第5話 試練と修行
「灯馬くん、どうしたの? 震えてる……」
新宿ダンジョンゲート前。祈の心配そうな声が、遠い世界の出来事のように聞こえる。 灯馬は自分の指先を見つめた。小刻みに震え、止まらない。先ほど身体を断ち切った、あの絶対的な死の感触が指先に、胸に、魂にこびりついて離れない。
(……戻った。本当に、戻ったんだ)
周囲を見渡せば、相変わらず荒木ら中堅冒険者が自分を嘲笑い、巨大モニターの中では白河流星が輝いている。 平和な、最悪の日常。だが、あと一時間もすれば、あの深層で**『階層膜干渉』**が起き、自分たちは九条に捨てられ、あの死神の鎌に刈り取られる。
「九条さん!」
灯馬はなりふり構わず、ギルドに入ろうとする九条蓮の元へ駆け寄った。 「あ、あの……今日の遠征、中止に、してくれませんか……! あそこは、危ないんです! 本当に、とんでもない化け物が出るんです!」
九条は立ち止まり、ゴミを見るような目で灯馬を見下ろした。 「……レベル1が、予言者気取りか? 死ぬのが怖くなったなら、今すぐその女を置いて失せろ。契約金は倍にして請求してやるがな」
冷笑と共に、九条は去っていく。 無駄だった。レベル7の彼にとって、レベル1の忠告など、羽虫の羽音にも等しい。 灯馬は絶望に膝をつきそうになった。逃げればいい。今ここで祈を連れて新宿から逃げ出せば、あの死は回避できるかもしれない。
だが、視界に浮かぶ祈のステータスが、残酷な現実を突きつける。
NAME:神和 祈
CONDITION:魔力過敏症(進行度:中級)
今逃げれば、彼女は病で死ぬ。 立ち向かえば、死神に殺される。 どちらを選んでも、待っているのは「死」という名の結末だけだ。
「……行くしかないんだ」
灯馬は震える手で短剣の柄を握りしめた。
二度目の遠征。 デジャヴのような光景が繰り返される。第40階層。肺を焼く魔力。そして、空間がガラスのように割れる音。再び現れた『深淵の死神』。九条の冷酷な裏切り。閉ざされる隔壁。 暗闇の中、再び振り下ろされる青白い鎌。灯馬は今度こそ避けようとした。全力で横に跳んだ。 だが――。
(速すぎる……っ!)
一撃。 今度は首を刎ねられた。 視界が回転し、地面が迫る。一瞬の暗転の後、再び新宿のゲート前。祈の温かいヒール。
三度目。背中を貫かれた。 四度目。祈を守ろうとして両腕を失い、そのまま食い殺された。
十度、二十度、三十度……。 回数を重ねるごとに、灯馬の精神は磨り潰され、悲鳴を上げた。 死は慣れるものではなかった。毎回、心臓が止まる瞬間の恐怖と激痛は鮮明で、回帰するたびに吐き気が彼を襲う。
だが、五十度目の死を迎える直前、灯馬の瞳にわずかな光が宿った。
(……見える。今の、鎌の軌道……さっきより、わずかに遅く感じた……?)
いや、敵が遅くなったのではない。自分の脳が、死神の「死の予備動作」を記憶し、神経がそれに適応し始めているのだ。 ゴブリンから逃げ続けてきた時には決して得られなかった、「死を対価にした究極の実戦経験」。
NAME:時任 灯馬
LEVEL:1
LOG:アビス・リーパーの初動パターン(1%)を解析……魂に蓄積中
肉体のレベルは1のままだ。ステータスの数値も一つも上がっていない。 しかし、五十回の死のノウハウだけは、確実に魂に刻まれている。
「……もう一度だ」
五十一度目の回帰。灯馬の瞳から、単なる怯えが消えていた。 代わりに宿ったのは、逃げ道をすべて塞がれたネズミが、獲物の喉笛を食いちぎろうとする時のような、狂気を孕んだ静かな覚悟。
平和主義で、弱気で逃げ腰だった少年は、最愛の少女を救うというただ一つの目的のために、自らの死を「攻略のための試行錯誤」へと変えるという、茨の道へ足を踏み出した。




