第九十八話 御曹司、話のネタになる
御曹司、ツワブキ・イチローの逮捕はそれなりにゲーム内を賑わせはしたが、結局大半のプレイヤーにとってはゴシップ以外の何事でもなく、ナローファンタジー・オンラインではいつも通りの1日が送られていた。
グラスゴバラ職人街のメインストリートでは、中堅層のプレイヤー達が今日も己の腕に見合った武器を求めてさまよっており、そこに、ときおり最前線から得物の強化や修復に戻ってきた高レベルプレイヤーが混じる。高レベルプレイヤーは行きつけの生産職ギルドに顔を出し、気の合う鍛冶師や錬金術師と談笑しながら、最前線における戦術のトレンドやら、己の武勇伝、やらかしたケアレスミスなどを話題のタネとして提供する。
キルシュヴァッサーとヨザクラは、そうしたメインストリートを連れ立って歩いていた。この2人が同じプレイヤーのアバターであると知る者は、すれ違いざまに信じられないようなものを見る目で振り向いてきたが、そこはもう、あまり気にしてはいけない。
「私には、お父様が何を考えているのか、理解できません」
ヨザクラはぽつりと言った。
「私がイチローのことを知らねばならないのは事実です。しかし、情報の入手はメッセージのやり取りでも可能なはずです。これは非効率的であり、ナンセンスです。こうしたことに、どのような意味があるのか。回答を願います」
「言ったでしょう。ナンセンスだから良いのですよ」
「理解不能です」
「重ちーですな」
キルシュヴァッサーがわけのわからない相槌を入れるものだから、ヨザクラにとっては余計に理解不能である。
さてさて、このようにのほほんとした対応をしてはいるが、キルシュヴァッサーにとって、これはまさしく戦いである。隣を歩くのは一連の不正アクセス事件の主犯であり、主人である石蕗一朗が冤罪逮捕された遠因を築いた者であり、自分をマンションの最上階に監禁した張本人である。
ま、放っておいても、一朗が自分を助け出してくれるだろうという期待と信頼は当然ある。塔の最上階に閉じ込められたお姫様というのは、女の子として生まれ育った以上一度は体験してみたいシチュエーションだ。燃える。桜子の女の子観には何やら世間との壮絶なギャップがありそうだが、それはさておき。
塔に閉じ込められたヒロインには、犯人を懐柔する義務があると、桜子は常々考えていた。ストックホルム症候群なんて言うつもりはないが、主人公が助けに来るまでの間、暇なのは事実である。犯人にもっとも近い立場にいるのが自分ならば、その心のササクレを取り除いてやらねばならない。
今回の場合は、心のササクレを取り除くというよりは、ローズマリーの情緒が育つ後押しをしてやるべきだと思った。イチローとの会話を通し、自我を獲得したローズマリーの存在は驚嘆に値するが、人間的な情緒の育ち方に関しては、おそらく独学によるところが多い。きっとそれだけでは限界がある。
グレーゾーンに抵触しつつも、自らのアバターを貸与えたのもそこに理由があった。見て、聞いて、触って、食べて、嗅いでみて。五感に相当するすべての量子信号が、人工知能である彼女に送られる。それを単なる情報として処理するのではなく、そこに付随する快・不快を己の感性で受け止めるのが、彼女が人間に近づくための第一歩だ。
恋愛相談にのってやるのは、そのあとでも良い。ローズマリーにはまず、自らの手足で、世界に向き合ってもらいたかった。たとえそれが擬似的なものであっても。このアスガルド大陸は特に、イチロー自身が愛した世界である。あの男とすべての精神を同調させるべきだなんて恐ろしいことは言わないが、それでもイチローが何を求め、この世界のどこを気に入ったのかは、ローズマリーにも知って欲しかった。
「あの、俺もいるんだけど」
「存じておりますよ」
背後でこっそり自己主張するキリヒト(リーダー)に対しても、頷いておく。
「せっかくだから、移動がてらに聞いてきましょうか。我が主人、ツワブキ・イチロー様について」
「うん?」
キリヒト(リーダー)が首をかしげると、ヨザクラも平坦な声でこう言う。
「私からもお願いします。私は、彼について知る必要があります」
その言葉だけで、キリヒト(リーダー)はおおよそのことは理解したらしい。
「なるほど、敵を知り己を知れば百戦危うからずと言うからな……」
「イチローは敵ではありません」
「恋は戦争なんだぜ?」
「ナンセンスです。理解不能です」
キリヒト(リーダー)は咳払いをし、雰囲気満点の声で語り始める。
「ツワブキさんか……。彼は恐ろしい人だよ」
「キリヒト・リーダーは、イチローに恐怖を感じているのですか」
「畏怖と言ったほうが正しいかもしれない。そう、彼と始めてあったのは、グランドクエストの初日、デルヴェ亡魔領でのことだった……」
「存じています」
「知ってるの!?」
あの頃は、ローズマリーも管理システムの一環として機能していたはずだから、ゲーム内の動向ならば把握しているのだろうな、とは思う。
話の腰を砕かれながらも、キリヒト(リーダー)は、イチローとの鮮烈な出会いの記憶を滔々と語った。彼なりの主観というか、脚色というか、そんな感じのものが大量に混じっていた気はしたが、彼から見てイチローがどのような人物かをたずねたので、そこにツッコミを入れるわけにはいかない。
「……そういうわけで、あの人の、カネをカネとも思わぬ所業に俺たちは戦慄を覚えたのさ」
「まぁ、あなた方がファースト・インプレッションを語るなら課金剣の話になりますな……」
ザ・キリヒツが存在していなければ、自分がカネの暗黒面に堕ちることもなかったのかと言えば、何やら人の因縁とは浅からぬものである。暗黒課金卿爆誕の経緯にはほかにもマツナガやら何やらが関わってくるので、当然彼らだけの責任でもないのだが。もちろん隣にいるヨザクラにも原因はあるのだが。というか責任ならカネに心を縛られた自分にあるのだが。
このことを考えるのはよそう。不毛だ。
キルシュヴァッサーは自分の心の方がササクレだっていくのを感じて、思考に終止符を打った。
「キリヒト・リーダーは、イチローのように、大量の課金をすることはしないのですか」
「だってゲームだぜ。ゲームっていうのは楽しむためのもんであって、命を賭けるためのもんじゃない」
頻繁に命を散らすキリヒツのリーダーらしからぬ台詞である。
「だがな、ヨザクラさん。まぁ名前知らないからこう呼ぶけど。何かを〝楽しむ〟という行為には、命を賭ける価値があると思う」
「矛盾しています」
「まぁ、矛盾したことを言うとなんかそれっぽい名言になるかなって……」
結局、彼らは微課金プレイヤーでしかないし、話の流れからして説得力は皆無だな。と、思う。
大して参考になったかはわからないが、それでもヨザクラは、何やら真剣な表情でキリヒト(リーダー)の言葉を反芻しているように見えた。良い傾向だ。ひとまず彼らは、そのままグラスゴバラをあとにすることにした。
あざみ社長のディスプレイに、会話ログが表示される。一同は、黙ってそれを見つめていた。
キルシュヴァッサーとヨザクラ、そしてキリヒト(リーダー)。桜子のアバターが同時にログインしている。アクセス元をたどっても、このヨザクラがローズマリーであることは疑いようがなかった。おそらくはイチローのミライヴギア・コクーンを経由して、ヨザクラのIDでログインしている。キルシュヴァッサーとヨザクラは別アカウントであるから、現象として不自然なものが起きているということはない。
あざみ社長は、何かを言おうとし逡巡している。結局、一番最初に口を開いたのはあいりであった。
「こ、これ、あたし達見ないほうがよかった……デスか?」
「あー……まぁ本当は見せちゃいけないんですけど……そのへんは今更なんで……」
あざみ社長は、そう口にしながらおずおずと一朗を見た。
我らが御曹司は、形の良い顎に手をやり、目を細めてディスプレイを見つめている。何かを考えるときの仕草は、ゲーム内とまったく変わらない。著莪は対照的に、興味津々といった様子でディスプレイを覗き込んでいた。
「石蕗、ゲームの中でもそんな使い方してたのかよ。いつかバチが当たるぞ」
「ナンセンス」
ひとまず著莪の言葉をそう切り捨てる。
「えぇと……一朗さん、コンタクトを取りますか……?」
「いや、」
次に、問いかけてきたあざみ社長に対してかぶりを振った。
「やめておこう。桜子さんなりの考えがあってやっているようだし、僕も少し、心配しすぎていたみたい。あざみ社長は、ローズマリーに何か言うことある?」
「いえ……。このあと、彼女にどういった裁定が降るのかはわかりませんが……今は、ローズマリーの好きなように動いていて欲しいと思います……」
そう口にする社長の表情は、それまでのものと少し異なり、小さな安心感を得ているように見える。
「一朗さんに対しては、不誠実な意見かもしれませんけど」
「良いんじゃない。ローズマリーに関しては、キルシュヴァッサー卿に一任しておこうか」
さて、ここで余計な横槍を入れてしまうのも、杜若あいりという少女の宿命であろうか。
「アカウントって、他人に渡しちゃいけないんじゃなかったっけ……」
「う、うーん。まぁ、一応は、そうですね」
あざみ社長も引きつった笑顔でそう答える。
「運営としても、大きな問題に発展していない以上は目くじらを立てるつもりはないんですけど……。例えば、兄弟がナロファンのプレイヤーで、たまたま兄のアカウントを使って遊びに来たとか、そういった事象についていちいち噛み付くわけにも、いきませんからね」
「今回の件は割りと確定的な気もするけどね」
「見なかったことにすりゃあ良いんだよ。なぁ、あざみ社長」
最後を弁護士らしからぬ暴論で締めるのが、著莪俊作であった。
「もともとRMTや不正アクセス防止のための規約なんだし。まぁアカウント貸してる相手が、不正アクセスの常習犯ってのもアレだけどな。アカウントを財産としてみなせば、家族内で貸し借りしたって別に文句を言う必要もないと思うんだが。いや、規約としてはダメだけど」
「相変わらずファジーな弁護士だ」
「だって法律ってファジーだし」
アカウント譲渡や貸与の中に、金銭のやり取りなどの明確な利害関係が発生した場合はかなり危ういが、基本は運営も黙認してきたらしい。それはそうか、と頷いたのは、あいりも一朗も同じだ。実際にアカウントが貸し借りされた事例ならば、自分たちの周りにもいくらかある。
一朗が、『アカウントも個人名義で取得するんだから、やっぱり特有財産じゃないのかなぁ』と言うと、著莪は『それっぽいこと言ってお茶を濁したんだからひっくり返すなよ』とぼやいた。不良弁護士である。
「どのみち、御曹司もキルシュさんもあたしもローズマリーも、家族にナロファンプレイヤーがいないから不毛な議論だわ」
あいりがそう言うと、著莪は面白そうな顔を作って、今度は自分から話をひっくり返し始めた。
「そうでもないぞあいりちゃん。世の中には、内縁関係っていうのがあってだな」
「なんの話ですの?」
「ギャーッ!!」
化粧直しが終わった芙蓉の声が聞こえたので、とりあえず大声を出しておく。
幸いにして、この不穏な会話の流れは一切彼女の耳には入っていないようだったが、このままここで会話を続けてもらうわけにはいかないという、あいりの使命感が燃え上がった。
「なっ、なんでもないわ芙蓉さん! そうだ! あのね! あたし、デザイン関係のことでどうしても聞いておきたいことがあったの! ちょっと時間とってもらっていいかしら!」
「構いませんけど……今この状況でですの?」
「一刻一秒を争うのよ! せっかくだからオフィスの外で!」
「もう……。仕方ありませんわね、アイリスさんは」
アイリスに背中を押され、芙蓉はまんざらでもない表情で再び退室した。
その様子をたっぷり見送ってから、著莪はつぶやく。
「まぁ、石蕗と例のメイドの間には給料も発生してるから、別に事実婚は成立しねーんだが」
「それにそろそろ話題の脱線もいい頃だ。話を戻そうか」
「そうだな。だがこれだけは言わせてくれ」
著莪が何やら神妙な顔を作ったので、無言で続きを促すと、彼はこのように続けた。
「事実婚のことを法的には〝自由結合〟って言う動きもあるんだが、自由結合ってエロいよな」
「君は何を言っているんだ」
あざみ社長だけは、終始顔を真っ赤にしていた。