表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

星図にない灯台

 宇宙そらは、時として、忘れ去られた約束を、星屑の中から呼び覚ます。

 だが、その声に耳を傾ける者は、もう、ほとんどいない。

 脱サラ航宙士チャック・マツオカが引き受けたのは、そんな時代遅れの感傷に付き合うような、奇妙な依頼だった。一人の老人を、廃墟となった思い出のステーションへ送り届ける、ただそれだけの仕事。報酬は、燃料代にもならない。

 その旅の先に待っていたのは、デジタルな星図には決して載らない、古の叡智。そして、効率の名の下に、人々が見失ってしまった、ささやかな祈りの光だった。

 これは、一人のしがない運び屋が、星々と語る最後の賢者と出会い、混沌の宇宙を照らす、名もなき「灯台」になるまでの物語。

 星々のブルースは、時に、静寂の中にこそ、最も深く、そして、温かく響き渡る。

依頼と、星空の男

 チャック・マツオカは、その日、珍しく穏やかな気分でいた。

 先日の『タルタロス・ゴールドラッシュ』の一件で得た、わずかなクレジットはすぐに消えた。仕送りと修理費、そしてローン——彼の上にぶら下がるダモクレスの剣は、変わらず鋭い。


 それでも、不思議と心は軽かった。

 面倒だけど憎めない相棒・レックス。背中で教えてくれるバート。金では買えない絆が、彼の空虚だった日々に彩りを与えていたのだ。


「キャプテン。感傷に浸っている暇はありません。今月の収支は依然として赤字。輸送依頼を最低二件はこなす必要があります」

 アイリーンの冷静な声がコクピットに響く。


「わかってるよ、相棒」

 チャックは苦笑しながら、ギルドの依頼リストをスクロールした。


 画面に躍る「緊急」「高額」「危険宙域」の文字たち。今の彼の気分には合わない。静かで、どこか風変わりな仕事が欲しかった。


 そして、誰も目を向けないリストの底で、彼はそれを見つけた。


『依頼種別:個人輸送(特別指名)』

『目的地:旧ステーション『メモリア』』

『報酬:1,500クレジット』

『備考:使用船はサイノシュア社製「トラベラー」級、登録番号77-GH-1204を強く希望』


 それはまさに、チャックの『セカンドライフ』号だった。

 冗談のような報酬。行き先は廃墟。——だが、なぜかその依頼から目が離せなかった。


「変な予感がする……けど、嫌な感じじゃない」

 チャックは無意識のうちに、受諾ボタンを押していた。


 依頼主の名は、ナッシュ・ウィーバー。

 その名をダイナー『スターゲイザー』で告げると、ママ・ベルは目を丸くした。


「ナッシュ爺さんかい? へぇ、あんたを指名とはね……」

 彼女はカウンターを磨きながら、懐かしそうに続けた。


「ありゃ、あたしらの時代の伝説さ。最後の“天測航法士”。この店の名前も、あの人への敬意でつけたんだよ」


 ゾルタンの店でも似たような反応が返ってきた。


「ナッシュ? 知ってるとも。あの人の頭の中には、どんなナビシステムより正確な星図が入ってる。そして、どんな星図にもない“道”を知ってるんだ」


 チャックの胸に、ざわめきが生まれていた。

 星図にない道——その響きが、何かを予感させた。


星図にない道

 指定された場所は、タルタロス上層、かつての天文台。

 そこにいたのは、痩身で静かな老人。だがその瞳は、まるで恒星のように鋭かった。ナッシュ・ウィーバー——その人だった。


「君が、チャック・マツオカ君か。来てくれて感謝する」


 彼の後ろに泊まるセカンドライフ号を一瞥し、微笑んだ。


「……いい船だ。少し、迷子の星の匂いがするな」


 意味深な言葉に、チャックは眉をひそめた。


 ナッシュが待っていた荷物は、特注の望遠鏡レンズだった。

 彼はそれを丁寧に扱いながら、チャックの疑問に答えた。


「なぜ俺の船を?」


「君の航行ログを見た。普通は“無茶”と笑う航路を、君は何度も通っている」

 ナッシュはレンズを取り付けながら続けた。


「船体の軋み、エンジンの鼓動。君は“船の声”を聴いている。無意識のうちにな」


「……俺が?」


「“トラベラー”級は、AIとの共存を前提に設計された船だ。魂と機械が一つになって初めて真価を発揮する。君はそれを体現している」


 ナッシュはチャックを望遠鏡の接眼レンズへ導いた。


 彼が覗き込んだその先には、デジタルでは再現できない、まるで生きた星空が広がっていた。


「便利なナビは、舗装された道を示す。だが我々は、星々の運行そのものを読み、自分だけの“裏航路”を見つけていた」


 ナッシュは手書きの古い星図を差し出した。無数の細い線が、星図の余白に踊っている。


「“ゴースト・トレイル”と呼んでいた。効率を捨ててこそ、辿り着ける道もあるんだ」


 チャックは言葉を失っていた。目の前の老人は、ただの昔語りではない。星々と語り合える、数少ない“本物”だった。


消えた灯台

 その夜、タルタロスは『星送りの祭り』を迎えていた。


 亡き者への祈りを込めた「星灯り」が、宇宙へと放たれる唯一の夜。

 だが今年は、肝心の「嘆きの星雲」が現れなかった。


「……どうしたんだ?」


 戸惑う人々。その時、チャックの端末に緊急通信が入った。ナッシュの怒りに満ちた声が響く。


『マーカス・ヴォレンめ……あの馬鹿がやりやがった!』


 評議会の若手官僚・マーカスが推進した「新航行プログラム」。

 効率重視で伝統的な軌道を破棄し、見事に“景観”を壊してしまったのだ。


 ナッシュは吐き捨てるように言った。


『あいつは、かつて父親を航宙事故で亡くした。その反動で“効率こそが命を救う”と信じて疑わん。……だが、現実は違う』


 問題はそれだけではなかった。


「キャプテン!」


 アイリーンが叫ぶ。


「このままでは30分後、ステーションが未記載のアステロイド帯に接触します!」


 新ルートは、知られざる危険へと直進していたのだ。


星屑の道標

 混乱するメインブリッジ。新システムは役立たず。人々の顔に絶望が浮かんでいた。


 チャックの脳裏に、あの言葉が蘇る。


(——星々は、決して、嘘をつかんよ)


「アイリーン! ナッシュと回線を繋げ!」


 ナッシュの声が返ってきた。


『……見える。星図にない、安全な道が一本だけある』


 星々の運行、重力の流れ、星間塵の海。その全てが、彼の中で一つに結ばれていく。


「でも、どうやってステーションを誘導する!?」


『灯台が必要だ。暗闇を照らす、小さな光が』


 チャックは息をのんだ。


「……俺がやる。『セカンドライフ』、発進!」


 無数の星灯りをすり抜けながら、彼の船は宇宙へと飛び立った。


「ナッシュさん、教えてくれ! 俺が道になる!」


 ナッシュが星を読む。アイリーンが数式に変える。そしてチャックが、信じて飛ぶ。


 セカンドライフ号は、宇宙に一本の光の道を描いていった。


 それは、星図にはない道標——だが誰よりも確かな、光の軌跡だった。


 「……あの船の航跡を追え!」


 ビショップの声に、全ステーションが動いた。

 巨大なタルタロスが、小さな灯火を追って、命を繋ぎとめる。


 やがて、全てが静かになった。

 空には、約束通り「嘆きの星雲」が広がっていた。


 人々は、チャックの船へ感謝を込め、「星灯り」を放った。

 無数の光が、セカンドライフ号を包み込む。


 チャックは、言葉もなく、その光景を見つめた。

 報酬も、名誉もない。けれど——それで、よかった。


 星々は、嘘をつかない。

 そして彼は今、灯台になれたのだ。


 彼のブルースには、また一つ、忘れられない星空が刻まれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ