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地味な伯爵令嬢ですが、最強魔術師の研究対象となりました。  作者: 碧凪


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3.研究対象は、手放せない

アークライト・ノックスは、自身の研究を再開した途端、明白な変化に気づいた。


彼の術式は、かつてないほど安定していた。

魔力が制御不能になる危険性は減少し、思考はクリアに澄んでいる。

三日間の徹夜も、以前なら頭痛と吐き気で立っていることも難しかったが、今回は体の奥から湧き出るような、静かな活力を感じていた。


原因は明白だった。


アメリア・クリフォード。


彼女が館に入ってから、彼の生活空間は完全に正常化された。


「やはり、アメリアの魔術は空間の秩序を整える効果がある。それが私の魔力の暴走を受け止め、鎮めている。つまり彼女は、私にとって最高の『生きた魔力制御装置』なっているのか」


アークライトは論文を書きながら、心の中でそう結論付けた。

彼の偏屈した考えでは、アメリアは自身の研究の進捗に関わるにとって不可欠な「道具」だった。


「道具は、万全の状態に保たねばならない」


そう理屈をつけた彼は、初めて、自分の研究室から一歩出て、アメリアの生活を観察し始めた。


アメリアは館の書庫にいた。

埃まみれだった蔵書は全て生活魔術で綺麗にされ、窓際の椅子とテーブルのある空間で、彼女は静かに読書をしていた。


彼女の姿は、まるでそこにいるだけで、殺伐とした魔術師の館に温かい息吹を与えているかのようだった。


アークライトは、彼女の淹れる紅茶を飲むために、初めて午後の休憩時間を設けた。


「ノックス様、こちらでございます」


差し出されたカップを受け取ると、いつものように、アメリアはすぐに距離を取る。

この距離感が、彼女が自分を『塔の主』、自分を『契約妻』として認識している証拠だった。


アークライトは少しの不快感を覚えた。


「アメリア」


「はい」


「……この部屋は快適だ。しかし、少々私達の間の『距離』に問題がある」


「申し訳ございません。すぐに、席を外しま……」


アメリアは立ち去ろうとしたが、アークライトはそれを遮った。


「そうではない。……私の向えに座れば良い。研究対象は、私の視界に入る範囲に置くべきだ」


アメリアは戸惑いながらも、言われた通りアークライトの正面の位置に座り直した。


アークライトは、淹れられた紅茶を一口飲む。


(……やはり、落ち着く)


ただそれだけだった。しかし、この『快適さ』が、研究を中断させてまで彼女の傍にいる理由だった。

彼はアメリアの存在を研究の一部として組み込み始めたのだ。


「今日はここで作業をしろ。私に、君の魔術の『静寂』を提供してくれ」


「かしこまりました」


その日、アークライトの部屋の一角がアメリアの定位置となった。アークライトは研究に没頭するふりをしながら、時折、読書に集中するアメリアの横顔を観察した。彼女が淹れる温かい紅茶。

規則正しく動く指先。

何も語らず、ただ静かに存在するその姿は、彼の混沌とした精神を、穏やかに整えていった。

そんな日々が二ヶ月ほど続いたある日。

アークライトの魔術学会の知人が、実験失敗の報告のために、この館を訪れた。


「ノックス!君の館が綺麗に変わったと聞いて、誰の魔術かと思ってきたよ!」


知人の魔術師は、館の美しさに驚きながら、部屋の片隅で静かに座るアメリアを見て立ち止まった。


「ほう?これは新しい秘書かね?地味だが、なかなか悪くない」


知人の魔術師は、アメリアの手の甲にキスをしようと手を伸ばす。アメリアは慣れないことに小さく身をすくめた。

その瞬間、アークライトの目が鋭く光った。


「触るな」


低く、冷たい声が響き渡った。


「私の研究対象だ。許可なく触れることを許さない。手を引っ込めろ」


アークライトの背後から、凍てつくような魔力が放出された。知人の魔術師は、その圧力に、顔から血の気が引いた。


「わ、悪かった、ノックス。つい、美しいものに目が……」


「美しくなどない。ただ、私にとって不可欠な研究対象だ」


アークライトはそう言い放つと、アメリアをまるで大事なものを取られたくない子供のように、自分の影に引き寄せた。


「行け。私の研究の邪魔をするな」


知人を追い払った後、アークライトはすぐに研究に戻った。だが、彼はアメリアを自分のすぐ隣に座らせたまま、離さなかった。


アメリアは、彼の強引な態度に少し怯えながらも、なぜか心臓が温かくなるのを感じた。

(不可欠な研究対象……ですか。でも、初めて、誰か

にに必要とされた)

冷徹な魔術師の庇護は、彼女が伯爵家で味わった冷遇とは比べ物にならないほどの絶対的な安心感を与えていた。



知人の魔術師が去った後も、アークライトはアメリアを自分の傍から遠ざけなかった。


彼は研究を再開したはずだったが、その銀色の瞳は時折、彼女の様子を伺うように動く。

彼女が温かい紅茶を淹れ始めると、自然と体が伸びてカップを受け取る体勢になる。

アメリアは、この『研究対象』としての立場に、奇妙な安堵感を覚えていた。


(私は、ここにいても良い存在)


伯爵家では、常に誰かの顔色を窺い、褒められようと地味な努力を続け、それでも最終的には厄介者として扱われた。

しかし、この館では、アークライト・ノックスという最強の魔術師が、彼女の存在を「不可欠」だと断言している。

彼の言う「道具」という言葉は、確かに冷たい。

だが、彼に守られ、必要とされているという事実は、アメリアにとって何よりも温かいものだった。


その夜、アメリアは夕食のために館の台所に立っていた。台所も、彼女の生活魔術でピカピカに磨き上げられている。

この世界にはない「味噌」を使ったスープと、「醤油」で味付けした香ばしい肉料理。アークライトは食事も研究の一環として捉え、「この味付けは私の魔力を安定させる」などと理屈をつけて、彼女の料理を全て平らげていた。


「アメリア」


夕食を終えたアークライトが、珍しく台所までやってきた。彼の顔は煤けておらず、いつもより穏やかだ。


「この調味料はなんだ。食べた後、身体の内部から魔力が落ち着くのを感じる」


彼は小さな瓶に入った味噌を指さした。


「これは『ミソ』と申しまして……書庫にあった東の島国の伝統料理で、豆を発酵させたものでございます。体を温め、滋養に富みます」


「知識では、知っていたが、こんな奥深い味がするのか。興味深い。それも研究の一部とする。今後も、その『ミソ』とやらを使った料理を出せ」


彼の命令は常に研究のためだったが、それは同時に、彼女の作るものを「必要としている」というサインだった。

アメリアの胸に、じんわりと喜びが広がる。


「かしこまりました、アークライト様」


数日後、アメリアは王都へ買い物に出ることになった。不足したハーブや、新たな調味料を仕入れるためだ。


「アメリアが王都へ?なぜだ」


アークライトは、研究室にいるはずなのに、アメリアが馬車に乗る直前に、館の玄関に現れた。


「申し訳ございません。研究に必要な食材や、館の生活用品の補充でございます。すぐに戻ります」 


「……危険だ」 


アークライトは眉をひそめた。


「王都には、お前のような『希少な能力』の価値を理解しない野蛮な人間が大勢いる。彼らが、お前を連れ去る可能性を考慮に入れろ」


「わたくしなど、王都では空気同然でございます。誰も気にも留めません」


「私が気にする。お前は私の研究にとって不可欠な存在だ。他の者の手に渡すわけにはいかない」


アークライトはそう言うと、持っていた杖を地面に突いた。館の庭の地面が微かに振動し、彼の魔力が王都に向かう馬車の周囲を、目に見えない防御障壁で覆った。


「私がいる間は、馬車をこの魔力結界から出すな。そして、王都にいる間、この腕輪を付けろ」


彼が差し出したのは、銀細工の華美な装飾が施された腕輪だった。


「これは……?」


「簡易的な魔力発信装置だ。多少の防御魔法が組み込まれている。危険に晒されたりすれば、私の塔に警報が鳴る。絶対に外すな」


それはもはや、研究のための「道具」への扱いを超えていた。

(これは……監視、でしょうか?)


アメリアはそう感じた。

だが、腕輪はアークライトの魔力が込められているためか、じんわり温かく、安心感があった。伯爵家で冷たい視線に晒されていた頃とは違う、「必要とされている」という甘い束縛だった。


「……大切にいたします」


アメリアは静かに腕輪を受け取り、手首に嵌めた。

アークライトは、彼女のその素直な反応を見て、満足そうに頷いた。


「行くがいい。そして、速やかに戻れ。お前がいないと、研究の効率が落ちる」


最強の魔術師は、彼女の『静寂』がなければ、自身の研究が立ち行かないことを、もはや隠そうともしなかった。

アメリアは、この不器用で、傲慢で、しかし誰よりも一途な魔術師の思い(彼はそれを『研究』と呼んでいるが)に、心の中で嬉しく思っていることを自覚した。


(わたくしの居場所は、ここ。彼の側で、ずっと静かに暮らしたい)


アメリアは馬車に乗り込み、彼の作った魔力結界の中で、銀灰の塔へと向かっていった。

彼は『研究対象』の名を借りた、独占的な溺愛が、静かに始まろうとしていた。






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