1-5 綴絵里依の期待
対等な喧嘩もした。突っ込みも入れられた。物を交換する約束もした。将来の夢まで話した。
「絶対友達だわ。うん。友達」
床から天井まで届く本棚が二つ。それ以外は机と照明、最低限の筆記具が置かれている。女の子の部屋としては幾分か質素な部屋である。絵里依はぽつんと独り言を呟く。
「友達」
絵里依はその言葉を反芻する。考えれば考えるほどに恥ずかしくなって、布団にくるまって悶えた。今日初めて会話を交わした織彦、中というクラスメイトを思い浮かべる。
昔から姉御肌と言われる絵里依の周りには人が沢山集まる。しかし、絵里依に敬意を払い慕う者ばかりで、対等な友人と呼べる相手は居なかった。一見、友達に見えた間柄の人も居たが、喧嘩もしたことがなければ、教科書を見せ合う程度の貸し借りしかしたことがない。
呼び名は『綴さん』や『絵里依さん』が大多数。中には『ねぇさん』『姉御』のように聞けば親の職業を問われかねない呼び名もあった。中に呼ばれたような『ちゃん』付けなんて小学校時代でもあったかどうか怪しい。幼稚園のとき保母さんが『えりいちゃん』と呼んでくれたようなないような、という具合だ。同級生以下に『ちゃん』付けやあだ名で呼ばれた記憶は一切ない。
中学時代には絵里依の知らないところで親衛隊のようなものが作られていた。一年生から三年生までほぼ均等に集まっていた。女子教師の顧問まで居るという、割りとしっかりした団体であった。
彼女ら曰く、あだ名なんてものは以ての外。絵里依が許可したどころで、その親衛隊が、それを見つけたら撤回を要求する。
身長は一七〇を越え、髪の色素は生まれつき薄い。目も少しキツい気がする。物心付く頃から考えて、可愛いよりも格好いいと呼ばれることの方が多かったように思う。不良の類に間違われることは少なからずあった。
実際、親衛隊の名称が「綴組」なのも良くない。
織彦は絵里依のことを不良だと勘違いした。それ自体はよくある。しかし、面と向かって言われてことはない。大体が指をさされるような陰口だった。正直、織彦と言い合ったのは楽しかった。
「海路さんはウチのことを『絵里依ちゃん』って呼んだ・・・・・・呼んだわよね」
夢にまで見た女の子らしい呼び名を自分で繰り返し、恥ずかしくなって、布団にくるまったままクルクル回る。敷き布団から畳に落ちてしまってもお構いなしだ。
学習机の上に本が置いてある。さっきまで目を皿にして読んでいた、中から貰った本を眺める。
小柄で可愛らしい中を思い出す。
「あだ名とか考えちゃおっかな。迷惑かな。でも考えるだけなら」
そう思うや否や、絵里依は机に向かい、中のあだ名を考え始める。様々な案を手帳に書き連ねる。
絵里依はどんな場面でも努力を一切惜しまない人間であった。ちょっとでも考えることがあれば多少手間でもすぐにノートに書き込む。それも捨てずに残しておいて、いざというときに読み返す。そのノートはついに一〇〇冊を越えた。過去に比べて消費ペースが早くなってきたが最近は大体月に一冊びっしり書くペースだ。
それが絵里依のきざし『努』が与えた個性である。
目的のための努力を一切惜しまない。それがいずれ価値あるものになる可能性が少しでもあるのなら、労力など惜しまない。
奨学金を得る為に受験勉強は一切怠らなかったし、好きな魔法陣の勉強に至っては既に大学で学ぶことにまで手を出している。
一切の塾に通わず、基本独学で知識を得る。学校の先生とかマンションに住む知人とか頼れる人には頻繁に教えを願った。
だから、中学では常に学年一位の成績を取った。見た目から判断すると、素行が良いとは思われない。しかし、頭脳は間違いなく優等生。かといって気取ってない。そのギャップが絵里依の魅力の一つと言える。
姉御と慕う輩が現れても頷ける。絵里依と対等な存在になれる、友達と胸を張って言える同級生が今まで居なかったのは仕方ないことだったのかも知れない。
絵里依は他の人に比べて、知識を豊富に扱える。そういう脳の構造をしていた。それも『努』のきざしが与えた個性である。どんなに勉強しても全く身に付かない脳を持つ人間がいるのと同様に、人よりも知識の吸収率が異様に高い人間がいる。当然、絵里依は後者である。
「色々考えたけど・・・・・・結局、シンプルでわかりやすいのに落ち着いちゃったなぁ」
ノートに書いた最終案を見て頷く。
絵里依は満足してもう一度布団に潜ろうと思った。が、そうはしなかった。
寝る前にサイン本をパラパラ流し読む。サインの書いてあるページは長く眺めよう。
サインペンで書かれたサイン。崩されて殆ど読めなくなっているが、絵里依にはなんと書いてあるかわかっていた。「城ヶ咲静」ただの名前だ。しかし、絵里依にとっては尊敬すべき人の名前で、それも織彦や中と友人になれたきっかけとも言える人物。一度だって言葉を交わしたことはないが、感謝の気持ちを抱く。
絵里依はそのサイン本を一生の宝物にしようと決意して、本を閉じ、本棚に仕舞う。
そして、もう一度寝床につく。
そして、目を閉じるや否や、ばっと飛び上がる。
「あ、そうだ。忘れ物忘れ物」
明日の学校の準備は既に終わっていたが、忘れ物を思いだし、それをサブバックにしまう。
友達という言葉を引きずり、そわそわが止まない絵里依であった。