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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

これは僕が幸せになる話。

作者: サンライス
掲載日:2025/11/30

「じゃあ、学級委員長は日下部にお願いする」

担任の一言を始めにクラス全体が義理的な拍手で埋まる。いや、少しは感謝の意味もあるのかもしれない。面倒な役を受け入れてくれてありがとう、と。

「半年間よろしくお願いします」

担任に手で呼ばれた日下部は教卓の隣に立ち少し堅い笑顔で言った。

実質ホームルームであった一限が終わり、休み時間各々が仲の良いグループと固まって話し始める。先ほどとは対照的な騒がしさだ。

「日下部偉いじゃん。絶対だるい仕事なのにさ」

俺は日下部に話しかけた。なんだかんだ3年間同じクラスだからか高校に入ってからの付き合いなくせにやけに昔から知っている奴の様な気になる。

「そう言わないでよ。先生と話す機会が増えたら勉強とかでも聞きやすくなるし、みんなにも名前覚えてもらいやすいから意外といいことも多いよ。」

「いやいや、その考え方ができんのが偉いって。俺は無理」

「もー、褒めてる?それ」

「褒めてる褒めてる。ちょー憧れる」

「調子のいい奴め」

2人で軽口を叩きながらまだ長い学校で過ごす一日の貴重な休み時間を消費する。

「ほらほらお前ら席もどれー」

教師が教卓に立つ。次の時間まであと2分あるため不満の声が上がるが教師は一喝する。

10分間の中の2分はかなり長いと思うが、その感覚が理解できないようだ。青春の記憶は色褪せないというが、この教師の青春の学生時代の記憶は色どころか面影も忘れ去られているらしい。この調子じゃこいつは裏で嫌われる枠だな、なんて心の中で悪態をつく。ふと右前の席の日下部を見ると、こちらを見て苦笑いを浮かべながら顔を指さしている。どうやら心の中だけではなく顔にも悪態が出ていた様だ。日下部の呆れ顔にどこか愉快さを感じた。それが今日の記憶。始まったばかりならまだしも、2週目の授業は急にキツくて嫌になる。嫌なことは忘れる都合のいい頭は、今日の記憶をほとんど消していた。後で困るのは俺なんだけど、なんて自分の体のくせに言うことを聞かないことにじんわり腹を立てる。

「お疲れ様、授業怒涛の勢いでキツかったね」

日下部は困り眉で笑う。流れで一緒に帰ろうとするが担任から声がかかる。

「悪い、日下部ちょっと今日残ってくれ。学級委員長の集まりがあるんだ」

「あ、わかりました!」

…どうやら一緒には帰れそうにない。いやまあ、特に用事もないから待てばいいのか。

「今日一緒に帰らね?」

「えっ、今の話聞いてた?」

「待ってるからさ」

「いいの?」

日下部の口角が下がる。しかし、目は嬉しそうに見開いていた。

帰りのホームルームが終わり、ちらほらとクラスメイトが教室から出て行く。部活やら友達を待つやらでまだまばらに人の残る教室で、俺は椅子に体重を預けだるんと座っていた。運動部の声が聞こえ、ふと窓の外を見る。夕方の空は、茜色と紫色の境界線がグラデーションに彩られていた。どうしてこの時間の空は普段意識しない美しさを見せびらかしてくるのか。まあでも、別に空はいつも綺麗だ。青空だって夜空だって嫌いじゃない。なんなら、夜空は好きなものの一つだった。山とか海とか灯りの少ないところで見る星空。でも最近は、都会で見る空だって好きになっていた。いや、あれは夜空が好きと言うより夜景が好きと言った方が正しいだろう。天然だろうが人工物だろうが、遠くから見る光はなんだって綺麗だと思う。いつの間にか教室に1人だけになっていた。窓に近づき下を見る。

「足りないな」

「なにが?」

日下部が後ろから話しかけてきた。驚いて後ずさる勢いで窓に頭を打つ。

「痛い!」

「あはは、ごめんごめん。お待たせ、帰ろっか」

全く気持ちのこもっていない謝罪をされムッとした顔をする。愉快犯もどきをジトッと見てから頭をさすりつつ荷物を背負った。

同じ電車に乗り、降りるのは日下部の方が先だ。

「じゃあ、またね」

「ん、またな」

結局、家の玄関を潜ったのは18時半を過ぎた頃になってしまった。

「おかえり」

母の声だ。怒ってる時の、と反射的にわかり喉が硬くなるのを感じる。

「…ただいま!友達待ってて遅くなっちゃった」

ワントーン声色を明るくして言う。

「ご飯、もうできるから。」

「ほんと?ありがとう!」

我ながら浅はかな媚び方だと思いつつも、今更慣れ親しんだこのスタイルを変えられない。

「遅くなるなら、次からはちゃんと連絡してね」

「はーい」

そんな何気ない会話。でも、嫌なのはここじゃない。

「私はただ、心配で…っ、!

…ごめんね、お母さんが全部悪いね。ちゃんと遅くなるか聞けばよかったんだもんね…!」

寝室のベッドの上で母親が泣く。リビングにいたって聞こえてくる泣き声を無視できないのは、このまま引きずられる方が面倒だから。

「俺が連絡忘れてたのが悪いよ、ごめん。ちゃんと今度から連絡する。」

心にもないことだ。どうせ数日経てば忘れてまた同じことをやらかす。思えば本当に俺が悪いのだが母親への面倒臭さを先に考えるあたり、恵まれた環境でぬくぬく育って甘やかされているのだと嫌気がさす。もちろん普通寄りの優しく幸せな家庭に生まれてきた自覚はあるのだが。いわゆる親ガチャ大成功。あーまったく、不幸知らずの人生だ。時計が23時過ぎを指していた。そういえば眠い気がする。きっと明日になればそれなりに落ち着いているだろうと、自室のベッドに入った。

そんな毎日を繰り返す、なんて言い方はありきたりだろうか。気がつけば高校3年生終わりまでのカウントダウンカレンダーが作られていた。そういえば一枚描いた記憶が微かにある。今更こんなふうに考えるのは、受験が終わりようやく一息つけるようになったからだろう。まだピリピリするクラスメイトもいるが、大半はもう進路が決定して清々しい気持ちになっており、主に授業ではだらりとした雰囲気になっていた。

「日下部」

声をかけると日下部の方がびくりと跳ね上がる。

「な、なに?神楽」

神楽は俺の名前。今更なのは必要性がそんなにないから。

「いや、なんかぼーっとしてたじゃん。どした?」

「え、っと…あはは」

やけに目が合わない。言葉を濁しているが本当になんでもないなら日下部はちゃんと訂正する。何かあることは確信に近かった。

「目の下、クマできてるぞ」

「嘘?!」

「嘘」

慌てて目の下を触った日下部に、べっと舌を出して言う。

「なんだよそれ〜!…心配かけてごめんね。」

「はぁ?心配してるのは俺の意思なのでお前が謝る義理も権利もないからな」

「横暴だ…!ふっ、あははっ!なんかわざわざ隠そうとするの馬鹿らしくなってきちゃった」

日下部の笑い声を聞きどこか誇らしくなる。調子に乗るとも言うかもしれない。

「そうだろそうだろ、観念して言ってみろって」

どんなことでも重く捉えない。その代わり、誰よりも何よりも真剣に聞くから。

「じゃあ、今日の放課後残れる?」

俺は短い返事をした。もちろん承諾の。


「お待たせ、ごめん先生に仕事任されちゃって」

冬なだけに、外が真っ暗になるのは早かった。

「おつ〜」

「つかれた〜」

「えらい」

「でしょ」

他に誰もいない教室。自分のためだけに明るかったその空間は、2人のものになった。

しばらく中身のない言葉のキャッチボールをして、だべる雰囲気のまま日下部は本題に入った。

「受験のモチベーションが無くてさ。ここからが本番なのにな〜」

「周りも結構終わりましたムードだしな。俺も含めて」

「それも理由の一つだけど…1番は、僕の第一志望にはもう受かってるからなんだよね」

日下部が薄く笑う。

「え?あーたしかに。行きたいって言ってたところ受かってたよな。合否出るの俺んとこと同じ日だったし」

「うん」

「えっ、なんでまだ受験してんの」

「ね〜」

ただ何も言わずに言葉を待つ。教室が数秒静寂に包まれるが、そこに気まずさはなかった。

「第一志望、雅大なんだ。父さんがそこに入れって」

「え、雅丘大学?」

「うん。」

東京大学、一橋大学に並ぶ国立の超難関大学。それが雅丘大学。俺ではなんかすごい大学という空っぽの感想しか思いつかないようなところ。

まあでも、日下部は成績優秀で県内でもトップの実力者だ。生活態度も模範的で優秀。受かるのが夢かと言われればそんなことはないかもしれない。けど、だけど。だいぶ前の何気ない雑談を突然思い出した。

「日下部って、保育士になりたいって言ってたよな」

「まあ、親には言えてないしね。」

滑り止めでもそういう学校受けさせてもらえて嬉しかった、なんて。

「…言わねぇの?」

「鼻で笑われちゃうよ」

「でも、お前の進路だろ」

「父さんも母さんも、僕のために言ってくれてるからさ。」

自分の気持ちを優先しろよと思うのは、俺の傲慢なんだろうか。困り顔で笑う日下部を見て、眉間に力がこもった。

「一回、言ってみるくらい、いいんじゃねぇ、の」

口に出した言葉は、喉に力が入り過ぎてきたのか思ったよりもつっかえてしまった。

「…うん、確かに。一回言ってみるよ。」

クシャリと笑った日下部を見て、俺は負けじと笑って見せた。


次の日、日下部は左手に包帯を巻いていた。本人曰く料理中に火傷したらしい。

「えへへ、ちょっとやらかしちゃってさ。」

珍しいこともあるものだ。

「、、、」

んなわけあるかなんだあの広範囲。圧かけて捲らせたら肘まで巻いていた。どんな料理だおっちょこちょいとかじゃねぇだろ素手で鍋かき混ぜたんかおい。

「大丈夫?ピカソが描いたみたいな顔してるよ」

「原因はお前」

「えっ」

事情を聞きたいが、こんな教室のど真ん中で言わせるのはダメだと思った。

「ちょっと、表出ろ」

「何カツアゲ?」

「その可能性もある」

「えー困る」

日下部の右手を緩く掴み教室を出る。これが男女ならロマンティックな青春かもしれないがあいにく野朗と野郎。どこか変なテンションのまま階段を降りて誰もいない下駄箱に着く。

「で、なんだその怪我」

ぐるんと振り返り日下部の顔を見る。

「料理中にやらかしちゃって」

「それだけならこんなとこ連れてこない」

お節介は百も承知だった。でも、放っておきたくもなかった。

「保育士になりたいって言ったら、怒られたんだ。最底辺の人生送りたいのかって。」

昨日の話。日下部が親に、自分の気持ちを伝えた。きっかけは俺。背中を押した俺。

脳に浮かぶのはそんな考えだった。

「勉強できない利き手じゃない手は、動かなくても受験に影響ないからってさ」

ちょっと酷いよね、なんて。そんなふうに笑わないでくれ。

日下部は左手を見つめてから言った。

「神楽は何も悪くないよ」

いっそ俺のせいにして欲しかった。

「僕がよくない生き方しようとしてたから止められただけ。今苦しいから、将来幸せになれるんだよ。」

日下部の笑顔は、いつも幸せそうじゃない。

「将来っていつ」

「えー、大人になったらとか?」

「もう成人はしてるだろ」

「それはそうだけど」

苦労した分報われる。そうかもしれない。

それは正しい意見で、俺が認められないだけ。俺はずっと今を生きて今を楽しむ選択をしてるから。間違ってるかもしれないのは知ってる。後悔の尽きない生き方を俺はしてる。

「学校サボらね?」

これも、後悔に変わるもしれないけど。

「今から!?」

「うん」

「もう授業始まるよ?」

「知ってる」

「本気?」

「本気」

「えっと…」

「いつも待ってるツケ、ここで払ってくれよ」

放課後、待ってるのは俺の勝手なんだけど。今だけは都合よく使わせてもらおうと思った。

日下部は深くため息をつき、ムスッとしながら言った。

「しかたないなぁ」


そのまま校門を出て、電車に乗る。

「どこ行く?」

「ノープランだったの?」

「うん」

「ばーか」

「お前に言われると否定できない」

「知ってる。24点」

「なんで俺の英語の点を知ってる?!」

そのまま、日下部がいつも降りる駅まで着いた。ドアが開く。ドアが閉じる。

その駅を出発しても、スカスカの電車内に2人でまだ座っている。

ここからが非日常だ。

「ここ行こうぜ」

「遊園地?」

日下部にスマホの画面を見せる。写っているのは、ここから車で1時間ほどの遊園地。

「そう」

「ここから行ける?」

「行ける行ける」

どうせならこの非行を思う存分楽しもうぜ。罪悪感を吹き飛ばすほどの楽しさを味わいたかった。


「着いちゃった…」

「到着!!」

錆びれた遊園地のゲートを見上げる。横のチケット売り場で乗り放題の1日券を購入し、2人で中に入った。

「ジェットコースター乗ろうぜ!」

「いきなり?」

「いきなり!」

日下部をほぼ引きずりながら『Splash Dragon』と書かれたアトラクションに行く。

祝日でもない平日でしかも割と知名度のないここは、ほぼ俺たちの貸切だった。

すぐに順番が来てアトラクションに乗り込むと、ゆっくりと動き始める。

「も、もう来る?まだ?まだ?!」

「来る来る来る…」

「えっ嘘待っ」

「うおおおおお!!!!」

「わーーーーーーー!!!!!!!」

「早い早い早い!」

「くぁw背drftgyふじこlp;@:「」!!!!!!」

2人で思い切り声を出す。日下部から聞いたことのない声量の叫びを聞き余計に面白い。

ふらふらになりながらアトラクションを降りる。

妙な爽快感と浮遊感でまだ胸が激しく動いている。

「やば!!かった!!!!」

目を輝かせる日下部。俺以上に楽しんでいてなんだか笑える。

「次あれ行こ」

指さしたのは空中ブランコ。

「よし来た」

日下部の罪悪感はもう吹き飛ばされたらしい。すでに歩き始めている日下部を走って追い越す。すると日下部も追い抜いてきて、そんな意味のない競争をしながらアトラクションに向かった。

他に客のいない遊園地は、開放感が段違いだ。どんなことでもできる気がした。

「神楽ー!」

「なんだー!」

「やっほーー!!」

「いえーーい!!」

空中ブランコに乗りながら馬鹿みたいに叫ぶ。意味なんかないけど、ただひたすらに爽快だった。


コーヒーカップに乗った。回したい俺とそんなに回したくない日下部でハンドルの攻防戦をしたり、

「「うおー!!!」」

「無理無理無理酔う!酔います!僕はとても酔います!!」

「行ける行ける行ける負けるな!限界を超えていけ!!」

「嫌ですこんなことで超えたくない!適度に楽しませろ!適度に楽しませろ!!」

「全力で楽しもうぜ!ほら!!風になろう!!!」

「僕は人でありたい!!!!!!」

「「うおーーー!!!」」


お化け屋敷で作り物のお化けたちに茶々入れたり、

「あの子抱ける?」

「その発想が怖い。あれ貞子だよ多分」

「女の子に変わりはないから」

「お化けより人の方が怖いって話?」

「間違っちゃねぇ」

「ねえ否定して」

「いやでーーす」

「うわあの人顔の面積広いね」

「悪口?」

「悪口」

「さいてー」

「言葉を選ばずに言うとデブ」

「選べ言葉を」

「いやでーーーす」


もう一回とねだる日下部の要望でジェットコースターに乗り直したり、

「もう一回!あと一回!」

「これもう五回目!」

「まだ一桁だよ」

「人がいないこと有効活用しすぎだろ」

「有意義でしょ?」

「そうだけど…」

「さぁもう一回!」

「叩き売りのテンションやめろ」

「次でラストだから!」

「…しゃあねえ行くか!」


アトラクションを全制覇していった。

「あとどこ行ってないっけ?」

「子供用汽車ポッポのアトラクション」

「えっ行かなきゃ」

「正気か?」

「せっかくだし…」

〜♪(童謡に出てきそうな愉快なBGM)

「…」

「…」

2人してこのアトラクションにしては余りすぎる足を折りたたんで大人しく乗っている。アトラクションから降りたあと、顔を見合わせる。

「意味がわからない」

「僕も」

「おい言い出しっぺ」

「だって!」


恥も外聞もかなぐり捨てて、思うがままに遊んだ。

気がつけばもうすっかり暗くなっていた。アトラクションたちが光り始める。

「ねぇ、展望台行かない?」

「行く」

古臭いこの遊園地にエレベーターやエスカレーターなんて便利なものはないらしい。

俺たちはしかたなく、でも期待を持って階段を上がっていった。

「長すぎ」

「何階がゴールなの?」

「2階」

「最上階しかないの??」

「これ作ったやつ頭空っぽ!」

「体力バケモノ用じゃん」

「脳筋?」

「絶対そう」

「バカじゃん」

階段を上っても上っても長すぎる先を見ながら建築者の悪口大会が始まる。疲れに比例して理不尽になっていく。それすら楽しくて、頭を空っぽにして脊髄で話していた。しりとりしたり、じゃんけんしながらグリコで上がっていったりもした。もう体力もないくせに何故か鬼ごっこを始めた時は2人で酷く息を切らし後悔してから大笑いした。小学生みたいに、もしかしたらもっと幼い子供のように、俺たちははしゃいでこの時間を楽しんだ。

そしてついに、扉が見えた。開けるとそこは展望台のくせに窓がなくて、学校の屋上みたいだった。行ったことないけど。教室で見るよりずっと雲が近い。吹いてくる風が気持ちいい。冬の寒さが、はしゃぎすぎて暑い今の体には心地よかった。日下部も同じく気持ちよさそうに両手を広げ思い切り深呼吸をしていた。

下を見ると、アトラクションの光で溢れていた。

全部、今日遊んだところだ。一つ一つの馬鹿にできない楽しかった思い出が蘇ってきて、より輝いて見える。見えにくい星空なんかより、ずっと綺麗だと思った。

きっと今俺は、最高の時間を過ごしている。今、誰より世界を愛してる。だから。

俺は手すりを乗り越え、空と展望台の境界線に立った。後ろから日下部に呼ばれて振り返る。

「か、神楽、何してるの?」

「俺、今がいい」

「は」

「今、ここから飛び降りたい。」

日下部が固まる。目を見開いて、そのままこぼれ落ちてしまいそうだな。

「なんで、」

掠れた声。その顔はどこか迷子の子供のようだ。

勘違いしないでくれよ。俺は苦しいんじゃない。死にたいんじゃない。

「ただ、この瞬間で終わりたいんだ。俺の人生、最高の瞬間で」

これ以上ないほどの幸福だから。この愛しい世界を永遠にしたいんだ。それにきっと、

「ここから落ちて見る景色は、きっと1番綺麗なものだと思うから」

そこまで言ったら、日下部の目に不安はもうなかった。

「なら、僕も連れてって」

日下部も、手すりを乗り越えた。

「僕も今が最高だと思う。今、幸せだ。将来って、今のことだったんだって思えるほどに。」

神楽の瞳は下の光が反射して集まっているかのように、どのアトラクションにも負けないほど輝いている。

「それに、神楽の見る最高の瞬間に僕もいたい。」

その言葉を聞いて、さらに心が満たされた。これ以上の最高が更新されることは、もうきっとない。

俺たちは2人で展望台を飛び出し、この瞬間に相応しい最高の笑顔で地球に向き合った。

上を見れば遊園地のアトラクションのライトが一つ一つ暖かく微笑むように光を灯している。横を見れば遊園地の外の街灯も点々と光り水平線のように見えた。遠くに見えるビルの光はプラネタリウムで見る星空みたいではっきりと綺麗だった。風圧なんて感じなかった。感じたのはこの美しい世界を少しでも長く最後まで見せようとする、地面との間に挟まる透明なクッションのような風。世界中が俺たちの味方だった。走馬灯なんて見なかった。今この瞬間を目に焼き付けるのにそんなもの必要ない。体の自由なんてきかないが、日下部と目が合った気がする。日下部は笑顔じゃなかった。

グシャ。

これは、俺たちが幸せになった話。




俺は、病室で目を覚ました。隣に日下部はいない。ああ、降りるのはあいつの方が先だったな。

ここまで読んでくださり誠にありがとうございました!

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