決断のタイムリミット
早朝の救助活動を終え、蒼鷹総合病院に戻った神崎拓真は、わずかな休息も取らずに医局へ向かった。
その背には、現場での負傷者の叫びと、己の手で繋ぎ止めた命の感触が残っている。
「患者はICUで安定してます。術後経過は良好です」
麻酔科医・九条葵の報告に、神崎は静かに頷いた。
「ありがとう。あの場にいてくれて助かったよ」
葵は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに視線を落とし、「いえ」と小さく答える。
彼女にとって現場での初手術は衝撃的で、まだ心の整理がついていなかった。
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そのとき、医局の扉がノックされる。
入ってきたのは、昨日の現場で神崎の手術をサポートした外科医・柊仁志だった。
「もうひとつ報告がある。次のMORU出動の可能性が高い事故が発生した」
「どこで?」
「化学工場内。構内で爆発があり、複数名が閉じ込められているとのこと」
神崎はすぐに無線機を手に取り、指令室と連絡を取る。状況は深刻だ。
火災のリスクと有毒ガスの可能性がある現場。救急隊の進入も限定的だという。
「よし、出るぞ。すぐ準備だ」
柊が一歩前に出て言った。
「今回は私も正式に帯同させてもらう。病院から許可が下りた。現場医療の流れを体験するという名目でな」
神崎はわずかに表情を崩した。「悪くない判断だな。戦力が増えるのは歓迎だ」
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現場に到着したMORUチームは、すぐさま医療拠点を設営。
構内の一部が倒壊し、重傷者が瓦礫の下に取り残されているとの情報を受け、消防隊と連携しながら要救助者のピックアップが進められる。
まもなく、30代男性作業員が搬送されてくる。
顔面に火傷、胸部は潰されており、呼吸が浅く、意識レベルも不明瞭。
「胸郭の変形がある。肺挫傷か…呼吸が保ててない」
柊が素早く評価し、神崎もすぐに判断を下す。
「胸腔ドレーンでは間に合わない。緊急開胸だ」
葵が驚きの声を漏らす。「ここで…開胸手術を…?」
神崎は彼女に目を向ける。
「ここでしかできない。病院に運ぶ頃には、この人の心臓は止まってる」
緊急開胸。現場での胸部切開と肺損傷の修復。わずかな判断の遅れが命取りとなる状況。
柊と神崎は無言で役割を分担し、最速のスピードで手術に入る。
神崎が鋏で胸部を開き、破裂した肺から血液が噴き出す。
柊が吸引と圧迫止血を同時に行い、葵が酸素投与と麻酔量の調整を進める。
「心拍、落ちてきてます!」葵の声が緊迫する。
「柊、出血箇所を塞ぐ!葵、ボリュームローディングを最大に」
神崎の声に、ふたりは即座に反応する。
そのわずか十数分後、手術は終わり、患者の心拍が安定に向かう。
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手術後、神崎は静かに手袋を外す。
「…繋がったな」
柊も無言のまま頷き、視線を患者に向けたまま言った。
「君のやり方、少しずつ理解できてきた」
「理解じゃない。命に向き合う覚悟が要る。それだけだ」
神崎は静かに言い、救助が続く構内を見つめる。
葵は二人の姿を見つめながら、自分の中にある恐怖と向き合っていた。
そして少しずつ、「自分もこの場所に立っている意味」を感じ始めていた。
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次の要救助者の報告が無線で入る。
神崎は一歩、前に出る。
「まだ終わってない。行くぞ」