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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『ローズマリー』編
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第一一二話 御曹司、罷り通る(1)

 近現代における日本の経済史を語る上で、その日は、外すことのできない一日となったことだろう。

 凄まじい勢いで変動する株の値動きは、東京証券取引所を悲嘆と恐慌の坩堝へと叩き込んだ。多くのデイトレーダーは憤死せん勢いで生活保護受給者へと転身し、某掲示板の市場実況板ではおおよそ理性ある人間が書き込んだとは思えない、悲鳴じみた内容のものが相次いだのである。

 それは決してひとりの手によって起こされたものではなかったが、まぁ、それでもだいたいはひとりの手によって起こされたものであった。怪物というのはどこにでもいるのである。


 今回の怪物は、株式市場をひとしきり荒らしまくったあと、ぱったりと姿を消してしまった。あとに残されたのは焼け野原である。事情と怪物の人となりに詳しいある男は、今回の件について、『あいつ怒らせると本当に何するかわかんねーな』と語った。

 だが、怪物はこの大暴れの最中、一通りの種まきをしていたのである。撒いた種が発芽し、絶望の花を咲かせるのは、ほんのちょっとあとの話だ。怪物はそれまでの間、彼自身に与えられた決して少なくない時間を有効活用するために、とある事務所に向かったに過ぎない。

 当然、その事務所で怪物が大人しくしているかと言えば、そんなはずはなかったのである。


 怪物・石蕗一朗の要求に対して、その男は顎が外れんばかりの大口を開くことで、かろうじて驚きを示すことができていた。

 男は、国内大手の通信事業者に勤務して早35年。就職当初は学もない凡愚であったが、人一倍職務に誇りをもって働き、現場からの叩き上げで現在はひとかどの地位を築いている。東京都内、世田谷区の一角に設けられた通信局支部を任せられ、公私において一国一城の主となった。定年までの歳を数えるようになった彼の人生に、突如として現れた怪物。それが石蕗一朗である。


「指定エリアの通信回線をすべて遮断しろと……そうおっしゃるんですか」

「うん」


 石蕗一朗の返答は短く、しかしそれゆえに有無を言わさない。残酷なまでに単純でわかりやすい。


「いったい、なんの権限があってそんなことを」


 石蕗一朗が、本社の株の何パーセントかを保有していることは知っている。だが、筆頭株主や支配株主というには遠く、無視して差し支えないとは言わないが、営業に直接口を出せるようなものではないはずだ。だが、石蕗一朗はこのように言った。


「順番を追って話そう。僕は昼過ぎくらいに、この会社の株を買おうとして、公開買付けの公告を出した。まぁ当然、株を買い占められてはたまらないから、会社の方も防衛策に出るよね。無理やり買い取っても良かったんだけど、時間があまりなかったので、条件を出して公開買付けを取り下げた。以上だけど、何か質問は」

「なんだってそんなことをするんです!」

「それは言えない」


 石蕗一朗の佇まいは、涼やかというよりは怜悧である。昂ぶった感情を強制冷却しているようにも見えた。

 だが、相手にどのような事情があったとして、たとえ会社がその条件を飲んでいたとして、やはりおいそれと首を縦に振れない話である。エリア全域の通信回線の遮断など、まともな考えでないのは明らかだ。しょせんはインターネット回線であって、電気や水道といった致命的なライフラインなどとは本質的に異なる。首肯の邪魔をするのは、ひとえに技術者としてのプライドだった。


「もちろん、エリア全域の回線を遮断することで、クレームは来るだろうし、この事務所の対応が糾弾される可能性はある。でも、君や、この事務所の職員たちにも悪いようにはしないという約束だ」

「そういう話をしてるんじゃない!」


 男は声を荒げた。


「一個人の勝手な都合で、公共の設備をどうこうしようってのが、納得できんのです!」


 頑なに口を閉ざし、理由を語ろうとしないのが、更に男を苛立たせた。正当な理由やもっともらしい都合があるのなら、男は無理やりにでも自分を納得させることができたのかもしれないが。


「君が納得できないというのは、それは仕方がない。でも両者の信念がぶつかる以上、そのどっちもが残るなんてことはあり得ない。君がどうしてもと言うのなら、僕はもう少し強引な手段に出ることもできる」

「罷りなりませんぞ、そんなことは!」

「ナンセンス」


 一朗は、片手をポケットに突っ込んだまま、片手をあげる仕草で短く言った。


「君は知らないかもしれないが、そのようなことを言われて、罷り通らなかった事例というのは存在しない。無理は道理を駆逐するから、あまり好きじゃないんだけど、それでもこの場合は言うべきだろう」


 彼の言葉は常に冗長で芝居がかっている。だが、男のみならず、その場にいた全員が、まるでよくできた演劇を眺めているかのように、一朗の言葉から意識を外せなかった。


「すべての道理を蹴っ飛ばしてでも、そこは理不尽ぼくが通る道だ」


 結局のところ、いかなる手段を駆使してでも無理を押し通す覚悟がある以上、彼をとどめる手立てなど、ありはしないのだ。財力を振りかざした焦土作戦が、あとにどれだけのものを残すか、石蕗一朗だって知らぬはずはあるまい。だがそれでも彼は、理不尽を罷り通すつもりであった。

 男が歯を食いしばって机を叩く。ふつふつと湧き上がる憤りに耐える仕草であった。だがそれは、同時に事実上の降参宣言でもある。一朗はひとこと短く『ありがとう』とだけ言って、彼の脇をすり抜けた。我が物顔でオフィスに立ち入り、通信回線の管理システムを覗き込む。


 量子通信の実用化により、ここ数年で急激に発達した通信技術だが、インフラの整備は一筋縄ではいかなかった。くわえて、IPアドレスの枯渇により国内全域のアドレスをIPv4からIPv6に移行する動きがあった。それらの要因から、現在、量子通信によるインターネット回線はエリアごとに一括管理されている。

 一朗が回線を遮断するよう要求したのは、世田谷区三軒茶屋の一区画、いわゆる高級住宅街のある並びである。その場の職員は、若干やりにくそうにしながら、一朗の視線を受けてキーボードを叩いた。


 ふと、


 一朗が画面を眺めながら首をかしげる。


「データバスすごいね。いつもこんな感じなの?」


 彼が指摘する通り、現在、指定エリア内の一部の量子通信回線において、相当量のデータの送受信が行われている。これが電気通信などであれば、とっくに回線がパンクしていてもおかしくはないレベルのものであった。職員は、遠慮がちに答える。


「えぇと、このエリアのデータの送受信は今年の7月くらいから増大はしていたんですが、これほどのものは……あまり」

「あまり、っていうのは、何回かはあったんだ」

「はい。7月の終わり頃に、一度」


 その言葉を聞いて、一朗は目を細めた。顎に手をやり、しばらく何かを考えたのちに、小さく『ふっ』と息を漏らす。


「なるほど」

「あの、えぇと、では回線の方を……」

「いや、良いや」

「はい?」


 急に手のひらを返すような発言である。職員は聞き返した。思わず見上げると、一朗の表情は、それまでのただ怜悧なものから、どこか穏やかさが混じったへと変わっている。


「急いで回線を遮断する必要がなくなった。騒がせて申し訳なかったね」


 一朗はきびすを返してオフィスルームの出入り口に向かう。ふと、メールが届いたのか、静まり返った部屋にバイブレーションの音が響く。彼は懐から携帯電話を取り出して、その画面を眺めた。

 いったい何がどうなっているのか。オフィス内の空気は困惑したままだ。

 一朗は、携帯の画面をしばらく見つめたあと、どこか満足そうな笑顔を浮かべて、それを懐にしまう。


「あざみ社長もエドも、めぐみさんも、みんな、なかなかやるじゃないか」


 支部長である男は、その言葉の意味がわからない。ひとまず、たずねる。


「あの、石蕗さん?」

「あぁ、うん」


 一朗の笑顔は、何かが愉快でしょうがないといった様子である。ここまでくると、何がなんだかわからないというよりは、いささか不気味だ。


「ひとまずここでの用事はなくなったので、帰るとしよう。邪魔したね」


 そう言うと、彼はこちら側の疑問を解消することなど一切なく、本当にオフィスをあとにしてしまった。ぽかんとした様子の男と、職員たちだけが取り残される。


「け、結局彼は何がしたかったんでしょうか」

「カネ持ちの考えることはよくわからんな」


 管理画面に表示された指定エリアのデータバスは、今なお上昇を続けていた。





「よう」


 黒ずくめの少年は、片手をあげて挨拶する。最強のソロプレイヤーから、準・最強のソロプレイヤーに転落したとして、彼を語る伝説に凋落の兆しはない。一切のフレンド登録を行わず、あらゆる状況においてソロ攻略を貫く孤高のプレイヤー。その正体を知るものは誰ひとりとしていない。結局のところ、実年齢も性別も察しがつく程度のものであって、そこに確証を得られた者は、やはり皆無だろう。

 彼のふてぶてしい態度は相変わらずだった。キルシュヴァッサーに対してか、その腕の中でぐったりとしたヨザクラに対してか、短い挨拶を背中越しに行っただけである。


「どうしてここが……?」

「あの、なんだっけ。メガネの人に聞いた。ケキャーッとか言う人」


 苫小牧か。しかし、この仮想空間は、完全にゲームとは遮断されたはずではなかったのだろうか。

 キルシュヴァッサー=桜子の疑問は尽きなかったが、それ以上に不可解な行動を、キングキリヒトはとった。目の前に表示されたポニー社のエンブレムと、メッセージウィンドウに対して、愛剣を構えて見せたのだ。メッセージウィンドウに平坦な文字の羅列が浮かぶ。


『無駄です』

「ふぅん」


 キングキリヒトは特に気にした様子もない。


「でも、おっさんならこう言うんだろ。無駄かどうかは、自分が決めるってさ」


 彼の構えはあくまでも気だるげだったが、剣を構え、それを突きつける仕草は堂に入っていた。


「ナンセンスだぜ」


 そしてちょっぴり声が弾んでいた。一度言ってみたかったのかもしれない。

 だが、しかし、実際無駄ではないか。桜子は首を傾げた。相手はデータが設定されたゲームのボスなどではない。あの社章はいくら攻撃をくわえたところで、悲鳴をあげて崩れ落ちることはないし、この世界のどこかでローズマリーの解体作業をすすめる誰かが、傷を負うことは決してないのだ。

 だが、キングキリヒトはXANを構え、その能力を開放した。剣身から進化したエフェクトグラフィックがほとばしり、仮想空間を震動させる。その光景を眺めながら、ヨザクラが呟いた。


「キリヒト、」

「なに」

「私の質問に答えてください」

「後で良い?」


 突き放すようなキングの言葉に、ヨザクラはしばらく黙り込む。


「しかし、私は、もう、」

「あぁ、そうか」


 キングは、頭を掻いて振り返った。彼はじっとヨザクラを見つめ、肩をすくめる。


「言ってなかったっけ。心配はいらねーよ。オレはあんたを、」

「助けにきたぞ!!」


 仮想ジャングルに胴間声が響く。キングキリヒトが登場したときのように、空間に亀裂が入り、それを叩き割るようにして姿を見せたのは、赤髪鷲鼻の巨漢であった。体高3メートルはあろうかという怪物馬にまたがり、魔剣サワークリームを片手で掲げている。

 セリフを潰されたキングは、小さく舌打ちをしてそれを見た。


「もう来たのかよ」

「それはこちらのセリフだ! この後に及んでまたキングに見せ場を持って行かれたとはな!」


 赤き斜陽の騎士団レッドサンセットナイツ団長ストロガノフの声は、忌々しげというよりも、どこか楽しげである。

 ストロガノフは馬を降り、ぽかんとした様子の桜子を見て大きく笑った。


「フハハハハハハ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔だな、キルシュヴァッサー卿!」

「心配はいりません。あとは任せてください」


 あとからやってきたティラミスも笑顔で言う。そこには、騎士団の分隊長までもが勢ぞろいしていた。いったい何を、何をするつもりなのだ。桜子の混乱が加速していく。だが、腕の中のヨザクラが、キルシュヴァッサーの鎧の端をつかみ、ぐっと力を込めるのがわかった。


「みなさんは……私のために……?」


 桜子は、その言葉を受けて彼女を見つめた。そうだ。状況はわからないが、ひとつだけ言える真実がある。


「はい」


 どうやら、解体者もこの状況がよくわかっていない様子であった。もう一度、『無駄です』という文章を入力しただけで、とりあえず彼らが邪魔をしようとしているのだけは察したものの、それに対してどのような対抗策を取ればいいのかもわかっていない。

 キングキリヒトと、赤き斜陽の騎士団は、一斉に武器を構え、ポニーの社章に向けて突撃した。


「下がっていてもいいんだぞ、キング! この戦いではお前は大して役に立たん!」

「言うじゃん」


 キングが《バッシュ》を放つと、能力解放されたXANが光のエフェクトを増大させ、ジャングルの木々を突き抜けるように鮮烈な光が視界を焦がす。続くストロガノフの《ダウンバースト》、ティラミスの《パニッシュメント》、パルミジャーノの《コメットカノン》が、次々と炸裂するも、当然発生するダメージはゼロだ。

 攻撃のさなか、ストロガノフが叫ぶ。


「本命はお前だ、行け! ゴルゴンゾーラ」

「うむ」


 それまで詠唱状態に入っていたゴルゴンゾーラが、拳を天に掲げる。フィールドの光景が一瞬にして書き換えられ、星々の煌く宇宙空間が出現した。やがて銀河は収縮し、それがある一点を迎えた次点で、大規模な爆発を起こす。ナロファンにおいてもっともド派手なグラフィックを誇る大規模魔法攻撃アーツ《ギャラクシアンエクスプロージョン》であった。


「おや、始まっていますね」


 背後の声に振り向くと、そこには双頭の白蛇デュアル・サーペントのリーダーが、ハイドコートをはためかせながら立っていた。


「ま、マツナガさん……」

「大したもんでしょう、なかなか見られる光景じゃありませんよ。こんな豪華なメンツはね」

「でも、どれだけ攻撃してもダメージは……」

「いや、ダメージは確実に入っていますよ。俺たちが攻撃しているのは、別に、あの社章ってわけじゃないんで」


 マツナガがぱちんと指を鳴らすと、砂煙を巻き起こし、地面の中から一斉に飛び出してきた無数の影があった。パステルカラーの色彩に、春の彩を添えた忍装束! 夏の終わりに薫るファンシーな異装と、ギャップを狙ったかのような般若面は、彼らの不退転の決意を示していた。

 アスガルドの大地に幻と謳われた、双頭の白蛇デュアル・サーペントのゆるふわ忍者軍団である! ナムアミダブツ!


「お父様、」

「な、なんでしょうか」

「解体の進行速度に遅れが出ています」

「なんですって?」


 そう言って、桜子は改めて周囲を見渡した。前方で社章に攻撃を加えるキングキリヒトと騎士団、背後で無駄にキレのあるダンスを踊るマツナガとゆるふわ忍者軍団、そのいずれもが、動作にどこかラグが発声しているように見える。このとき、彼女は完全に理解した。マツナガの言葉の意味。彼らが攻撃している、その対象を。


「オペレーション・ファイナルファイブ。それがこの作戦です」


 激しいダンスを披露しながら、マツナガが言った。


「すなわち、F5作戦……」


 なんという恐ろしい作戦であろうか。かつてツワブキ・イチローがデルヴェ亡魔領で行い、運営かみの手によって禁じられたあの恐るべき手法を、忌まわしき禁断の秘術を、今ここで執り行おうというのである。彼らが攻撃しているのは、社章でもなければ、解体者の本体でもない。この仮想空間とローズマリーが保管されているサーバーそのものなのだ。


 いまこの瞬間にも、仮想空間のそこかしこに亀裂が入り、有志のプレイヤーたちが続々と集結しつつあった。

続きは夜10時くらいにでも。

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