おしぼり哀歌
おしぼり一つで心乱されることになるとは思っていなかった。仕事帰りにBARに立ち寄った時のことである。金曜日の夜ということでそれなりに席は埋まっていたが満員ではなかった。入り口で待たされること5分あまりカウンター席に案内されたものの、メニューもおしぼりもすぐには出てこない。カウンターの中では4、5人が行ったり来たりしており忙しそうだ。ひとまず待つことにしたが、一向に注文を取りに来ないのでついにバーテンダーの一人に声をかけるものの、ちょっと待ってくれと言われるだけであった。声をかけたのがリーダーと思しき年配の男性だったのが悪かったのかもしれない。リーダーにオーダーをできるレベルに私が達していなかった可能性は十分にある。
声かけを跳ね返されると気まずい思いをする。心を縮こまらせていると、若い店員がようやく注文を取りに来てくれた。店員は注文を聞き取ると、おしぼりを差し出してきた。注文をしたことで周囲に目を向ける余裕ができたが、それが間違いの元だった。
私が受け取ったおしぼりは紙製の使い捨ての代物だったのに、カウンターの両隣に座っている客には布製のおしぼりが入れ物と一緒に提供されているのを目撃してしまった。布製のおしぼりを使う資格もないと判定されているようで気分が一気に落ち込んでしまう。お金を払う側でありながら、値踏みをされるとは思っていなかった。値踏みをされるのは、仕事での付き合いか合コンの席だけでもう沢山である。
出てきたカクテルの味もよく分からなくなり、自分の何が悪かったのか自問自答する時間が到来する。会社帰りであり、服装に問題はないはずだ。もしや私の勤め先の服装が反社会的と捉えられたのだろうか。髭は剃っているし、寝癖もない。最低限の清潔感は保っているはずだ。それとも顔が悪いのか。その日は少し喉の調子が悪かっただけで顔に出るような症状ではなかったはずだ。
気持ちとしてはすぐにでも店を出たいところだったが、たった一杯で終わらせたのではケチな客という烙印を押されかねない。店から侮られないようになるためには、何よりも羽振りの良い客だと思わせることが必要だと考え、2杯目、3杯目と注文を進めた。
最終的に会計は1万円ほどになった。これなら文句はあるまいと支払いに進もうとしたところ、隣のお客が先に支払いを始めていた。布製のおしぼりをもらっていた初老の男性である。さぞや太い客なのだろうと思っていが、なんとお会計は3千円。しかし、店員は非常に愛想良くお客に接している。
お金で尊敬は手に入らないという現実を思い知り、私の払う1万円にどれだけの価値があるのかと暗澹たる気持ちになった。
敗残兵のような気持ちで店を後にすると、1万円あれば何ができただろうかという想像が次々と頭を駆け巡る。もっと安い酒を大量に飲むことができたはずだ。
愛はお金で買えないというのは綺麗な言葉のようで、実際は残酷な現実を表現しているのだ、といったことを考えながら帰路についた。
人間はおしぼり一つでここまで落ち込むことが出来るのだ。楽しく世の中を渡っていくことは容易なことではないと改めて認識した金曜日の夜である。終わり




