1-3 夕礼
タイトルを変えました
二限、三限、四限と、なんとか睡魔と善戦した織彦であるが、昼食を食べてからの五限は完全に沈没した。六限だけでもと、中が甲斐甲斐しくも隣から体を突付いたが、意識は虚ろで勉強にならないので、諦めて織彦に睡眠時間を与えた。講演会であと少し充分に睡眠を取れていればこうはならなかったかもしれない。
充分体力を回復した織彦はしっかりと目を開いている。
教員が教壇に立つ。学級委員長である中の号令が掛かる。夕礼が始まる。
「えーまず、アンケート書いた奴で二人。城ヶ咲教授のサイン本。えぇと。『城ヶ咲静のほ乳類ならわかる。解りやすい兆候学』が貰えた。新入生全員で五冊しかないからな。貰えた奴は相当ラッキーだぞ。それに、これも相当ラッキーだ。英組では二冊貰えたからな!」
「何それ」
織彦は声を潜めて斜め前に座る中に尋ねる。
「城ヶ咲って?」
「いや、また蹴られるよ」
「それはわかってるって。アンケート?」
「本当覚えてないんだね」
中は情けないなぁ、と呆れながら答える。
「朝やったじゃん……出してないの? アンケート。書いた人の中から本が貰えるってさ」
「そだっけ。全然記憶にない」
「居眠りしてたからわからないのよ」
声の主は織彦の後ろに位置する絵里依。
「わかってるし。何でお前が俺の前の席に居るんだよ」
「だから、ウチの……」
「いや、いい、もうわかってるから言わないで」
「違うわよ。今度はウチの誕生日と戸岐君の誕生日が……」
「いや、何でもいいから」
織彦は絵里依の発言を手で制す。
中はその光景をじっと見つめる。
「どうかした? 海路さん」
「いや、何もないよ」
織彦と絵里依は不思議そうな表情を浮かべる。
担任が夕礼を進める。二冊の本を教卓に乗せた。
「海路と街田。前に出ろ」
「え、あ、はい」
中は勢い良く椅子から立ち上がり、前へと行く。
街田と呼ばれた生徒は壁際の席を立ち上がり、教卓の方へ歩いていく。
そういえば、講演会で退屈そうに欠伸をしていた奴だなと織彦は思い出す。身長が低く、髪は短め、どこにでも居そうな風貌。なんだかぱっとしないなと、勝手に失礼なことを考える。
入学式の日にあった自己紹介ではなんと言っていただろうか。無理矢理記憶から捻りだそうとして、やっと思い出す。確か『速』だか『風』だかのきざしで徒競走が得意とかなんとか言っていた。確か陸上部に入ってるのだったな。
織彦は良く思い出せたなと口には出さないが自分を褒める。
「あー。何。残念。まじかしら。ウチが選ばれないなんて、どうなっているのかしらね。この世の終わりかしら? 世紀末ね」
「え、そんなに欲しかったんだ」
机に突っ伏して気の落ちようを全身で表す絵里依に織彦は疑問を投げ掛ける。
「そう言えば、講演会でも城ヶ坂?」
「咲ね。次間違えたらシバくわよ」
絵里依の目は細く、不機嫌な笑みを浮かべる。冗談には聞こえなかった。
織彦は絵里依の目を見て言う。
「そうそう。その城ヶ咲教授に結構な執着があるようだったけど」
織彦は椅子を蹴飛ばされたことを思いだし、顔をしかめそうになる。
「目標なのよ」
「え?」
「城ヶ咲教授は兆候学の論文を三〇歳の時に認められて、日本で最年少の教授になった。それだけでも充分凄いのに、向上心止まらず、日本全土を駆け巡って研究してる。『きざし進化論』って知らない? ウチが知る限り一番有名なきざしの論文なんだけど。城ヶ咲教授はウチの理想の姿。将来あんな研究者になりたいわ」
絵里依は饒舌に語る。心なしか目が輝いている。
織彦は同年代の女子が将来の夢を語り始めたことに、どう反応すればよいかわからなかった。
アイドルがどうのマンガがどうのと俗物的な話題を探し続けている高校生に比べたら、まだ自分は賢く利口だと思っていた。しかし、絵里依は未来を見据えている。それに、実験のときの功績をみる限り、夢を語るだけじゃなく努力もしている。小学生が野球選手になりたい歌手になりたいというのとはレベルが違う。
織彦は五限、六限と居眠りしていたことを思いだし、少し落ち込んだ。
一方で、絵里依が少し嬉しそうであるところを垣間見れて、微笑ましくもあった。
中が自分の席へと戻ってくる。
「何、話してたの?」
「え、別に」
「ふうん」
中は小さく首を傾げる。そして、本を掲げる。
「貰ってきた」
それだけ言うと静かに席に座った。
「本当どういう選考基準なのかしら。選考委員会でもいるの? 自由記述欄に書いた感想の量はウチが一番のはずなのだけど」
絵里依は大げさに、中に聞こえるよう不満を漏らす。
「どうなってるのよ、本当」
「一応聞くけどさ、どれくらい書いたの」
織彦が訊ねる。
「アンケート用紙目一杯プラス……」
「プラス?」
「三〇〇字詰め原稿用紙五枚」
「読書感想文かよ!」
織彦は教室の視線が集まったことに気付き、声量を落とす。
「わざわざよくそんなもの持ってきて……講演会中に良く書き終えたな。机もなしに」
その質問にさも当然そうに絵里依は答える。
「あぁ、昨日書いてきたのよ」
「何で話も聞かずに書けるんだよ」
「アンケートは毎年殆ど変わらないから」
「毎年講演聴いてんのか」
どうやって講演会聞いてんだ、学校に不法侵入でもしてんじゃないだろうな、と言おうと思ったがとどまる。ここまで熱狂的なファンの絵里依ならそれもおかしくない。一般公開の講演会に出ている可能性もあるなと、織彦は自分の中で勝手に解決した。
代わりに深い溜息を残す。一回すら聞くに耐えなかった講演会を何度か分からないが複数回聞ける絵里依が信じられなかった。
「でも、その甲斐も虚しくサイン本は貰えなかったわけよ。在学していないとサイン本は貰えないからチャンスは、幾ら潜っても、もうサイン本は貰えないの。もう貰えないの」
絵里依はチラチラと中の方を見る。
「貰える人の選考基準を明確にしてくれないのは」
チラチラと隣の席を見遣る。
「完全ランダムな運試しなのか、それともまさかプロフィールの部分が選考に関わっているとか」
チラチラチラチラ。
「本当、残念極まりない……わ」
「そう気を落とすなよ」
「がっくし」
「声に出てるぞ」
寡黙を貫いていた中が口を開く。
「絵里依ちゃん。貸してあげるからさ……」
中は絵里依の機嫌を取ろうと提案する。
「え! 本当!? すっごい嬉しい。でもさ……」
嘘くさい叫び声を挙げる。夕礼中なので声量は控えめだ。
「いやでもそれ持ってるのよ」
「何だよそれ!」
織彦はつい捻りもない突っ込みを入れる。内心呆れている。
「意味わかんねぇー」
「ウチはサイン本が欲しいの。見たいんじゃなくて、持っていたいの。それでさ・・・・・・差し支えなければウチが持ってる同じ本と交換して欲しいな~なんて、思うんだけれど」
「うん。わかった」
中は二つ返事で了解する。
「だからさ」
中はキョロキョロと周りを見渡す。
「夕礼終わるまでは静かにしようよ」
絵里依はサイン本を受け取ると、直ぐに前を向いて優等生らしくなった。織彦は、何だか白状な奴だなと思い、幾度目かの溜息をついた。
開始時と同様に中が号令をかけ担任が夕礼を閉めた。