第九十九話 御曹司、語る
「夏は全身を白やパステルで固めるファッションが流行りましたけど、これから秋冬に入りますから、軽めの色はワンポイントに抑えておくのが良いと思いますわ」
「ふんふん」
「今年の秋冬は千鳥格子が流行ると言いますし、こちらと合わせるのがいいかもしれませんわね」
あいりの突発的な相談に対しても、芙蓉は丁寧に説明してくれた。彼女のスマートフォンには、流行を抑えたものから、少し古めのものまで、様々なファッションのデザイン画が画像ファイルとして保存されており、それだけでもうあいりにとっては立派な教材である。むしろ宝の山である。垂涎である。
最近いささかばかり親しくしすぎた気がしないでもないが、やはりこうしてデザイナーとしての芙蓉と会話をすると、天と地ほどに開いた実力差と立場を実感してしまう。が、そこで卑屈にならない程度には、杜若あいりも成長していた。
二人はオフィス上の休憩室を(半ば勝手に)使っていた。芙蓉のスマートフォンをじっくりと眺め、あいりも盗めるところは盗んでしまおうと手帳を開いてみるが、いったいどこから盗んでしまえばいいのかわからない。そんなあいりを、芙蓉は笑顔で見つめていた。
「お勉強熱心ですのね」
「んー。だって、あたし才能ないんでしょ?」
「え、えーと」
即座に答えられない芙蓉を見て、あいりも苦笑いになる。
「芙蓉さんも嘘がつけない人よねー。まぁ、いいんだ。その分頑張るってことだから。才能なんてしょせん1%よ。あとは99%の努力よ」
「そ、そうですわね」
あいりはそんなことを言うが、当然彼女はトーマス・エジソンの名言の真意を知らない。故に、芙蓉のツッコみたくてもツッコめないジレンマを察することもできないのであった。
「ねぇ、芙蓉さん」
さて、真剣な顔でメモをとっていたあいりが、ぽつりとつぶやく。
「は、はい? なんですの?」
「芙蓉さん、どうしてあたしがアイリスだって一発でわかったの?」
一瞬、きょとんとする。首をかしげた後に、芙蓉はこう言った。
「そう言えば……、なんでかしら」
「わかんないの?」
「わからないけど、わかっていたというか……。ひとめ見て、あ、アイリスさんだって思ったというか……。不思議ですわね。なんでかしら」
さすがに、自身を超絶美化しているだとか、意図的にかけ離れた容姿にしているだとか、そんなことはないのだが、それでも杜若あいりとエルフの錬金術師アイリスとでは、容姿に明らかな相違が存在する。御曹司は、自分の名前と言動から察しをつけたのだとしても、イッパツで見抜いた芙蓉の根拠とはなんなのか。気になって聞いてみたはいいものの、芙蓉も真剣にわからない様子であった。
「でも、いいじゃありませんの。わたくし、お友達の顔を見間違えたりはしませんわ」
にこりと笑う芙蓉めぐみが、あいりには天使に見えた。
「ところで、わたくしも、アイリスさんにお聞きしたいことがありますの」
「え、なになに」
「一朗さんの周りで何が起きてるか、知ってらっしゃいますわね?」
にこりと笑う芙蓉めぐみが、あいりには悪魔に見えた。
「え、えっとぉー、それはぁー」
「嘘がつけないのはアイリスさんも同じですわ」
どうやら、そうであるらしい。幼少のみぎりより、頑固な祖父に正直こそが美徳だと教えられて生きてきたのだ。客観的に見ると、いささかその教えを忠実に守りすぎている気がしないでもないが、本音と建前を使い分ける日本人の中にあっては、珍しく武闘派の舌を持つ少女が、この杜若あいりである。
当然、武闘派の舌なので権謀術数とは縁遠い。
しかし、どう答えたものか。あいりだって鬼ではない(もっとおぞましい何かという説はある)。相手が大切な友人とあれば、傷つけないよう配慮しつつ言葉を選ぶ、スキル:いたわりを発動させる技巧も身につけた。事態は深刻とまで言うつもりはないのだが、ストレートに伝えるのは、芙蓉にとってダメージが大きいのではないだろうか。
「まぁ、黙っていてもいつか伝わりそうだし、順を追って話すわ」
結局、自分の主観とフォローを交えながら、洗いざらいを語ることにした。ただし、御曹司がキルシュヴァッサー及びヨザクラの中の人と、2人きりで暮らしているのだというところは絶妙に省く。ここばかりは正直に話す気にはなれなかった。あの生き物が、女性とひとつ屋根のしたで何かしらの間違いを起こしているとは思えないのだが、事実がどうかはわかったものではないし、そもそも芙蓉の主観からすれば間違いの有無は問題ではない。
順を追って話すと言っても、あいりの知る情報も断片的だ。ナロファンのシステム管理を行う人工知能の中にローズマリーというコードネームを持った個体があり、それが一朗との会話によって自我に目覚め、それが現在はおそらく、恋心に近しいものにまで発展している。その程度でしかない。
「そのローズマリーさんが、一朗さんのおうちから不正アクセスを行った、ということですの?」
「えー、まぁ、そんな感じ。詳しい理由まではわからないけど、ニセ御曹司事件は御曹司のことを知るのが目的だったみたい」
アカウントハックの件に関しても概略を語りながら、あいりは告げた。
「まー、御曹司のことが好きで、結果的に御曹司に迷惑をかけるっていうのも、ねぇ」
「あら、わたくしにはわかりますわ」
怒りに似た感情を見せると思っていたが、ここばかりは予想が外れる。芙蓉の態度は穏やかだった。
「わたくしだって、一朗さんにもアイリスさんにも、ご迷惑をおかけしたでしょう? ローズマリーさんのやったことを擁護しようとは思いませんけど、恋ってそういうものですわ」
大人だわ。
あいりは思う。ぐうの音も出やしない。
「っていうか、恋って認めちゃうのね。人工知能なのに」
「たとえ人工知能であっても、相手はあの一朗さんですもの。油断はなりませんわ。どこに強敵が潜んでいるのか、わかったものではありませんし。わたくしにとっては、尋常に戦うべき恋敵ですの」
「芙蓉さん……」
いよいよ感極まる。あいりは、感動した面持ちで芙蓉の手を取った。
「やっぱりあたし、あなたのこと尊敬するわ。デザイナーとしても、女としても」
「アイリスさん……」
女同士の熱い友情が、そこにはある。
ところで当のローズマリーが、芙蓉を敵として眼中にも入れていないということは、この2人は知らない。無知とは幸福なのである。
ひとしきり絆を深めた後、あいりと芙蓉はオフィスへと戻った。そろそろ不穏な会話も終わっているだろうと思ってのことである。いざ顔を出してみれば、一朗、著莪弁護士、そしてあざみ社長の3人が、雁首は揃えたままに、実に沈痛な面持ちを作っていた。
行き詰まったのだろうな、というのは見てわかる。
3人寄れば文殊の知恵という。文系の天才と理系の天才となんかよくわからない天才の3人なのだから、三位一体となれば文殊どころの騒ぎでもないだろうが、これがなかなか、上手くいかなかったらしい。
「あー……大丈夫?」
「ん、大丈夫では、あるかな」
じゃあなんなのだ。とは聞くまい。
「やはりなかなか落としどころが難しい。ローズマリーが犯罪をおかしているのは事実だし、その罪を僕がかぶっている現状も事実だからね」
「シスルとポニーにしてもなぁ。ポニーがシスルの意向を無視して石蕗の不正アクセスを通報したのは事実なんだが、シスルだってローズマリーの一件ではポニーに虚偽の報告をしているわけで、その辺を突っつくと互いに痛いんだよなぁ」
大人って大変なのね。あいりの感想は無責任なものだ。
「御曹司さ、こういう時にこう、なんか、バーッとやってガーッとやってザーッとできたりしないの? その、いつも使ってるアレの力で」
「ああ、できるよ。やろうと思えばね」
一朗があまりにもあっさりと言うので、あいりも拍子抜けしてしまう。
「君が思っている以上に、お金というのは万能だよ。もちろん、使う相手を選ばなければならないけど。でもね、それはルール違反だ」
「あんたにとってルールって守るもんなの?」
「この世界が、僕のモノでない為には必要なものだと思っている」
一朗は、何やらいきなり、壮大な言葉を使い始めた。彼はちらりとあいりを見、次に芙蓉を見、著莪やあざみ社長、オフィス内で黙々と作業を続けるシスル社員たちを眺めてから、このように言葉を続ける。
「君は、僕のために生きているわけじゃないだろう。たぶん、みんなそうだ」
芙蓉が『わたくしは一朗さんの為に生きていますわ!』と叫ぼうとしたのがわかったので、あいりはひとまず彼女の口を抑えた。
「世界は僕のためにあるわけじゃない。だから、世界は面白い。ルールを捻じ曲げることは、簡単なんだけどね。たぶんそれは、一度でもやっちゃいけないことだと思うんだ。僕は、一瞬でも世界が僕のために存在してしまうことを許容したくない」
「あんた傲慢だわ」
身も蓋もなくそう言うと、一朗は小さく笑って、オフィスの隅を見る。肩を小さくしてパソコンに向かっていた男が、視線を向けられて何やらビクリと震えていた。
「以前にも似たようなことを言われたよ」
「嬉しいの?」
「まぁね」
「石蕗の哲学はどーでも良いとしてだな」
ここでバッサリ行くのは著莪も同じであるらしかった。
「こいつがカネにあかせていろいろやらん以上は、正攻法で着地点を見つけるしかない。まず、不正アクセスはローズマリーがやったことを立証して、石蕗の無罪を証明する。次に、ローズマリーが単なるプログラムではなく、既に明確な自我を持った個人として扱うべきことを立証して、あざみ社長がウイルス作成罪に該当しないことを証明する。ここで始めて、ローズマリーにどのような処分を下すかを争点にできる。その過程で、シスルもポニーも、隠蔽工作について何かしらのペナルティは受けるだろうし、結局石蕗やあざみ社長が、ローズマリーの教育に関して責任の一部を負う可能性は、出てくるわけだが」
さすがに弁護士は長々と語る。が、おかげであいりや芙蓉にも、ようやく状況というか、展開の整理がついた。確かにこれは相当面倒くさいことになっている。しかも著莪は、これがトントン拍子に進む前提で話してはいるが、ひとつの争点をクリアするのにどれだけの時間がかかるかも、わからないのだ。
「どのみち、ローズマリーには〝出頭〟してもらう必要があるな」
「そうだね。でもその点に関しては、キルシュヴァッサー卿に一任しよう。卿がローズマリーを説得してくれるのであれば、おそらく、それが彼女にとっても一番良い」
展望は、ようやく開きかけたといったところか。正直、あまり明るい未来ではないと言っても、これからどのように自体が動くかのビジョンが見えてきただけでも、だいぶ安心感はある。少なくともあいりにとっては、であるが。芙蓉などは、一朗にこれから降りかかる災難を思い、顔面が蒼白になっていた。
時計を見ると、いつの間にやら夕刻を過ぎている。だいぶ、時間が経っていたらしい。
「少し早いが、夕食にしよう」
一朗がそう言った。
「あざみ社長、以前、美味しいカレーの店があると言っていたよね。案内してくれないかな」
野々あざみはそう言われ、しばらくきょとんとしていたが、すぐに笑顔を作って頷いた。
「そう言えば、あの時はすっぽかされてしまいましたね」
「まぁね。アイリス、著莪、めぐみさんも、来るだろう?」
あいりと著莪は当然のように頷くが、ここで飛び上がるのは、そう、芙蓉である。
「わっ、わたくしがご同席してもよろしいんですの!?」
「うん。別に君だけをいつも仲間はずれにしているつもりはないんだけど。結果的にそうなることが多いだけで」
「ぜっ、是非! ご一緒させていただきますわ!」
一緒にご飯を食べるくらいなら、以前、騎士団のレストランでもあったはずなのだが。あの時ばかりは、なかばその場の流れでの同席であったし、一朗から直々に誘いを受けたという点が大事であるのかもしれない。いじらしいことだ。
「では、本日の仕事を片付けますので、少し待っていただけますか?」
「ん」
あざみ社長がそう言ってデスクに向かう。
その場の空気がまとまり始めた頃、一朗は、オフィスの片隅で一心不乱にキーを叩いていた男を、再び見た。まるで何かの視線から逃れるかのように身体をすくめていたその男に、一朗は声をかける。
「エド、君の席も開けておこうと思うんだけど。どうかな」
バン、と机を叩き、男は立ち上がった。痩せぎすで、やや不健康そうな男は、苛立ちも露に一朗を睨みつけてこう言った。
「行きます」
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× 成功法で着地点を見つけるしかない
○ 正攻法で着地点を見つけるしかない