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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『ローズマリー』編
118/118

最終話 御曹司、出発する

待たせたな!!

「いや、あたしもね。最後はかっこよくバシッと別れたつもりだったのよ? でも冷静に考えたら、これからオフ会なのよね……」

「別に、そんな悩まなくたって良いんじゃないの?」

「そうですわ。一生会わないとお決めになったわけでも、ないのでしょ?」


 ミニバンの後部シートで頭を抱えるあいりに、運転席の由莉奈と、隣の席の芙蓉が気楽に言った。

 茅ヶ崎由莉奈は、ゲーム内のアバター、すなわちユーリのイメージからそう離れない、凛々しい顔立ちとすらりとした高身長の印象的な女子大生であった。中古で買ったというこの車も、まぁ友人たちとレジャーに行くのに便利そうという理由を込みで考えても、かなり男らしい。芙蓉が思わず『モデルのアルバイトとかなさらない?』とたずねたところ、少しばかり顔を赤くして『遠慮します』と答えていた。


 ナローファンタジー・オンラインのオフ会は新宿で行われるが、あいりは芙蓉と一緒にひとまず由莉奈と合流し、現在彼女の車で新宿まで向かっている。オフ会を目前にして芙蓉は大張り切りでTGCに向けた仕事を片付け、時間に余裕ができたので、じゃあせっかくだしということで、由莉奈の暮らすアパートに二人で突撃したのである。結果として、17歳と20歳と28歳による夜通しの女子会とパジャマパーティーが開催されたのだが、その顛末をここに記すことは、残念ながらできない。


「ツワブキさんだってそんな気にしないと思うけど」

「あいつがどう思おうと関係ないの! あたしの! プライドと後味の! 問題なの!」

「あ、あいりさん、ちょっとお声が大きすぎて……わたくし、耳が……」


 あいりがこう言っているので、彼女のために詳細は伏せることとするが、先日の一件。すなわち、『ローズマリー事件』の終幕において、あいりが石蕗一朗に別れを告げる際、彼女は感情の制御に多大な労力を要したのである。だが、あいりはそこで御曹司にその感情を肯定して欲しくも否定して欲しくもなかったし、それを言葉にすることによって、一朗にがっかりされるのが何よりもイヤだった。ので、言わなかった。サヨナラだけを告げてきびすを返したのだ。


 オフ会があることをすっかり忘れていた。


 あのあと毎日のように、といっても、まぁほんの数日間だが、ログインし、アイリスブランドのギルドハウスでじっとしても、当然御曹司は現れず、何やらリアルが忙しいのかキルシュヴァッサーやヨザクラも姿を見せなかった。ああ、もう御曹司は本当にゲームをやらないんだな、という実感は、あとからじわじわと襲ってきて、

 おっと、これ以上はあいり自身のために伏せることとするが。

 まぁとにかく、その数日間の葛藤がまるでバカみたいに思えてきて、あいりは穴があったら入りたい気持ちであったのだ。そのへんが、芙蓉と由莉奈にはよく理解できない。これはそういった構図である。


「まぁ、わたくしも、一朗さんにはこの数日、お会いできませんでしたし、今日は楽しみにしてましたわ。でも、うふふ。一朗さん、わたくしのこともしっかり気にかけて、TGCの準備にもいろいろ手助けしてくれましたのよ?」

「ま、まぁ、そうですね。子会社ですからね。いちおう」


 ポニー・エンタテイメント社の株は、晴れて石蕗一朗に60%近くを買収され、彼が実質的な経営責任者として君臨することになった。個人によって6割も株価を買い取られたのだから、おかげさまで上場廃止である。この辺は結構大きなニュースになった。

 ポニーによって3割近くの株価を買い取られていたMiZUNOも、角紅商事がその株式を手放したことによってやはり石蕗一朗に買い取られ、みずのグループからポニーの関連企業へと移ってしまった。


 あいりや由莉奈にはとんとわからぬ話だが、まぁ、御曹司も器用というか、まったく手馴れたものであったかのようにヒョイヒョイと立ち回って、一連のゴタゴタによって経営危機に陥っていたポニーの軌道を安定ラインに押し戻してしまった。

 なお、不正アクセス事件に関して、彼は最終的に不起訴となっていた。こちらに関しての話は、あまり公になっていないので、今回のオフ会で一朗自身の口から語られるのを待たねばならないだろう。


「ま、どのみちアイも覚悟を決めるしかないよね」


 話題にと切れ目ではあったが、由莉奈がぶり返すように言ったので、あいりも顔を上げて頷いた。


「まぁ、そう……そうよね……。うん、いつも通りに、挨拶すりゃあ、良いのよね」

「そうですわ。いつもの、あいりさんらしく」


 芙蓉がにこりと笑い、あいりはようやく落ち着いてくる。落ち着いてくるあたりで、運転席で危なげなくハンドルを握っていた(運転は芙蓉よりもだいぶ静かだ)由莉奈が、前を見つめながら言ってきた。フロントガラスにうっすらと映る彼女の顔は意地悪げだ。


「芙蓉さん、昨晩の話の続き、聞かせてくださいよ」

「ああ、あの、事件最後の日の話ですわね。かっこよかったんですのよ、あいりさんったら」

「そ、その話はやめない……?」


 何やら妙な汗が出てくるのを感じたが、芙蓉は臨場感たっぷりに〝話の続き〟を始めてしまった。とうとうあいりが最も恐れていた、札束でポニーの元社長を殴りつける話になると、さすがの由莉奈も大爆笑である。あいりは、今度は別の意味で、穴があったら入りたくなってしまった。





 新宿へ向かう特急あずさ号の指定席である。四人の男女が座っていた。


 すなわち、

 〝鬼神〟セルゲイ・キョーシローヴィチ・タナカ。

 〝男爵〟和葉長治。

 〝聖女〟寺内美須香。

 〝魔人〟斎藤ゴルゴンゾーラ。

 である。


 ここに本来は、〝流星〟一番星光が入るはずであったのだが、彼は昨晩食べた賞味期限切れの博多明太子にあたってしまい、無念の欠席となった。代わりに、パルミジャーノ・レッジャーノの写真が、遺影のように窓際へ立てかけられている。

 彼らは、新宿で行われるオフ会のために参列した、赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツの精鋭たちであった。椅子に座り、膝上に駅弁を広げながら、何やら神妙な顔をしている。


「やっぱり、昨晩、今朝と、団長の手料理を味わったあとですとねー……」


 寺内が、ぼそぼそと箸を動かしながら、かなり控えめな表現に落とした本音を吐露した。


「まぁなんだ。どうせオフ会で食うものだって、セルゲイの手料理より美味いはずはないんだから、ここで舌のグレードを落としておこう」

「別に褒めても給料は上げないぞ」


 和葉の軽口に対して、セルゲイはすまし顔だ。斎藤ゴルゴンゾーラだけは、終始腕を組んだまま、無言で頷く仕草を繰り返していた。


 ここにいる四名のうち、寺内美須香だけは仙台在住である。オフ会を目前にばっちり有給申請し、一日早く現地入りして東京観光でもしようかと考えていたところ、団長のストロガノフから山梨に遊びに来いと誘われた。

 で、行った。ストロガノフ、ガスパチョ、ゴルゴンゾーラの三人がリアルでの知人だというのはなんとなく聞いていたが、まさか幼馴染だとは思わずに仰天した。で、団長と副団長がゲームを始めるに至った経緯を聞いて感動のあまり泣いた。

 セルゲイの職業はレストラン経営者である。寺内は、ちょっぴり高級そうなレストラン(セルゲイ曰く『見かけだけ』)で、本場仕込みのビーフストロガノフをたっぷり味わい、夜は流石にビジネスホテルに泊まったが、ギリギリの時間までセルゲイらとナロファンの今後の展望について語り合った。


「そう、今後のナロファンですよ。どうなるんでしょうね」

「どうだろうな」


 ゲーム内では饒舌なストロガノフも、現実世界では物静かだ。必要なことしか喋らないタイプのようで、これはこれでカッコイイ。背が低いことを除けば。逆にやたら陽気なのはガスパチョの方で、ナマズひげのドワーフからは想像もできないシュッとしたイケメンなのが、やはりやたらギャップに感じた。


「ツワブキもあれからゲームにログインした形跡がないな」

「あいつ、今何やってんだろうな。オフ会には来るんだろうけどさ」

「いや……もう、あいつなどとは呼べないな」


 セルゲイ、和葉、斎藤の三人が口々にしゃべり、その後、異口同音にこう言った。


『運営様になっちまったからな!』


 そう、ドラゴネットの魔法剣士マギフェンサーとして、何度も騎士団に煮え湯を飲ませてきた石蕗一朗ツワブキ・イチローはシスル・コーポレーション及びポニー・エンタテイメントの最高経営責任者である。ナロファンの運営の一番偉い人なのだ。まさかそんなナンセンスなことはしないと思うが、垢バンひとつだって彼の采配如何なのだから、まぁおいそれと下手なことは言えない。

 広大にして狭小なアスガルドの大地に生きる、すべてのプレイヤーにとって運営様は神様である。その割にはゲームバランスがクソだの課金措置が露骨だの言いたい放題ではあるが、運営に逆らっては生きていけない。あからさまな悪口など笑って聞き逃してくれる運営かみの寛容さによって、プレイヤーたちは生かされているのだ。もちろん、信仰かねによって運営かみは生かされているので、結局は持ちつ持たれつなのだが。


 ともあれ、石蕗一朗は運営体のボスになった。

 すなわちそれは、すべてのナロファンプレイヤーにとって、石蕗一朗が神となったことにほかならない。


「あいつは、神となって俺たちの世界のために、世界の外で戦い続けるんだろう」

「主に経済界でな」

「なんかそういう言い方すると、壮大というか……なんかの小説みたいですね?」

「アニメやゲームでもよくあるパターンだ」


 またも四人の中で台詞が一周し、彼らは何やら感慨深そうに客車内の天井を見上げた。


「それはそうと、さっさと駅弁食べてしまわないとなぁ」


 その後、和葉がぽつりとそう言って、一同は膝上に置かれた、あまり食の進んでいない駅弁に目を落とす。


「だからセルゲイ、俺は〝高原野菜とカツの弁当〟にしようって言ったんだ」

「あれ無難なセレクトだけど、チキンカツと生野菜っていうおかずのチョイスが調理の努力を放棄しているようで好きじゃない」

「〝元気甲斐〟が良かった」

「ま、まぁまぁ。私、萩の月も笹かまも持ってきてますから。お弁当食べ終わったらお口なおししましょうよ」


 結局、不味いんじゃないか。

 というツッコミを入れることもなく、一同は黙々と、通夜のような食事を再開した。


 彼らを乗せた特急あずさ号は、現在大月駅を通過し、順調に新宿を目指していた。





 秋葉原の裏路地をちょっと進んでいったところに、アオノ商会というPCパーツショップがある。店の規模は大したものではなく、品揃えも決していいとは言えないが、各方面にツテのある女店主に頼み込めば、PCパーツに限らずたいていのものは代理購入してくれるということで、一部には知る人ぞ知るなんでも屋のような扱いを受けていた。まぁ、割とぼったくりなマージンを要求してくるのが、若干悪いところではあったが。


「エド、そろそろ時間じゃないの?」


 店内をうろつき、パーツを物色していた江戸川に、店主の坂田蒼乃が声をかけた。江戸川は腕時計を確認する。


「あー、確かにそろそろですね。親方はいかないんでしたっけ」

「親方はよしな親方は。アオノさんと呼べっつってんだろ」


 泣きボクロのチャーミングな妙齢の女店主は、タバコを灰皿に押し付けてからそう言った。


「あたしは行かないよ。まぁ兄ちゃん達にはよろしく言っといて」

「はぁ」


 江戸川は、目の前のカウンター席で新聞を広げる女店主と、ナローファンタジー・オンラインで最大規模の生産職ギルドを運営する髭面のドワーフの姿を、いまだにかぶせて見ることができず、少しばかり困惑した表情で彼女を眺めていた。が、しばしして、アオノは不機嫌そうな声で『なに?』と言ってきたので、慌てて視線をそらす。

 ひとまずこの秘密は胸にでもしまっておこう。秘密というほどのものでもないだろうが、アオノはあまり自分のリアルを他人にバラされたくはなさそうだ。江戸川は、軽く一礼をしてから、店を出ようとして、呼び止められる。


「なぁエド」

「なんですか?」

「ゲームは楽しいかい」


 それが意外と言えば意外な問いかけであったので、江戸川は動きを止めて振り返った。


「はい」

「そいつは良かった」


 店の軒先でもうしばらくつっ立ってはいたものの、アオノはそれ以上何かを語りかけてくる気配がない。江戸川は、足早に裏路地を出た。

 あのような質問をさせてしまうほど、自分はゲームを楽しんでいなさそうであったのだろうか。考えてみれば、そんな時期はあったのかもしれない。何に対しても余裕が持てず、プライドだけを持て余してカリカリしていた時期が、あったといえばあった。今も完全にそうでないとは思っていないが、それでもだいぶ大人になったというか、落ち着いたというか、そんな自負がある。


 これからオフ会だ。あの男も来る。


 江戸川は、JRの秋葉原駅に向かいながら、携帯を見た。アイリスからのメールには、日程の詳細と参加メンバーの一覧、当日の予定などが載っている。その参加メンバーの先頭に、ツワブキ・イチローの名前があった。

 彼がもう、ナロファンにログインしないのは、江戸川にもなんとなくわかっている。だがそれでも、石蕗一朗が江戸川にとって不倶戴天の仇敵であることには変わらないのだ。


 これからオフ会ではあるが、負けられない戦いでもある。

 江戸川はコンビニで栄養ドリンクを買い、それを一気に飲み干すと、駅の構内へと足を踏み入れた。





「あっ、やっほー。とまこまーい」


 成田空港のロビーで、雨宮翔子が思い切り手を振る。痩せぎすで背の高いコートの男は、キャリーバックを引きながら片手を上げてそれに応じた。骨と皮だけでできたような病的な顔立ちに、柔和な笑みを浮かべている。

 苫小牧伝助の帰国は、なんとかギリギリで間に合った。彼もこれからオフ会に参加であるから、まぁ、非常にご苦労なことだ。苫小牧が疲れているのかどうかというのは、元からホラーマンのような出で立ちであるからして、傍目にはよくわからない。


「初めましてですね。あめしょー。お互いに姿は知っていましたが、」

「まぁにゃー。でもさー、苫小牧、ホームページで見たときよりもっと痩せてるよ?」

「あれはナロファンを始める前の写真でしたからね……。あめしょーこそ、変装もせずに迎えに来てくれるとは思いませんでしたが」

「だってそんな売れてないしー。お小遣いみたいなもんだよ。アイドルなんてさー」


 そう言いつつ、翔子は上から下までをMiZUNOブランドの新作で固めており、それなりに華やかだ。以前のギルドスポンサー事件の際、協力の見返りとしてタダでもらったものだというのが翔子の弁である。いわゆる〝姫プレイ〟で有名プレイヤーとなった彼女ではあるが、まさかリアルでも似たようなことをしているとは思わなかった。


「フヨウとか見てるととみに思うんだけど、女の魅力って賞味期限つきだから、活用できるうちにしておかないとなーって感じだよね」

「考え方は人それぞれだとは思いますが、ほどほどにしておかないと火傷しますよ」

「ん、気をつけるー」


 空港のロビーを横に歩く翔子と苫小牧の姿は、傍から見るとなかなか異質な取り合わせである。


「で、ヨザクラの話はどうなりそうなの?」

「その件ですか」


 苫小牧は、ローズマリーが引き起こした一件については、すべて海の向こうから感知していたが、石蕗一朗の要請によって、思った以上に深く踏み込むことになった。帰国が遅れた原因はそれである。ハタムラ博士と共に、ローズマリーの自我を認めるためのレポートを作成せねばならず、本来の用向きも相まって、ギリギリまで向こうに滞在するはめになった。

 脳科学者としての立場からは、ナロファンを通して得られる電気信号に対するヨザクラ=ローズマリーの反応などをまとめあげねばならず、これ自体は苫小牧にとっても新鮮な驚きではあったのだが、結構な作業であることには、まぁ変わりなかった。


「私はできる限りのことはしましたよ。あとは、石蕗さんやシスルの皆さんに頑張ってもらうしかありませんね」

「そっかー」


 せいぜい、あのレポートが裁判でローズマリーの人格を認める一助になればいいと、苫小牧にできるのは、それを祈ることだけだ。


「おぉーい、苫小牧さーん、あめしょー」


 その折、二人を呼ぶ声が聞こえたので、彼らは同時に振り返った。

 様々な人が行き交う空港のロビーである。こちらを呼んできたのが誰なのか、いささかばかり迷ったが、何やら黒い服に身を包んだ地味な男が、手を振りながらこちらに歩いてくるのがわかって、声の主が彼だと確信付られた。


「誰?」


 だが、その正体までつかめたわけではない。翔子は聞きようによっては非常に辛辣な一言を、黒い服の男に向けた。


「フッ……」


 男はそう笑って、カバンの中から一冊の文庫本を取り出す。各所が擦り切れるほどに愛読されたそれは、今となってはプレミアものであろう〝ドラゴンファンタジー・オンライン〟の初版ぼんであった。苫小牧も翔子も、合点が行く。


「なんだキリリーか」

「よく私たちがわかりましたね」

「そりゃあネットで見た顔だし……」


 キリヒト(リーダー)であると思しきその男は、カバンに文庫本をしまいながら笑った。


「これからオフ会だなー。みんなどんな人なんだろうなぁ」

「んー、案外みんな、見たまんまな気がするにゃー。きみも、見たまんまのモブ顔だったし……」

「もっ、モブ顔……いや、キリヒトはイケメンだろ!?」

「あのゲーム、男アバターの8割がイケメンだから結果としてモブ顔じゃん。まぁぼくはイケメンに囲まれて大層楽しかったのだよ。ガイコツとモブ顔に挟まれた今も、それはそれで楽しいんだけど」


 雨宮翔子、言いたい放題である。キリヒト(リーダー)は何やら少しだけ複雑そうな顔をしていたが、その心象を言葉として描き出すことはなかった。モブ顔という自覚はあったのかもしれない。


 彼らは、空港から成田エクスプレスに乗って、そのまま新宿を目指した。





「そう言えば、今日はオフ会らしいな」


 裁判に関する打ち合わせの最中、著莪俊作がそんなことを言った。あざみは壁にかけられた時計を見て、頷く。


「そうですね。もうすぐじゃなかったかしら」

「まぁ今日までに石蕗の身の潔白が証明できただけでも万々歳だな」


 資料をめくりながらつぶやかれた言葉には、あざみも大いに頷く。

 人工知能ローズマリーの存在によって、一連の不正アクセスに関する石蕗一朗の罪状は取り消される結果となった。冤罪といえば冤罪なのだから、警察に対する非難も集中したのだが、まさか彼らもプログラムが自我を持って犯罪を行ったとは思わなかっただろうし、同情すべきところではある。

 この、プログラムが自我を持って行った犯罪という点については、どうやら各界に相当な衝撃を走らせたらしく、この事件の今後の処置をめぐって、日本の司法界は上から下への大騒ぎであったらしい。その中で、著莪俊作だけがとてもイキイキと動いていた。


 ローズマリーの存在については、今のところ公な発表はなされていないが、インターネット上では徐々に噂として広がりつつある。あれだけワイドショーを騒がせていた石蕗一朗逮捕のニュースも、『実は誤認逮捕でした』という発表以来、とんと音沙汰がなくなり、『何かの陰謀なのではないか』という突拍子もない、それでいて、まぁ流れるのもやむなしという風説が、大手掲示板を席巻していた。


「まぁ、俺たちの戦いはこれからだ。こういう言うと打ち切り漫画みたいだが」


 著莪は資料について一通りの説明を終えたのち、そのようなことを言った。


「そうですね。それで、ローズマリーの件は、どうなりそうなんですか?」

「ん、まぁ、プログラムに人格を認めたものとして裁判を行うか、行うとしてどれほどの年齢のどういった立場の人間として扱うのが妥当であるのか、あまりにも特殊な事例すぎるから、法整備が整うまで保留にしたほうがいいのかどうか。意見がいろいろ割れている感じだ」


 懐からタバコを取り出そうとした著莪が、あざみに睨まれて手を止める。この応接室は禁煙だ。


「今んとこ結論は出てないから、ひとまずプログラム作成者であるあざみ社長の責任を問おうって感じ。迷惑かけるね」

「いえ……」

「悪いようにはしないよ。変な方向からの圧力もあるだろうけど、まぁ、ほら、今回はうちのバックに、石蕗もいるしさ」


 それはわかる。彼と明確に言葉をかわしたわけではないが、今回の件でも、石蕗一朗が相当裏で動いていてくれているのは、あざみにもなんとなく理解できていた。ドライブ技術の発展に伴う法整備を認めない一派やら、何やら、そうした連中があざみやローズマリーを不利に追い込む動きを見せることは考えられてはいたらしいのだが、著莪の言葉では、今のところそれは驚く程小さな抵抗であるらしい。


 そこでふと、あざみ社長は、思い出したことがあった。


「そう言えば、ポニーの元社長は……」

「こないだ退院してもうすぐ裁判だよ。毒物及び劇物取締法違反で。不正アクセスの件については余罪追求中。本人は認めてるけどね。秘書の方が、自分の独断だって言っているからちょっとややこしいみたい」


 どうやらそのあたりにも、何やら複雑な人間関係がありそうだ。あまり追求するような余力もないが。


「ま、ひとまずそんな感じ」

「もういい時間ですし、一休みしましょうか」

「ああ、そうね。お昼食べに行く?」


 軽い調子で言う著莪に対し、あざみはにっこりと微笑んでこう応対した。


「お断りします」





 〝死の山脈〟の最奥部には、現在、ナローファンタジー・オンラインでもっとも標高の高い〝天剣山〟が存在する。天候の良い日には、アスガルドの全域を見渡せる絶好の展望スポットだが、昇るのが面倒くさい割に大して実りのあるMOBも出現しないので、観光目的で来るプレイヤーくらいしか見受けることはできない。


 黒のアクセルコートをはためかせ、その頂上に立ち尽くすひとりの少年がいた。


 天気は良いが風は強く、気を抜けばこの切り立った斜面を勢いよく転げ落ちてしまいそうだが、少年は危なげもなく、しかしただ頂上につっ立っているだけだった。その瞳に、様々な色合いを浮かべながら、眼下に広がる広大なアスガルドの大地を眺めている。


「いやぁ、今日はオフ会だねぇ」


 不意にそんな声がしたので、振り向く。いつの間にやら彼の背後には、相変わらずのうすら笑いを浮かべたエルフが、強風に身を縮こませるようにしながら立っていた。


「マツナガさん」

「やぁ、キング」


 短い挨拶をかわしたのち、二人は横に並ぶ。

 キングキリヒトもマツナガも、今回開催されるナローファンタジー・オンラインのオフ会には参加しない。今となってはそれが、そこに出席するひとりの男と言葉をかわす、たった一つの手段であったとしても、二人は特に参加の意思を表明することはなかった。


 吹きすさぶ風を一身に受けながら、黙ったままのキングに対し、マツナガは言葉を開く。


「勝ち逃げされちゃったなぁ、キング」


 わずかに、キングキリヒトの表情に変化が浮かんだ。

 彼を最強のソロプレイヤーから準・最強のソロプレイヤーに叩き落としたドラゴネットの魔法剣士マギフェンサーツワブキ・イチローは、もうこのアスガルドには存在しない。アカウントさえも綺麗さっぱり消されてしまって、彼の実在を裏付けるものは、この〝死の山脈〟に残された、無数の課金剣のみである。


 結局、キングキリヒトが、彼に対してリベンジを行う機会は、与えられなかった。

 勝ち逃げされたとは、そういうことである。キングは、イチローがいなくなったから、晴れて自分が最強プレイヤーだと胸を張れるようなお気楽な考え方はできなかったし、そこに関してイチローが何か言葉を残したわけでもない。結果として、それがキングの胸中に大きなしこりを残しているように、マツナガには見えた。


「まぁ、良いんじゃないの」


 どれだけの沈黙があっただろうか。その後、キングキリヒトはそのように呟いた。


「オレ、ゲームって分野じゃ、お母さん以外に負けるつもりはなかったんだけどさ。まぁでも、このゲームに関しては、おっさんの勝ち。おっさんがゲームを抜けちゃったから、オレの負けだよ。それで良いんじゃないの」


 単なる敗北宣言は、キングキリヒトには似つかわしくない。その言葉の意味を測りあぐね、マツナガがキングの横顔を見ると、少年は何やら非常に清々しい笑顔を浮かべて、空を眺めていた。清涼さの中に一種の攻撃性を秘めた、決意を固めた人間の顔である。


「オレも二学期には脱ひきこもりだし、良いよ。次は、オレが、おっさんの舞台に上がって、勝負してやる。どんな内容になるのか、知らないけどさ」


 キングは、腰に下げたXANをずらりと抜き放って空に掲げ、届くともしれない誰かに向けた挑戦の声を、高らかにあげた。


「次は負けねー」





「僕も最初は、渡してもいいかなって、思ったんだよ」


 石蕗一朗は電話を片手に、何やらうんざりした顔で言っていた。出かけの支度を整えた桜子はそわそわしながら、時計と一朗を交互に見つめている。そろそろ出発しなければ、待ち合わせの時間に遅刻してしまうのだが。どうやら一朗の電話相手は執念深い。


『お父様、』


 石蕗家に新しく設置されたスピーカーから、ローズマリーの淡々とした声が聞こえた。一朗が電話の最中なのを慮ってか、ボリュームは控えめだ。


「なんでしょう」

『イチローは、誰と何を話しているのですか』

「あー、たぶん、お父さんだと思いますよ。一朗さまの」


 石蕗一朗の父にして、ツワブキコンツェルン総裁・石蕗明朗である。一朗いわく、小心者にして陰謀屋。人心掌握術と経営術に関しては目を見張るものがあり、一朗自身も、密かに尊敬しているが本人には秘密だと、何度となく漏らしたことがる。が、今の会話を見る限り、その尊敬の素振りは、一切見ることができない。

 明朗が一朗に対してかけてきた電話の内容は、桜子にもおおよそ把握ができていた。今回のローズマリー事件に際して、日本の株式市場は大変動を見せた。結果として、一朗の手元には大量の株と、企業経営の実権が残されている。明朗は、おそらくそれをグループに入れたがっているのだ。


「でも、シスルやMiZUNOや、まぁあとはナロファンの運営とかさ……。いろいろやってるうちに、これはこれでちょっと面白いかなって……あー、ナンセンス。そう怒らないように。うん、あぁ。それも良いかもしれないね。父さんと僕のどっちが経営者として優れているかは、ちょっと興味があったんだ」


 だがどうやら、一朗はそれらの実権を手放すつもりはまるで無い様子である。まるで人を食ったような物言いを聞き、桜子は、いくらかばかり明朗に同情した。どうやら彼は、こともあろうに実の息子から喧嘩を売られている様子だ。


「とりあえず、これから僕は出かけるから。もう切るよ。うん、ああ、ナンセンス。どうせ、正月には曾爺さんの家に来るんだろう。話はそこでじっくりしよう」


 一朗はそう言うと、半ば一方的に通話を切った。


「お待たせ」

「お疲れ様です、一朗さま」

『お疲れ様です』


 あの事件から数日が経った。なかなかめまぐるしい数日間だったことは、桜子も覚えている。一朗の無実が証明され、しかし真犯人であるローズマリーが〝押収〟されそうになったが、一朗と著莪、くわえて染井がいろいろと手を回した結果、この人工知能はまだ石蕗家にいる。現在はマンションのセキュリティメンテナンスを一手に任され、正式な契約と共に給料も発生していた。

 ローズマリーが快適に過ごせるよう、家の中にはスピーカーが設置され、ついでに監視カメラを設ける案も出たが、桜子の強固な反対によって移動式のカメラになった。ローズマリーの〝目〟となるこのカメラは、残念ながら自走はできないため、基本的に桜子か一朗が持って移動する。


 で、このたび、彼女はオフ会にも飛び入り参加する運びとなったのである。


 桜子の持ったカバンの中には、ローズマリーとの通話専用の携帯電話がある。これに、カメラ機能を常時オンにしておくアプリケーション(一朗自作)をインストールしておけば、ローズマリーの端末として機能するというわけだ。ちょっとしたSFである。桜子も心が踊る。


「それにしても、オフ会かぁ」


 玄関に向かう途中、一朗がぽつりと呟いた。


「オフ会ですねぇ。でも、まだ私達、みんなと知り合って二ヶ月しか経ってないんですね」

「そうだね」

「この二ヶ月、いろんなことがありましたね」

「そうだね。いろんなことがあった」

「濃厚な二ヶ月でした」

「うん、人生で3番目くらいに濃厚な二ヶ月だった」


 一朗がさらっとぶち壊すようなことを言いかけたので、桜子は思わず半眼になった。が、一朗は当然の面の皮であって、さして気に留めた様子もなく、だがいつもどおりの涼やかな笑顔に別の感情をにじませながら、こうも言った。


「でも、一番楽しい二ヶ月だったかな。この夏は、本当に楽しかった」


 それは石蕗一朗の、偽らざる本音であろう。ならば、桜子は、そこに言葉を介入させるべきではない。ローズマリーもそう判断したのか、口を挟んでくる様子はなかった。

 靴を履き替えて玄関を出る。その直後、桜子はふと思い立ったように声をあげた。


「そうだ、一朗さま」

「ん?」

「そう言えば、一朗さまが珍しくお怒りになったと聞きましたけど」

「ああ、二回も怒っちゃったね」

「それって、」


 桜子はやや遠慮がちに口を開き、やがてこのように尋ねた。


「私とローズマリーのためだったり?」


 一朗はフッと笑うと、青いケーニッグセグの鍵をくるくると回しながら、早歩きで答える。いつも通りの涼やかな振る舞いに、そろそろ秋めいてきた風が混じり、彼の言葉を運んできた。すなわち、一朗はこのように言った。


「ナンセンス」

そんなわけで書籍化します。

後日談を兼ねた番外編も連載中なのでよろしくネ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 再読しました、 やっぱり面白いですね、良い物語をありがとうございます。
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