第五章:Life Loop - めぐりの螺旋
1. 静寂のアップデート
山頂から放たれたカイの「掠れた鼻歌」は、シンが地上で刻む重低音の振動と、アカリのレンズが捉えた光の粒子を媒介にして、聖華市の全域へと広がっていった。
それは、かつてのような爆発的なハッキングではなく、乾いた大地に水が染み込むような、静かな「共鳴」だった。人々のデバイスや心にこびりついた強迫的な数値を、柔らかな「余白」へと書き換えていくプロセスだった。
「な、何が起きている……? 再起動コードが……書き換えられていく……」
崩れ落ちたイヌイの目の前で、モニターを埋め尽くしていた冷酷なグリッドが解け、原生林の木漏れ日のような、有機的な光の明滅へと変貌していく。リ・コンストラクトの強行した効率化プログラムは、カイが持ち込んだ「不完全な生命の心音」によって、その鋭利な角を削られ、循環の一部へとリ・アレンジされていった。
街中の人々が, 自分のデバイスを置いた。
そこには「悪」を叩くための通知も、「効率」を急かす指示も表示されていない。ただ、レンズ越しでなくとも感じられる、柔らかな風の音と、足元から伝わる大地の鼓動だけが響いていた。
2. いのちのめぐり、アークの完成
「創ること、使うこと……それは手の仕事じゃない。いのちのめぐり、そのアーク(弧)の一部だったんだな」
アカリは山の中腹で、自分の手を見つめていた。泥に汚れ、無数の傷が刻まれたその手は、効率という名のマヒから覚め、今、生命のHistory(歴史)を自ら刻み込むために動いている。
人と人、人とモノ、人とこの世。
それまで別々の境界線にいた存在が、一つの大きな螺旋の中で溶け合い、新しい次元(New Dimension)を形作っていく。
「シン、聞こえるか。この街が、呼吸を始めたぞ」
山頂のカイが無線に語りかける。
「ああ。あたりまえの日常が、最高に新しく聴こえるぜ。……レンも、どっかで聴いてるかもな」
地上では、止まっていた物流システムが再稼働を始めていた。しかし、それは以前のような「奪い合い」のためではなく、「分かち合い」のための緩やかな流れだった。人々は自らの手を動かし、壊れたものを直し、誰かのために何かを創る喜びに立ち返っていった。
3. あたりまえを、新しく
数ヶ月後。
聖華市は、もはや「ディストピア」とも「楽園」とも呼ばれなくなった。
そこにあるのは、迷い、間違え、それでも互いの声に耳を澄ませる、泥臭くも愛おしい人間の暮らしだ。
カイは山間の集落に戻り、再び音の修復を続けていた。
土間には、アカリが摘んできた名もなき野花が活けられ、シンの新しいアルバムのビートが、薪ストーブのはぜる音と心地よく混ざり合っている。
カイは、長年喉の傷を隠し続けてきた古びたスカーフを、役目を終えた歴史の一部としてそっと窓辺に置いた。剥き出しの傷跡に、冷たくも心地よい山風が触れる。
「……自分を知り、誰かと混ざり合うこと。それが、今の俺のBaseだ」
彼は立ち上がり、新しく淹れたコーヒーの香りを深く吸い込む。
レンズを通さずとも、この世界の「真実の正体」は、目の前の当たり前の風景の中に宿っている。
「おはよう」
カイが静かに呟いたその声は、かつてなく澄み渡り、螺旋を描いて窓の外へと広がっていった。
魂の書き取り、その不完全な記録は続いていく。
この「いのちのめぐり(Life Cycle)」が螺旋を描き続ける限り、あたりまえで、新しすぎる歌は、いつまでもこの世界を震わせ続ける。
(完)




