プロローグ 御曹司、暴れる
空気が弾け、光が割れ、音が裂ける。炎が砕け、雷が舞い、ぶつかり合う二つの斬撃に対して、その間に存在する全てのオブジェクトは、存在することを許されない。あまりにも現実離れした、超常的な光景。そう、これは決してリアルなどではない。
だが、この状況下にあって愉悦さえ浮かべる二人のアバターを目の当たりにしたとしても、人々は納得できるのだろうか。しょせんこの光景は、電気信号が巻き起こす錯覚でしかない。その事実に対して、容易に首肯してしまうことを、人々は自分の心に許せるのだろうか。
アスガルド大陸を代表する、最強のプレイヤー二人の激突。それを誰もが固唾を呑んで見守っていた。
人間と竜人族。
戦士と魔法剣士。
あるいは……、
二人の違いを、より決定的に指し示す言葉なら、まだある。だが、それをここで軽々しく記すべきではないだろう。
「なぁ、そろそろ止めにしないか」
先にそう口にしたのは、人間の方である。防御修正のさして高そうではない黒衣に身をつつみ、関節部や急所などを簡易的なアーマーで覆っている。その手に握るのは、やはり無骨で特徴に欠ける、かざりっけの無い長剣。端整ではあるが、やや幼さを残した顔立ちで、先ほどから超人的な打ち合いを演じている人間とは思えない。
「君の口からそういう言葉が出るとは思わなかったな」
巻き起こる粉塵の中から姿を見せた、ドラゴネットの男がそう言う。
こちらも黒衣といえば黒衣ではあるが、その装いはなんとも言えぬほどに豪奢であった。
霊大樹ユグドラシルの繊維を織って編まれたシャツ。
フェニックスとペガサスの翼を素材としたベスト。
レイディアントモルフォの翅から出来たジャケット。
マギメタルドラゴンの鱗で作られるベルト。
オリハルコンとミスリルの合金、そしてジュエルクォーツの散りばめられた腕時計。
キングベヘモスの革で出来た靴。
特徴的な外見でこそあれ、課金装備の類では決してない。すべてが完璧なオーダーメイドの一点モノだ。素材にまでこだわりぬくそのあり方に、単純な戦闘能力では推し量れない何かを、この男から感じ取れる。これだけのものを作るのに、一体どれだけの通貨を使用したのやら。
「いや、この戦い、もうなんかよくわかんなくなってるじゃん」
「君が言うならまぁ、止めても良いんだが」
「あのドロップ品については、もっとこう、平和的な手段でさ……」
「それはナンセンス」
ドラゴネットは肩をすくめた。
「でもあんた、もう剣が折れてるだろ」
「心配はないよ。代わりはあるからね」
そういうと、男はメニューウィンドウを呼び出し、手馴れた仕草で装備画面を選択する。すぐさま、インベントリから男の手に剣が召喚された。攻撃修正+3600、スキルスロット+80、武器耐久値3。男がこの剣を取り出すのは、もうこれで18度目になる。
「ブルジョワなんだよなぁ……」
「おっと、ブルジョワに負けるのは怖いかい」
人間の青年が漏らしたぼやきに対して、ドラゴネットは挑発的な言葉を投げた。
「……なに?」
「君がここで背を向けるのは勝手だよ。そう、君が何十何百何千時間と費やした努力であっても、僕はほんの数秒の動作でそれを上回ることができる」
男はメニューウィンドウを開いたまま、コンフィグを選択した。このページにはゲーム内課金の項目がある。何の躊躇もせずにクレジットカードのアイコンを選択すると、中から適当なサービスと数量をタッチ。そのまま暗証番号を入力し、
どさどさどさどさ。
アイテムインベントリに収容しきれなくなった無数の消費アイテムが、ドラゴネットの周囲に降り注いだ。このゲーム、NPCの販売するポーションの、一日あたりの流通量が決められている。だからこそ錬金調合のできる生産職にも日の目が当たるわけなのだが、このドラゴネットの男は、『基本アイテムパック』なる追加料金サービスを無数に選択することで、一人のアバターが一年かかっても消費しきれない量のポーションを一瞬で召喚したのだ。
「趣味が悪いぜ、おっさん」
「よく言われるよ。だがナンセンス。僕はこういう生き方をしてきたからね」
「まぁ、今のはないわよね」
「ありませんな」
二人を取り囲む観衆の中で、赤髪のエルフと銀髪の人間がそんな言葉を交わしていた。クラスはエルフが錬金術師、人間が騎士。生産職のなかでも、とりわけポーション生産を得意とする錬金術師に、今のドラゴネットが行った暴挙は許しがたいものであったはずだが、義憤よりも先に呆れが顔に浮かんでいた。
「だが、あれは本心からではありませんよ。イチロー様も相手にはそれなりに敬意を払っているはずです。何と言っても、自分とは正反対に位置する人間ですからな」
騎士はどうやら、ドラゴネットとの付き合いが長いらしい。
ドラゴネットは課金サービスを利用するのに躊躇がない。このゲームももうじきサービス開始一周年を数えるが、その記念として、瀕死に陥るダメージを1回だけ無効化するアイテムが課金サービス欄に並んだ。非課金勢の猛反対を受け、たった半日でそのサービスは姿を消したのだが、このドラゴネット、そのアイテムを大量に確保している。
「そうかなぁ。お金を使いまくって、自分はこんなに凄いんだぞアピールをしてるだけじゃないの?」
「まぁ、それはあるかもしれませんが……」
無論、そんなものを使えば勝敗など見えているようなものなのだが、人間の青年のほうも負けてはいない。《剣技の心得》がスキルレベル999に達することで取得できるエキストラスキル《極意開眼》。それを有する唯一のプレイヤーが彼であり、あらゆるアイテム、スキルによるダメージ無効化能力を貫通する力を持つ。
ゆえに、ドラゴネットが、リアルマネーの力を以ってしても止めるに至らない青年の力に敬意を払っているというのも決して嘘ではない。ただ、あれは敬意を表に出すことが決して無いだけなのだ。
「でもまぁ正直、死なないで欲しいのよねぇ。あたしの作った防具つけて負けたとか、最悪じゃん……」
「アイリスブランドも地に堕ちますしなぁ。まぁ、決着つけずに終わるのが一番穏便で良いとは思うんですが……」
二つの影は、すでに他者を寄せ付けない空気を纏い、一触即発の緊張感を滲ませつつある。次に起こる何度目かの激突の果てには、とうとう決着はついてしまうのかどうか。ここにいる全ての観衆にも、それを予測することはままならない。
竜人族と人間。
魔法剣士と戦士。
あるいは、二人の違いをより決定的に指し示す言葉なら、もうひとつある。すなわち、
課金勢と、廃人勢だ。
8/3
誤字を修正
×間接部
○関節部