第十話 御曹司、錬金術師を口説き落とす
杜若あいり。服飾デザイン系の専修学校に通う17歳である。
将来の夢は、アパレルデザイナーだ。
「あんた、今なんて言ったの?」
自分の作ったアクセサリー類が完売した喜びも忘れて、アイリスは不機嫌じみた声を漏らす。
こいつ、『君の顔が気に入った』と言ったか? 新手のナンパ師か何かなのか?
VRMMOの増加と、ネカマ文化の衰退に合わせて、当然ながら増加したのがこうしたバーチャルリアリティ・メタバースにおける『ネットナンパ』である。VRMMOで偽ることができる容姿は、それまでのオンラインコミュニティにおけるアバター設定とは、比べ物にならない重要性を持つ。
現実世界ではお目にかかれないような(当然である)金髪碧眼の美男子が、耳元で甘い言葉をささやいてくるのだ。自分のガードはきっちりカタいと思っていても、意識がグラついてしまうことはある。逆ナンの件数はそこまで多くはないが、中には気合の入ったネカマ(ひょっとしたらリアルオカマかも)もいて、彼らに篭絡されたことで記憶にトラウマを刻んだ男性プレイヤー諸氏も多いと聞く。まぁここでは余談だ。
とにかく、目の前のドラゴネットも大概に美形である。アイリスがナンパを疑ったのも無理はない。
「僕の防具を作ってみる気はないかって聞いたんだけど」
「その前よ」
「ああ、君の顔が気に入ったってこと? 気に触ったんだったら謝るよ。確かに、客観的に見て僕のほうが美形だよね」
何言ってんだこいつ。
「あんた、自分の防具を作らせるのに、顔を基準で選ぶの?」
「現実世界ではそうでもないけど、まぁこの世界ではね。君の顔、自作だろう?」
どきりとした。図星なのだ。
最初のキャラクターメイクを行うとき、アイリスは無数に選択できる顔パーツに、あまり魅力を感じられなかった。延々と数時間悩み、ああでもない、こうでもないと組み合わせを考えたが、結局どこかが気になってしまうのだ。悩みに悩んだ末、彼女は深夜のコンビニでウェブマネーを購入し、3Dモデリングソフトをダウンロードして、再びキャラメイクに臨んだ。
完全な自作ではない。が、自分の気になる部分に修正をかけ、更に他のプレイヤーではカスタマイズできないような細かい部分をちょこちょこといじった。結果として、この世界では誰も真似することのできない、唯一無二のキャラクターフェイスとなっている。アイリスの自慢のひとつである。ただ、それを指摘されたことは、今までで一度もなかった。
更に男は、アイテムウィンドウから幾らかのアイテムを選択し、オブジェクト化する。アイリスのデザインしたオリジナルアクセサリーだ。
「それ……」
「これも君が直接デザインしたものだろう。まぁ、ちょっとポリゴンが荒いから心配だったんだけど……」
「そ、それはその……学校帰りで疲れてたからよ! あたしの顔はカンペキでしょ!」
何言ってんだ自分は。
「うん、君の顔を見て安心したよ。1からデザインした防具が欲しくてね。このグラスゴバラでも、そういうのを作っているところはなかったんだ」
アクセサリー類を全部買い取ってくれたのは、この男だったのか。そこは素直に嬉しく思う反面、やはり複雑な気持ちもあった。嬉しく感じるのは、オリジナリティを重視する自分の努力を認めてみらえたこと。複雑であるのは、決してデザインそのものに対する評価ではなかったということ。ただ、やはり比率で言えば嬉しさのほうがじゃっかん大きい。
男の、ツワブキ・イチローの提案は、それ自体は非常に魅力的なものであるように感じた。防具のデザインをお願いしたいという男の相談は、折れかけていたこのゲームに対する好奇心を、ゆっくりと立て直してくれる。
だが、
「あたし、《防具作成》のスキルレベル、そんなに高くないわ」
生産職系のスキルにも複数ある。最初に取得できるのは《錬成》《製鉄》《細工》のみで、《製鉄》のスキルレベルが一定に達すると《武具作成》と《防具作成》が取得できるようになる。彼女も、いつか防具を作れたらという夢はあったので、スキル自体は取得しているのだが、如何せんそのレベルは高くない。この男がどのレベルの防具を要求しているのかはわからないが、オーダーメイドを依頼してくるような高プレイヤーの装備が作れるほどとは思えないのだ。
こんなことなら、少し寄り道をしてでも地道に鍛えておくんだった。
後悔がじわじわと這い登ってくるが、今から鍛えても間に合うものではないだろう。
「とは言っても、もう君くらいしかアテがないんだ」
だが、男の返答はそれだった。
「僕は、防具の生産過程にあまり詳しくないから、できるかどうかわからないんだけど。オリジナルデザインの際に発生するリアルマネーなら僕が負担してもいい」
「それは……『生産』カテゴリのギルドに加入すれば、できたような気がするけど……」
なんだか、こちらの意思をおきざりにして、どんどん話が進められているような気がする。
「じゃあギルド作ろう」
「あ、あんたマジで言ってんの?」
「ナンセンス。僕は常に本気だよ。まぁ、人によっては正気に見えないこともあるらしいし、そこは否定しないんだけどね」
依頼主が、単純に防具作成のリアルマネーを負担するくらいならば、アイリスもそこまで引け目を感じるわけではない。むしろ、『通貨は払うから、実費は君が』なんて言っていたら、ぶっ飛ばしていたところである。
問題は、アイリスの《防具作成》レベルが非常に低いということ。その意味を、この男はわかっているのだろうか。防具の作成に失敗するということは、単に素材がおじゃんになるだけでは済まないのだ。
少なくともアイリスの作るアクセサリーの生産工程においては、まずは素材を魔法陣の上にひとまとめにし、ポップアップウィンドウからデザインを決定する。この際、3Dモデリングソフトを使用して作ったOBJ形式ファイルをドラッグ&ドロップすることで、完全なオリジナルデザインに変更できる。
3Dモデル最適化の手数料が発生するのは、このタイミングなのだ。つまり、作成に失敗すれば、その手数料まで無駄払いになってしまう。あまりにも不親切な設計であると言わざるを得ないが、もともとこのゲームはアイテム製作に主眼をおいた作りではないのだし、ご丁寧に『作成に失敗した場合、料金は戻ってきません』とのアラームメッセージも3回出てくる。そのあたり、アイリスはもう諦めていた。
防具のオリジナルデザインを手がけたことはないが、おそらく、手法としては同じだろう。
その金額を負担するということはつまり、アイリスが失敗し続ける限りにおいて、男は金を払い続けるということである。見たところ、課金プレイヤーではあるようだが、何度失敗するかわからない挑戦だ。せめて、上限というか、
「限度額とかは……」
「あー、限度額は言わないようにって、銀行から口止めされてるんだ。まぁ君が心配するような額じゃない」
「誰がクレカの限度額つったのよ! あんた破産する気!?」
「ははは、ナンセンス。いや、面白いジョークかな。僕が破産したら世界経済が壊れちゃうね」
どうやら正気じゃないというのは本当らしい。
「あー、もう。いくらかかっても知らないわよ」
「ナンセンス。良いものを買うのにお金は惜しめないよ」
アイリスは、メニューウィンドウを開いて、コンフィグから描画ツールを呼び出す。ゲーム中、簡単に絵を描くことは、筆やチョークなどを使えばできるのだが、このソフトはより精密な線画ができ、pdf化してパソコンやスマートフォンにも転送できる優れものだ。3Dモデリングソフトと互換性があり、デザインを3D化させるのに非常に便利なのだが、どちらかというと攻略組や検証組に人気のあるソフトウェアだった。
「で、どういうデザインが良いのよ」
「そうだな。このブローチに合うものがいい」
そう言って、男はアイリスの作ったアクセサリーのひとつをオブジェクト化する。青い蝶のブローチ。とりわけポリゴンが荒くて、ちょっと恥ずかしい代物だ。
「そ、それ……女性装備用なんだけど……」
「うん? 見たところ性別制限はないし、デザイン次第では男にも似合うんじゃない?」
確かに、女性用を意識したとは言え、それはこのゲームで流通する女性用装備が戦闘的デザインでない、いわばファッショナブルなものだからだ。
男性用装備の大半は、戦闘的な格好良さを追求したデザインで、中世ファンタジーのような重装鎧から変身ヒーローのようにスタイリッシュなものなどが目立つ。これらに蝶のブローチは似合わない。
つまり、男の要求するデザインは、自然、現代的なアパレルに近い代物ということになる。
なんだか創作意欲が刺激されてきた。露店の軒先に腰掛けると、筆を執り、描画ソフトのキャンバスに自分のイメージを描いていく。ちら、と男を見ると、なんと相手もまったく同じ描画ソフトを起動させていた。そういえば、このドラゴネットの顔も、ゲーム内で見かけないパーツで構成されている。ひょっとして、同業とまではいかなくとも、美術畑の人間なのだろうか。
「ああ、このソフト、いま君のを見て買ってみたんだよ」
お金をなんだと思っているんだ。
だが、男も手馴れた仕草でつらつらとデザイン画のようなものを描き、アイリスのウィンドウに向けて転送してくる。
「それ、僕の現実世界での私服。まぁ、最終的には君のセンスに一任するけど、僕はそんな服が好きだな」
転送されてきた画像は、カジュアルともフォーマルとも判別しがたい。ただ、上品さの中にもお洒落さを失っていないデザインだった。青みがかったシャツに、カフスボタンまである。私服とは言うが、ひょっとしてこの人、いいところのお坊ちゃま?
「この蝶のブローチ、ヘレナモルフォに似ているね。モルフォ蝶の中でも、僕はヘレナの斑紋が一番好きだな。現実感のないブルーの濃淡と、うっすらとしたイエローのデザインが神がかり的だと思う」
ブローチのデザインは、インターネットで適当にキレイな蝶を探してモチーフに選らんだに過ぎない。だが、描画ツールでその仔細なイメージ画を描かれつつ(よくもまぁ調べずに描けるものだ)そんなことを言われてしまうと、若干立つ瀬がない。
なんとか苦心してデザイン画を完成させようと頭を捻っていると、男はふと顔を挙げた。
「おっと、ごめん。夕飯に呼ばれてしまった」
「へぇ、あんたもお母さんには弱いんだ」
「母は別居中。まぁ僕も母さんは苦手だけどね。ご飯を作ってくれるのは使用人だよ」
これ、どこまで本気で言っているのだろうか。
「ご飯食べたらまたログインする?」
「どうかな。時間があったらしたいけど、最近はちょっと片付けなきゃいけないことも多くてね」
「じゃ、じゃあ……、フレンド登録していい?」
どうしてそこでつっかえるのか。このゲームで男のフレンドを作るのは初めてかもしれない。
「いいよ」
彼はあっさりそう言って、フレンド申請に承認ボタンを返してくれた。
アイリスがゲームを始めたときのフレンド達と会わなくなって、もうかなり経つ。自分がこのグラスゴバラで生産職に生きると決めたとき、応援してくれた彼女たちは、今どのあたりを攻略しているのだろうか。ちょっとセンチメンタルになりそう。
「そういえば、あたし、あんたのことなんて呼べば良い?」
「好きにすれば良いんじゃない。ツワブキでもイチローでも御曹司でも。まぁ、最後の呼び方はあまり好きじゃないんだけど」
「じゃあ、御曹司で」
この男のイヤミな立ち振る舞いにはぴったりな呼び方ではないか。何より、アイリスは著名な日本人大リーガーのファンだったので、イチローとは絶対に呼びたくなかった。
御曹司は、別段イヤな顔をするわけでもなく、肩をすくめてからログアウトする。残されて、アイリスはまた描画ツールに向かった。
防具のデザイン、やらせてもらえるんだ。
誰とも言葉をかわさなくなって数分、実感だけが遅れてやってくる。
自分の将来の夢は、アパレルデザイナーだ。欲を言えば、衣服のファッションだけに注力していけたらと思っている。道が険しいのは承知の上だ。本当は、こんなゲームなんかやって、息抜きしている暇はないのかもしれない。
でも。
今の自分がやらせてもらえることは、絶対に無駄ではないはずだ。たとえそれが、1と0だけで構成される、虚構の存在であっても。彼女はいま、アパレルデザイナーとしての第一歩を踏み出した。
この感覚だけは、電気信号が生み出す錯覚などでは、ない。




