第1章11話『揺らぐ支配者の心と、真実の熱』
愛梨の体調は急速に悪化していた。一日二回のハーブティー調製は、彼女の生命力をあまりにも激しく削り取った。
ある日の昼下がり。愛梨は、ベリトの執務室の窓辺で、三度目のハーブティーを調製しようとしていた。フォカスは無言で彼女の隣に立っている。
愛梨が熱い湯をハーブに注いだ瞬間、視界が白く歪んだ。全身から血の気が引く感覚に襲われ、手から優雅なデザインのティーカップが滑り落ちた。カラン、と乾いた音を立てて床に落ちたカップは、砕け散ることなく、まるで時が止まったように静止した。
「愛梨様!」
フォカスが反射的に彼女の崩れ落ちる体を支えようと手を伸ばしたが、それよりも速く、執務机にいたベリトが愛梨の側へ駆け寄っていた。ベリトの動作は、いつもの余裕を持った冷淡なそれではなく、一瞬の焦燥に駆られたものだった。
愛梨の肌はひんやりと冷たく、白いワンピースの上からでも、その骨の細さがわかるほどに衰弱していた。
「フォカス、下がれ。」
ベリトの命令は静かだったが、その声には、深い怒りと、わずかな動揺が混ざっていた。フォカスは無言で一礼し、執務室の隅に控えた。
ベリトは、愛梨を抱き上げ、大きな革張りのソファへと優しく寝かせた。彼は、彼女の細い手首に自らの指を当てた。生命力の脈動は、まるで細い糸のように、今にも途切れそうに弱々しかった。
「どういうことだ……。なぜここまで衰弱している。一日二回は、城の安定には必要な最低限の消費量だったはず……」
ベリトは自らの計算が狂ったことに苛立ちを覚えたが、その苛立ちは、城の生命線が途絶える危機に対してではなかった。彼の内心では、愛梨という**「個」**が失われることへの、予期せぬ恐怖が渦巻いていた。
ベリトは、震える手で自身の胸元に手を当てると、漆黒の魔力ではなく、深い青色の、治癒と安定の魔力を放出した。その力は、悪魔の心臓から直接湧き出る、彼の本質の力だった。彼は、その力を愛梨の冷たい体にゆっくりと流し込んだ。
愛梨は、その温かい力の奔流に、うっすらと目を開けた。そこには、いつも氷のように冷たい無表情の支配者ではなく、唇を強く結び、深い苦悩を宿したベリトの顔があった。
「なぜ、そこまでするのですか……」
愛梨は、か細い声で尋ねた。
ベリトは、彼女の問いに答えることなく、ただ深く、彼女の青白い顔を見つめた。
「愛梨……お前は、私が背負ってきた全ての重荷から、この城を解放する唯一の光だ。だが、私はお前を、ただの光として見たいわけではない。」
ベリトは、彼女の頬にそっと触れた。その指先から伝わる熱は、愛梨の心を温め、同時に彼自身の心臓をも焦がす、矛盾した熱だった。
「私は、お前を道具にするつもりだった。しかし、お前が自らの命を削り、私を、この城を祝福しようとするその純粋な瞳を見るたびに……私は、かつての私の姿を見るのだ。」
ベリトは初めて、自らの感情の壁を崩した。
「私は、お前を失いたくない。この城が栄えようと、灰になろうと、お前が……生きて、私と共にいることを望む。」
愛梨の目から、一筋の涙がこぼれた。それは、恐怖や苦痛からではなく、初めて、この城の支配者の奥底にある人間らしい温もりに触れた喜びの涙だった。
「ベリト様……」
ベリトは、静かに愛梨の額に口付けを落とした。それは、支配ではなく、保護と、そして始まったばかりの、愛の誓いのように静謐な口付けだった。
彼が与えた治癒の魔力によって、愛梨の体内に力が戻り始める。しかし、その瞬間、ベリトは背後に控えるフォカスに、新たな命令を下した。
「フォカス。愛梨様への魔力の調製要求を、即刻全て中止する。彼女の体調が完全に回復するまで、私以外の者が彼女に触れることを許さない。……そして、ヴァサゴの件は、私に預けられた。」




