第十一話 御曹司、ギルドを作る(1)
「結局バンバンジーにしてみました」
食卓に皿を並べながら、桜子が言う。一朗の注文どおり鶏肉料理で、かつヘルシーなものであるから、まぁ妥当なところだろう。これが普段ならシシカバブとかレシミカバブとか言い出すところだから、ちょっと意地悪を言ってみたのもかなり効いているのだと思われる。一朗もインド料理は嫌いではないが、下手に褒めると毎日それしか作らないのがこの使用人の悪いところで、一時期は本当にインド人になるかと思うくらい本場のカレーを食わされた。
席についた一朗の前に、音も立てず料理を置いていく所作はさすがと言ったところである。バンバンジーのほかは、あっさりめのスープやら、きくらげのサラダやら。どうやら今日は中華系で攻めてくるつもりらしかった。それでも健康志向には変わりない。炭水化物と言えそうなのは、水餃子くらいか。
「ありがとう。桜子さんも一緒に食べよう」
「はーい。僭越ながらご一緒させていただきまーす」
これは毎日言っているのだが、たまに境界線がよくわからなくなる主人と使用人の立場を明確にするためには、必要な儀式である。一度、これまた意地悪で言わなかったことがあって、そのとき桜子は涙を浮かべて使用人としての定位置に立っていた。腹の虫を聞かされ続けては目覚めも悪く、食事開始からわずか5分程度で根負けしたのを覚えている。
一朗も社交界のプリンスである。そして、読者諸兄には信じられないかもしれないが、空気を読む力にも長けている。状況次第ではきちんとテーブルマナーを守るのが、石蕗一朗であるのだが、このプライベートな食卓ではそんなもの、望むべくもない。そこは桜子も同様だ。
「そういえば、お望みの防具は作れそうですか?」
さっそくゲームの話か、とも思うが、今日は一朗にもそれなりの収穫があったので、気をよくして話す。
「なかなか良い職人が見つかってね。ちょうど軽い商談を済ませてきたところ」
「それは何よりですよ。一朗さま、失礼なことをばんばん口にするタイプですからね。職人の顰蹙を買ってるんじゃないかってヒヤヒヤしてたんです」
それはそれで大正解である。
桜子は、『どんな防具を作るのか楽しみですねー』と言い、それ以上その件に関しては追求してこなかった。一朗はことの経緯を話さずに済んだわけだが、もし話していたら、桜子からも大顰蹙であったことだろう。一朗は当然知らないことだが、〝アキハバラ鍛造組〟のナンバー2を無碍にあしらったプレイヤーなど、早々いるものではない。
知っていたところで無碍にあしらうのも石蕗一朗ではある。
一朗はスープを口に運びながら、そういえば、と言った。
「ギルドを作ろうかなって」
もちろん、アイリスに作ってもらう防具のリアルマネー費用を負担するためだ。彼女に先に立て替えておいてもらい、後から口座に直接送金する手立てもないではないが、彼女の《防具作成》能力は高くは無いという。失敗の回数によっては、立て替えてもらうにも限度があるだろうし、失敗のたびに送金するのもそれはそれで手間である。
費用を負担するのだから難しいラインではあるが、ナローファンタジー・オンラインも、多くのMMORPGと同様にリアルマネートレードを禁止している。こんなことで運営から警告をもらってもつまらない限りだ。
生産系ギルドを作れば、オリジナルグラフィックの最適化に必要な手数料を、一朗自身が負担することができる。
が、当然桜子はそんな事情など知らないので、
「おっ、良いですね。だんだん一朗さまもナロファンになじんできていますね」
「ナンセンス。僕が世界観に適応化していってるみたいな言い方はしないように」
多くのMMORPGでそうであるように、ナローファンタジー・オンラインにおける『ギルド』とは、仲のいいプレイヤー同士や、同じ目的を持ったプレイヤー同士で集まり、設立する組織のことである。専用のチャットやメッセージボックスなどが設けられ、仲間同士で楽しい時間を共有できるようになる他、『ギルドスキル』と呼ばれる特殊なスキルの恩恵を受けることができ、攻略が容易になるなどの利点も存在する。
現在、ナローファンタジー・オンラインにおける攻略最前線、すなわち〝デルヴェ亡魔領〟、〝死の山脈〟、〝中央魔海〟などにおいても、トッププレイヤー集団における攻略ギルドが複数存在し、勇名を集めている。こうしたギルドの多くは、リーダーによる参加承認制であり、無許可に自由参加してわいわいやることはできない。
扇桜子、すなわち激シブの前衛騎士キルシュヴァッサー卿は、基本的にソロプレイヤーである。いくつかのグランドクエストを攻略するにあたり、似たような境遇のプレイヤーと即興ギルドを組んだり、最前線を担うトッププレイヤー集団の仲間に入れてもらったりしたこともあったが、どれも一時的なものだった。
だが、直属の主人であり、良き友人でもある(と桜子は勝手に思っている)一朗がギルドを作るというのであれば、やはり自分もそこに名を連ねるべきだろう。妙な使命感と共にわくわくするような実感がこみ上げてくる。
「どんなギルドにするんですか?」
「まだわからない。もしかしたら一時的なものになるかもしれないしね。ただ、僕にはちょっと展望があるんだ」
「ん?」
バンバンジーを皿に寄せながら、桜子は首をかしげる。
「桜子さん、ちょっとよそいすぎじゃない?」
「でも一朗さまあんまり食べないじゃないですか。一時的って、どういうことですか?」
「あー、それかぁ」
桜子の問いに、一朗はきくらげのサラダを取りながら答える。
基本的に彼は必要なことしか喋らないので、〝アキハバラ鍛造組〟を袖に振った情報までは桜子に伝わらなかったものの、《防具作成》レベルの低い行きずりの少女(かどうかはわからない)に防具作成を依頼し、あまつさえ何度支払うことになるかわからない手数料を負担するためギルドに加入するという顛末には、おおいに彼女を閉口させた。
「開いた口が塞がりませんよ!」
「閉口してるのにね」
「私の口なんかどうだっていいんです! もうっ、もうっ……一朗さまの、バカッ!」
「ナンセンス。僕がバカなら人類のほとんどはサル並の知能ということになる。あまり遠まわしに自分を卑下するものじゃない」
口喧嘩をさせれば、この石蕗一朗もなかなか強い。もちろん理論だったディベートにおいても無類の強さを発揮するのだが。基本的に、どのような罵詈雑言をぶつけようと、この小憎たらしい一朗の面の皮を1ミリたりとも貫通することはできないのだ。
鬱陶しい疲労感だけが、桜子の身体に残る。今すぐにでも基本アイテムパックを購入して疲労回復剤をガブ飲みしたいところだったが、あいにくここは現実世界だ。
「いくら払うことになると思ってるんですか!」
「いくらだろう。成功率が1%だとして、1回のグラフィック変換に800円かかるからね。全部位の防具を作るとすれば、40万から60万くらいかな。意外とたいしたことないじゃないか」
「それ私の一ヶ月のお給料ですからね!」
筆者を含めた社蓄諸氏においては憎たらしい話であるが、桜子も大概に高給取りらしい。
「うー、せっかく一朗さまとギルド組めると思ってたのに……生産系ギルドなんて……」
「生産系でも戦闘しちゃいけないって決まりもないし、どうせ素材を集めないといけないからね。別に良いんじゃない」
「まぁ、ステータスに、ギルドレベルに応じたボーナスがかかるくらいですしね……。そっかぁ、当分は素材集めですね。手伝いますよぉ」
「ありがとう」
すす、とスープを飲みながら、うなだれる桜子。
「ごちそうさま。なんか桜子さんが萎んでしまったので、食後のお茶は僕が入れよう。黄茶って何かあったっけ」
「君山銀針が……右の戸棚に」
まったくもって贅沢なことに、複数確保した茶葉にあわせて、石蕗宅では様々な水質の水を保管したタンクなんていうのもあったりする。耐熱ガラスの器を用意し、湯を沸かし、ポットと茶葉とトレーにあわせて食卓へ運ぶ。
「今日このあと、一朗さまはナロファンやります?」
「迷っているんだけどね。角紅の社長さんから、資産運用の相談に乗ってくれって言われて、今夜はちょっとそっちを片付けるよ。アイリスも、たぶん今晩中ずっと防具のデザインに頭悩ませるんだろうし」
「なるほど、邪魔はしたくないですもんね」
ガラスの器の中で、蒸された茶葉がやや楽しげに上下している。それを眺めてから、一朗は卓上ですっかり空になったバンバンジーの皿を見やる。
「今日のバンバンジー」
「はい?」
「良いソースだったね。桜子さんが作ったの?」
「でしょう!? そーなんですよ、一朗さま小食だから美味しく食べてるのかわかんなくて不安だったんですけど! あ、レシピは秘密ですよ。まだ研究途中ですしね」
すぐ元気になってしまった。なかなか単純な使用人だ。明るい笑顔を作ったまま、桜子がたずねる。
「あ、明日もこれにしますか?」
「それはナンセンス」
翌朝である。
一朗は目を覚ますと、フロアの片隅に用意した室内プールでひと泳ぎし、書斎のパソコンでメールをチェックしてから、桜子が朝食を作るまでの間、娯楽室に備えたミライヴギア・コクーンでナロファンの世界にドライブする。最近はすっかりオンライン中心の生活になってしまった。これが本当に100年遊べるゲームだとすると、この生活サイクルは一生続きかねない。
それはそれでナンセンスではあるな。
天才児である一朗は、昨晩、角紅商事の社長から受けたという資産運用の相談について、先方の要求と現在の世界を取り巻く経済状況、マーケットの問題点などを鋭く指摘した報告書を作成し、送信し、風呂に入ってから夜の11時にはぐっすりと眠った。一方的ではあるが、相手の疑問は解決されているので問題はないはずだ。ファイナンシャルアドバイザーとして設立した彼の口座には、後日礼金が払い込まれる予定となっている。まぁ、一朗の個人資産からすればはした金である。
桜子が用意する朝食は、朝の7時ジャストと決まっているので、ログインする時間はせいぜい1時間にも満たない。ああ見えて割りと仕事熱心なメイドは、この時間帯いっさいログインせず、朝食の準備と一朗の寝室清掃を同時に終わらせる。一朗も大概にチートな存在であるが、桜子も桜子で超人的である。きちんとベッドメイクされた一朗の寝具には、皺ひとつ残らないのだ。
「さて、」
ログインしたイチローは、グラスゴバラ職人街の裏路地で目を覚ました。目の前には、小さな露店。軒先にはわずかばかりのポーションのみが置かれ、アイリスの売り子アバターが笑顔を振り撒いている。昨日見かけたような、オリジナルデザインの装飾品は、置かれていなかった。
直後、ぽーん、という軽い電子音声が鳴って、メッセージウィンドウが開かれる。
フレンドからの特別メッセージを受信したというそれにしたがって、イチローはメニューを開く。フレンドリストの項目に更新を示すアイコンがあった。軽くタッチすると、アイリスからの手紙。『できた』とだけ書かれた単純なメッセージとは裏腹に、容量が大きい。添付されたpdfファイルのためだ。
『dezain.pdf』を開くと、眼前に昨晩ダウンロード購入したばかりの描画ソフトが起動し、アイリスが描いたらしき防具のデザイン画が閲覧できた。思っていたよりも手慣れた線画で、色は別レイヤーから筆ツールでべた塗りされている。一朗の普段着とよく似た構成で、防具というよりも完全にアパレルだ。
中でも、やや青みがかった黒いジャケットだけは、他に比べて丁寧な色塗りもあってかなり目を引いた。デザイン画の時点なのでなんとも言い切れないが、光沢が昆虫の翅じみて美しい。デザインそのものも、昨晩アイリスに話したヘレナモルフォの斑紋を思わせるものがある。黒っぽい色彩のおかげでどちらかと言えばアゲハチョウかもしれない。
イチローもひとこと、『君に頼んで良かった』というメッセージを返信した。
ひとしきりデザイン画を眺めてから、描画ソフトを閉じてからブラウザを起動する。用語wikiを開いて、ギルドの項目を検索した。ギルドには、所属するプレイヤーの傾向によって、複数の種別からひとつを選択できる。もっとも人気が高いのは当然『戦闘』で、次いで『探索』。このグラスゴバラでは『生産』『商業』も多い。
ハウスルールで禁じているギルドもあるが、種別が被らない限り、最大3つまでのギルドに同時所属でき、あまり表立って活動しないギルド、すなわち『料理』や『釣り』などの趣味ギルドに重複所属しているプレイヤーは多いとある。ギルドの作成は、大規模な拠点都市に存在する冒険者協会の支部で手続きを行う。正直なところ、システム的にはメニューウィンドウを開いてからのカンタン操作で作れても問題はないと思うのだが、そこは雰囲気作りとか、そんなもんだろう。
ギルドの作成にあたり、初期メンバー三人が必要となる。同意を意味する念書(特殊メッセージで作成できる)を受け取っておけば、雁首揃えて協会に赴く必要もないのだが、キルシュヴァッサーはともかくアイリスとは急いで連絡が取れない。彼女がログインする夜7時まで待つほかはないだろう。
仮想世界内における今日の予定を漠然と立てていると、外部端末から桜子のメッセージが届く。朝食の時間だ。
朝ごはんに関しては、あの使用人もそんなに奇抜なものを作らない。どうせパンやサラダ、スクランブルエッグだろう。現実世界の肉体が発する空腹アラートのポップアップを確認しながら、イチローはログアウトした。