第2章 第5話:『旅立ちの監査と、裏切れない愛の誓い』
ベリトは、旅の同行者をフォカスとフォラスに決定した。フォカスは愛梨の魔力管理と監視、フォラスは戦闘支援と護衛が目的だった。
「供物。旅の同行者は、フォカスとフォラス。二人に私の護衛と、お前の魔力管理を命じる。館に残る執事たちの監視と、結界維持はヴァサゴとエリオンの責務とする」
ベリトの言葉は、完璧な執事頭としての冷徹な命令だった。愛梨は、心の壁によって無表情を保ち、その指示を一言一句聞き漏らさずに受け入れた。ベリトは、愛梨の瞳の中に以前のような温かい光がないことを確認し、演技の完成度に満足しながらも、内心で深く傷ついていた。
館の門前。黒塗りの馬車の横で、ベリトと愛梨は旅立ちの準備を整えていた。そこに、軍務侯爵エリオンが、いつもの穏やかで冷たい微笑みを浮かべながら現れた。
「ベリト様。旅立ち、お見送りさせていただきます」
エリオンは一礼すると、鋭い視線を愛梨に向けた。愛梨の胸元のブローチが一瞬、熱を帯びるのを感じた。
「供物さん。貴方は、ベリト様を憎むという演技に、本当に心まで慣れてしまったようですね」
愛梨は何も答えない。心の壁は、エリオンの魔力的な監査から彼女を守っていた。
「ベリト様。一つ、よろしいでしょうか。私の監査は、心の真実にまで踏み込まねばなりません」
エリオンは、ベリトの許可を待たず、愛梨に決定的な問いを投げかけた。
「供物さん。もし今、貴方に自由と、館のすべての秘密が与えられたら、貴方はベリト様を、この館を、憎しみと共に見捨てることができますか?」
愛梨は、ベリトとエリオン、そして周囲のフォカス、フォラスの視線が自分に集中するのを感じた。彼女はベリトを守るため、そして、彼らの愛を守るために、最も残酷な言葉を選ばなければならない。
愛梨はゆっくりと顔を上げた。瞳の奥底は静かな湖の底のように凍り付いていたが、その表面には、主人への深い憎悪と絶望が、完璧に貼り付けられていた。
「……私は」
愛梨の声は、静かだったが、その一言一言には魂の抵抗の響きがなかった。
「二度と、ここへは戻りたくありません。私を**『道具』**として利用する館のすべてを、そして、ご主人様を、憎みます。私に自由があれば、すぐにでも、全てを燃やし尽くしたい」
エリオンは、愛梨のその**「憎悪」に満ちた言葉に対し、満足げに頷いた。彼の期待していた「心の壁」**は、完全に機能している。彼の目には、愛梨の魔力が、ベリトへの愛情ではなく、自己の防衛本能によってのみ回復しているように見えた。
「なるほど。これほどに純粋な憎悪であれば、ベリト様のご支配もさぞ楽になるでしょう」
エリオンはそう言って、ベリトに恭しく頭を下げた。
「お見事です、ベリト様。私の監査は終了いたしました。どうぞ、道中のご武運をお祈り申し上げます」
ベリトは冷たい微笑みを浮かべ、エリオンに目礼した。エリオンは去り際、愛梨のブローチに一瞬、**「必ずその秘密を暴く」**という執着の視線を向け、館へと戻っていった。
エリオンが去り、ベリトは愛梨を馬車へと促した。その動作は、周囲の視線から、愛梨を乱暴に押し込むように見えるほど冷酷なものだった。
「供物。この旅は、お前への**『罰』**だ。私の命令に背いたヴァサゴの件を忘れるな。逃げようなどと考えるなよ」
馬車の扉が閉まり、フォカスが外界との結界を張った瞬間、ベリトは愛梨を強く、強く抱きしめた。それは、馬車が揺れ始めるよりも速い、彼の本能的な行為だった。
「愛梨……」
ベリトは、愛梨の頬に口付け、苦痛に顔を歪ませた。
「お前の**『憎む』という言葉が、私の心臓を切り裂いた。愛梨、聞いてくれ。お前の愛を証明するために、私を憎むふりをするお前の覚悟、私は決して裏切らない**」
愛梨は、心の壁の奥で涙を流しながら、ベリトの背中に腕を回した。
「ベリト様。あなたの苦しみが、私には痛いほどわかります。ですが、私を道具として扱うふりをし続けてください。それが、私たちを守る唯一の手段……」
ベリトは、愛梨の頭を抱きしめた。
「もう二度と、お前を道具にはしない。私は、お前が自らの命を削る前に、ヴァサゴの警告が正しかったと知った。この旅の目的は、執事の増員ではない。お前の魔力を安定させ、お前を『自由』にするための道筋を見つけることだ。私は、お前の愛と、お前の命を必ず守る」
馬車は、城門をくぐり、広大な世界へと走り出した。彼らの愛は、厳重な秘密の鎖で繋がれたまま、新たな試練へと向かった。




