4.契約の終わりと、最高の研究結果
契約の終わりと、最高の研究結果
王都から銀灰の塔へと矯正帰還させられた後、、アークライトの独占欲はさらに強まった。
彼は研究室の隣にアメリアの部屋を作り、常に彼の魔力が届く範囲に置いた。
彼の言い分は変わらない。
「最高の研究環境を維持するためだ」
食事の際、彼がアメリアの作った料理をすべて平らげ、「また、アメリアの料理が食べたい」と指示すること。
夜、研究が煮詰まると、アメリアが淹れた紅茶を飲むまで研究室に戻らないこと。
アメリアの体が冷えていないか、研究の合間に無言で魔力で温度を調整してくること。
それらすべてが、愛情表現を知らない魔術師による、今までにないの不器用な愛情表現だった。
穏やかに、そして、確実に日々は過ぎていった。
そして、一年間の契約期間が満了する、数日前。
アメリアは、契約書を取り出し、彼の研究室の扉を叩いた。
「アークライト様。お休みのところ申し訳ございません。契約期間の件で、ご相談がございます」
アークライトは、研究に没頭しているふりをして、アメリアが来る足音を聞いていた。
彼女が契約書を持っているのを見て、彼の心臓が、規則正しくないリズムを刻み始める。
「・・・・その契約書は不要だ」
アークライトは、冷たい声で言った。
だが、その声には、微かに焦りが滲んでいた。
「不要ではございません。わたくしは契約に基づき、数日後には館を出ていかねばなりません」
アメリアは契約書を机の上に置いた。
「アークライト様。この一年、貴方に最高の研究環境を提供できたことを、心より光栄に思います。わたくしのような地味な者でも、誰かに必要とされる喜びは、何にも代えがたいものでした。ありがとうございました」
アメリアは、別れの挨拶を告げた。
彼女の目は潤んでいたが、それは感謝の涙であり、決して彼の研究の妨げになるまいと、最後まで完璧な契約者であろうとした。
アークライトは、アメリアの「感謝」という言葉に、深い「喪失」の予感を感じた。
彼女が去る。
彼女がいない生活――魔力の乱れ、不快な雑音、
冷え切った紅茶、乱雑な部屋。
何よりも、彼女の穏やかな気配がない、孤独な館。
彼は、その不快感が、もう「研究の妨げ」という理屈では説明できないことを知っていた。
これは、恐怖だ。
アークライトは、契約書を掴み、その紙を握りつぶした。
「出ていくなど、許可しない」
彼は立ち上がると、アメリアの前に立ちはだかった。
その巨体と強大な魔力に、アメリアは息を詰めた。
「ですが、契約は……」
「契約を破棄する。お前は私の研究の成果そのものだ。成果を、簡単に手放す愚かな研究者がどこにいる」
彼の言葉はまだ「研究」に固執している。
だが、その銀色の瞳には、アメリアを映す以外の、一切の理性はなかった。
「お前がいないと、私の魔力制御は再び乱れる。私の研究は破綻する。そして、何よりも……」
アークライトは、初めて、魔術師としてではなく、一人の男として、理性では説明できない感情を口にした。
「……不快だ。お前がいない空間は、耐えられないほどに不快で、我慢などできない」
アメリアは驚いて顔を上げた。最強の魔術師が、初めて、弱音のようなものを吐いたのだ。
アークライトは、両手でアメリアの小さな顔を包み込んだ。その手のひらは、少し熱い。
「アメリア。私は研究を続ける。生涯にわたって、お前の魔術が私の魔力に与える影響を観測し続ける必要がある。そのためには、お前を永遠に、私の傍に置く必要がある」
彼は、最上階の窓から見える満月を背負い、真摯な眼差しでアメリアに問うた。
「これは、研究者として、そして……この館の主として、お前に下す、最高の研究続行の要請だ」
アークライトは、アメリアの手首にあった銀の腕輪を外し、代わりに、自分の魔力が込められた最高級の指輪を取り出した。
「契約ではなく、永遠の誓いを結んで欲しい。私の『妻』となってくれ、アメリア・クリフォード。アメリアのいない生活など、考えられない。」
それは、懇願のような、プロポーズだった。
アメリアの瞳から、一筋の熱い涙がこぼれた。
冷遇されてきた人生で、初めて受けた、純粋で普段のアークライトからは、考えられない程の、真っ直ぐな愛の告白。
「アークライト様……わたくし、あなたの『研究対象』でいられるのなら、それでも良かったのです。でも、ここでの生活が、あまりにも心地良くて欲張りになってしまったのです。貴方に、愛されたいと願ってしまいました。貴方が、望んでくれるのなら、どこへも行きません」
アメリアは、涙を拭いもせず、満面の笑みを浮かべた。
アークライトの顔に、初めて、安堵と喜びの感情が浮かんだ。彼は指輪をアメリアの薬指に嵌めると、彼女を強く抱きしめた。
「愛してる、アメリア。これで、私の研究は永遠に続く」
彼の言葉は最後まで『研究』だったが、アメリアは知っていた。
これは、最強の魔術師が、不器用ながら真っ直ぐで温かい愛に紡いでいく、最高のハッピーエンドなのだと。
彼女は、彼の肩越しに輝く月を見上げ、静かに誓った。
彼の研究対象として、
彼の唯一の愛する人として、
この愛の奇跡を、生涯、彼と共に歩み続けようと。
(完)




