久のときを生きたこの私が、こんな矮小な……』
「ナンセンス。そういうのは良いよ。プログラムにいくら矮小と言われても、腹は立たないけどね」
一度も振り向かずに言う魔法剣士の背後で、巨大な質量が倒れこむ音がする。地響き、砂煙。エフェクトの細かさから、デザイナーのこのクエストに対する情熱が伝わってくるが、直後ファンファーレと共に開くメッセージウィンドウが感慨を押し流していった。
レベルアップ。それはいい。
獲得資金。それもいい。
ウィンドウをスクロールしていくと、ドロップアイテムの一覧がある。
『マギメタルドラゴンの鱗を入手しました。
マギメタルドラゴンの鱗を入手しました。
マギメタルドラゴンの鱗を入手しました。
竜の玉石を入手しました。
マギメタ』
ウィンドウを閉じた。ベルトを作るのに必要な鱗は三つだったかな。
必要数は満たしたことになる。HPも疲労度も余裕はあるし、もう一度くらい戦っても良いのだが、あいにくこのクエストは終了後時間をおかなければ再出現しない。火山帯の麓に降り、小さな村のNPC村長に『竜の玉石』を手渡せば、ひとまずそれでおしまいだ。
イチローは倒れ付したマギメタルドラゴンの亡骸に目もくれず、ヴォルガンド火山帯の深奥をあとにした。
アイリスは学生らしい。彼女が学校に行っている間、イチローとキルシュヴァッサーは素材集めに奔走する。ログアウトが夜遅くならないよう注意をしておくが、『どうせもうすぐ夏休みよ』と返された。確かにそんな季節だが、実にナンセンス。一朗も基本的に生活サイクルを崩したくない人間だ。
デルヴェ亡魔領で入手した設計図も、彼女にはそれなりに喜ばれた。中にはアクセサリーの設計図も幾らか混じっており、さらには多めのスロット数を持つものも散見された。ひとりのキャラクターが装備できるアクセサリーは最大3。高レベルの《細工》スキルを持つアイリスは、じゃあアクセサリーも3つ作りましょうと提案したが、イチローは2つで良いと答えた。あまり大っぴらに口に出していないが、あのポリゴンの荒い蝶のブローチは彼のお気に入りである。
当然、デザインはアイリスが行う。防具の決定稿に似合うものがよろしい。残るアクセサリーはベルトと腕時計にしようという話になり(これまた有料オプションで、メニューウィンドウの時計をアクセサリーの表面にテクスチャーできるサービスがある)、詳細なデザイン画は学校で詰めてくるということで昨晩は解散した。
それで翌日、今日である。
ベルトの素材となるマギメタルドラゴンの鱗を持って、イチローはグラスゴバラに帰還した。アクセサリーはデザインを決定する際、表示部位も指定できるので大した意味はないのだが、本来は『マギメタル・イヤリング』であったらしい。腕時計になる鉱石系アイテムは、キルシュヴァッサーがヴィース竜洞窟へ採掘に行っている。彼に採掘系のスキルはないので、低レベルの生産職プレイヤーを同行させていた。キルシュヴァッサー卿はああ見えて低レベルプレイヤーの引率が上手い。
「よう、兄ちゃん」
グラスゴバラのメインストリートを歩いていると、声をかけられた。この時間帯、大都市グラスゴバラといえど、中央通を行き交うプレイヤーは稀だ。振り返ると、赤ら顔のヒゲ面ドワーフが手を振っている。イチローも片手をあげて挨拶した。
「やぁ、親方」
ゲーム内最大の生産職ギルド〝アキハバラ鍛造組〟のリーダーである。今日も『↓こいつ最高にアホ』というアバターネームが、頭上に燦然と輝いていた。
「兄ちゃん、さすがにアレはよくねぇよ」
ドワーフは困ったように笑っている。言葉の割りに剣呑な空気はない。
「どれのことだろう」
「うちの真向かいにギルド建てたの、兄ちゃんなんだろ?」
「ああ」
アキハバラ鍛造組のギルドハウス。またの名を〝グラスゴバラUDX工房〟。軒先は武器・防具のフリー販売エリアとなっており、NPCが売るものより数段高級な装備アイテムが並ぶ。値は張るがオーダーメイドの注文も承ってくれる。当然、この街でも最大級の規模を持つギルドハウスであり、この街の実質的な顔とも言える建物であったのだが、昨晩そのはす向かいに同規模のギルドハウスが建った。
新進気鋭の生産職ギルド〝アイリス・ブランド〟である。構成員3名。ギルドリーダーはツワブキ・イチロー。
見ようによっては挑戦である。
「さっきログインしたらこんなだからよ、びっくりしちまったじゃねぇか」
この世界では、金さえ払えば一晩で要塞も建つ。グランドクエストによって開放された直後の都市などは、たった一週間でタケノコのように建造物が生えるのだ。墨俣もびっくりの一夜城である。
「兄ちゃん、ひょっとしてウチを潰そうとか考えてねぇよな」
アホ氏の勘ぐりももっともと言えたが、イチローは肩をすくめる。
「ナンセンス。もし〝アイリス・ブランド〟に潰されるようなら、親方の経営努力はその程度だったということになるね。気にしなくていいんじゃないかな。客観的に見て、〝アキハバラ鍛造組〟がじっくり築き上げたブランド力はそう簡単に崩れないよ」
「そうかい、そいつを聞いて安心したぜ」
アホ氏はガハハと笑って、イチローの背中を叩いた。《アイアンフォージ》によって鍛え抜かれた【筋力】ステータスだが、イチローはびくりともしない。もちろんそれ以前に、都市内ではプレイヤー同士間の攻撃行為(これもそう見なされる)が原則禁止されている。
「だがなぁ、兄ちゃんも人が悪いぜ。ウチを断っておいて、わざわざ自分で工房造るなんてよ」
「自分が欲しいものに妥協するつもりはないよ」
「ま、気持ちはわかるけどな。兄ちゃんの要求に似合うモンを作らせてくれなかったのは癪だけどよ、完成したら見せてくれや」
そう言って、アホ氏も自分の工房に戻っていく。なかなかおおらかな人柄だ。言葉の端にやや本気の悔しさが滲んでいたのも含めて、根っからの職人気質であることがわかる。『潰す気じゃねぇよな』などと鎌をかけてきたが、とんでもない。あれはこっちがどんなテを使っても潰されないタマだろうに。
とは言え、アキハバラ鍛造組のすべてのプレイヤーがああいう人柄というわけでもあるまい。多少のトラブルなどまるで意に介さないのがイチローのスタイルであるが、何か厄介ごとが起きるとすれば、そこかな。イチローは、一晩で建てられたギルドハウスを眺めながら、おととい会ったばかりのマシンナーの顔を思い出していた。