表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

そして淑女は「今すぐパンツを脱いでそこに座りなさい」と言った

掲載日:2026/07/10

 ━━兄が駆け落ちした。

 執事と一緒に逃げたらしい。

 驚きはしたけれど、別に偏見はない。

 ただ、その執事は私の初恋の人でもあった。

 ほんの少しだけ胸の奥が痛んだのは、ここだけの話。


 それはそれとして、次期エスペル伯爵家当主だった兄の逃亡により、自ずと問題は発生する。

 兄の兄妹は、婚期を逃して実家に住み着いた私ただ一人。

 よって急遽(きゅうきょ)エスペル家の存続のため、私、セシリア・エスペルは婿を取ることになった。


 「家格は低くても良い、賢くなくても良い、ただエスペル家に従順な婿を」との父の意向を第一として婿養子は選ばれることになる。

 結局のところ白羽の矢が立ったのは家格が同等の伯爵家の次男だったのだが……。


 両親が付き添った上での顔合わせで、初めて出会った彼は、感じの良い好青年だった。

 ブラウンの髪にヘーゼル色の瞳が印象的で受け答えも非常にハキハキとしている。

 ……声が大きいな、と思うくらいに。

 

 「それではそちらの希望は何かあるかね?」

 

 顔合わせもそろそろお開きといったところで、父は訊ねた。

 彼は勢い良く返事をし、答える。


 「はい!早朝二時間……いいえ、一時間ほどで良いのですが、自分のための時間をいただいてもよろしいでしょうか!?」 

 「……と言うと?」

 「はい!私、筋肉と共鳴する時間が必要でして!!」


 ━━時が止まった。


 「……トレーニングの時間が欲しいとの意味です……」


 やがて向こうのご両親が気まずそうに小声で話した。

 継母は扇で口元を隠しているものの、笑いを堪えきれずにいる。

 父は面食らっていたが、やがて「好きにしたまえ」とだけ答えた。


 私は、というと、しばらく思考が停止していたが、それが動き出したからといって、何も理解することができなかった。

 やがて頭の中で様々なことがぐるぐると駆け巡る。

 これは……大丈夫なのか?と不安がよぎったが、いずれにしても私には拒否権はない。

 ただ、覚悟を決めて受け入れるだけなのである。


 そうして「あとは若い二人で……」との時間が設けられる訳でもなく、婚約期間もすっ飛ばし、次の月には私達は結婚式を挙げることになった。

 

 兄の事情があるだけに、父は世間体を気にしたのだろう。

 式は極近しい身内のみが参列する、小規模で質素なものだった。

 その後行われた会食で、私の親戚が「これ本当に初婚の結婚式?」と心配するほどだ。

 とはいえ、行き遅れた自分にとっては、盛大に執り行われるよりありがたいというのが本音だった。

 

 そうして順当に会は解散し、迎えたその日の夜━━

 私は緊張で押し潰されそうな心臓を押さえていた。

 しかしやるべきことはやらなければ……と、自室で待っていると、早々に彼は現れる。


 「フェニス様、今日は大変な一日でしたね……何かお飲みになりますか?」


 まずは軽く話でも、と考えた私は噛みそうになりながらも彼に声をかける。

 彼━━フェニス様は屈託ない笑顔を私に向けた。


 「飲み物はいりません!しかし本当に大変な一日でしたね!セシリア様もお疲れでしょう、さぁ明日も早いですし、寝ましょう!」

 「え、え、え、ちょ、ちょっ」


 思わず、淑女らしからぬ声が喉から出てしまった。

 ひとまずベッドに直行する彼を引き止めて、私は訊ねる。


 「えっと……寝るというのは、睡眠ということでしょうか……まさか」

 「はい!睡眠不足は筋肉だけでなく、心身のためにも良くないことです!お肌のためにも良くない!」

 「……お肌……」

 「そうです!ささ、セシリア様も早く寝ましょう!」

 「ねましょう?」


 ━━その瞬間、私の中で何かがプツリと音を立てて切れた。


 「フェニス様」

 「へっ?」


 冷えた低い声でその名を呼びかけると、彼の肩が跳ね上がっているのが見えた。

 もう構うものか、と開き直った私はじりじりと彼に詰め寄る。


 「お言葉ですがフェニス様、私達はもうすでに成人を迎えて久しい者同士です。ですので、婚姻した初夜が何を示しているのか、知って当然ですよね?」

 「え……その」


 彼は言葉を濁し、目を泳がせている。

 その姿を見て、余計に頭が冷えてきた。


 「私は腹を括りました。でしたら、貴方も腹を決めるべきです」


 真正面から目を見据え、そして私はベッドの方を指差す。


 「今すぐパンツを脱いでそこに座りなさい」

 「は、はいぃぃ」


 ━━彼は私に言われた通りに行動した。



*****


 次の日の朝、慣れない痛みに気怠さを覚えながら、ぼんやり私は「パンツ……せめて下着と言えば良かった」と淑女にあるまじき自分の言動に後悔していた。

 ふと、隣からブツブツと声が聞こえてきたため視線だけを向ける。


 「……これは有酸素運動?無酸素運動?」


 そんなことを呟きながら顔を両手で覆い隠す、夫となった人の姿があった。


 「……えっと……顔、洗いますか?」

 

 私はどういった感情になって良いか分からず、ただそれだけ話した。


*****


 その後、対話を兼ねて私はフェニス様に屋敷の案内をすることにしたのだが。


 「こちらが書斎です。ここの本は自由に読んで構いませんので」

 「はい!分厚い本がたくさんですね!」

 「こちらが庭です、いつも庭師のトムが手入れをしてくれています」

 「なるほど!素晴らしい!職人の技が光ってますね!」


 ずっとこの調子だった。

 ……正直、初夜がああいうことになってしまったので、気まずいよりは良いのかもしれない。

 ポジティブな言葉で言うならば、彼は常に、とても、賑やかだ。

 ネガティブな言葉では何も言うまい。


 「……あの、私のことは『様』付けで呼ばなくても良いのですよ?」

 「それは何故でしょう?」


 何気なく言った私の言葉に、彼は目を丸くする。


 「セシリア様も自分を『様』付けでじゃないですか?」

 「それは、貴方が私の主人だからでしょう?」

 「でも自分、婿養子ですよ?」


 彼の中でそれは純粋な疑問だったらしい。

 こんな反応が返ってくる発想がなかった私は、まごついてしまった。


 「そうですが……私は貴方を敬いたいのです」

 「でしたら、自分もセシリア様のことを敬いたいです!ですので、やはり『様』付けで呼びますね!」


 そう言って彼は一段と破顔した。


 私は呆気にとられていた。

 おそらく、この人は悪い人ではないのだろう。

 思わず口角が緩んでいると、「あっ、やっと笑ってくれましたね、素敵です!」との声が飛んできた。

 妙に恥ずかしくなり、私は目を逸らした。


 誤魔化すように早足で歩いたところで、応接間の前に差し掛かった。

 中から賑やかな声が耳に届き、思わず足を止める。


 「あら、婿殿じゃない。貴方もこっちに来ると良いわ」


 すると、中にいた継母が彼に気付き声をかけた。

 いつものように「はいっ!」と勢い良く返事をし、彼は応接間に入る。


 テーブルには様々な反物や宝飾品が並べられていた。

 眺めるだけでも心が華やぐような品々だ。

 今日はどうやら、継母お気に入りの御用商人が出入りする日だったらしい。

 

 「いやぁ、どれも一級品ですね!このブレスレットも仕掛け物ではないですか?」

 「分かる?貴方なかなか良い目を持っているのね」

 「いえいえ!今お義母様がお召しになっているものも、実は希少性の高いものですよね!センスが良いです!」

 「あらやだ、お上手ねぇ」


 と言いつつ継母は満更でもないようだった。


 ……こういうものの違いが分かるなんて、意外だ。

 心底私がそう思っていると、調子が良くなった継母は「貴方も何か欲しいものがあれば言いなさいね」と得意げに扇をあおいだ。


 彼はしばらく考え込んでいた。


 「そうですね……ここにあるようなものではないのですが……」

 

 そんな勿体ぶらずに話しなさいという継母の言葉にようやく決心がついたのだろう。


 「ヘラクレスオオカブト……」

 「ヘラクレス……」

 「はい、ヘラクレスオオカブトです……自分にとっての永遠の憧れであり、ロマンですね」


 真顔で力説する彼に、継母は最初目を丸くしていた。

 やがて人目をはばからず、部屋中に響くような高笑いの声をあげる。

 

 「ほんっと面白いわね、アナタ!良いわ、手に入るか分からないけど、手配はさせてもらいましょう」

 「本当ですか!?ありがとうございます!!」


 丁寧な言葉を使ってはいるものの、少年のように喜ぶ彼に継母は大変お気に召したようだったが。


 「ところでセシリア様は……」


 その言葉を言った瞬間、空気が一気に凍てついた。

 彼は何気なく言ったに過ぎない。

 流石に異変を感じたであろう戸惑いの表情が見えたので、私は苦笑する。


 「私は何もいりませんのでご心配なく。それよりうちの裏山にも珍しい昆虫がいるようです。今度案内いたしましょう」

 「本当ですか!?それは是非に!」


 また無邪気に笑う彼に、何故か安心感を覚えながら私達は部屋を離れた。


*****


 その日の夜、執務室で帳簿を書いていると扉を叩く音がした。

 どうぞ、と言い扉が開くと入って来たのはやはりフェニス様だった。


 「すみません、もうそんな時間でしたか」


 夜もすっかり更けてしまっていたことに改めて気付き、ペンを片付けながら軽く謝罪した。


 「こちらこそ、お仕事の邪魔をしてしまって申し訳ありません。……あの、もしかして毎日こうなのですか?」

 「……私は要領が悪いので、時間ばかりがかかってしまいます」


 自嘲気味に薄く笑いながらそう言うと、彼は目を伏せる。


 「……そうですか。お一人でずっとがんばってきたんですね」


 しみじみといつもの調子とは異なる穏やかな口調に、私は動けなくなった。


 「どうかしましたか?」

 「……いえ、初めてそのような言葉をかけてもらいましたので……」

 

 やがて、異変に気づいた彼が声をかけたところで、情けなく答える。


 「情けないですね、動揺してしまいました」


 ここまで心が乱されたことに、自分でも驚くしかなかった。

 彼の心遣いはありがたい。

 なのに、私は。

 

 「自分も何かお手伝いを……」

 「触らないでっ!」

 

 そう言って彼の手が帳簿に伸びた時、咄嗟に叫んでしまった。

 思わず手で口を押さえたが、もう遅い。


 「も、申し訳ありません。帳簿は極力他の人に見せないよう、父からきつく言われていまして……お気持ちだけいただきます」


 「そうですか」とだけ呟き、彼はしょんぼりと手を引っ込める。


 気まずい空気が流れた。


 そして、彼は「それでは先に失礼しますね」と言って部屋を去ってしまった。


 ━━なぜ、あんなことを口走ってしまったのだろう。

 せめて良い言い方があったはずだと、私は酷く後悔しながら帳簿を片付けた。


*****


 それから数日間、執務に追われていた私は食事以外フェニス様と腰を据えて話す機会を失っていた。


 その食事さえ、私の両親も一緒なので実質二人だけの時間はないようなものだ。

 就寝時も彼が先に寝てしまっているので、わざわざ起こすようなことはしなかった。

 朝は朝で『筋肉との共鳴』時間のために彼の方が先に起きている。


 強い言葉を言い放ってしまったあの夜以来、関わらなければと思う一方、距離を置く理由があることに内心ホッともしていた。


 「セシリア様、今から裏山に行きましょう!」


 そんな日が続いていた最中。

 勢いよく執務室に入って来た彼は急にそんなことを言い出した。


 「……今から、ですか?」

 「そうです、今からです!善は急げ、です!」

 「え、え、え、待ってください着替えますからっ!」 


 半ば引きずられそうになったのを制止して、慌てて山の中でも動ける服装にしてもらう。


 どうやら彼は昆虫を捕まえる罠を作ったらしい。


 残りの執務は……まぁ、どうにかなるかとヤケクソも入りつつ、罪滅ぼしもありつつで、久々に山の中へと入ることになった。


*****


 足場に気をつけながら軽く整備された山の中、二人で分け入っていく。

 鳥たちのさえずりが響き、小さな生命の存在を肌で感じる。

 しばらく歩いたところで長い年月を感じる大きな木を見つけ、そこに彼が自作した罠を取り付けた。

 明日の朝には何かしらが罠にかかっているかもしれない。


 「しかし、セシリア様が裏山に詳しいなんて意外でした!」

 

 ほくほくした表情で帰り道を歩きながら、彼が話しかけてきた。


 「詳しいってほどではありませんが、そうですね……昔、よく兄と遊びに来ていましたので……虫捕りに関しては私は見る担当でしたが」

 「なるほど、お兄様の影響でしたか!」

 「……あとは、継母がうちに来てからは何となく家に居づらくて山に入ることが多くなりました。兄が執務を放棄するようになって、私が手伝うことになってからはそれもなくなりましたね」

 「そう、ですか」


 言わなくても良いことだったかな、と少し後悔した。

 彼は考え込んでいる。


 「気分を害するようでしたら答えないでください。……お義父様はお義母様の態度について何もおっしゃらないのですか?」


 やがて、言葉を選びながら彼は訊ねた。


 「父は一個人としての私にあまり興味がないようです」


 目線を落としてそれだけ答えた。

 事実として、私は今まで個人的なことを父から尋ねられたことはなかった。

 好きなものから、苦手なもの、辛いと思っている事も何もかも。

 それを聞いた彼は表情が曇ったが、すぐにいつもの明るい声色になった。


 「自分はセシリア様に、とっても興味がありますよ!」


 少しだけ面食らったが、その明るさに救われる気がした。

 

 「私もフェニス様に興味があります」


 ふふ、と笑いながら言葉を返すと、彼の瞳は輝いた。


 「なんと!それではまず私を理解してもらえるように、王道のヘラクレスオオカブトとパラワンオオヒラタ、どっちが強いかについて私なりの考察を話しましょう!」

 「え、パラワ……え、ごめんなさい何て?」


 耳馴染みのないワードにすっかり困惑してしまったが、彼は止まらない。


 「そうですね、まず自分、水分補給します!あそこにあるのは給水所ですよね?」


 そう言って近くの白い石でできた、小さな給水所を指差した。

 ハッとなって、「あれは……」と答える。


 「ごめんなさい、あそこずいぶん昔から使えなくなっていて、水が出ないのですよ。」

 「そうなんですか?」

 「あまり誰も使ってないからか、特に修理もしていないようですね」

 「……なる、ほど」


 しばし乾いた給水所を眺める彼。

 何となくいたたまれなくなって、「それでは」と提案をした。


 「家に入ったらお茶にしましょう。お話はその時で良いですか?」

 「もちろんです!」


 パッと華やぐ表情に私は口角を緩める。

 早く帰りましょう、と彼は私の手を取った。


*****


 その日は突然訪れた。

 よく晴れた、気持ちの良い朝だった。

 スッキリと目覚めた私は気分も良く、朝食を口にしていた。


 「どう?婿殿、こちらの生活に慣れたかしら」


 何気なく継母がフェニス様に声をかけた。


 「はい、おかげさまで!おまけに大変面白いものを発見しました!」


 「あら、何かしら?」


 面白いもの?

 何だろうと思いながら横目で彼の方を見ていると、彼はテーブルの下からハードカバーの大きな本のようなものを取り出す。


 「これが壊れた給水場のタンクの中から出てきたんですよ!」


 私と継母が唖然としていると、父がカトラリーを皿に置く音が嫌に耳に響いた。


 「なに、それ?」

 「はい!いわゆる裏帳簿、というやつですね!」


 ━━沈黙が流れた。


 「どういうことですか?」


 私は混乱しながらも訊ねた。


 「はい、実はエスペル家が所有している山で岩塩が産出されていたようなんですよ。しかし、お義父様はそれを国に申告せず、裏で取引して私腹を肥やしていたんですね」


 サーッと全身の血の気が引くのが分かった。

 それはつまり、犯罪……。


 「お前は何者だ?」


 ずいぶんと冷静な声で父が彼に問いかけた。

 彼は少しだけ首を傾げる。


 「何をおっしゃいます、それはお義父様が一番ご存じではないですか?私は伯爵家のしがない次男坊……まぁ、エスペル家と違ってうちは没落寸前ですが」


 父から鋭い眼差しを受けながらも、彼はにこにこと笑って答えた。

 まるで、食事中の軽い会話を続けているみたいに。

 それが恐ろしくもあり、何故だか目を離せなかった。


 「それで、いかがなさいます?自己申告されたら情状酌量の余地はあるかもしれませんが……」

 「そんなもの決まっているだろう?」


 父は鼻で笑った。

 そうして間を置かずして彼の席を護衛が囲む。


 「知っている者がいなければ、それはなかったことと同じだ」


 父は優雅にナプキンで口をぬぐった。

 彼は溜め息をつき、両手を挙げて席を立つ。


 「それが貴方の答えですか……残念です」

 「や、やめてくださいっ!」


 と、咄嗟に私が席を立った瞬間だった。


 ━━護衛が、一人吹き飛んだ。

 見間違いでなければ、また一人、吹き飛んだ。

 また一人、また一人。

 気付けば、彼の周囲に立っている者は誰もいなくなっていた。


 ……人って、こんな簡単に吹き飛ぶものなの?


 呆然としながら動けずにいると、いつの間にか父を拘束している彼の姿が目に映った。


 「監察官には既に伝えています。すぐにでもこの家に調査が入るでしょう。あとは……っ!」


 そう言って彼は父を掴み上げ、力一杯に投げ飛ばした。


 ……宙に浮く父。

 それを私はただ黙って見ていた。


 「貴方は裏帳簿にずいぶん熱心で表のことを全てセシリア様に押し付けていたのですね。結婚もさせず、家に縛り付けて。……これは貴方がセシリア様に対して働いた罪の代償です」


 彼が父に対して言い放った言葉が、深く私の胸に染み入ってくるようだった。


*****


  あれから、フェニス様の宣言通り監察官が我が家に入った。

 私や継母も事情聴取され、無関係が証明されると拘束が解かれることとなる。


 父は爵位剥奪の上、監視付きで辺境の地へ追放。

 継母は実家へ帰った。

 もちろん件の岩塩鉱山の他、財産の一部は没収されることになる。


 「実は私、貴方のお兄様と知り合いなんです」


 一通り落ち着き、静まり返った庭の東屋で休んでいると、彼がぽつりと話してくれた。


 「裏金に気付いたお兄様は伯爵家に嫌気が差して家を出るきっかけを探していたんです。そこで地位を固めたい自分に、うちはどうかと持ちかけられまして……」

 「それでは執事と駆け落ちしたというのは?」

 「あ、それも本当です」

 「そう、ですか……」


 即答した彼に、それ以上は追求するまいとうつむいた。


 「私は、薄情者かもしれません」


 少し考え込んだところで、私は自分の気持ちを吐き出す。


 「父がああいう風になっても、特に何も感じていないのです」


 長く過ごした家族のはずなのに。

 むしろ彼から投げ飛ばされた父の姿を見て、胸のすくような気持ちを抱いてしまった。


 「おかしいことではありませんよ。関心を持たない人は身内と言えども、味方ではありませんから」


 そんな私に、彼はかがんで顔を覗き込んだ。


 「貴方が助けてほしい時でも無視され続けたのでしょう?」


 ふと顔を上げると、彼と目が合った。

 その優しい眼差しに、思わず涙が込み上げてきそうになった。


 「兄が放棄した執務をひたすらにやり続けられたのは、認めてほしかったからかもしれません」


 それに甘えてはいけないと、目を伏せる。


 「でも、そのせいで深く数字の意味を考えてこなかった。きっと、少し考えたら私も気付いたかもしれないのに。……私は愚かです」


 どうしようもなく愚かで、盲目だった。

 かと言って、それが許されることではないだろう。

 私は姿勢を正し、意を決して彼に向き合う。


 「だから、どんな処分でも甘んじて受けます」


 修道院でも、どこでも。

 そう、覚悟した私に彼は少し困った顔をした。


 「それなんですが……貴方が良いのなら、このまま私の妻として側にいて欲しいです」

 「……え?」

 「実のところ、セシリア様のスキルをこのまま腐らすのも惜しいですし……」


 なるほど、利用価値はあるかと思ったところで、「しかし」と彼は真っ直ぐに私の目を見る。


 「愚直に帳簿をつけ続けなくて良いんです。疲れたら休んで良いんです。……私は貴方に関心がありますから、何も問題はありません。だから自分の側にいてくれませんか?」


 言葉を失った。

 それはまるで……と、都合の良い考えが頭を過る。


 「……なぜ」

 「あえて言うのなら、あの初夜の日から私は貴方に惹かれています」


 微笑みながら彼はそう言った。

 変な考えは当たっていたが、よりにもよって「あの初夜」からなんて、とも思う。


 「おかしな人ですね」


 思わず笑みをこぼすと、「やはり笑顔が一番素敵です!」とまた斜め上な発言をしていた。

 その上で、ふとこの雰囲気を壊すような現実的なことが頭に浮かぶ。


 「しかし、スキャンダルを起こした家の者が再起できるものでしょうか……」

 「大丈夫です、ご安心ください!記者を買収してポジティブな記事を書いてもらいましたから!」

 「……今、何と?」

 「世論は今、悪徳伯爵を訴えた我ら若き娘夫婦の味方です!」


 ━━何度目かの、時が止まった。

 そうだ、この人は時間を止めるスペシャリストだったのだ。


 「……怖いっ!フェニス様怖いです!」


 大丈夫ですよー嘘は書いてないですよーただ印象操作しただけですよー、と彼は私をなだめようとしたが、そういうことではない。

 やはり、この人は道徳的に危ういところがある。


 「それはそうと、少し遅くなりましたがこれから新婚旅行に行きませんか?」


 話題を変えたくて切り出したのだろう。

 しかし、その後に続く「お義母様から差し押さえた宝飾品がけっこうな金額になりまして」との理由に何とも言えない気持ちになる。

 逐一安心できる香りがしないな、と思いつつ苦笑しながら私は答えた。


 「旅行は良いですね、気分転換にもなりますし。どうしましょう、珍しい昆虫がいるような場所に行きましょうか?」

 「良いですね!セシリア様が行きたい場所はありますか?」

 「私は……よく分からないですね」

 「分かりました!それでは色んな所に行きましょう!そのうち心惹かれることもあるでしょうから!」


 危ういかと思いきや、素直にこのようなことも言ってのける。

 不思議な人だな、と私は思った。

 不思議で、魅力的な人だ。


 「ありがとうございます。でもひとまず」


 そんな彼に近寄って、私は耳元で囁いた。


 「今夜、下着を脱いでお部屋に待機してもらいましょうか?」


 彼は破顔した。


 「いやですねぇ、そのフレーズ気に入っちゃいましたか!」

 「……実は。誉められることではないでしょうが」

 「いやぁ、あの時のセシリア様なかなかに怖かったですけどね!」

 「ふっ」


 吹き出しそうになった私を彼は見つめ、穏やかに微笑んだ。

 そして腕を差し出され、私はそれに手を添える。


 目線が合い、なぜかくすぐったい気持ちになる。

 この時、本当の夫婦になれたような、そんな希望に胸が高鳴っていた。






*****


 【おまけ】


 「ところで、よくあの数の護衛を蹴散らすことができましたね」

 「アレですね!ちゃんと私、仕込んでいまして、護衛の方々に『お疲れ様ですー良かったら飲んでください』って言ってアルコール度数高めのお酒飲ませてたんですよ!」

 「……わぁ」

 「いやぁダメですねー皆さん私のこと警戒してないからか、素直に受け取っちゃって。おまけに簡単に投げ飛ばされるなんて軟弱も良いところです!」 

 (……つまり、吹き飛ばしたのは純粋に腕力……)






ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


気に入っていただけたり少しでも何か感じることがありましたら、どうか評価や感想などよろしくお願いします。励みになります!


次もまた来週短編を載せようかと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ